Arrive 0

黒文鳥

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7章

0.1

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 川沿いを下り森を抜けた辺りから、後を追ってくる者の気配はすでになかった。
 少し先を走っていた彼らも危機を脱したと気付いているのだろう。
 舗装されていない川岸を上がると、焦る様子もなく細い脇道へと入って行く。
 かつてに比べて、旧市街はひっそりとして静かだった。
 今は多くの店が看板を下ろしたようだ。
 灯りがついていたのは古いバーくらいだが、それも営業をしているかどうか怪しい。
 バーの隣の建物は小さなホテルだった。
 迷うことなく、彼らはその中へと入って行く。
 薄暗いロビー。
 ここもすでに廃業した後なのだろう。

「ったくさぁ、救援に来たヤツが逆に助けられてるとか恥ずかしくねーのかよ」

 濡れたコートを脱いで相変わらずの口調でそう言ったのは、カグだ。
 そんなこと言ったら悪いよ、と控えめに嗜めるニールも怪我一つなさそうである。
 あそこで安否不明だった彼らが来てくれるとは思ってもみなかったが、助かった。

「無事だったのか」

「はあ? 無事に決まってんだろーがよ。てか、邸には行くなって連絡したはずだけど?」

「…………連絡?」

 連絡など来ていない。
 そもそも彼らと連絡がつかないから、管理員が慌てて出向依頼を回して来たのだ。
 カグは怪訝な表情をしたが、予想に反して攻撃的な言葉は返って来なかった。
 どーでも良いけど、と彼は視線を下す。
 ユーグレイの腕の中。
 抱き抱えたままのアトリは白い顔でぐったりとしている。

「先にそいつどーにかしろよ」

 ずきりと胸の奥が痛んだ。
 ニールがカウンターの隅に積まれた箱を漁って、タオルを数枚持って来る。

「交戦してたみたいだけど、防衛反応? アトリくん、顔真っ白だよ」

「魔術を受けた。それに、邸で何か飲んだらしい。苦しいと」

 ああ、とニールは顔を顰めた。
 同時にカグが自身の腹の辺りを摩って気分が悪そうにそっぽを向く。

「それ、お花の匂いがする甘いやつだよね……。ぼくたちも飲んだ。なんか苦しいなって思ってたら倒れちゃって、そのまま。でも寝て起きたら良くなってたから大丈夫だと思うよ」

「大丈夫じゃねーし、こっちはずーっと胸焼けしてんだって」

 ニールは「カグくんずっと言ってるね」と笑って、それから心配そうにアトリの顔を覗き込んだ。
 彼が飲んだものが命に関わるものではないと聞いて、それでも胸の痛みは少しも軽くならない。
 ユーグレイを無視して彼らを攻撃したアトリ。
 一つ魔術を放つ度に、何か取り返しのつかないことが起きている気がした。
 別に、良い。
 誰が危険に晒されようが、命を落とそうが。
 それが、アトリでなければそれで良い。
 だから止めたのだ。
 けれど結果として、ユーグレイの行為が隙を生みアトリが攻撃を受けた。
 どこから、間違ったのか。

「あの……、ユーグレイくん。ぼくたちはセルより魔術に耐性があるから、そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。それより二人ともまずはあったかくして休まないと」

「ま、シャワーは冷水。暖房器具も全滅だけどな」

 カグはソファに腰掛けてやれやれと首を振る。
 ニールは「そうだけど」とあわあわと付け足した。

「ちょっと埃っぽいけど、部屋の寝具は使えるよ? 備品もタオルとかあるし……」

「オレら下でのんびりさせてもらうから、上の部屋使えよ。めんどくせー話は明日でいいだろ」

 カグは追い払うように手をひらひらとさせて、「さっさと行けよ」とユーグレイを追い立てた。
 ロビーのすぐ脇、狭く急な階段を上がると向かい合うように二つ客室がある。
 片方は扉が壊れているようだ。
 タオルを持ってついて来たニールが、反対側の客室を開けた。
 小さなベッドにシャワー室。
 窓は曇っていて外の景色は見えない。
 
「えっと、何かあったら遠慮なく呼んでね?」

「…………ああ、助かった。感謝する」

 ベッドに寄り掛からせるようにアトリを床に下す。
 濡れた衣服から滴る雨水が、古い木目に沿って広がっていった。
 ぐらりと傾いた身体を支えると、部屋から出て行こうとしていたニールが「その」と意を決したように口を開いた。

「ぼ、ぼくだったら、攻撃されてちょっと痛い思いしても、全然良かったって思うよ!」

 何の話だと聞き返すまでもない。
 アトリの傍に膝をついて、ユーグレイは長身の青年に視線を向けた。
 彼は緊張のためか、耳まで赤くして息を吸い込む。
  
「守れて良かったって、思う。ペア、だもん。いつもカグくんに助けてもらってるから、頑張れる時は、ぼくが頑張りたい。きっとアトリくんも、そう考えるんじゃないかなって。だから、その……、えっと、怒らないであげて、欲しいな」

 ああ、とユーグレイは答える。
 
「……わかっている。ニール」

「う、うん! じゃあ、ゆっくり休んでね」

 静かに扉を閉めたニールの足音が遠ざかる。
 ユーグレイはアトリの服を全て脱がせると、ベッドに横たわらせた。
 自身も濡れた衣服を脱ぎ捨て床に放る。
 冷たい。
 タオルで肌を摩るように拭きながら、魔術を受けたアトリの背中に触れる。
 傷は、ない。
 
「………………アトリ」

 呼びかけに反応はない。
 荒い呼吸の音に、ユーグレイは奥歯を噛んだ。
 少し埃っぽい毛布を被って、冷え切った身体を抱き込む。
 ユーグレイ自身も体温が下がっているからだろう。
 ただ寒かった。
 どうすれば良かったんだ、と何度目かわからない問いを自身に投げかける。
 ニールの言うことも理解は出来る。
 けれどあのまま戦わせていたら、どうなっていた?
 止めなければ良かったのか。
 だがもしも、それが命を落とすような結果に繋がっていたら。
 湿った黒髪に指を絡め、ユーグレイはアトリの腰を強く抱いた。

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