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7章
0.2
しおりを挟む凍りついたような指先に熱が戻るのに、そう時間は掛からなかった。
鈍った思考は同じ問いを前にいつまでも答えを出さないが、それでもこの腕の中にアトリがいるということだけは正しく認識出来ているらしい。
本能と言うべきなのだろうか。
熱を分けるように強く抱きしめた彼の身体は、まだ冷たかった。
それでも恐怖を覚えるほどの体温ではない。
まだ湿ったままの黒髪を払って、ユーグレイはアトリの首に手を当てた。
「アトリ」
何度目かわからない呼びかけに、色を失った彼の唇が微かに震える。
ようやく返ってきた僅かな反応。
アトリが目を覚ましたら、一体何を言うべきなのだろうか。
「………………」
酷く緩慢に開かれた瞳は、すぐにユーグレイを映して瞬いた。
どこか安堵したように小さく息を吐いたアトリは、「寒い」と呟いてまた目を閉じる。
「…………どこ、ここ」
「旧市街のホテルだ。廃業後の空き店舗に侵入していると言った方がわかりやすいか」
そっか、と答える声は小さい。
「カグとニールに助けられた。二人とも、無事だ」
或いはどこかで気付いていたのかもしれない。
アトリは驚くような様子もなく頷いて、それから重そうに腕を持ち上げるとユーグレイの肩を軽く押した。
閉じられたままの目元に、隠しきれない苦痛が滲んでいる。
「俺、もうちょっと、寝るから……、離せ」
「まだ体温が戻り切っていないだろう。このまま眠って構わない」
アトリは首を振って、ユーグレイの腕の中から逃れようとする。
戯れかと錯覚するほどにその手には力が入っていない。
どうしたのかと問うまでもなかった。
「防衛反応か」
アトリは諦めたようにようやくユーグレイを見た。
けれど抵抗の意思は変わらないのか、「離せ」と繰り返す。
ユーグレイが「そうか」と納得して、この腕の中から逃してやるとでも思っているのだろうか。
背筋を指でなぞっただけで、アトリは唇を噛んで衝動に耐える。
軽く達したなとすぐにわかった。
「この有様で?」
「放っておいても……、死なない。今は、お前としたくない」
ずきりとまた鈍い痛みが襲って来る。
わからない。
「望んで負担を負うつもりか」
「……いい、から。もう、触んな!」
「君が苦しむのをただ見ていろと?」
肩を押す手を掴んでシーツに押し付ける。
身体を起こしてアトリに覆い被さると、彼はユーグレイの脇腹を蹴った。
痛みのない軽い衝撃。
けれどそれは明確な拒絶でもあった。
暴走する防衛反応に呑まれながら、アトリは顔を歪めて「やめろ」と呻く。
「やめるつもりはない」
「やだっつってんだろ! おま、ーーっ!」
口の中に指を差し入れると、アトリは驚いたように目を見開く。
それほどに嫌なのであればこの指を噛むくらいはするべきだろう。
怯えたような舌を指先で捕らえて、擦る。
「ん゛、ぐ……ッ!」
「あまり声を上げると彼らに気付かれるが、良いのか? ああ、僕は、それでも構わないが」
まだ低い肌の温度に対して、掻き混ぜた口腔は温かい。
上手く唾液を飲み込めないのだろう。
ユーグレイは苦しげにえずくアトリの頭を抱える。
こんな風に触れるべきではないとわかっていた。
それでも、止まれない。
少し乱暴に顎の裏を撫で、喉の奥へと指を滑らせる。
「う゛、ぅッ……! え、う……ッ、ーーーーっ!」
じわりと濡れた黒い瞳。
感情を塗り潰すほどの快感だったのだろう。
一瞬我を忘れたように、アトリの表情が蕩ける。
こんなものを前にして、今更。
ゆっくりと指を引き抜くと、アトリは激しく咳き込んだ。
「君は、まだ僕に対する認識を改めていないだろう?」
「は、ぁ……っ、あ? あ、う」
濡れた指先を舐めて、ユーグレイは強くアトリを抱き締めた。
肌が擦れるだけで彼は耐え難いほどに気持ちが良いのだと、理解している。
「僕は、意識のない君を『治療』という名目で犯した人間だ。この状況で、君に拒否された程度で僕が引き下がるとでも思っているのか? アトリ」
「…………お、前」
違う。
そうではない。
そうでは、ないんだ。
アトリは短く息を吐いて、何か言いかける。
何度目かの拒絶か、或いはもっと決定的な断絶の言葉か。
ユーグレイは構わずにアトリの身体に触れた。
僅かに芯を持った胸の飾りを加減もせずに摘み上げる。
「い゛、ぁ…………ッ!」
指に押し潰されたそれに更に爪を立てると、意味のある言葉など発する余裕はもうないようだった。
断続的に跳ねる身体を押さえ込んで、ユーグレイはただ唾を飲む。
「僕としたくないと言う割に、随分と良さそうだな」
返事はない。
求めるほどにただ苦しく、身体の奥底が痛んだ。
どうしたら良かったのだろうか。
冷え切った思考を置き去りにして。
ユーグレイは捕らえた獲物に牙を剥いた。
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