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第二章 それぞれの出会い
2-7 マルス ~王都参内 その一(ベンド)
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ノーム伯爵は、2台の馬車を仕立て、騎士団50名を伴にして王都サドベランスに向かった。
1台の馬車にはレアとそのお付の女中が乗り、もう1台にはノームとマルスが乗った。
マルスの晴れ姿を見たいと言うレアの希望に沿って、ノームが配慮した結果である。
無論事前に王家の了承も取り付けていた。
レアは概ね20年ぶりに王都を訪ねることになり、マルスの晴れ姿を見ることと#併_あわ__#せて大層王都訪問を楽しみにしていたのである。
カルベックの城塞もバルディアス王国では5指に入る大きな街を抱えてはいるが、サドベランスとは比べものにならないぐらいの規模である。
サドベランスは、周囲の城壁の総延長が36レグルもあるのである。
当然に人口も多い。
近衛騎士団5千に加えて各800名を擁する王家直属の騎士団4つが駐屯しているし、商工農民を合わせると王都内の住民は20万人を超える。
カルベック城塞は、騎士団が2千名、それに加えて住民は1万5千ほどである。
夜明けと共にカルベックを発った二頭曳きの馬車と騎馬の一行は、王都への道筋で何の支障も無く、その日夕刻にはサドベランスの西大門を潜り抜けていた。
サドベランスには地方の荘園領主が王都に滞在する場合の常宿が8つほどある。
通常の場合、一つの宿に一領主が仕来りであり、ノームの宿として指定されたのは、デーミット荘であった。
デーミット荘は、サドベランスの中でも最も古くからある格式の高い領主用の常宿である。
到着した翌日には、慣例により、到着の報告を兼ねた挨拶のためにノームが王宮へ参内するが、マルスやレアに予定はない。
マルスはレアのお供をしてサドベランスの街中を見物して回ることになっていた。
レアのお目当てはモリス街の大通りにある商店街である。
ここには大店が店を並べており、カルベックでは手に入らない品が多数用意されているのである。
レアは工芸品と衣装の店を覗くことを見て回ることを楽しみにしていた。
翌朝、朝餉を済ませ、レアが念入りに身なりを整えてからデーミット荘を出た。
サドベランスに到着した時にもモリス街の大通りを通っていた。
その際は陽が落ちて夕闇が迫っていたので人通りは少なかったのだ。
だが、その翌日、デーミット荘から通り一つを隔てた大通りは大勢の市民が色とりどりの衣装を着飾って歩いており、大変な賑わいを見せていた。
カルベックの街の半数が大通りに集まっているようなものである。
王都を初めて訪れたレナンとデラウェアそれに侍女のシャァラは、おのぼりさん宜しくきょろきょろしている。
目にするもの全てが目新しいのだから若い三人にとっては無理からぬことである。
その点、レアと年増の侍女ミアンは王都訪問の経験がある分落ち着いている。
一方のマルスは、大勢の人ごみの中でも絶えず周囲に気を配っていた。
最初の店は装飾品を扱う小間物屋であった。
カルベックにある小間物屋とは比較にならないほど大きな間口を持つ店の仲は大勢の人々が店の手代から品物を見せられ、あれこれと選んでいる。
レアが店の中に入って行くとその身なりから上客と判断したのであろうか、手代でも相応の古参の者が近づきにこやかに挨拶した。
すぐに一行は奥の別室へと案内され、そこでレアの希望を聞きながら色々な品を見せてくれたのである。
女達はため息をつきながらもそれらの品を手に取り、説明を聞いた。
上流の客筋は訪れた店ですぐに買い求めるようなことはしない。
あくまで商品を確認し、大まかな希望を言った上で後日自宅又は滞在先へ店の者が運んでくるのを待つのである。
気に入った品があればそこで贖うし、見せてもらうだけで買わない場合もある。
随分と店の者に手間暇を煩わせることになるが、其の分割高の値になることは止むを得ないことになる。
それが当然のこととして店の者も買い手も納得づくのことである。
小間物屋でひと時を過ごした一行は、次に呉服店を訪れた。
そこも大店であるが、左程の人混みは無かった。
店に入っている客の服装が随分と上物であるところをみると、値の高い品揃えなのであろう。
そうした店に庶民は敷居が高くて中々に入れないものである。
ここでも品の良い手代がレアについて奥の別室に案内した。
マルスたちも一緒であるが、マルスたち男は単なるお伴であり、ひたすら女主の動きについて回るだけである。
侍女二人はレアと共に品物の値踏みをし、品質を確かめ、レアに意見を申し述べる機会もあるが、若い男三人にはひたすら退屈な時間でしかない。
それでも伴の者としては辛抱するしかない。
呉服屋を二軒訪れてからようやく昼食となった。
昼食は同じ大通りに有る孔雀亭というこれまた由緒ある食堂である。
その二階にテラスがあった。
レア達一行が席に着いた時には半分ほど席が埋まっていた。
レア達の席は、通りに面した席である。
料理を注文して、待つ間に、黒尽くめの騎士が4人テラスにやってきて、テラスの奥まった席の周囲に分散した。
間もなく着飾った貴婦人と少女が、更に4人の黒騎士に警護されながら姿を現した。
貴婦人は30代半ば、少女の方はおそらく十代の初めであろう。
何れもプラチナ・ブロンドの髪を持ち、白い肌と薄紫の瞳を持っている。
洗練された衣装は良家の子女をうかがわせるが、マルスは貴婦人の薄桃色の衣装は似合っているものの、真紅の衣装の少女の方は余り似合っていないと思った。
折角のプラチナ・ブロンドの髪と白い肌の輝きが真紅の色で消されてしまうからである。
少女は未だ女になり切っていない体型ながら、整った顔立ちをしており、一緒にいる美人の女性と同様に美人になる兆候が見て取れる。
貴婦人と少女は、席に着いたが、警護の騎士たちは少し距離を空けて立ち姿のまま周囲を警戒している。
実際のところ、少々物々し過ぎる警戒ぶりはかなり異様ではあった。
テラスは正真正銘の屋外ではない。
孔雀亭の二階部分の一部の屋根がなく、一階の天井部分が補強されて平らなスペースを作っているのである。
だが、一方でその面積と同等の広さがある屋根のついた二階部分が存在する。
その屋根の庇が大きく突き出ており、その日陰になる位置に公爵夫人とその連れの席があったのである。
警護の黒騎士の半数は日向に立ち、残り半数は日陰に立っていた。
深窓の令嬢は日向で肌を焼くことを嫌うものである。
同じテラスならば、大通りを上から見下ろせる場所が良い筈だがと日向に慣れたマルスは思っていた。
貴婦人の姿を見たミアンが小声で言った。
「あのご婦人は、サディス公爵夫人のアマンダ様です。
都にいる折に一度お顔を拝見したことがございます。
ご一緒におられるのは多分、御息女のアンリ様ではないかと思いますが、私は生憎とお顔を知りません。」
レアが頷きながら言った。
「サディス公爵は、国王陛下の甥御様に当たる方ね。
サドベランスの北の要衝マルビスに荘園をお持ちで、マルビスの港はサドベランス随一の商港であり軍港です。
お子様はお二方、確か16歳になる御子息クレイン様と12歳の御息女アンリ様がいた筈。
あの方がサディス公爵夫人であれば、もう一人は御年頃から言って確かにアンリ様のようね。」
マルスは、ふと気になったことを訊ねた。
「母上、サドベランスの治安はあまりよくないのでしょうか?」
レアはマルスの突然の問いかけに若干驚いた。
「いいえ、国王陛下のお膝元ですものそんなことは無い筈ですけれど、何故そんなことを?」
「公爵夫人のお供の黒騎士に少々力みが見えます。
お二人を8人で囲み、なおかつ、かなり切迫した様子で警護についているようなので何事かあったのかと・・。」
「まぁ、確かにお二人だけのお昼の食事に8人も警護がつくのは多すぎるようにも思うけれど、身分有る方の警護ならば特段多いと言うわけでもありませんよ。
私にも貴方たち3人が付いているでしょう。
それよりも侍女がついていない方が少し異様かもね。
爵位を持つ方の夫人が外出するとなれば、用事が無くても侍女の一人や二人はつくものですけれど。
そうそう、サディス公爵は王家の親族ですからこのサドベランスに別邸を持っておられます。
たしかエリオス街にあって、この孔雀亭からは近い筈よ。」
マルスは、警護の騎士にピリピリとした気配が最前より漂っているのに気づいていた。
街中で、しかも、出入りする客層がある程度限定される高級な店である孔雀亭でそうした警戒をしなければならない事情が良くわからなかったのである。
だがそれから間もなく異変が生じた。
マルスが気づいた時には、陶器の壷が緩やかな屋根の瓦を転がって落ちてくるところだった。
それが庇を超える直前、マルスは壷の中から蓋と共に屋根に転げ出たものを見分けていた。
遠目ながら瞬時に毒蛇と確認し、レア達を驚かせないように静かに席を立った。
その間にも壷は屋根の庇を超えて弧を描きながら、テラスの床に落下した。
その時にはマルスは二歩ほど件の貴婦人の方へ足を踏み出していた。
落下した場所には人が居らず、幸いに怪我をした者はいないが、粉々に砕けた壷の中から毒蛇ベンドが数匹も絡み合うように出現したのを見た女客たちが一斉に黄色い叫び声をあげた。
男客も争うようにその落下場所から遠ざかるように逃げ出した。
テラスは阿鼻叫喚の様相である。
公爵夫人とその連れの少女も蒼白になりながら立ち上がって避難しようとしていた。
が、毒蛇がするすると散開した時点では逃げ道はほとんどない状態であった。
警護の黒騎士が腰に下げていた剣を抜き放って追い払おうとするが、勝手が悪かった。
相手が賊であったならば脅しも利いたであろうし、8人もいる黒騎士に立ち向かう賊もいなかったであろう。
だがベンドは気性の荒い毒蛇として知られている。
自らが攻撃されたら相手かまわず噛み付く習性を持っていた。
だから最初に噛み付かれたのは黒騎士であり、相次いで4人が噛み付かれていた。
その間にも二匹ほどが剣で切断されていたのだが、宙を跳んでいる間に切断された頭部が騎士に噛み付いていた。
噛み付かれた黒騎士は瞬時に泡を吹いて痙攣しながら床に卒倒した。
ベンドの毒は強い。
大人でも噛まれたならば十数える間に絶命すると言う。
その話が目の前で実証された。
残る黒騎士も用心深く毒蛇を公爵夫人に近づけまいとしているが、あいにくと毒蛇は逆に公爵夫人と連れの少女を取り囲むように位置して盛んにシャッ、シャッと威嚇の音を立てている。
切れの良い威嚇音を発するのがこの毒蛇の特徴であり、同時に興奮している証拠でもある。
少女の真紅の衣装が原因である。
陽光に映える色ではあるが残念ながら真紅はベンドを格別に興奮させる色でもあった。
それ故に生き残った6匹のベンドは少女の周囲に集まっているのである。
護衛の半数が失われ、残った護衛の騎士も迂闊には動けなかった。
じりじりとテラス奥の片隅へと追い立てられている。
仮にもう一人でも失えば、完全に均衡は破れ、公爵夫人とその連れの命も無いだろう。
そこへ無造作に近づいたマルスであった。
一番手近のベンドがそれに気づき宙を飛んでマルスに飛び掛かった。
だが、瞬時に腰から抜いた剣先が大きく開いたベンドの口を突き刺していた。
自らの跳んだ勢いとマルスが僅かに突きだした勢いで、口が割け、身体の半分ほども割かれながらベンドは少し蠢いていたが、やがて、くたっとなった。
その剣を振り下ろすと、ベンドの死体が床に転がった。
更に一歩踏み出して今一匹が同じような経過を踏んで死体となった。
それから、マルスが素早い身のこなしで鮮やかに動き回りながら剣を四度振ると何れもベンドの頭部が切断されていた。
警護の黒騎士と公爵夫人がようやく安堵のため息をついた途端、少女の2レムほど目の前の卓に屋根からどさっとベンドが落ちてきた。
一瞬の出来事で誰もが凍りついて動けなかった。
次の瞬間、ベンドが少女めがけて宙を跳んだ。
警護の黒騎士の間を何時すり抜けたのか、少なくとも3レム程も離れていたはずのマルスであったが、周囲の者が気づいた時には左手でそのベンドの頭部近くを掴んでいた。
驚いて呆然としている少女の手が届く範囲に大きな咢があり、牙をむいていたが、空中で頭部の近くをしっかりと握りしめられたベンドは、空中を跳んだ勢いの惰性でその尾が空しく少女の衣類を叩いただけで噛み付くことができなかった。
ベンドはその胴体をマルスの腕に絡みつけて何とか脱出しようとしたが叶わなかった。
マルスは片手で剣を収め、手近にあった食事用のフォークを手に持ち、跪いて床に蛇を押さえつけるとその頭部にフォークを突きたてた。
ベンドの頭部を穿ったフォークは床板にベンドを釘づけにしていた。
釘付けにされたベンドの胴体は暫く床でのたうちまわっていたが、やがて二度の痙攣を起こした後、完全に動きを止めた。
9匹ものベンドの襲来は終わりを告げたが、騎士4人の死体も残されていた。
ようやく気を静めた少女がアンリ・サディスと自ら名乗り、お礼の言葉をマルスに述べた。
マルスもマルス・カルベックと名乗り、母レアと一緒に来ていた旨を告げた。
側にいた公爵夫人も少女に急かされたように名乗って礼を述べた。
夫人はやはりアマンダ・サディス公爵夫人であった。
二階のテラスに残っているのは公爵夫人の一行とレア一行のみであった。
他の者は全てテラスから逃げ出していた。
そうしてようやく店の者が恐る恐るテラスに顔を出した。
公爵夫人はレア伯爵夫人に近寄り、互いに名乗り合って挨拶をしていたが、すぐに頼んだ食事をキャンセルしてその場を引き上げて行った。
四人の騎士が命を失ったその場で食事を楽しむこともできないし、屋敷に戻って葬送の手配もしなければならなかったからである。
ただし、しっかりとマルスの名と身元を確かめ、後刻必ずお礼に伺うと告げて行った。
店を出るときには、それまでどこにいたのか侍女4人が付き添っていた。
店の前で馬車の荷台に載せられた4人の騎士の遺体が痛々しかった。
店も混乱し、レア達の頼んだ料理もかなり遅れて出てきた。
遺体の搬出と蛇の遺骸の後始末だけでもかなりの時間を要してしまったのである。
食事の場所もテラスではなく中二階の屋内に変えられてしまった。
役人が数人来てテラスや屋根を調べ始めたからである。
テーブルに付いて料理が出て来るまでの間、役人の一人がマルスやレア達から蛇の現れた時の事情を聞いた。
カルベック伯爵夫人とその連れと聞いて役人の口調は随分と丁寧ではあったが、中々にしつこかった。
それでもレア達の傍からは早々に引き揚げて言ったようだ。
料理が出て来てからも一行は寡黙であった。
それでも、一通りの食事を終えて、お茶の時間になるとレアが言った。
「マルス、貴方の先ほどの行動は人としてとても崇高なものだし、カルベック随一の剣士としての噂も聞いていますから不安は無かったのかもしれない。
でも、私はあなたに危険なことはしてほしくは無いわ。
猛毒を持つベンドがあんなにいるところに貴方が出て行くなんて・・・。
それに・・。
最後の一匹を素手で捕まえるなんて、とんでもない話よ。
一つ間違えば貴方が噛み付かれても決して可笑しくは無かった。
ベンドがこんな街中に出てくること自体、とてもおかしなことだけれど、・・・。」
「母上にご心配をおかけしたことは謝ります。
でも、ベンドの習性はとてもわかりやすいんです。
獲物に向かって一直線に飛ぶし、熱を感知しますので露出した肌を狙います。
その動きは迅く見えますが左程の速さはありません。
剣士が振り回す剣の速さに比べたなら、とても遅いんです。
ですから動きを予測することは簡単ですし、僕にとってはでこぼこの道を歩くよりも危険は無かったんですよ。
空中を飛ぶベンドの首を刎ねるのは容易いことなのですが、あの場面で首を刎ねれば勢いのついている頭部はそのままアンリ殿に噛み付いていたかもしれません。
胴体は無くとも牙が肌に食い込めば毒は身体に廻ります。
大柄な騎士でさえ僅かな時間しか持ちませんでした。
ですからあの状態でアンリ殿を救うには素手で捕まえるしかなかったのです。」
隣に座っているレナンが呆れたように言った。
「マルス様だからそんなことを言えますが、普通の者には到底無理ですよ。
少なくとも私には素手でベンドを掴むようなことはとてもできない。
それにマルス様は壷が床に落ちた時には、もう席には居なかった。
気づいた時にはもうベンドに向かっていましたからねぇ。
本来は、マルス様も警護しなければならない我らが後れを取ってしまったのでは我らの立つ瀬がありません。」
「いや、レナンとデラウェアはしっかりと母上を警護してくれていた。
それが二人の役割だからね。
だから僕も安心してベンドに立ち向かえた。」
ミアンが口を挟んだ。
「そうですわね。
お二人がすぐに前に出て、腰の剣を抜かれた姿はとても凛々しかったですよ。
ベンドが向かってきてもお二人がきっと楯になってくれたでしょう。
でも、本当にどこからあんなにベンドが出て来たのかしら。」
マルスがそのミアンの疑問に答えるように言った。
「あのベンドは人の手で集められたものでしょうね。
壷の中にあんなにたくさんのベンドが入る習性はありません。
それに僕たちがこのテラスに着いた時には屋根には壷などありませんでした。
公爵夫人がテラスに現れてからあの壷が屋根の上に出現し、屋根を転がってきたように思います。
残念ながら壷が現れたところや落とした人の姿を見てはいませんでしたが、誰かが屋根の上にいたことは確かです。
その者がベンドの入った壷を故意に落とした。
狙いは多分公爵夫人か又は一緒にいたアンリ様でしょう。
或いは二人の命を狙ったのかもしれません。
理由は判りませんし、その背後関係もわかりませんが、或いは公爵夫人は何らかの兆候がそれまでに有ったので用心をされていたのでしょう。
警護の騎士を8名もつけていたのはその証拠でしょうし、姿の見えなかった侍女4人もあるいは調理場に入っていて公爵夫人に出される料理に毒など入れられないよう見守っていたのかもしれません。
母上は、公爵家に関わる不穏な噂などを聞いては居られませんか?」
レアは首を傾げながら言った。
「それは無理な話ね。
私はカルベックから20年ぶりに王都に出てきたばかりの田舎者ですよ。
サドベランスとカルベックはさほど遠くは無いけれど、そもそも王都の噂話など中々にカルベックまでは届きません。
仮にあっても商人や旦那様から数カ月も前の噂がようやく聞けるぐらい。
そんな中に公爵に関わる話は無かったわ。」
「母上が知らないのでは何もないのかもしれませんが・・・。
気にはなりますね。
一体なぜ公爵夫人とアンリ殿が狙われたのか。」
「あの場には他にもいらしたけれど、・・・。
別の方が狙われた可能性はないのかしら?」
「落ちた場所が何者かの狙った場所ならば、その相手は公爵夫人の一行の中の誰かに間違いはないでしょうね。
ベンドが閉じ込められていた壷が落ちた場所に一番近い席が公爵夫人とアンリ様の席でした。
他と違い、あの席だけは警護の騎士が周囲を取り巻けるように他のテーブルから少し離れて配置されていましたからね。
店の者が、伯爵夫人か又は供の者の意向でわざわざ隔離した席なのでしょう。
外部から狙われにくいようにテラスでも一番奥まった場所で少なくとも二方向が壁に囲まれていました。
そうして壷は屋根の上ではほとんど曲がらずに落ちてきたような気がします。
壷は比較的大きな物でしたが、ほとんど円柱状の特殊な形をしていました。
瓦屋根の多少の凹凸も関わりなく狙った場所に落とせるような形状だったのでしょう。」
ミアンが感心したように言う。
「それにしてもマルス様はよく見ておられましたねぇ。
私などは、壷の割れた音でようよう異変に気づいたのに・・。
それでも最初は何事が起きたのか全く様子が掴めませんでした。
気づいたすぐ後にあのように団子状になったベンドを見たのですから。
後は恐ろしさでひたすら震えていただけです。」
デラウェアも口を挟んだ。
「マルス様の動きは早かった。
気づいた時には、席を立って公爵夫人の方へ流れるように移動していた。
走っているわけでもなくゆっくりとしているわけでもなく、静かな水の流れのように緩やかに移動し、毒蛇を次々に葬って行かれた。
マルス様でなければできない動きでした。
仮にマルス様が居られなかったなら、公爵夫人の一行は全滅だったかもしれません。
あの黒騎士ではベンドを葬ることは難しかったと思います。
精々が良くて相撃ちだったと思います。
あの素早い動きのベンドが相手では我らも多分同じだと思いますけれどね。」
昼食を終えたレア一行は、その後も王都の散策を続け、宿に戻った時には陽が大分傾いていた。
1台の馬車にはレアとそのお付の女中が乗り、もう1台にはノームとマルスが乗った。
マルスの晴れ姿を見たいと言うレアの希望に沿って、ノームが配慮した結果である。
無論事前に王家の了承も取り付けていた。
レアは概ね20年ぶりに王都を訪ねることになり、マルスの晴れ姿を見ることと#併_あわ__#せて大層王都訪問を楽しみにしていたのである。
カルベックの城塞もバルディアス王国では5指に入る大きな街を抱えてはいるが、サドベランスとは比べものにならないぐらいの規模である。
サドベランスは、周囲の城壁の総延長が36レグルもあるのである。
当然に人口も多い。
近衛騎士団5千に加えて各800名を擁する王家直属の騎士団4つが駐屯しているし、商工農民を合わせると王都内の住民は20万人を超える。
カルベック城塞は、騎士団が2千名、それに加えて住民は1万5千ほどである。
夜明けと共にカルベックを発った二頭曳きの馬車と騎馬の一行は、王都への道筋で何の支障も無く、その日夕刻にはサドベランスの西大門を潜り抜けていた。
サドベランスには地方の荘園領主が王都に滞在する場合の常宿が8つほどある。
通常の場合、一つの宿に一領主が仕来りであり、ノームの宿として指定されたのは、デーミット荘であった。
デーミット荘は、サドベランスの中でも最も古くからある格式の高い領主用の常宿である。
到着した翌日には、慣例により、到着の報告を兼ねた挨拶のためにノームが王宮へ参内するが、マルスやレアに予定はない。
マルスはレアのお供をしてサドベランスの街中を見物して回ることになっていた。
レアのお目当てはモリス街の大通りにある商店街である。
ここには大店が店を並べており、カルベックでは手に入らない品が多数用意されているのである。
レアは工芸品と衣装の店を覗くことを見て回ることを楽しみにしていた。
翌朝、朝餉を済ませ、レアが念入りに身なりを整えてからデーミット荘を出た。
サドベランスに到着した時にもモリス街の大通りを通っていた。
その際は陽が落ちて夕闇が迫っていたので人通りは少なかったのだ。
だが、その翌日、デーミット荘から通り一つを隔てた大通りは大勢の市民が色とりどりの衣装を着飾って歩いており、大変な賑わいを見せていた。
カルベックの街の半数が大通りに集まっているようなものである。
王都を初めて訪れたレナンとデラウェアそれに侍女のシャァラは、おのぼりさん宜しくきょろきょろしている。
目にするもの全てが目新しいのだから若い三人にとっては無理からぬことである。
その点、レアと年増の侍女ミアンは王都訪問の経験がある分落ち着いている。
一方のマルスは、大勢の人ごみの中でも絶えず周囲に気を配っていた。
最初の店は装飾品を扱う小間物屋であった。
カルベックにある小間物屋とは比較にならないほど大きな間口を持つ店の仲は大勢の人々が店の手代から品物を見せられ、あれこれと選んでいる。
レアが店の中に入って行くとその身なりから上客と判断したのであろうか、手代でも相応の古参の者が近づきにこやかに挨拶した。
すぐに一行は奥の別室へと案内され、そこでレアの希望を聞きながら色々な品を見せてくれたのである。
女達はため息をつきながらもそれらの品を手に取り、説明を聞いた。
上流の客筋は訪れた店ですぐに買い求めるようなことはしない。
あくまで商品を確認し、大まかな希望を言った上で後日自宅又は滞在先へ店の者が運んでくるのを待つのである。
気に入った品があればそこで贖うし、見せてもらうだけで買わない場合もある。
随分と店の者に手間暇を煩わせることになるが、其の分割高の値になることは止むを得ないことになる。
それが当然のこととして店の者も買い手も納得づくのことである。
小間物屋でひと時を過ごした一行は、次に呉服店を訪れた。
そこも大店であるが、左程の人混みは無かった。
店に入っている客の服装が随分と上物であるところをみると、値の高い品揃えなのであろう。
そうした店に庶民は敷居が高くて中々に入れないものである。
ここでも品の良い手代がレアについて奥の別室に案内した。
マルスたちも一緒であるが、マルスたち男は単なるお伴であり、ひたすら女主の動きについて回るだけである。
侍女二人はレアと共に品物の値踏みをし、品質を確かめ、レアに意見を申し述べる機会もあるが、若い男三人にはひたすら退屈な時間でしかない。
それでも伴の者としては辛抱するしかない。
呉服屋を二軒訪れてからようやく昼食となった。
昼食は同じ大通りに有る孔雀亭というこれまた由緒ある食堂である。
その二階にテラスがあった。
レア達一行が席に着いた時には半分ほど席が埋まっていた。
レア達の席は、通りに面した席である。
料理を注文して、待つ間に、黒尽くめの騎士が4人テラスにやってきて、テラスの奥まった席の周囲に分散した。
間もなく着飾った貴婦人と少女が、更に4人の黒騎士に警護されながら姿を現した。
貴婦人は30代半ば、少女の方はおそらく十代の初めであろう。
何れもプラチナ・ブロンドの髪を持ち、白い肌と薄紫の瞳を持っている。
洗練された衣装は良家の子女をうかがわせるが、マルスは貴婦人の薄桃色の衣装は似合っているものの、真紅の衣装の少女の方は余り似合っていないと思った。
折角のプラチナ・ブロンドの髪と白い肌の輝きが真紅の色で消されてしまうからである。
少女は未だ女になり切っていない体型ながら、整った顔立ちをしており、一緒にいる美人の女性と同様に美人になる兆候が見て取れる。
貴婦人と少女は、席に着いたが、警護の騎士たちは少し距離を空けて立ち姿のまま周囲を警戒している。
実際のところ、少々物々し過ぎる警戒ぶりはかなり異様ではあった。
テラスは正真正銘の屋外ではない。
孔雀亭の二階部分の一部の屋根がなく、一階の天井部分が補強されて平らなスペースを作っているのである。
だが、一方でその面積と同等の広さがある屋根のついた二階部分が存在する。
その屋根の庇が大きく突き出ており、その日陰になる位置に公爵夫人とその連れの席があったのである。
警護の黒騎士の半数は日向に立ち、残り半数は日陰に立っていた。
深窓の令嬢は日向で肌を焼くことを嫌うものである。
同じテラスならば、大通りを上から見下ろせる場所が良い筈だがと日向に慣れたマルスは思っていた。
貴婦人の姿を見たミアンが小声で言った。
「あのご婦人は、サディス公爵夫人のアマンダ様です。
都にいる折に一度お顔を拝見したことがございます。
ご一緒におられるのは多分、御息女のアンリ様ではないかと思いますが、私は生憎とお顔を知りません。」
レアが頷きながら言った。
「サディス公爵は、国王陛下の甥御様に当たる方ね。
サドベランスの北の要衝マルビスに荘園をお持ちで、マルビスの港はサドベランス随一の商港であり軍港です。
お子様はお二方、確か16歳になる御子息クレイン様と12歳の御息女アンリ様がいた筈。
あの方がサディス公爵夫人であれば、もう一人は御年頃から言って確かにアンリ様のようね。」
マルスは、ふと気になったことを訊ねた。
「母上、サドベランスの治安はあまりよくないのでしょうか?」
レアはマルスの突然の問いかけに若干驚いた。
「いいえ、国王陛下のお膝元ですものそんなことは無い筈ですけれど、何故そんなことを?」
「公爵夫人のお供の黒騎士に少々力みが見えます。
お二人を8人で囲み、なおかつ、かなり切迫した様子で警護についているようなので何事かあったのかと・・。」
「まぁ、確かにお二人だけのお昼の食事に8人も警護がつくのは多すぎるようにも思うけれど、身分有る方の警護ならば特段多いと言うわけでもありませんよ。
私にも貴方たち3人が付いているでしょう。
それよりも侍女がついていない方が少し異様かもね。
爵位を持つ方の夫人が外出するとなれば、用事が無くても侍女の一人や二人はつくものですけれど。
そうそう、サディス公爵は王家の親族ですからこのサドベランスに別邸を持っておられます。
たしかエリオス街にあって、この孔雀亭からは近い筈よ。」
マルスは、警護の騎士にピリピリとした気配が最前より漂っているのに気づいていた。
街中で、しかも、出入りする客層がある程度限定される高級な店である孔雀亭でそうした警戒をしなければならない事情が良くわからなかったのである。
だがそれから間もなく異変が生じた。
マルスが気づいた時には、陶器の壷が緩やかな屋根の瓦を転がって落ちてくるところだった。
それが庇を超える直前、マルスは壷の中から蓋と共に屋根に転げ出たものを見分けていた。
遠目ながら瞬時に毒蛇と確認し、レア達を驚かせないように静かに席を立った。
その間にも壷は屋根の庇を超えて弧を描きながら、テラスの床に落下した。
その時にはマルスは二歩ほど件の貴婦人の方へ足を踏み出していた。
落下した場所には人が居らず、幸いに怪我をした者はいないが、粉々に砕けた壷の中から毒蛇ベンドが数匹も絡み合うように出現したのを見た女客たちが一斉に黄色い叫び声をあげた。
男客も争うようにその落下場所から遠ざかるように逃げ出した。
テラスは阿鼻叫喚の様相である。
公爵夫人とその連れの少女も蒼白になりながら立ち上がって避難しようとしていた。
が、毒蛇がするすると散開した時点では逃げ道はほとんどない状態であった。
警護の黒騎士が腰に下げていた剣を抜き放って追い払おうとするが、勝手が悪かった。
相手が賊であったならば脅しも利いたであろうし、8人もいる黒騎士に立ち向かう賊もいなかったであろう。
だがベンドは気性の荒い毒蛇として知られている。
自らが攻撃されたら相手かまわず噛み付く習性を持っていた。
だから最初に噛み付かれたのは黒騎士であり、相次いで4人が噛み付かれていた。
その間にも二匹ほどが剣で切断されていたのだが、宙を跳んでいる間に切断された頭部が騎士に噛み付いていた。
噛み付かれた黒騎士は瞬時に泡を吹いて痙攣しながら床に卒倒した。
ベンドの毒は強い。
大人でも噛まれたならば十数える間に絶命すると言う。
その話が目の前で実証された。
残る黒騎士も用心深く毒蛇を公爵夫人に近づけまいとしているが、あいにくと毒蛇は逆に公爵夫人と連れの少女を取り囲むように位置して盛んにシャッ、シャッと威嚇の音を立てている。
切れの良い威嚇音を発するのがこの毒蛇の特徴であり、同時に興奮している証拠でもある。
少女の真紅の衣装が原因である。
陽光に映える色ではあるが残念ながら真紅はベンドを格別に興奮させる色でもあった。
それ故に生き残った6匹のベンドは少女の周囲に集まっているのである。
護衛の半数が失われ、残った護衛の騎士も迂闊には動けなかった。
じりじりとテラス奥の片隅へと追い立てられている。
仮にもう一人でも失えば、完全に均衡は破れ、公爵夫人とその連れの命も無いだろう。
そこへ無造作に近づいたマルスであった。
一番手近のベンドがそれに気づき宙を飛んでマルスに飛び掛かった。
だが、瞬時に腰から抜いた剣先が大きく開いたベンドの口を突き刺していた。
自らの跳んだ勢いとマルスが僅かに突きだした勢いで、口が割け、身体の半分ほども割かれながらベンドは少し蠢いていたが、やがて、くたっとなった。
その剣を振り下ろすと、ベンドの死体が床に転がった。
更に一歩踏み出して今一匹が同じような経過を踏んで死体となった。
それから、マルスが素早い身のこなしで鮮やかに動き回りながら剣を四度振ると何れもベンドの頭部が切断されていた。
警護の黒騎士と公爵夫人がようやく安堵のため息をついた途端、少女の2レムほど目の前の卓に屋根からどさっとベンドが落ちてきた。
一瞬の出来事で誰もが凍りついて動けなかった。
次の瞬間、ベンドが少女めがけて宙を跳んだ。
警護の黒騎士の間を何時すり抜けたのか、少なくとも3レム程も離れていたはずのマルスであったが、周囲の者が気づいた時には左手でそのベンドの頭部近くを掴んでいた。
驚いて呆然としている少女の手が届く範囲に大きな咢があり、牙をむいていたが、空中で頭部の近くをしっかりと握りしめられたベンドは、空中を跳んだ勢いの惰性でその尾が空しく少女の衣類を叩いただけで噛み付くことができなかった。
ベンドはその胴体をマルスの腕に絡みつけて何とか脱出しようとしたが叶わなかった。
マルスは片手で剣を収め、手近にあった食事用のフォークを手に持ち、跪いて床に蛇を押さえつけるとその頭部にフォークを突きたてた。
ベンドの頭部を穿ったフォークは床板にベンドを釘づけにしていた。
釘付けにされたベンドの胴体は暫く床でのたうちまわっていたが、やがて二度の痙攣を起こした後、完全に動きを止めた。
9匹ものベンドの襲来は終わりを告げたが、騎士4人の死体も残されていた。
ようやく気を静めた少女がアンリ・サディスと自ら名乗り、お礼の言葉をマルスに述べた。
マルスもマルス・カルベックと名乗り、母レアと一緒に来ていた旨を告げた。
側にいた公爵夫人も少女に急かされたように名乗って礼を述べた。
夫人はやはりアマンダ・サディス公爵夫人であった。
二階のテラスに残っているのは公爵夫人の一行とレア一行のみであった。
他の者は全てテラスから逃げ出していた。
そうしてようやく店の者が恐る恐るテラスに顔を出した。
公爵夫人はレア伯爵夫人に近寄り、互いに名乗り合って挨拶をしていたが、すぐに頼んだ食事をキャンセルしてその場を引き上げて行った。
四人の騎士が命を失ったその場で食事を楽しむこともできないし、屋敷に戻って葬送の手配もしなければならなかったからである。
ただし、しっかりとマルスの名と身元を確かめ、後刻必ずお礼に伺うと告げて行った。
店を出るときには、それまでどこにいたのか侍女4人が付き添っていた。
店の前で馬車の荷台に載せられた4人の騎士の遺体が痛々しかった。
店も混乱し、レア達の頼んだ料理もかなり遅れて出てきた。
遺体の搬出と蛇の遺骸の後始末だけでもかなりの時間を要してしまったのである。
食事の場所もテラスではなく中二階の屋内に変えられてしまった。
役人が数人来てテラスや屋根を調べ始めたからである。
テーブルに付いて料理が出て来るまでの間、役人の一人がマルスやレア達から蛇の現れた時の事情を聞いた。
カルベック伯爵夫人とその連れと聞いて役人の口調は随分と丁寧ではあったが、中々にしつこかった。
それでもレア達の傍からは早々に引き揚げて言ったようだ。
料理が出て来てからも一行は寡黙であった。
それでも、一通りの食事を終えて、お茶の時間になるとレアが言った。
「マルス、貴方の先ほどの行動は人としてとても崇高なものだし、カルベック随一の剣士としての噂も聞いていますから不安は無かったのかもしれない。
でも、私はあなたに危険なことはしてほしくは無いわ。
猛毒を持つベンドがあんなにいるところに貴方が出て行くなんて・・・。
それに・・。
最後の一匹を素手で捕まえるなんて、とんでもない話よ。
一つ間違えば貴方が噛み付かれても決して可笑しくは無かった。
ベンドがこんな街中に出てくること自体、とてもおかしなことだけれど、・・・。」
「母上にご心配をおかけしたことは謝ります。
でも、ベンドの習性はとてもわかりやすいんです。
獲物に向かって一直線に飛ぶし、熱を感知しますので露出した肌を狙います。
その動きは迅く見えますが左程の速さはありません。
剣士が振り回す剣の速さに比べたなら、とても遅いんです。
ですから動きを予測することは簡単ですし、僕にとってはでこぼこの道を歩くよりも危険は無かったんですよ。
空中を飛ぶベンドの首を刎ねるのは容易いことなのですが、あの場面で首を刎ねれば勢いのついている頭部はそのままアンリ殿に噛み付いていたかもしれません。
胴体は無くとも牙が肌に食い込めば毒は身体に廻ります。
大柄な騎士でさえ僅かな時間しか持ちませんでした。
ですからあの状態でアンリ殿を救うには素手で捕まえるしかなかったのです。」
隣に座っているレナンが呆れたように言った。
「マルス様だからそんなことを言えますが、普通の者には到底無理ですよ。
少なくとも私には素手でベンドを掴むようなことはとてもできない。
それにマルス様は壷が床に落ちた時には、もう席には居なかった。
気づいた時にはもうベンドに向かっていましたからねぇ。
本来は、マルス様も警護しなければならない我らが後れを取ってしまったのでは我らの立つ瀬がありません。」
「いや、レナンとデラウェアはしっかりと母上を警護してくれていた。
それが二人の役割だからね。
だから僕も安心してベンドに立ち向かえた。」
ミアンが口を挟んだ。
「そうですわね。
お二人がすぐに前に出て、腰の剣を抜かれた姿はとても凛々しかったですよ。
ベンドが向かってきてもお二人がきっと楯になってくれたでしょう。
でも、本当にどこからあんなにベンドが出て来たのかしら。」
マルスがそのミアンの疑問に答えるように言った。
「あのベンドは人の手で集められたものでしょうね。
壷の中にあんなにたくさんのベンドが入る習性はありません。
それに僕たちがこのテラスに着いた時には屋根には壷などありませんでした。
公爵夫人がテラスに現れてからあの壷が屋根の上に出現し、屋根を転がってきたように思います。
残念ながら壷が現れたところや落とした人の姿を見てはいませんでしたが、誰かが屋根の上にいたことは確かです。
その者がベンドの入った壷を故意に落とした。
狙いは多分公爵夫人か又は一緒にいたアンリ様でしょう。
或いは二人の命を狙ったのかもしれません。
理由は判りませんし、その背後関係もわかりませんが、或いは公爵夫人は何らかの兆候がそれまでに有ったので用心をされていたのでしょう。
警護の騎士を8名もつけていたのはその証拠でしょうし、姿の見えなかった侍女4人もあるいは調理場に入っていて公爵夫人に出される料理に毒など入れられないよう見守っていたのかもしれません。
母上は、公爵家に関わる不穏な噂などを聞いては居られませんか?」
レアは首を傾げながら言った。
「それは無理な話ね。
私はカルベックから20年ぶりに王都に出てきたばかりの田舎者ですよ。
サドベランスとカルベックはさほど遠くは無いけれど、そもそも王都の噂話など中々にカルベックまでは届きません。
仮にあっても商人や旦那様から数カ月も前の噂がようやく聞けるぐらい。
そんな中に公爵に関わる話は無かったわ。」
「母上が知らないのでは何もないのかもしれませんが・・・。
気にはなりますね。
一体なぜ公爵夫人とアンリ殿が狙われたのか。」
「あの場には他にもいらしたけれど、・・・。
別の方が狙われた可能性はないのかしら?」
「落ちた場所が何者かの狙った場所ならば、その相手は公爵夫人の一行の中の誰かに間違いはないでしょうね。
ベンドが閉じ込められていた壷が落ちた場所に一番近い席が公爵夫人とアンリ様の席でした。
他と違い、あの席だけは警護の騎士が周囲を取り巻けるように他のテーブルから少し離れて配置されていましたからね。
店の者が、伯爵夫人か又は供の者の意向でわざわざ隔離した席なのでしょう。
外部から狙われにくいようにテラスでも一番奥まった場所で少なくとも二方向が壁に囲まれていました。
そうして壷は屋根の上ではほとんど曲がらずに落ちてきたような気がします。
壷は比較的大きな物でしたが、ほとんど円柱状の特殊な形をしていました。
瓦屋根の多少の凹凸も関わりなく狙った場所に落とせるような形状だったのでしょう。」
ミアンが感心したように言う。
「それにしてもマルス様はよく見ておられましたねぇ。
私などは、壷の割れた音でようよう異変に気づいたのに・・。
それでも最初は何事が起きたのか全く様子が掴めませんでした。
気づいたすぐ後にあのように団子状になったベンドを見たのですから。
後は恐ろしさでひたすら震えていただけです。」
デラウェアも口を挟んだ。
「マルス様の動きは早かった。
気づいた時には、席を立って公爵夫人の方へ流れるように移動していた。
走っているわけでもなくゆっくりとしているわけでもなく、静かな水の流れのように緩やかに移動し、毒蛇を次々に葬って行かれた。
マルス様でなければできない動きでした。
仮にマルス様が居られなかったなら、公爵夫人の一行は全滅だったかもしれません。
あの黒騎士ではベンドを葬ることは難しかったと思います。
精々が良くて相撃ちだったと思います。
あの素早い動きのベンドが相手では我らも多分同じだと思いますけれどね。」
昼食を終えたレア一行は、その後も王都の散策を続け、宿に戻った時には陽が大分傾いていた。
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