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23 白雪姫の姉ですが体を温めると心も温まるんです
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サニー王妃は地面に一人、座り込んでいた。焼け焦げた輿が、その傍らに倒れている。炎に囲まれた彼女の表情には、焦りと怒り、そして陶酔が入り混じっていた。
「さあ、どうする? 助けるの? 助けないの? ねぇ、どうなのよォ……!」
彼女の手の中には、赤黒く濁る宝玉があった。宝玉は、直径十五センチほど。竜の飾りが彫られた金細工の台座の上で、腐ったリンゴのように、毒々しく不気味な光を放っている。
サニーは、宝玉を愛おしげに両手で撫で回しながら話しかける。その声は、まるで恋人を問い詰めるかのように甘く、狂気をはらんでいた。
「あなたが動けば、あの子も助かるのよ。無様に燃えて死ぬ姿なんて、見たくないでしょ? だったら、生き延びるチャンスをくれたっていいじゃない? あの子にも、そして私にも。」
宝玉に顔を寄せて、サニーは囁いた。
――宝玉は何も答えない。
サニーは、両手を広げ、目を閉じた。
すると突然、晴れ渡っていた空が、真っ黒な雲に覆われ始めた。稲妻が光り、空を裂く。
ゴロゴロゴロ……
ドォォォォォンッ――!
すさまじい雷鳴がとどろいたと思うと、次の瞬間、半径約二キロの範囲に、滝のような豪雨が降り始めた。一帯を覆い尽くしていた火災は、ただちに鎮火まではしないものの、その勢いが一気に削がれ始めた。泥と煙を巻き上げ、徐々に炎が沈静化する。
「雨だ……!」
「火が消えていくぞ……!」
両軍の兵士が口々に叫んだ。この機を捉えて公爵軍は、退路を切り開きながら、全速力で逃げていく。
地面に腰を下ろしたままのサニーは、口元を歪めながら高笑いした。彼女が手にする赤褐色の宝玉こそ、まだ誰にも知られていない、彼女の秘密が封じ込められた切り札であった。
「やっぱり、まだあきらめてないのね……」
雨が止んだ。焼け焦げた王妃の輿のまわりに、王妃軍の兵士たちが駆けつけて来る。
「王妃陛下、ご無事でしたか!」
「ええ。私はこのとおり、ピンピンしてるわよぉ。私を見捨てようとしたバカどもは、全員死んだけど。因果応報よねぇ」
サニーは立ち上がり、自らマントの泥を払うと、びしょ濡れの髪をかき上げながら言った。
「どうやら、公爵軍は取り逃がしたようね。ここにいても仕方がないわ。戻りましょう。全軍、転進! 砦の前に群がってる革命軍なんて、田んぼのカエルよ! せいぜい、泥水をすすらせてやるわ!」
サニーの号令で、王妃軍は砦へと帰還していった。
その頃ジョンも、火に囲まれて絶体絶命だったところを突然の大雨に救われて、歓喜の表情で馬を走らせていた。
「このあたりは、もう雨も降ってないな」
ジョンがアップルのほうを振り向きながら、弾んだ声で話しかけた。アップルも、笑顔で返す。
「すごい火事で、本当に怖かった。雨で助かったけど、下着までびしょ濡れで……」
「ハハハ、俺もだ。寒いだろう。しっかり背中につかまってろよ」
「はい……」
アップルは、ジョンの背中に頬を寄せた。彼の体温を、そして彼の汗と雨が混じった匂いを間近に感じて、アップルは不思議な安心感を覚えた。
モンストラン公爵家の軍勢は、砦から約五キロ先の村まで後退すると、そこで残存兵力をまとめた。ハンターの作戦で囮にされた公爵軍は、一万人いた兵士のうち約半数が、死傷者、または行方不明者となっていた。
ジョンが沈痛な表情で、各部隊からの戦況報告書に目を通していると、アップルが、彼のテントを訪ねてきた。
「あの……お湯、ありがとうございました」
アップルは礼を述べた。雨に濡れたアップルを気遣ったジョンのはからいで、公爵夫人専用テントには、酒樽を改造して湯を満たした簡易バスタブが運び込まれていた。アップルは先ほど、その樽風呂で入浴を済ませてきたのだった。
「あ、ああ。気に入ってもらえたなら、何よりだ。お前が風邪を引くといかんと思ってな」
ジョンは、努めて冷静さを装いながら答えた。湯上がりのアップルから立ちのぼる香りに、内心少しドキドキしながら――
「すごく気持ちいいお風呂でした。もう、足も問題ありません。ところで、補給物資のことなんですが……」
「補給物資は、火にも大雨にもやられず、ほとんど無事だった。それに、負傷兵のうち約千人は、軽傷だ。適切に治療すれば、早めに戦線復帰もできるだろう」
「良かったです」
「戦闘で受けた損害は痛いが、補給と救護体制が残っているのは、不幸中の幸いだ。ありがたい」
「はい。その物資について、補給部隊とも相談して、追加分を送るよう公爵領に要請を出しました」
「そ、そうか? それはいい判断だ。だが、それは今はじめて聞いたぞ?」
ジョンはキョトンとした表情で、アップルを見上げる。
「任せよう、と言ったじゃないですか。というわけで、食糧も薪も、補給切れの心配は当分ありません。兵士たちに、今すぐ温かい食事を出しましょう」
「食事を? 今は、とてもそんな気分では……」
砦から撤退したことで、ジョン自身、少なからず意気消沈していた。多くの仲間の命を目の前で失った兵士たちは、尚更だろう。
一方、人数が減ったおかげで、食糧は余り気味なのも確かだった。
「亡くなった方々にすごく失礼な話なのは分かってますが……いや、彼らの尊い犠牲を無駄にしないためにも、生き残った者たちは、無理にでもしっかりと食べて、元気を出して、また立ち上がるしかないと思うんです」
アップルは言葉を続けた。
「それから、みんな大雨で体が冷え切って、泥まみれです。私だけじゃなく、もっと湯を沸かして、野営風呂の提供を……」
「兵士たちにも、風呂だと?」
「そうです。大変な思いをした後です。体も心も、リフレッシュが必要なんです」
「なるほど、リフレッシュか……」
今しがた死線をくぐり抜けてきた者たちに、温かい食事と、お風呂を。アップルの話は、戦場に場違いな「お姫様感覚」を持ち込んでいるように、ジョンの耳には聞こえた。
だが、それも少し、偏った受け止め方かも知れない。ジョンはそう思い直して、アップルに尋ねた。
「教えてくれ、アップル。お前のその提案は、本で読んだ知識か。それとも、自分の経験から生まれた考えか?」
「自分自身の、経験則です。はっきり言えます」
アップルは胸を張って答えた。
「お腹が空っぽだと、心も空っぽになるし、体が冷えると、心も冷えるんです」
サニーに放置され、辛い思いをしてきた少女時代。だからこそ彼女は、貧しくとも自分で工夫して、「食べ物を確保すること」と「健康と衛生に気を使うこと」には、徹底してこだわってきた。その積み重ねの上に、自分がある。今なら、自信を持ってそう言い切れる。
「そうか……まさに、『命の哲学』だな。分かった。では俺も、リフレッシュさせてもらうとしよう……」
ジョンはアップルの答えに納得した。かくして、生き残った兵士たちは、部隊から提供された温かい湯で体を清め、炊き出しの飯で空腹を満たして、退却戦の痛みを癒やす機会を得た。
「公爵夫人から、直々に飲み物を賜ったぞ!」
「おお、我が軍一生の誉れじゃ! 乾杯!」
「……ん? 甘くて、熱い。酒じゃないな。これは一体……?」
「アップルジンジャーです。風邪予防にと思って……」
すりおろしたリンゴに生姜・蜂蜜・シナモンを加えたホットドリンクも、兵士たちに支給された。負傷兵には、アップルが救護所に出向いて自ら配る。
「俺も負傷兵だ」
救護所で待ち構えていたジョンが、わざとらしく後ろ肩をさすりながら、ドリンクを受け取った。
「あれ、ジョン……?」
「うむ。飲むと、腹の底からカーッと温まってくるな。疲れた時は、やはり甘いものが一番だ。酒好きなら、これを酒で割っても楽しめるだろう。さすがはアップル!」
ジョンが堂々とノロケ始めた。負傷兵たちの間に、どっと笑いが起こる。アップルの助言で、物資と負傷兵を先に逃がしたのは、やはり正解だった。これなら、まだまだ態勢を立て直して戦えるとジョンは思った。
束の間の休息を経て、公爵軍の士気は再び高まり始めていた。
「さあ、どうする? 助けるの? 助けないの? ねぇ、どうなのよォ……!」
彼女の手の中には、赤黒く濁る宝玉があった。宝玉は、直径十五センチほど。竜の飾りが彫られた金細工の台座の上で、腐ったリンゴのように、毒々しく不気味な光を放っている。
サニーは、宝玉を愛おしげに両手で撫で回しながら話しかける。その声は、まるで恋人を問い詰めるかのように甘く、狂気をはらんでいた。
「あなたが動けば、あの子も助かるのよ。無様に燃えて死ぬ姿なんて、見たくないでしょ? だったら、生き延びるチャンスをくれたっていいじゃない? あの子にも、そして私にも。」
宝玉に顔を寄せて、サニーは囁いた。
――宝玉は何も答えない。
サニーは、両手を広げ、目を閉じた。
すると突然、晴れ渡っていた空が、真っ黒な雲に覆われ始めた。稲妻が光り、空を裂く。
ゴロゴロゴロ……
ドォォォォォンッ――!
すさまじい雷鳴がとどろいたと思うと、次の瞬間、半径約二キロの範囲に、滝のような豪雨が降り始めた。一帯を覆い尽くしていた火災は、ただちに鎮火まではしないものの、その勢いが一気に削がれ始めた。泥と煙を巻き上げ、徐々に炎が沈静化する。
「雨だ……!」
「火が消えていくぞ……!」
両軍の兵士が口々に叫んだ。この機を捉えて公爵軍は、退路を切り開きながら、全速力で逃げていく。
地面に腰を下ろしたままのサニーは、口元を歪めながら高笑いした。彼女が手にする赤褐色の宝玉こそ、まだ誰にも知られていない、彼女の秘密が封じ込められた切り札であった。
「やっぱり、まだあきらめてないのね……」
雨が止んだ。焼け焦げた王妃の輿のまわりに、王妃軍の兵士たちが駆けつけて来る。
「王妃陛下、ご無事でしたか!」
「ええ。私はこのとおり、ピンピンしてるわよぉ。私を見捨てようとしたバカどもは、全員死んだけど。因果応報よねぇ」
サニーは立ち上がり、自らマントの泥を払うと、びしょ濡れの髪をかき上げながら言った。
「どうやら、公爵軍は取り逃がしたようね。ここにいても仕方がないわ。戻りましょう。全軍、転進! 砦の前に群がってる革命軍なんて、田んぼのカエルよ! せいぜい、泥水をすすらせてやるわ!」
サニーの号令で、王妃軍は砦へと帰還していった。
その頃ジョンも、火に囲まれて絶体絶命だったところを突然の大雨に救われて、歓喜の表情で馬を走らせていた。
「このあたりは、もう雨も降ってないな」
ジョンがアップルのほうを振り向きながら、弾んだ声で話しかけた。アップルも、笑顔で返す。
「すごい火事で、本当に怖かった。雨で助かったけど、下着までびしょ濡れで……」
「ハハハ、俺もだ。寒いだろう。しっかり背中につかまってろよ」
「はい……」
アップルは、ジョンの背中に頬を寄せた。彼の体温を、そして彼の汗と雨が混じった匂いを間近に感じて、アップルは不思議な安心感を覚えた。
モンストラン公爵家の軍勢は、砦から約五キロ先の村まで後退すると、そこで残存兵力をまとめた。ハンターの作戦で囮にされた公爵軍は、一万人いた兵士のうち約半数が、死傷者、または行方不明者となっていた。
ジョンが沈痛な表情で、各部隊からの戦況報告書に目を通していると、アップルが、彼のテントを訪ねてきた。
「あの……お湯、ありがとうございました」
アップルは礼を述べた。雨に濡れたアップルを気遣ったジョンのはからいで、公爵夫人専用テントには、酒樽を改造して湯を満たした簡易バスタブが運び込まれていた。アップルは先ほど、その樽風呂で入浴を済ませてきたのだった。
「あ、ああ。気に入ってもらえたなら、何よりだ。お前が風邪を引くといかんと思ってな」
ジョンは、努めて冷静さを装いながら答えた。湯上がりのアップルから立ちのぼる香りに、内心少しドキドキしながら――
「すごく気持ちいいお風呂でした。もう、足も問題ありません。ところで、補給物資のことなんですが……」
「補給物資は、火にも大雨にもやられず、ほとんど無事だった。それに、負傷兵のうち約千人は、軽傷だ。適切に治療すれば、早めに戦線復帰もできるだろう」
「良かったです」
「戦闘で受けた損害は痛いが、補給と救護体制が残っているのは、不幸中の幸いだ。ありがたい」
「はい。その物資について、補給部隊とも相談して、追加分を送るよう公爵領に要請を出しました」
「そ、そうか? それはいい判断だ。だが、それは今はじめて聞いたぞ?」
ジョンはキョトンとした表情で、アップルを見上げる。
「任せよう、と言ったじゃないですか。というわけで、食糧も薪も、補給切れの心配は当分ありません。兵士たちに、今すぐ温かい食事を出しましょう」
「食事を? 今は、とてもそんな気分では……」
砦から撤退したことで、ジョン自身、少なからず意気消沈していた。多くの仲間の命を目の前で失った兵士たちは、尚更だろう。
一方、人数が減ったおかげで、食糧は余り気味なのも確かだった。
「亡くなった方々にすごく失礼な話なのは分かってますが……いや、彼らの尊い犠牲を無駄にしないためにも、生き残った者たちは、無理にでもしっかりと食べて、元気を出して、また立ち上がるしかないと思うんです」
アップルは言葉を続けた。
「それから、みんな大雨で体が冷え切って、泥まみれです。私だけじゃなく、もっと湯を沸かして、野営風呂の提供を……」
「兵士たちにも、風呂だと?」
「そうです。大変な思いをした後です。体も心も、リフレッシュが必要なんです」
「なるほど、リフレッシュか……」
今しがた死線をくぐり抜けてきた者たちに、温かい食事と、お風呂を。アップルの話は、戦場に場違いな「お姫様感覚」を持ち込んでいるように、ジョンの耳には聞こえた。
だが、それも少し、偏った受け止め方かも知れない。ジョンはそう思い直して、アップルに尋ねた。
「教えてくれ、アップル。お前のその提案は、本で読んだ知識か。それとも、自分の経験から生まれた考えか?」
「自分自身の、経験則です。はっきり言えます」
アップルは胸を張って答えた。
「お腹が空っぽだと、心も空っぽになるし、体が冷えると、心も冷えるんです」
サニーに放置され、辛い思いをしてきた少女時代。だからこそ彼女は、貧しくとも自分で工夫して、「食べ物を確保すること」と「健康と衛生に気を使うこと」には、徹底してこだわってきた。その積み重ねの上に、自分がある。今なら、自信を持ってそう言い切れる。
「そうか……まさに、『命の哲学』だな。分かった。では俺も、リフレッシュさせてもらうとしよう……」
ジョンはアップルの答えに納得した。かくして、生き残った兵士たちは、部隊から提供された温かい湯で体を清め、炊き出しの飯で空腹を満たして、退却戦の痛みを癒やす機会を得た。
「公爵夫人から、直々に飲み物を賜ったぞ!」
「おお、我が軍一生の誉れじゃ! 乾杯!」
「……ん? 甘くて、熱い。酒じゃないな。これは一体……?」
「アップルジンジャーです。風邪予防にと思って……」
すりおろしたリンゴに生姜・蜂蜜・シナモンを加えたホットドリンクも、兵士たちに支給された。負傷兵には、アップルが救護所に出向いて自ら配る。
「俺も負傷兵だ」
救護所で待ち構えていたジョンが、わざとらしく後ろ肩をさすりながら、ドリンクを受け取った。
「あれ、ジョン……?」
「うむ。飲むと、腹の底からカーッと温まってくるな。疲れた時は、やはり甘いものが一番だ。酒好きなら、これを酒で割っても楽しめるだろう。さすがはアップル!」
ジョンが堂々とノロケ始めた。負傷兵たちの間に、どっと笑いが起こる。アップルの助言で、物資と負傷兵を先に逃がしたのは、やはり正解だった。これなら、まだまだ態勢を立て直して戦えるとジョンは思った。
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