見えない心の向こう側

さくら優

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1.無敵の2人

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 那智が雀荘に通い始めたのは、まだ小学生の時だった。

 両親は小さい頃に離婚して、那智は父親に引き取られた。仕事こそそれなりにしていたものの、父親の稼ぎは決して多くはなく、しかも彼はその金のほとんどをギャンブルにつぎ込んでいた。

 那智が父親の通う雀荘を見つけたのは、偶然、街で父親の姿を見つけた時だ。家とは反対方向に向かう彼を見て不思議に思い、こっそり後をつけることにした。そして、父親が入っていった店が雀荘だったのだ。

 小学生ではまだ指の力も弱く、牌もろくに積むことさえ出来なかった子どもを、その場にいた大人たちがよく相手にしてくれたものだと、時々思い出しては苦笑する。

 中でも、父の友人だったらしい陣内は、那智に本当に良くしてくれた。

 麻雀を教えてくれることがほとんどだったが、時々は学校の宿題を見てくれたり、ご飯を食べさせてくれたりした。あの頃の那智は、父親以上に陣内に懐いていた。

 那智が中学を卒業する少し前に父親が事故で死んでしまい、それ以来陣内にはいろいろと世話になっている。
 今でも、陣内の言葉だけは素直に聞くことが出来る。

 彼は本当は、麻雀をやめさせたいのかもしれない。忠告の言葉の節々から那智はそれを感じ取っていたが、陣内ははっきり「やめろ」と口にすることはなかった。自分が教えたことだから言いづらいのか、それともほかに理由があるのか。

 那智が必死になって金を稼いでいる理由を、陣内には話していない。しかし彼はいつも、いつの間にかいろいろなことを知っているから、もしかしたら気付いているかもしれない。その上で、何も言わずにただ見守っていてくれる。そうして、本当に那智一人ではどうしようもなくなった時だけ助けてくれるのだ。

 那智が何も考えず賭け麻雀で無茶が出来るのも、どうしようもなくなったら陣内が助けてくれるだろうと思えるからだった。

 その彼が、たまたま一緒に打っただけの東藤という男を気にしている。

 那智に何か教えてくれる気はないようだし、関わるなとか、一緒に打つなと言われたわけでもないけれど。

(言われなくても、もう一緒に打ちたくはないけどな)

 そんなことを考えながら、那智はテーブルの上で二つのサイコロを転がす。

 プラスチックがぶつかるちゃちな音をさせて、サイコロはどちらも一の目を出した。もう一度転がすと今度はどちらも二の目を出す。その次はどちらも三。六までいくと再び一の目に戻る。

 幾度となくそれを繰り返して、ふと時計に目をやった。

(そろそろ行くか)

 那智は振っていたサイコロをジャケットのポケットに入れ、家を出た。


   ✦✦✦

 いつも通り雀荘の入り口まで来たところで、那智は立ち止まる。思わぬものを目にし、そのまま回れ右をして帰りたくなった。

(なんでいるんだ…?)

 雀荘の入り口の脇に、昨夜那智と対局した男、東藤が壁に背を預けるようにして立っていた。

 昨日と同じような、仕立ての良いスーツを着崩した姿。テキトーな様でいてテキトーではない。その崩し方も、髪の跳ね具合も、全てが計算され尽くしているかのように見えるのはどうしてなのだろう。

 錆びれた通りなので誰も目に留めないが、ここがもし人通りの多いお洒落な街中だったら、道行く女の子達が放っておかないだろうと思われるような出立ちだ。

 那智は、近くにあった電柱の影に身を隠し、こっそりと東藤の様子を窺う。

 いったい何をしているのだろうか。誰かが来るのを待っているようにも見えるけれど。

 那智は、出来るなら彼とはあまり関わり合いたくなかった。もしまた一緒に打つようなことになれば、今度こそ負けるかもしれない。

 しばらく様子を見ていたが、東藤は全くその場から動く気配がなかった。暇そうに煙草を吸ったり、携帯電話を開いたりしている。いい加減、那智の方がイライラしてくる。

 雀荘なんて近くにいくらでもあるのだから他へ行けばいいと思うかもしれないが、那智はまだ十八歳。未成年の賭け麻雀を黙認してくれる所はそう多くはないのだ。

 いつまでもこんなことをしていては、時間がもったいない。那智は意を決して電柱の影から足を踏み出した。もしかしたら、東藤は自分のことなんてすっかり忘れていて、あっさり店内に入れるかもしれない。

「ああ、待ってたんだ」

 しかしそううまくはいかないらしく、那智が近付いた途端、東藤がそんなことを言いながら笑いかけてきた。瞳を眇め、口角を上げただけの感情の読めない笑み。那智は警戒心も露わに睨め付けた。

「君に話があってね。ちょっといいかな」
「俺は話なんてない」

 無視して横を通り過ぎようとすると、東藤に腕を掴まれた。

「断らない方が身のためだよ」

 見た目にそぐわない脅すような口調と台詞に、思わず身体が強張る。腕を掴むその力は思っていた以上に強く、那智は小さく溜息を吐いた。


   ✦✦✦

 東藤に連れられ近くにあった公園まで来ると、那智は掴まれていた手を乱暴に払いのけ適度に距離を置く。

 公園といっても錆びれた遊具が二つ三つと、腐りかけの木のベンチがあるだけで、当然遊んでいる子どもなどいない。こんな人気のない所に連れて来て、いったいなんの話があるというのか。

「話ってなんですか」

 単刀直入に切り出す。用件だけさっさと聞いて、那智はすぐにでも麻雀を打ちに行きたかった。

 那智は遊びで賭け麻雀をしているわけではない。自分自身の生活と、そしてもっと大切なものが懸かっているのだ。

 那智のそんな挑戦的な態度を、東藤はくすりと笑って受け流す。

「君さ…未成年だろう」

 もったいぶるように間を取って、那智の全身を上から下まで眺めてから、東藤は言った。
 そんなことを言うためにわざわざこんな所まで連れて来たのだろうか。

 那智は嫌そうに眉を顰め、彼の視線から逃れるように自分の身体を抱き締める。

「あんたに関係ないじゃん」

 確かに那智は年齢を偽って雀荘に出入りしているが、それを他人にどうこう言われたくはない。ましてや、同じように賭け事に乗じている人間に責められる筋合いはなかった。

「話がそんなことなら、俺もう行くから」

 那智は東藤に背を向ける。

「君、名前なんていうの?」

 東藤は、那智のその様子に全く焦ることもなく、のんびりと聞いてくる。

(なんで俺がわざわざこんな奴に名乗らなきゃなんないんだよ…っ)

 無視を決め込んで、そのまま大股で歩き始めた。
 何を言われても立ち止まらない。振り返らない。

「俺と、組まないか?」

 けれどその決心は、たった二秒でどこかへ追いやられてしまう。

 足を止めると、振り返って東藤の顔をまじまじと見つめた。

「組むって、俺と?」
「そう」
「…コンビ打ちってこと?」
「そうだ」

 東藤ははっきりと頷く。

 彼がなぜ急にそんなことを言い出すのか、那智には理解出来なかった。

 東藤と会ったのは昨日が初めてだ。噂になる位強い雀士だったら、初対面でもこういったことを申し込まれることもあるのだろうが、那智は極力目立たないように心掛けているし、自分の名前が他人の口から上る程だとは思わない。

 賭け麻雀を始めた頃は、身体を賭けるなんてことをしたら噂になってしまうかもしれないと思った。けれどそれは杞憂に終わった。

 那智と打った男達がその話をしようと思えば、聞いた相手は勝負の結末を知りたがるだろう。勝ったと嘘を吐けば、遊びででも男と寝たのだと思われるし、負けたと真実を言えば子どもに負けたのだと馬鹿にされる。どちらにしても、ただの世間話にするにはデメリットが有り過ぎた。

 だから、東藤が前から那智のことを知っていたとは考えにくいし、会ったばかりの人間にコンビ打ちを申し込んでくることも理解出来なかった。

「勝ったら報酬は半分ずつ。負けたらその分の金は俺が払う。どうだ?」

 悪い話じゃないだろう?

 那智の困惑を知ってか知らずか、東藤はコンビ打ちについての説明を始めた。

 東藤の示した条件は、確かに那智にとっては魅力的だった。金の心配をせずに高い賭け金での勝負が出来る。

 しかし、一つだけ引っかかる点があった。

「負けた分はあんたが払ってくれるって、俺はなにもしなくていいわけ?」
「明らかに君のミスの場合は、いつものやり方で俺に払ってくれればいいさ」
「っ!」

 驚きとやっぱりと思う気持ちが、半分ずつ心を埋める。いつものやり方。それはつまり、身体で払うということ。

 那智は無意識に眉を顰めた。

 東藤は相変わらず口元に笑みを浮かべたまま、余裕の表情をしている。なんだか今の状況をとても楽しんでいるように見えるが、本心では何を考えているのか、相変わらず読めない男だ。

「それ、あんたにメリットあんの?」
「あるよ。組んだ方が確実に勝てるからね」
「確実に、勝てる…?」

 東藤の言葉に、那智は妖しむ様な目を向ける。それは、コンビを組む相手が強くなければ言えない台詞だ。

 那智の考えていることはわかっているとでも言うかのように、彼はくすりと笑って先を続けた。

「強いだろう。君は」

 そう言って、東藤はコートのポケットから何かを取り出した。指の間に挟んで顔の横で掲げて見せてきたそれは、一萬の麻雀牌。

「驚いたな。あれだけの数の牌の位置を記憶出来る子がいるなんてね」
「…やっぱり、気付いてたんだ」

 昨日打った時から、なんとなく気付かれていたような気はしていた。

 那智が麻雀に強い理由。それはただ単純に、運が強いとか打ち方が上手いからだけではない。

 那智は、ほとんどの牌の位置を記憶しているのだ。

「昨日の東四局、君は俺の積んだ牌山が自分の記憶と一致しなかったことで、俺の実力が見えず焦った。だから次の局、積み込みでさっさと逃げを打つことにしたんだ」

 その通りだった。

「どうして俺と組みたいの?」
「どうしてかな。興味があるじゃだめか?」

 東藤は軽く肩を竦めて見せる。

(興味、ね…)

 那智の何に興味があるのかは知らないが、おそらくこれ以上訊いても、答えてくれる気はないのだろう。

 那智はわざとらしく溜息を吐いた。

「春瀬那智だよ」
「え?」
「名前。最初に訊いただろ」

 そうして那智は、昨日の夜身体を賭けるという条件を告げた時と同じ、誘うような笑みを浮かべた。

 東藤はおそらくかなり強い。彼と組めば、勝てる確率は上がるだろう。仮に負けても、那智のミスでなければ責任を取る必要はない。もし那智がミスをすれば、その時は一晩彼の好きにされるしかないが、それは今までも同じだった。

 東藤がどんな男なのかは相変わらずよくわからない。それでも、賭けてみる価値はあるように思えた。

「いいよ。あんたと組む」

 那智の言葉に、東藤は穏やかな笑みを浮かべた。

「東藤れんだ。よろしく」

 なんだか健全な友人同士のような自己紹介をする東藤に、那智は小さく吹き出した。
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