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前編
なにをしても…
しおりを挟む一日一回、気を送り込みながら手を握り締める日々。未成年の天使は不安定だと聞かされていたが、自分はそうではなかったことから気にしたことはなかった。
こうまでも壊れやすいのかと、意識の戻らないウィリディスを見ながら思う。
どこかで安心しきっていた自分がいた。最高神である主の膝元なら、それほど危険なことはないだろうと。
平和な日々に、警戒心が薄れてしまったのは自分の落ち度だ。忘れてはいけないと、アルトゥスは気を引き締め直す。
自分といることで誰かを危険に晒すこともある、と思いだした。
(それにしても、なぜ悪魔が……)
これが一番あり得ないと、表情が険しくなる。
自分達が魔界の最下層に行くようなものだ。普通ならそのようなことをしようなど思わない。けれど、あの悪魔は普通にやってきた。
(強くはなかった。俺が簡単に殺せるほどだ)
悪魔といえど、強さは個人差がある。本当に強い者なら、さすがに自分でも歯が立たないだろうとわかっているのだ。
どれだけ力があったとしても、アルトゥスは経験がないのだから。
風呂場に入ったときの光景が忘れられず、血が流れるほど手を握り締めたのは、すでに数えきれないほどだ。
悪魔への怒りで今すぐ飛び出したくなる衝動に襲われては、ウィリディスから離れるわけにはいかないと言い聞かせる。
涙で濡れていた顔を見れば、どれだけ助けを求めたのかもわかるというもので、気付かなかった自分にまた腹を立てる。
「アルトゥス…」
考えすぎていたのか、気遣うような声にハッと顔を上げた。
「ストゥルティか…」
どうしたと問いかければ、傍に置かれた食事にそんな時間だったかと息を吐く。
現状として、リュツィフェールもラピエールの傍にいることから、それ以外のことをすべて彼がやっている。
「ラピエールが目を覚ましたみたいなんだけど…」
口ごもる姿に、状態が悪いのだろうということはわかった。当然だとすら思う。悪魔に襲われて、平気なわけがない。
なにがあったのか知りたいところだが、知ったところでと思う気持ちの方が強かった。知ってもこの気持ちが治まるわけではない。
少しだけ状況がわかったと言われ、話ができたのかと視線が向く。
「うなされてるんだ。起きて気を乱し、リュフェが治して眠る。夢であのときのことを見るみたいで、うなされて起きる。この繰り返しだって」
断片的にうなされているときの言葉で、なにがあったのかわかってきたところだと言われ、そうかと小さく呟く。
それだけ深く刻まれてしまったのかと、アルトゥスは俯く。
「ウィリディスが、ラピエールを護ったみたいだ。最初に襲われたのはラピエールだった」
おそらく、壊れそうになって助けようと動いたのだろう。結果として、ウィリディスが壊れる寸前までいってしまった。
いや、壊れかけている状態だと、三人ともがわかっている。アルトゥスが繋ぎとめているが、戻ってきてくれるかはわからない。
「ごめんって、ずっと謝ってる。ウィリディスにだと思う」
「あいつのせいじゃねぇのに……」
「うん。これは、俺達のミスだ……。悪魔の侵入経路はわかった。ひとまず、そこは抑えてあるんだけど」
他にもあるかもしれないと言えば、ストゥルティは部屋から出ていった。そういった場所をすべて洗い出すつもりなのだろう。
優しく頬に触れ、唇を重ねる。癒すように気を流し込むアルトゥスは、ひたすらに願い続けた。目を覚ましてくれと。
「ラピエールを護ったんだな…お前も怖かったはずなのに……」
よく頑張ったな、と頭を撫でる。楽園にいる時点で、ウィリディスには戦う術など持ってはいない。それでも立ち向かったのだと思えば、誇らしいことだ。
(頼む……)
やっと手に知れた温もりを奪わないでくれ、とアルトゥスの頬を涙が伝う。
リュツィフェールやストゥルティが大切なことは事実だが、それとはまったく違うのだ。ウィリディスの存在は、もはや自分のすべてに変わっていた。
失うことがあれば、その原因となったものをすべて焼き払いに行ってしまうかもしれない。誰かに殺されるまで、感情のままに暴れてしまうだろう。
「ウィリディス……」
抑えられない感情と涙。願いを込めるように唇を重ね、気を送る。
目を覚ますなら、自分のすべてを与えてもいいとすら思っていた。己の命と引き替えてもいいとすら思ってしまったのだ。
「ん…」
「ウィリディス?」
微かに反応があったようなと離れれば、ぼんやりとした眼差しが自分を見ている。見てくれていた。
たったそれだけで、心が歓喜する自分に驚く。
「よかった…」
さらに溢れ出る涙を拭うこともせず、ぎゅっと抱きしめるアルトゥス。失わずに済んだ温もりに、愛しさだけが増していく。
「アル…トゥス……」
驚いたように見るウィリディスが、温もりを確認するよう背に腕を回す。本物だとわかれば、助けてくれたのも夢ではないと知れる。
「お願い…俺を…抱いて……」
きれいにして、と言われれば、アルトゥスには拒否することができなかった。成人前の天使に手を出す真似だけは、と思っていたが、悪魔に触れられた身体をきれいにしてと言われれば、ダメなど言えるわけがない。
「元気になったらな。今のウィリディスは、弱ってるから…」
「約束、だからな……」
どことなく縋るような目に、それでウィリディスが少しでも癒されるなら、と約束する。刻まれた深い傷は一生残るだろうが、少しでも忘れられるなら、望むままに抱こうと思った。
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