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第8話 僕で試せばいい
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「ぜんぶ七海ちゃんのせいなんだから!」
クリスマス間近の雪がちらついていたある日、遥が帰宅して自分の部屋に向かっていると、ふとそんな叫び声が聞こえた。おそらくすぐ先にある七海の部屋からだろう。そして叫んだのは——。
バン、と勢いよく扉が開いてメルローズが飛び出してきた。鳶色の瞳からぽろぽろと涙の粒をこぼしている。遥に気付くとハッと息を飲んでうろたえたが、すぐに身を翻して走り去った。
「あれ、遥……」
開いたままの扉から姿を現した七海が、そこにいた遥を目にしてきまり悪そうにうつむいた。コートを着たまま鞄を持ったままのこの姿を見れば、帰ったばかりということはわかるだろう。
「メルと何かあった?」
「あー……まあ……」
彼女にしてはめずらしく歯切れが悪いうえ、目も泳いでいる。詳しく話を聞こうとしたが、そのときワゴンを押してきた使用人が足を止めた。
「お茶をお持ちしました」
「どうしよう、メルと飲むつもりで頼んだけど……」
「代わりに僕が飲むよ。そのときに話を聞かせて」
そう告げると、彼女は困惑したように顔を曇らせて目を伏せる。それでも逃れられないことはわかっているのだろう。小さく吐息を落とし、渋々といった様子ながらもわかったと答えた。
自分の部屋でコートを脱いですぐに、彼女の部屋へ向かった。
そのときにはすっかりお茶の準備が整えられていた。窓際に置かれた白いティーテーブルに、ティーポット、ティーカップ、クッキーが所狭しと並べられている。窓の外ではちらちらと雪が舞っていた。
「座ってよ」
「ああ」
二人は向かい合って座り、七海がティーポットの紅茶をおぼつかない手つきで注いだ。差し出されたそのティーカップに遥はさっそく口をつける。真冬の外気で冷えた体にじわりと温もりが広がった。
「それで、メルと何があった?」
「うん……」
七海はそっとティーカップを戻して息をついた。わずかに揺らぐ紅茶の水面を見つめながら、すこしだけ考え込むような表情を見せたあと、ぽつりと言葉を継ぐ。
「遥が構ってくれなくなったって」
「えっ?」
「メルが言うんだ……前みたいにおでかけしてくれなくなったし、部屋にもあんまり入れてくれなくなったし、とうとう一緒に寝てくれなくなった。それもこれも僕が橘に来たせいだって」
そういうことか——。
昨晩、これからはひとりで寝るようにとメルローズに告げた。もうすぐ中学生になるので年齢的にそうすべきと考えてのことだ。きちんと説明してわかってもらえたと思っていたのに、と苦い気持ちになる。
ただ、それ以外についてはメルローズの言うことも一理ある。七海の面倒を見るようになり、その分だけメルローズにかける時間が少なくなった。だからといって七海を責めるのはお門違いでしかないが。
責めるのなら遥だろう。しかしメルローズの面倒を見る義務がない以上、七海を優先するのは致し方のないことだ。望みどおりにはできない。寂しくても悲しくてもあきらめてもらうしかない。
本来なら事前にこのあたりを察して、説得なり懐柔なりの対処をしておくべきだったのかもしれない。遥が至らないがゆえに、七海にもメルローズにも嫌な思いをさせる結果となってしまった。
「七海が責任を感じることはないから」
「ん……でもメルの気持ちもわかるんだ。僕のせいで遥をひとりじめできなくなったのは事実だしさ。遥が責任感から僕にかかりきりになってるのはわかってるけど、もうちょっとメルにも構ってあげてよ」
七海は気丈にもそんなことを言い、曖昧に微笑んだ。
こんな顔はさせたくなかった——負い目など感じなくてもいいと言い聞かせてきたし、彼女もそういう素振りは見せなくなっていたが、直接的に責められれば平気ではいられないのだろう。
しかしながら同時にチャンスだとも思う。彼女への想いに気付いた日からひそかに思案をめぐらせ、機会を窺ってきたのだ。まだ十分にあたたかい紅茶を飲んで小さく息をつくと、彼女を見つめる。
「七海、僕は責任感だけで君と過ごしているわけじゃない」
「どういうこと?」
その言葉とともに問いかけるようなまなざしが向けられた。遥は急に緊張が高まるのを感じながら、気持ちを落ち着けるように小さく呼吸をして、ゆるぎのない確かな声音で答えを返す。
「七海のことが好きだから一緒に過ごしたいと思ってるんだ。七海が好きなのは武蔵だってことはわかってるけど、今はそれでも構わない。僕のことが嫌いじゃないなら付き合ってほしい」
「ちょ……ちょっと待って!」
七海は思いきり混乱した顔をしていた。あたふたとしながらも、必死に考えたであろう正論を口にする。
「両思いじゃないのに付き合うなんておかしいじゃん」
「でも武蔵とは会えないんだから両思いになれないよ」
「それは、そうだけど……」
その瞳が不安定に揺らぐのを見て、遥は畳みかける。
「会えない人のことをいつまでも好きでいてもつらいだけ。待たないし期待もしないって言ったのは七海自身だよ。だったら僕で試せばいい。僕と付き合うことで武蔵をあきらめられるかどうかを」
七海はハッと息を飲み、顔をこわばらせて戸惑いがちに目を伏せた。二度と会えない人を好きでいることがいかに不毛か、望みのない恋愛感情を持ち続けることがどれだけつらいか、彼女自身わかっているのだろう。
「遥は……それでいいの?」
「心配しなくても慈善行為ってわけじゃない。七海のことが好きだって言っただろう。武蔵より僕を好きになってもらえるよう頑張ろうとすると、付き合っていたほうが何かとやりやすい。下心はあるってこと」
そう答えてかすかに口もとを上げる。
七海は再び視線を落とした。その表情からだいぶ悩んでいることが窺える。重い沈黙が続き、遥がすこし緊張して唾を飲んだそのとき——彼女は決意を固めたように強いまなざしを返してきた。
「わかった。遥と付き合ってみることにする」
「その決断が正しかったと証明してみせるよ」
「うわ、すごい自信だね」
張りつめていた気持ちが苦笑とともに緩んだようだ。あらためてふうっと息をつくと、ほとんど湯気の立たなくなった紅茶を一口だけ飲み、籠のクッキーに手を伸ばしてもぐもぐと食べ始める。
「でも遥が僕のことが好きだなんて本当かなぁ。思い返してみても全然そんな感じがしないし、いまいち信じられないんだけど。やっぱり同情してるだけなんじゃない?」
「そんなにお人好しじゃないよ」
いままでは態度に出していなかったので仕方がない。しかし——遥は彼女の口もとに手を伸ばしてクッキーの屑を拭うと、そのまま視線を外すことなく、うっすらと思わせぶりな笑みを浮かべて尋ねる。
「どうしたら信じてくれる?」
「……そんなのわかんないよ」
七海は頬を紅潮させ、消え入るような声で答えて口をとがらせる。
その様子を見て、遥はこれまでにないほど気持ちが高揚するのを感じた。きっと何もかもうまくいく。このときはすこしも疑うことなくそう信じきっていた。
クリスマス間近の雪がちらついていたある日、遥が帰宅して自分の部屋に向かっていると、ふとそんな叫び声が聞こえた。おそらくすぐ先にある七海の部屋からだろう。そして叫んだのは——。
バン、と勢いよく扉が開いてメルローズが飛び出してきた。鳶色の瞳からぽろぽろと涙の粒をこぼしている。遥に気付くとハッと息を飲んでうろたえたが、すぐに身を翻して走り去った。
「あれ、遥……」
開いたままの扉から姿を現した七海が、そこにいた遥を目にしてきまり悪そうにうつむいた。コートを着たまま鞄を持ったままのこの姿を見れば、帰ったばかりということはわかるだろう。
「メルと何かあった?」
「あー……まあ……」
彼女にしてはめずらしく歯切れが悪いうえ、目も泳いでいる。詳しく話を聞こうとしたが、そのときワゴンを押してきた使用人が足を止めた。
「お茶をお持ちしました」
「どうしよう、メルと飲むつもりで頼んだけど……」
「代わりに僕が飲むよ。そのときに話を聞かせて」
そう告げると、彼女は困惑したように顔を曇らせて目を伏せる。それでも逃れられないことはわかっているのだろう。小さく吐息を落とし、渋々といった様子ながらもわかったと答えた。
自分の部屋でコートを脱いですぐに、彼女の部屋へ向かった。
そのときにはすっかりお茶の準備が整えられていた。窓際に置かれた白いティーテーブルに、ティーポット、ティーカップ、クッキーが所狭しと並べられている。窓の外ではちらちらと雪が舞っていた。
「座ってよ」
「ああ」
二人は向かい合って座り、七海がティーポットの紅茶をおぼつかない手つきで注いだ。差し出されたそのティーカップに遥はさっそく口をつける。真冬の外気で冷えた体にじわりと温もりが広がった。
「それで、メルと何があった?」
「うん……」
七海はそっとティーカップを戻して息をついた。わずかに揺らぐ紅茶の水面を見つめながら、すこしだけ考え込むような表情を見せたあと、ぽつりと言葉を継ぐ。
「遥が構ってくれなくなったって」
「えっ?」
「メルが言うんだ……前みたいにおでかけしてくれなくなったし、部屋にもあんまり入れてくれなくなったし、とうとう一緒に寝てくれなくなった。それもこれも僕が橘に来たせいだって」
そういうことか——。
昨晩、これからはひとりで寝るようにとメルローズに告げた。もうすぐ中学生になるので年齢的にそうすべきと考えてのことだ。きちんと説明してわかってもらえたと思っていたのに、と苦い気持ちになる。
ただ、それ以外についてはメルローズの言うことも一理ある。七海の面倒を見るようになり、その分だけメルローズにかける時間が少なくなった。だからといって七海を責めるのはお門違いでしかないが。
責めるのなら遥だろう。しかしメルローズの面倒を見る義務がない以上、七海を優先するのは致し方のないことだ。望みどおりにはできない。寂しくても悲しくてもあきらめてもらうしかない。
本来なら事前にこのあたりを察して、説得なり懐柔なりの対処をしておくべきだったのかもしれない。遥が至らないがゆえに、七海にもメルローズにも嫌な思いをさせる結果となってしまった。
「七海が責任を感じることはないから」
「ん……でもメルの気持ちもわかるんだ。僕のせいで遥をひとりじめできなくなったのは事実だしさ。遥が責任感から僕にかかりきりになってるのはわかってるけど、もうちょっとメルにも構ってあげてよ」
七海は気丈にもそんなことを言い、曖昧に微笑んだ。
こんな顔はさせたくなかった——負い目など感じなくてもいいと言い聞かせてきたし、彼女もそういう素振りは見せなくなっていたが、直接的に責められれば平気ではいられないのだろう。
しかしながら同時にチャンスだとも思う。彼女への想いに気付いた日からひそかに思案をめぐらせ、機会を窺ってきたのだ。まだ十分にあたたかい紅茶を飲んで小さく息をつくと、彼女を見つめる。
「七海、僕は責任感だけで君と過ごしているわけじゃない」
「どういうこと?」
その言葉とともに問いかけるようなまなざしが向けられた。遥は急に緊張が高まるのを感じながら、気持ちを落ち着けるように小さく呼吸をして、ゆるぎのない確かな声音で答えを返す。
「七海のことが好きだから一緒に過ごしたいと思ってるんだ。七海が好きなのは武蔵だってことはわかってるけど、今はそれでも構わない。僕のことが嫌いじゃないなら付き合ってほしい」
「ちょ……ちょっと待って!」
七海は思いきり混乱した顔をしていた。あたふたとしながらも、必死に考えたであろう正論を口にする。
「両思いじゃないのに付き合うなんておかしいじゃん」
「でも武蔵とは会えないんだから両思いになれないよ」
「それは、そうだけど……」
その瞳が不安定に揺らぐのを見て、遥は畳みかける。
「会えない人のことをいつまでも好きでいてもつらいだけ。待たないし期待もしないって言ったのは七海自身だよ。だったら僕で試せばいい。僕と付き合うことで武蔵をあきらめられるかどうかを」
七海はハッと息を飲み、顔をこわばらせて戸惑いがちに目を伏せた。二度と会えない人を好きでいることがいかに不毛か、望みのない恋愛感情を持ち続けることがどれだけつらいか、彼女自身わかっているのだろう。
「遥は……それでいいの?」
「心配しなくても慈善行為ってわけじゃない。七海のことが好きだって言っただろう。武蔵より僕を好きになってもらえるよう頑張ろうとすると、付き合っていたほうが何かとやりやすい。下心はあるってこと」
そう答えてかすかに口もとを上げる。
七海は再び視線を落とした。その表情からだいぶ悩んでいることが窺える。重い沈黙が続き、遥がすこし緊張して唾を飲んだそのとき——彼女は決意を固めたように強いまなざしを返してきた。
「わかった。遥と付き合ってみることにする」
「その決断が正しかったと証明してみせるよ」
「うわ、すごい自信だね」
張りつめていた気持ちが苦笑とともに緩んだようだ。あらためてふうっと息をつくと、ほとんど湯気の立たなくなった紅茶を一口だけ飲み、籠のクッキーに手を伸ばしてもぐもぐと食べ始める。
「でも遥が僕のことが好きだなんて本当かなぁ。思い返してみても全然そんな感じがしないし、いまいち信じられないんだけど。やっぱり同情してるだけなんじゃない?」
「そんなにお人好しじゃないよ」
いままでは態度に出していなかったので仕方がない。しかし——遥は彼女の口もとに手を伸ばしてクッキーの屑を拭うと、そのまま視線を外すことなく、うっすらと思わせぶりな笑みを浮かべて尋ねる。
「どうしたら信じてくれる?」
「……そんなのわかんないよ」
七海は頬を紅潮させ、消え入るような声で答えて口をとがらせる。
その様子を見て、遥はこれまでにないほど気持ちが高揚するのを感じた。きっと何もかもうまくいく。このときはすこしも疑うことなくそう信じきっていた。
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