俺の人生をめちゃくちゃにする人外サイコパス美形の魔性に、執着されています

フルーツ仙人

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番外 二十八 ピクニックとあいのことば

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 今日は晴天、公園でピクニックだ。
 ふたりで相談しながら手早く準備して行く。
 秋らしい、くすんだチェック柄のレジャーシート。
 ピクニックバスケットには、ワインとチーズを詰め込んだ。
 それから、ふたりで作ったサンドイッチを後から入れる予定だ。
 季節のフルーツで艶々の林檎。バナナ。
 チョコレートスコーンも!
 バスケットは、ワイングラスにチーズナイフ、コルク栓抜き、まな板も蓋の裏や布張りの内側ポケットにセットされているすぐれものだ。
 テオ、いつの間にこんなもの買ってたんだよとダリオは驚いた。
 これ、けっこう高価なやつ。
 無表情な顔の裏で独り、“いつか″を計画していたなら、なんか可愛いなと思った。もっと早く誘えばよかったかもしれない。
 こんなに多機能バスケット、雰囲気だけで盛り上がってしまう。
 どうせなら、コーヒーも一手間をかけることにした。
 大型マジックボトルに熱いお湯を入れる。
 それから、連邦でよく見るコーヒーチェーン店のアウトドア用チタン製マグカップ。
 小型のハンドミルと、ドリッパーセットはコンパクトだが、野外で淹れ立てのコーヒーが楽しめるだろう。
 近所の公園に行くだけのことだが、誰とどう過ごすかが重要だ。
 ダリオは缶コーヒー一本手にして、寒い冬のベンチにふたりで座って過ごすのでもじゅうぶん楽しい。
 それがピクニックなのだから、もっと凄い。
 学生の時、パン一本に缶コーヒーだけで出かけた過去のものと違いすぎて、本当にワクワクしてしまう。
 経済的な事情からエンターテイメント体験が貧弱なダリオなので、本格的なピクニックなんて、もう足の爪先から頭の天辺までソワソワする。
 去年、ふたりで旅行したのも凄く楽しかった。
 誰かと一緒に、金銭のやり繰りを気にせず、ただ楽しく、特別な時間を過ごせるのって、本当にしあわせだ。
 いつもダリオはその日を楽しんだら、差し引きで今月の生活の収支を考えなければならなかった。
 今日ピクニックに行って、少し贅沢な準備をしたら、代わりにもっと働いて、どこかで生活費を切り詰めなければならない。
 労働をしたら、今度は奨学生として勉強時間の捻出もしなければならず、常に足し算引き算が頭から離れなかった。
 自転車操業で、ひとつでも間違えると追い詰められる玉突きゲームをしているようなしんどさはあったと思う。
 害してくる親ならいない方がマシだが、代わりに頼れる家も、経済的な援助もない。
 そういう生活を、もはやあまり疑問もなく続けてきた。
 足元に火がついて、何かの対価を差し出さないといけないなと後先考えなくてよいのは、とても気持ちが楽だ。
 俺、これ本当に現実かな。どうしよう。夢みたい。
「ダリオさん、少し熱がありますか?」
 心配そうにテオドールに顔を覗き込まれ、ダリオは「はっ」とする。
「いや、大丈夫だ。そろそろ出るか」
 ダリオは出発を促した。


 向かった先、セントラルパークでは、紅葉がすでに始まり、落ち葉の絨毯もできていた。
 犬を連れた老人や、ベンチで読書する女性、ジョギングするバイザー姿の中年、キャッチボール、フリスビーで遊ぶ親子連れ、デートに来ている若者など、皆思うように楽しんでいる。
 ダリオたちも散歩して、良い場所を見つけるとレジャーシートを広げた。
 ダリオは林檎を剥き、テオドールが熱いコーヒーを淹れてくれる。
「テオ、林檎どうする?」
「僕もいただきます」
 テオドールには、本来飲食は必要ない。珍しい返事に、ダリオは再度確認してしまう。
「無理はしてないか?」
「いいえ」
 青年は、きっぱり否定した。
「ダリオさんの召し上がるものを僕も今後ご一緒したいので。感情を味覚に変換するよう少しばかり肉体の機能を増やしたのです」
「……ものを食べたら、美味しく感じる機能を作ったってことか?」
「はい。データも十分溜まりましたので、今は試運転になりますが」
「そうか……」
 テオと一緒に、食べられるのか……とダリオは思わず目頭が熱くなってしまい、パーカーの袖口で慌てて拭った。
「ダリオさん、これまで寂しい思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「そんなの、無理して食うことじゃねーよ。今後も試運転なら無理しないでくれ。ただ、テオと食事できるなら、俺、……うれしい……」
 指先が、じん、と痺れるような幸福感だった。テオドールは以前もブラッドオレンジを口にしてくれたことがあるし、コーヒーを啜ることもある。とはいえ、本来彼には必要のないことで、食事は進んで行うような娯楽ではないようだった。
 しかし、テオドールは、今後共食が必要と考えたのだろう。
 機能を作ろうとしてくれたことが、心配でもあるが、同時に嬉しかった。
 ふたりは、林檎を分け合って食べ、テオドールが美味しいと言うので、ダリオは胸が一杯になる。
「ほんとうに、美味しいのか? 無理してないか?」
「美味しいです。不思議な感覚ですね。ただ、よろしければ、以前して頂いたように、ダリオさんの指で食べさせて頂けないでしょうか」
 苦笑したダリオが、「指でいいのかよ」と口元に林檎を持っていくと、テオドールは咀嚼し、蜜たっぷりの果汁がダリオの指を垂れ落ちる。
「失礼」
 赤い舌先で行儀悪く指先を舐め取り、そうしていても涼し気な気品があった。
 ナプキンでダリオの手も拭いてくれる。
「なんか既視感だな」
 ブラッドオレンジの時は人通りも多く、大騒ぎになってしまった。
 サンドイッチも美味しいな、と話しながら腹におさめ、せっかくだからワインとチーズも取り出す。 
 秋の日差しは望外に暖かく、なんと贅沢な午後なのだろう。
 フルーツだって、都市部ではけっこう高いし、気軽にホイホイ買えるものではなかった。
 ワインもチーズも嗜好品だ。
 ローストビーフの入ったサンドイッチなんて、まず口にも入らない。
 テオドールが現れる前は、余暇も、アルバイトを入れて、書籍代や生活費にしていた。
 ダリオが少しずつ生活や自己投資のために諦めたちょっとした贅沢が、テオドールと経験できている。
 去年は旅行。今年はダリオにとって豪華なピクニック。
 一緒に帰れる家まである。
 ダリオがずっと帰りたかった何処か。
 本当に夢みたいだ。ゆめなら醒めないでほしい。手足が痺れるように、今、俺、しあわせなんだ。もう少しだけここにいたい。
 ワインボトルを手に、少しぼうっとしてしまう。
「ダリオさん、やはり少し熱がありますか?」
「あー、心配させて悪い」
 頭も顔も、火照っている自覚はあった。
「ちょっと興奮してるだけだ。俺、あまりこういうきちんとしたの慣れてねーから」
 悪い意味じゃなくて、とダリオはワインボトルを置いて、バスケットの蓋を閉じる。
「ハイスクールまで、校外活動とか、パンひとつにドリンク一本なのが普通だったからな。無理したら、こういうのもできなくもなかっただろうが、結局後がかつかつになる……気にせずに、楽しみにできるのはテオのおかげだな」
「ぼくは」
 テオドールが少し柳眉を寄せた。
「もっと早く、ダリオさんに会いに行けばよかった」
「……そうか。俺も、早くテオに会えたら、凄く良かったと思う。ただ、子どもの俺、テオのこと受け入れられたかよくわかんねーから。きっとベストタイミングで会いに来てくれたと思うぞ」
 ダリオは本心ではもっとはやく、どうして来てくれなかったんだよ、どうして俺のこと見つけてくれなかったんだよ、と思う子どもの自分もいると感じた。しかし、それはほんとうに子どものダリオの叫びで、今の大人のダリオはそうとも限らねーよなと冷静に見つめる部分があった。結局、タイミングという言葉通りに尽きる。 
 ふたりが上手くいったのは、今のダリオと今のテオドールだからの結果論だ。他のタイミングだとどうなったか結局分からない。
 ハイスクールの時でさえ、危うかったのではないかと思う。たぶん、テオドールがハイスクールの自分に会いに来ていたら、拒絶か、受け入れてもどうしてもっと早く来てくれなかったんだと癇癪を起こして、最終的に依存ズブズブだったような気がして仕方ない。あの当時のダリオは、強い大人に庇護されたくて、どうしてそうしてもらえないのか、本音では苦しかったし泣いたこともあるからだ。
 今のダリオだって、ぎりぎり受け入れられるタイミングだったのだと思う。
 壺中の天事件で、テオドールの存在が全て自分の妄想だった世界に悲しくて泣いてしまったくらいなのだ。テオドールが最初からいなかったのだと突きつけられて、呆然とした。これからひとりでも生きていかなくてはと思い、しっかりしなければならないのに、まぼろしの自分たちが楽しそうに去っていく背中を見たら、さびしくてかなしくて、嗚咽を我慢できなくなってしまった。
 ハイスクールのダリオなら、なおさらもっと繊細だろう。
「ダリオさん」
 不意に、風が吹き抜けた。頭上の枝を揺らし、大きな五つ手の枯れ葉が、深海のマリンスノーのようにゆっくりと降りしきる。
 テオドールがダリオの頬に指を伸ばし、触れるか触れないか、輪郭を辿るようにして、許可を尋ねる。
 ダリオが頷くと、そっと指先が恭しく頬に触れ、なぞるようにした。
 テオドールはまっすぐにダリオを見ていた。
 無表情だが、優しく見えた。なにか違う。何が?
「ダリオさんを愛しています」
 青年は昨日も告げたように、しかしどこか違うように言う。
 ダリオは時間が止まったように感じた。
 分からなかった。
 テオドールは、そもそもそんなに愛してると自ら口にしてきただろうか。
 彼は行動で示してくれて、ダリオが「好き、好き」、と口にしてしまうと、ぼくもすきです、と応えてくれた。
 ダリオは準備できていない。
 なんの準備だ?
 わからない。わからない。
「貴方を愛しています。誰よりも何よりも、僕自身よりも。貴方にもっと早く会いたかった。ダリオさんを悲しい目に合わせたくなかった」
 いつの間にか、ぎゅっと抱きしめられて、ダリオは呆然と力が抜けた。
 テオドールに、今だけではなくて、彼に、子どものダリオも、壺中の天で青年がいなくて、ふたりが楽しそうに歩いて去る幻をじっと見つめ、耐えきれずさびしくてかなしくて泣いてしまったダリオも、全部抱きしめられているのが分かった。
「貴方が、大切な犬を亡くした時も。僕の名前の犬を連れて行かれて泣いていた時も。どうして僕はもっと早くダリオさんのところに来られなかったんだろう」
 ゆるしてください、とテオドールは謝る。
「ダリオさんは、エヴァさんにご自分を大切にされず、他者に介入されると指摘されていましたね。ダリオさんの大切な犬のテオドールが、子どもの非力な時は助けられなかったから。だから、肉体が成長された今、ご自分を度外視してでも、代わりに他者を助けに行かれるのでしょう」
 決めつけだと言うことができなかった。
 ダリオは何も言えなかった。
 もう犬のテオドールを助けられなかった無力な子どもではない。人より体格もよく、膂力に恵まれて、今なら、助けられなかった犬も助けられる。
 ただ、犬のテオドールはもういないだけで。
「ダリオさん。僕もダリオさんを助けに行くのが間に合わなかった。今頃のこのこ現れたのです」
「ちがう……テオは……」
「否定してくださるなら、ダリオさんも、もう許して差し上げて下さい」
 テオドールは、無理強いはしなかった。
「ダリオさんの心の中に押し入ってしまい、申し訳ありませんでした。今の話は、無理にお願いしたいわけではない。ダリオさんに人助けを止めろとも申し上げません。もうダリオさんが二度と悲しい思いをされないように、僕がサポートします。ダリオさんが不要と仰るまで側にいます」
「不要にならねーよ……置いて……かれる方が、こわい……」
「僕は置いて行きません。長生きですから。ずっと側にいます。貴方がさびしくないように、かなしくないように、側にいます。ダリオさん。ダリオさんのことを、支配者の僕は、美しいと思っていました。可愛いのは僕なので、ダリオさんは美しいと。しかしながら、僕はもうダリオさんが可愛らしくて愛しくて仕方ない。貴方に悲しい思いをしてほしくない。貴方を大切にしたい」
 テオドールは、はっとするほど美しく気品のある微笑を浮かべた。
「貴方を愛しています」
 ピクニックに来たのに、犬の鳴き声も、子連れの笑い声も、落ち葉の重なり擦れる音も、もはや何ひとつしない。
 時が止まっている。テオドールの空間だった。
 テオドールがダリオの手を握った。
 ゾッとするほどの低い美声が、優しく囁く。
「覚えておいて下さい。貴方を愛しています。何よりも、僕よりも。ああ、忘れられても結構です。僕はダリオさんに対する衝動の自覚はありましたが、やっと人間の言語と合致する適切な表現が腑に落ちましたので。ダリオさんが嫌と仰らなければ、毎日申し上げようかと」
「毎日……」
 ダリオは言葉を失った。頭の中が整理できない。
 落ち着いてきたら、逆に威力が増してきた。
 ダリオが好きだと言って、テオドールがぼくも、というのとはわけが違う。
 え、まいにち……言うの……か……? 
 テオドールは、あまり自分からそういうことを言わなかったから、ダリオは平常心でいられた。
 急に青年の美しい顔で、「愛しています」と真剣に毎日(毎日)自主的かつ能動的に言われたら、その度ごとに腰が抜けるかもしれない。
 ダリオは、テオドールから能動的に何かされるのにめちゃくちゃ弱いのだ。
「あ……う……」
 今はまだ、割と混乱してるからなんとかなってるだけだぞ。
 普段言われたら、俺……
 ダリオはまず、ありがとう、と言ってから、考えるのをやめた。
 彼にはこういうところがある。
「テオ」
 はい、と青年が応える。
「昼寝しようぜ」
 カブトムシ取りに行こうぜ、のニュアンスでダリオは提案した。
 現実逃避である。
 テオドールは素直に、「では小さい僕になります。空間も少しずらしておりましたので元に戻しておきます」と述べた。
 たちまち、日中の公園の喧騒が返ってくる。
 テオドールがどこからかクッションを出して、ブランケットまで手渡した。ダリオはありがたく受け取ってレジャーシートに横になる。
 小さなテオ……水饅頭形態の彼が、ダリオの腕にぴとりとくっついて来た。
 短い腕を伸ばしてしがみつき、日を避けるように顔を埋めてぎゅっと擦りつけてくる。
 うまく場所が落ち着かないように見えて、ダリオは胸の上に抱き上げた。
 水饅頭のテオドールは、顔を上げて、両手でちょいちょいとダリオの顔を触った。
 それから丸くなり、ふたりは暖かな日差しの中、人々の楽しげな喧噪を聞きながら贅沢な昼寝をしたのだった。
 
 
 

 
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