ルピナスの花束

キザキ ケイ

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6話

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「話すことはありません。お引き取りください」

 少し前もこんなふうに素気なく断られる日々だった。
 鉄扉の前で立ち尽くす。文字通り門前払いだ。

 ハロルドの実家は確かにメモの通りの場所にあった。周辺の住人に話を聞くと、「珍しい家業」で「ハロルド・アッカーという名の息子」はたしかにこの家に住んでいたことがあるという。
 彼自身は数年前に就職のため家を出たが、最近また見かけるようになったので里帰りだろうと思われているようだ。
 確証を得たところで、意を決して本丸に切り込む。
 そしてあの対応だった。

「そりゃそうか……いや、しかし……」

 寄宿寮に戻り、対策を練る。
 ハロルドからしてみれば、俺は彼を振った元恋人だ。会いたくないのは間違いないだろう。
 ただ現時点では、俺はまだ応対に出た使用人に名乗ってすらいなかった。
 「ハロルドに会いたい」と来意を告げただけで拒否されたのだ。彼を訪ねてくる人間をすべて取り次がないようにしているとしか思えない。
そうなると、ハロルドは「恋人だった男に振られたが彼がここを訪ねてくるかもしれないのですべて断ってくれ」と家人に伝えているというのだろうか?
 それはさすがに考えにくい。

「誰かがハロルドに他人を接触させないようにしている……?」

 ハロルドが実家に帰ったのは、家から急な呼び出しがあったからだと聞いている。
 訪問した時に見た限りでは誰かが亡くなったなどの理由ではなさそうだった。客を門前払いすることと急な呼び出し、関係はあるのだろうか。
 考えてみても答えは出そうにない。
 俺は馬鹿の一つ覚えなことを承知で、なんとか彼らの懐に潜り込む決意を固めた。



 サリーの説得に三週間掛かったことを考えると、五日でアッカー家の使用人たちと親しくなれたことは嬉しい誤算だったと言える。

「ハロルド様にご友人が訪ねてくださることがあるなんて……わたくし、感動ですわ」
「ハル様にこんな立派なご友人ができただなんて、王都へ送り出した甲斐もあったというところですなぁ」

 ハンカチで目元を拭いながら俺を囲んでいるのは、女中頭と庭師の男女だ。
 二人ともやや高齢で、アッカー家が使用人を大事にしていることがよく分かる慕われっぷりだった。
 ハロルドはあまり他人と付き合うことがないらしく、たまたま門前払いされたところをこの涙もろい女中頭に見られ、事情を半分ほど伏せて話したらすぐさま裏口から家へ入れてもらえた。
 さすがに「ハロルドを振った元恋人」という触れ込みでは入れてもらえなかっただろう。プレスの効いた騎士の制服がこんなところで役に立つとは。

「ハロルド様は先日からお帰りになられているんだが、当主様が誰も取り次ぐなときつく仰るんだよ」
「だから当主様に取り次いであげましょう。あの方にもなにかお考えがあるのでしょうけど、とても心根の優しい方だから事情を話せば会わせてもらえるわよ」

 涙もろく世話焼きな女中頭に連れられて、俺は当主の元へ案内された。たしかハロルドの弟が家督を継いだと聞いたが。

 通された客間は家の作りの印象をそのまま落とし込んだような、シンプルで、それでいて品の良い調度品が揃ってい。
 中央の応接間に置かれたソファ、その上に足を組んで座っている細身の男。
 面差しはハロルドによく似ている。

「はじめまして、アッカー家当主殿。この度は御目通りをお許しくださり……」
「ふん、ぼくは誰かに面会を約束した覚えはないがな。女中たちの自分勝手にも困ったものだ」
「……」

 思いっきり喧嘩腰の、不機嫌そうな年下の男に口端が歪みそうになるのを精神力だけで押さえた。
 彼はハロルドの弟だ、そしてこの家の主人だ。不興を買えば一瞬でつまみ出される。なんとかご機嫌をとって、ハロルドに会わせてもらうまで帰れない。
 目標をしっかりと胸に刻み、俺は見事な愛想笑いで嫌味を受け流した。
 もう一度面会許可のお礼を言えば、今度は遮られることはなかった。

「当主のラッセル・アッカーだ」
「ルーファス・グラッドストンと申します。王都騎兵隊所属の一等騎士です」
「中央のお偉い騎士様が北の辺境までなんの御用かな?」

 ラッセルが顎で指した対面のソファに腰掛ける。
 とてつもなく嫌味な言い方だが、どうやら話を聞いてもらえるようだ。
 恐らく彼が、ハロルド宛の面会を拒絶するよう指示している張本人だろう。証拠はないが、ラッセルの態度や節々に見られる言葉の調子から、俺はそう確信していた。
 それならば遠回しな表現や心にもないおべっかを使ったところで意味などない。

「もちろん、ハロルドに会いに来たのです」
「……は。冗談がお上手だな。騎士団に中央から査察が来ていることは知っている。その長がグラッドストンという貴族上がりの騎士だということもな。仕事のついでに逃した魚を惜しもうというつもりなら……」
「わたしは『恋人』に会いに来たのです。逃したつもりはありません」

 蔑むような表情だったラッセルが、凶悪なほど顰められ真意を探ろうとしている。
 俺は堂々と背筋を伸ばして彼の視線を受け止めた。
 実際には後ろ暗いところだらけだったのに、疚しさなどなにもありませんという気持ちを強く持つ。サリーの、深く底知れない海のような凪いだ目に責められたことに比べれば、ラッセルの威嚇など子猫のそれと同じだ。
 ラッセルはソファの肘掛けに凭れ、大きな溜息をついた。嫌そうな顔ではあるが、射殺すような目ではなくなっている。

「どうやらそれは本心のようだな。まぁいい。しかしハロルドを中央に返す気はない」
「どうしてですか? 彼は家業に適正がないと言っていました。ここではせっかくの司書資格も生かせませんし、働き口がないのでは」
「適正がないわけではない、不十分なだけだ。それに使いみちはある。例えば子をもうけるとか」

 俺は愕然とした。
 ハロルドが家に呼び戻された理由が見合い───もしくは婚約、だったとは。それにとんでもない物言いだ。まるでハロルドを種馬のようにしか捉えていない。
 抗議しようとした俺を目だけで押さえたラッセルは悠然と足を組み替え、偉そうに言い放つ。

「我がアッカー家は代々力を子に孫に受け継がせ、保持してきた。家のものにとって最重要の仕事だ。その礎になれるのであれば、あれも本望だろう」
「……力?」
「なんだ、恋人だとか言う割に知らなかったのか? ぼくたちは他人の心を読める。場合によっては感情だけでなく、言葉、記憶、過去までも」

 さすがにその言葉には動揺した。
 ハロルドが……そして目の前のラッセルも、心を読むことができるというのか?
 そんな力のことは彼から聞いたことがなかった。
 ───いや、話す気になれなかったのだろう。
 心を読めるのなら、俺がハロルドに告白したきっかけが罰ゲームであることは知られているはず。
 そんな不誠実な男に、自らの特殊な能力の秘密を打ち明ける気になるはずがない。
 ここにきて、本人に会いさえすれば確実にハロルドを取り戻すことができると思っていた自信に亀裂が入った。
 とても口に出せないような醜い感情や不埒な想いを全て彼に知られていたのなら、もう二度と会いたくないと思われている可能性だってある。
 膝の上で両手を握りしめる。
 冷や汗が流れる俺の様子に、ラッセルは初めて満足そうな顔を見せた。

「ハロルドとて器は十分。本人が力を使いこなせないだけで、仕事がないわけではない。嫌気しか察知できないのであれば、要人警護につければ良い。害意や殺気を感じたら要人を守り、時には盾となる。ろくに剣も扱えないあれには荷が重いから最後の手段となるがな」
「な……っ! ハロルドはあなたの兄でしょう、そんな言い方を……!」
「出来損ないの使い道などその程度だ」
「貴様ッ!」

 相手は家長だとか、下手に出なければいけないだとか、そんなことはもう関係なかった。
 弟でありながら自らの兄を侮蔑する言葉に、なにより俺が愛するハロルドが悪し様に言われることに腹の底が煮えたぎる思いだった。対面の男の胸ぐらを掴み上げる。
 間に挟まれたローテーブルががたりと大きく鳴る。それでもラッセルの嘲笑のような表情は変わることなく、さらに手に力が篭りそうになった時。

「どうした、大きな音が……ルーファ、ス?」
「っ、ハロルド!」

 応接室の扉が開き顔を覗かせたのは、会いたくてたまらなかった目的の人物だった。
 俺の気が逸れた隙にラッセルを掴み上げていた腕は外されていたが、そんなことに今更構う必要はない。
 扉の脇で呆然とするハロルドに急いで駆け寄り、咄嗟に逃げようとした華奢な腕を掴んで引き寄せた。

「ルーファス、離してっ……どうしてここに」
「あぁハロルド、やっと会えた。もちろんハロルドに会いにきた、あの日言えなかった言葉を伝えに」
「言葉……」

 少し体を離してハロルドの顔を覗き込む。
 怯えた表情の中に、少しだけ期待の色が混ざっているのは俺の自惚れではないと信じたい。
 片方の手を握ったまま、絨毯の床に片膝をついてハロルドを見上げた。戸惑う瞳を見つめたまま、ずっとジャケットの内ポケットに入れていた小箱を取り出す。

「……交際相手に指輪を渡す意味は、どんな国でも伝わるものだというが」
「っ!」
「ハロルド、愛している。どうか生涯俺と一緒にいてほしい」

 固まったままの恋人の細い指先にキスをして、小箱の中に収められていた指輪を嵌める。
 薬指に光る輝きは銀と青。はじめから彼のために設えたそれはぴたりと似合っている。
 握った手を振り払われないうちに、花束のことを伝えた。
 サリーに教わった通り、北部と王都では風習が異なること。物に頼るのではなく、言葉をしっかり添えるべきだったと謝罪もした。
 翳した左手を見つめたハロルドは、くしゃりと顔を歪ませてしゃがみこんでしまった。
 小さく震える肩を抱き寄せて無理やり顔を上げさせる。ぽろぽろと零れる涙を拭ってやりながら、俺はどうしても言葉が欲しかった。

「俺はハルと別れたつもりはない」
「!」
「俺の気持ちはずっと変わらない。ハルは、どう思ってる?」
「……っ、わたし、も……ずっと一緒にいたい……」

 腕の中に飛び込んできたハロルドを遠慮なく抱き締める。
 言葉が足りないばかりに、しなくてもいい遠回りをしてしまった。彼を悲しませてしまった。これからは何ものからも彼を守りたい。
 再び手にすることができた愛しい人の背を抱いて、俺は決意を新たにした。

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