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本編
11.徹夜残業
しおりを挟む「おわっ、たーー!」
「はい、おつかれさまでした」
「うわ時間ヤバい! 事務員さん結局最後まで手伝ってもらっちゃってすいません!」
「いやぁ、私も久々に楽しい書類仕事でしたよ」
今にも夜が明けそうな時間を指している時計に目を剥いていると、事務員さんが苦笑してフォローしてくれた。
結局、今回の地上観察業務報告書は超大作になって、一時間やそこらでは三分の一も終わらなかった。これでもだいぶ端折ったのに、だ。
書き散らかしたメモを怒涛の勢いで文章として組み立てながらタイピングして、事務員さんは文につけるための表やグラフ、過去データとの比較資料や他世界での平均値の参考文献などを作成して、俺の作業を全面的にバックアップしてくれた。
正直、それがなければ朝になっても終わらなかったと思う。
事務員さんの優秀さを改めて実感することとなった。
こういった書類仕事は種類にもよるが、この世界ではローカルネットワークのみの接続のコンピューターで行う。
インターネットが引けないからだ。
もっとも高位次元の本部とインターネット回線で繋がれるわけがないし、下位次元の地上には電気エネルギーすらないので、事務所の中にある4台のパソコンだけが平行作業できるようになっていれば事足りる。
予算が少ない世界では、俺と同じレベルの文明神がワードプロセッサ───略してワープロ───だけで粘っているとか、もっとすごいところではタイプライターしかないとかいう話も聞くので、俺はここでも恵まれている。
ディスプレイを見つめすぎてしょぼしょぼする目を休めていると、事務員さんがお茶を淹れてくれた。
「あ、すいませんありがとうございます! 事務員さんも疲れてるのに……」
「私が飲みたかっただけですから。無事に片付いてよかったですね」
「事務員さんのサポートのおかげです。本当に助かりました。文書校正も済んでるのでこのまま提出で」
「承りました」
プリンターから出力されたやや分厚い紙束を茶封筒に収めて、提出予定の書類棚に置く。これで正真正銘、今回の観察業務は終了だ。
観察業務の報告書は、本当は急ぐようなものではない。
でもどうしてもあの感動をすぐに書き留めておきたくて、気がつけばとんでもない超過労働に事務員さんまで巻き込んでしまった。
今度なにかお礼をしないといけないな。
立ち上がって伸びをすると、長時間の座り仕事に慣れていない腰がじわじわと痛む。
ぬるめに淹れられたお茶を一気に飲み干して息をつくと、思ったより疲れた声が一緒に漏れてしまった。
「では退勤しましょうか。まだ日が昇らないので、帰りは足元に気をつけてくださいね」
「事務員さんこそ。すぐ出る用意します」
「ゆっくりでいいですよ」
机に散乱していた荷物を雑に詰め込んでなんとか体裁を整えた。
事務所の出入り口には、すっかり支度の整った事務員さんが鍵を持って立っている。駆け寄ると、少しだけ微笑んで外へ促された。
社畜に慣れてる俺ですらパソコンとにらめっこの深夜残業はつらいのに、事務員さんは髪の乱れもネクタイの緩みもなく、完璧な立ち姿のままだった。
優秀な事務員、というだけで、ここまですごい人をこんな世界の果てのプレハブ事務所に縛り付けたままでいいのだろうか……。
以前この世界が限界まで荒れ果てたという経緯から、本部で選びぬかれた優秀な事務員が派遣されたという事情は聞いていた。
それにしたってこの人は優秀だ。非の打ち所がない。
いや、創造神と仲が悪いことは欠点に入るんだろうか?
でも業務時間中に彼がそういう態度を取ることはないし、仕事に支障が出ることはないから欠点というほどではないのかな。
俺が不躾にぼうっと見つめていたせいか、事務所を閉めた事務員さんに笑われてしまった。
「すごく疲れた、眠そうな顔をしてますよ。早く帰ったほうが良いですね」
「はぁ、そうします。さすがに疲れましたね」
「そうですね……あ、そうだ。忘れるところでした」
「なにか?」
忘れ物も仕事のやり残しもないよな、と俺が首を傾げると、事務員さんが明日以降の仕事ですが、と切り出す。
「明日……もう今日ですが、事務所は昼から開けることにするので出勤は結構です。そろそろ創造神さんご本人のケアが疎かになると思うので、そちらの方をお願いします。急ぎの仕事もありませんので」
「あ……そうですね。すっかり忘れてました。じゃあ明日は自宅勤務で」
「忘れてましたか、可哀想に」
かわいそうと言いつつクスクス笑う事務員さんにつられて、俺も笑った。
創造神の力は近くにいないと相殺しにくく、こんなに離れていたのは久しぶりなので、髪がかなり伸びたことだろう。
日々伸びまくる創造神の体の部位のうち、自分で切るのが難しい髪は俺が毎日軽くかき混ぜることで整えていたので、そろそろ限界のはずだ。
「それと」
「?」
「これは頑張った神様への、おまじないです」
髪がぼさぼさに伸びる創造神を思い浮かべていた俺は、事務員さんの顔が信じられないほど近くにあったことに若干反応が遅れた。
両肩を軽く掴まれ、俺の首筋に事務員さんの顔がうずめられる。
同時にちりっとした小さな痛みが肌の上に生まれて、俺は慌てて事務員さんの胸を押して距離を取った。
「な、なんですか!?」
「ふふ、いつもそんなに無防備なんでしょうかね。創造神さんの気持ちがわかる気がします」
「何を……」
首を傾けて見下ろしてみたが、見える範囲には特になにもなかった。
事務員さんはいたずらが成功した子供のように小さく笑って言う。
「破壊神さんの憂いを晴らすためのおまじないです。仕込み、とも言いますが。きっと良い方向に転がると思うので」
「は、はぁ……?」
痛みが走った首筋に触れてみても、特に傷や血がついているということはなかった。
ちょっと齧られた……のか?
正直言われている言葉はまったくもって意味不明だったけど、ただでさえ眠い頭で理解するのは難しすぎる。
憂いを晴らす、ということなら俺に不利には働かないことだろうか。とにかく家に帰れと、そういうことだと都合よく解釈する。
「ではおやすみなさい」
「おやすみ、なさい……」
呆然としている俺を放って事務員さんはさっさと帰宅の途についてしまった。
のろのろと家路を辿る。
地平線の彼方に紫色の夜明けが滲み始める中、俺はなんとかコケることなく家に帰り着いた。
「ただいま……」
創造神が寝ているであろう時間帯だ。
ドアの開閉音もできるだけ抑えて、小さな声をかけて入室する。
真っ暗のリビングに足を踏み入れ、壁面のスイッチで室内灯を付けた瞬間、誰もいないと思っていたソファの近くに人影があって思わず叫びかけた。
「ひっ……! あ、なんだ創造神か。驚かせるなよ……」
心臓が止まるかと思った。
止まっても死にはしないはずだが。
俺の声に反応して、創造神はぼんやりとこちらに顔を向ける。
いつもの活発な、ちょっと鬱陶しい雰囲気は鳴りを潜め、別人のような佇まいでゆらりと立っていた。
「どうかしたのか?」
「それはこっちの台詞だよ……起きたら君はどこにもいなくて、こんな時間まで帰ってこなくて……どこに行ってたの」
創造神がゆっくりと近づいてくる。俺はなぜか一歩後ろに下がった。
まるで朝帰りを責められる亭主だ。
見なくても、奴が怒っていることがわかる。
「すまん、メモを残すの忘れた。事務所のほうで仕事してたんだよ。遅くなったのは残業」
「いつもあんなに残業嫌がってるのに……?」
「こ、今回はちょっとな。そういうこともある」
ついに創造神が俺の目の前に視界を塞ぐように立った。
俺は完全に壁際に追い詰められて、顔を思いっきり背けて右下の方を見つめた。だらだらと冷や汗が流れる。
普段はのほほんとしているこいつが、本気で怒るとこれほどプレッシャーを放つというのは……できることなら知りたくなかった事実だ。
なんとか機嫌を取り繕おうと言葉を選んでいたら、俺はいきなり目の前のやつに肩を掴まれた。
「いっ!? な、なんだよ! 残業でそこまでキレなくても……!」
「なに、コレ」
「は?」
痛いほどの力で両肩を拘束されたまま、奴の指が俺の首の付根あたりをがりっと音がするほど引っ掻いた。
「ぐ、ぅっ! いってぇ何すんだ……!」
「俺のこと避けて、当てつけみたいに事務所なんて行って、あのメガネ野郎と何してきたんだよ」
「はぁ……? 仕事してきたに決まってんだろ! 疲れてんだよ、話なら後にしてくれ」
「こんな痕つけて、なんの『仕事』なんだか」
嘲笑うような声音に顔を上げると、見たこともないほど険しい顔の創造神がそこにいた。
怒りを必死に抑えているような苦々しい表情に戸惑う。
「創造神、なんで怒って……んっん!?」
肩を押さえつける腕を外そうとした途端、荒々しく呼吸を奪われた。
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