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本編
17.勤務地変更
しおりを挟む全身が強風に嬲られる、平衡感覚を失うほどの時間があった。
視界は依然として真っ黒のままで、ただ暴力的な風に似たなにかが俺の体を甚振りながら過ぎ去っていく。
永遠に続く責め苦かと思われた瞬間、黒い世界は現れたときと同じように唐突に途切れた。
なにか硬いもののうえに体を投げ出され、どこもかしこも力が入らない。瞼を持ち上げることも出来ず、呼吸すらままならなかった。
(ここは……どこだ───)
俺の意識はそこで一度途切れた。
次に気がついたとき、目の前には石でできた床があった。はっとして身を起こす。
どうやら俺は、石畳の場所に横向きに寝そべっている状態だったようだ。
触れる場所から熱を奪われる硬い感触が不快だった。
全身が怠く、どこもかしこも鈍痛が走っていたが、不調を無視して起き上がる。
周囲は暗かった。室内のようだ。
そして生き物の気配がある。それもひとつではない、複数だ。
「××××───、××───」
俺を取り囲むように立っているのは、人間だった。
暗闇に溶け込む黒の布を頭からすっぽりと被った人間ばかり十人前後。
肌はまったく見えなかったが、存在感が明らかに他の生物と違う。
人間は口々になにか言葉を発していたが、俺はそれを聞き取ることができなかった。
これは地上の人間が独自に発展させた、人間の言語だ。
(ここはやっぱり、地上……)
光源のない部屋を眺めていても他に見えるものはなかった。
諦めて自分の体を検分する。
自分のものではないかのように手足が重く、痛みもひっきりなしに感じるが、特に外傷はないらしい。血が流れている形跡もない。
膝に力を入れてなんとか立ち上がると、取り囲んでいる人間たちがざわっと鳴って静まった。
「お前たちが……俺をここに呼んだのか?」
通じないだろうと思いつつ、周囲に向けて言葉をかける。
暗い室内ではあるが、自分が横たわっていた床に見覚えのある紋様が刻まれているのは見て取れた。
おそらく、これは「召喚」の魔法だろう。
以前の地上観察では確認 できなかった種類の魔法だが、地上の発展速度を考えると存在を疑うほどのものではなかった。
信じられないのは、この魔法で俺を───神を召喚したという事実だ。
位の高い力を持った破壊神の中には、時間や空間などの四次元存在に干渉できる者もいるが、俺にはそんな力はない。
だからこそなにも配慮しなくとも雲海を歩けるし、遠慮せず力を振るっても世界が致命的に傷つくことはあり得なかった。
下位次元である地上に、俺が降り立つことができるはずがないと思っていた。
俺ですらできないことを、人間が魔法の力で、成し遂げてしまったということなのか。
俺を取り囲んでいる黒い人間達は相変わらず言葉も出さず、じっとこちらの出方を伺っているようだった。
召喚魔法というものがどのような存在なのかわからない以上、憶測でしかないが、彼らは「神を呼ぶ」ことを目的として魔法を行使したのだろう。
どちらの神を求めたのか、神ならどちらでもよかったのか、それによって俺の対応も違ってくるが……。
黒い人間たちの群れから、一人が一歩進み出た。
両腕を広げて頭を下げる動きには見覚えがある。目上の者に対する儀礼のような行動だ。
「××××××、×××」
言葉を掛けられたが、相変わらずなんと言っているかはわからなかった。
こんなことなら観察業務中に地上の言語を勉強しておけばよかったと後悔したが、後の祭りだ。
黒いフードに覆われた顔のあたりを見つめながら、俺は首を横に振ってみせた。これで言葉が通じないことが伝わることを願って。
大体の意図は読み取れたのか、黒い人影は再び腕を広げて頭を下げた。そして後ろに控えている人間たちへ振り返り、何事か話し合いを始めたようだった。
(困ったな……)
もはや考えることが多すぎて、頭が追いつかない。
これがよくある異世界転移的なファンタジー話だったらどれだけ良かったことか。
いや、シチュエーションはまさしくそうなのだが、転移に巻き込まれた俺が破壊神だということが一番ダメだった。
腹の奥からじわじわと湧き上がってくる衝動を必死で押さえつける。
普段なら気に留めることもないほど、俺の破壊の力は創造神の力と自然に相殺しあっていたことを、嫌というほど感じていた。
それが今、壊すものを求めて体から放たれようとしている。
(まずい、まずいっ……なにか消してもいいものは……)
相変わらず周辺の様子は暗くてわからないが、必死に視線を滑らせて探す。
目の届く範囲には石畳しかなく、すぐ近くには大量の人間。その向こう側は見通せず、俺の頬を脂汗が伝ったのがわかった。
体を丸めて破壊衝動を押さえつけようとしていると、先程話しかけてきた人間が再びこちらを向いたのが視界の端に見えた。
人間は、持っていた棒のようなものをこちらに向けていた。
棒の先端に熱の塊が集まるような気配が突如発生し、熱気は炎の塊となってはっきり視認できるようになった。
炎が躊躇なく放たれる。俺に、向けて。
(助かった……これで人間を壊さずに済む)
今にも皮膚を食い破って出ていこうとしていた破壊の力を、俺は炎へ向けて全身から放射した。
黒い霧のような、煙のようなものがぶわりと舞って放たれた炎を包み込み、喰らい尽くされたように炎が消える。
空気が焼ける音が消え、人間たちは一瞬静寂に包まれた。
そして次の瞬間には、周囲に立っていた人間は全員自らの背後へと───この部屋の出口へと逃げ出し、消えた。
蜘蛛の子を散らすよう、とはきっとあんな光景のことなんだろう。
なにか叫びながら逃げていった人間たちの様子から察するに、先程の一幕で俺が破壊神だと分かり、恐怖して逃げたといったところだろうか。
この反応ということは、彼らが呼びたかったのは俺ではなく創造神だということになる。
(あぶねぇ……俺でよかった)
冷静に考えれば良くはないが、創造神がここに降り立つよりはマシだと思う。
ただでさえ雲海の上でも厄介な最上級創造神の溢れ出る力が、この下位次元に直接流されたらどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。
せっかくここまで作り上げられた自分の世界が、自分によって数秒で壊れてしまう様など、奴だって見たくはないはずだ。
さっき消したあの火球はそれなりの熱量があったようで、体の中に凝っていた破壊の力はとりあえずのところ収まった。
とはいえまたさっきのように、破壊を求めて暴れまわり始めるのは時間の問題だ。
窓がなく真っ暗な部屋を見渡す限り、ここは地下なのではないかと思う。地下なら、不用意に破壊すれば上にあるはずの建物もただでは済まないだろう。
ここにいるよりは外に出たほうがいいはずだ。
人間たちが逃げていった先に目を凝らすと、階段が見えた。動かしにくい足を引きずってそこへ向かう。
アーチ状に石が組まれた出口を潜り、一段目に足を乗せて、少し先に人間の足が伸びているのが見えた。
「……」
さらに二段上がって、暗闇の中で身を屈める。
やはり足は人間のもので、仰向けで倒れていた。
傾斜のきつい階段だが、器用にずり落ちもせず気絶している。いやずり落ちた後か?
暗闇の中で真っ黒のローブを纏っている人間などよく見えるはずもないが、どうやら男性体らしい人間は死んだように動かなかった。
(もし死体なら、消しても問題ないだろうし非常食がわりに持ってくか)
我ながらとんでもない思考回路だが、力が暴発して周囲が消し飛ぶほうが被害が大きい。これはいわば予防行為だ。
幸い持ち上げた半身は軽く、俺の腕力でも運べそうだ。
足は未だ重いが、上半身を動かすのに支障はなくなってきていた。胴の部分を小脇に抱えてゆっくりと慎重に階段を上った。
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