後天性オメガの合理的な番契約

キザキ ケイ

文字の大きさ
3 / 25

3.とりあえず保留

しおりを挟む

「やっぱやだ」
「なんでですか!」
「なんでも何もないだろ! 結局俺はおまえとセックスしなきゃいけないってことじゃねえか!」
「先輩声が大きいですよ!」

 はっとして両手で口を抑える。姿勢を低くして周囲を見渡すが、居酒屋の喧騒に紛れて俺の悲鳴は誰にも届かなかったようだ。

「だから説明してるじゃないですか、構造上どうしても最初だけはしなきゃいけないって」
「だって……それでも、さぁ……」

 耐えきれず突っ伏した俺の頭上に、久我の溜息が降ってくる。困っているのか呆れているのか、音色だけでは判断できない。
 久我の説明はこうだ。
 番契約を結んだアルファとオメガは、他の個体が発するフェロモンに影響されなくなるという性質を利用する。
 俺がアルファに目をつけられたくないと思うのと同様に、久我もオメガのフェロモンでラットを起こすリスクを減らしたいという考えだった。

「ラットってなんだ?」
「オメガの発情をヒートと言うように、ヒートに宛てられたアルファが陥る発情が『ラット』です」

 ラット状態のアルファは抑制が効かなくなり、動物的に目の前のオメガに襲いかかってしまう。そのため無理矢理に番にさせられる事件事故は昔から後を絶たず、被害者はアルファにもオメガにもいる。
 国や研究機関が対策をしてはいるものの、相手は人間が持つ最も強固な本能───対策しきれていないのが実情だ。
 その点番契約が成立すれば、オメガは番のアルファ以外をフェロモンで誘惑することはなくなり、他のアルファから性的な対象として見られることがなくなる。アルファは番のオメガ以外からの干渉をほぼ受け付けなくなる。

「アルファに関しては、番以外のオメガフェロモンをすべて遮断できるわけではないそうです。でも薬でラット防止するより番を持つほうが遥かに効果があるとか」
「へぇ……そう考えるとアルファのほうが、フェロモン対策は大変かもな」
「分かってもらえます?」

 事あるごとに目を輝かせて俺の手を握ろうとする久我を払い除けて、続きを促した。

「そこで、事情を知ってる俺たち二人で番契約を結ぶことで、お互いを束縛しない関係でありながらも番の利点は得られる……と、こういうわけですよ」
「で、番うためにはセックスが最低一回は不可欠、と……」
「まぁそうです」

 あっけらかんとして頷くこいつをもう一度殴りたくなって拳を握ったが、なんとか堪えた。
 結局のところ、それが一番問題だ。
 久我の提案は正直、悪くない。オメガが番を持たずに生涯を過ごす事例はほとんどないらしく、合意のあるなしに関わらず番契約は避けられないのが現実だ。
 合意なしの番を得ることが、考えうる最悪のケースになるだろう。
 そしてそれはアルファも同じで、番のいないオメガが目の前で発情したら本能を抑え込めるかどうかは賭けだ。緊急抑制剤を摂取できるかどうか、薬の効きが早いかどうか。そういう世界になってくるという。
 俺と久我が番えば、まさに一挙両得。
 一時の苦痛をやり過ごせれば、その後一生フェロモンに左右されない生活を得ることができる。

「その一回がなぁ~……」
「えー、そんなに嫌ですか?」
「嫌だよ馬鹿!!」

 デリカシーのないセクハラ上司みたいなノリの後輩をきつく睨んで、再び机に突っ伏す。

「だってさ……俺がおまえに突っ込むわけにいかないんだろ?」
「それはないですね。先輩が突っ込まれる側です」
「はぁ~……」

 かんたんに一回ヤると言っても、選択肢はない。
 俺がオメガで久我がアルファである以上、俺が女で雌でめしべだ。それがとにかく嫌だ。
 かといって俺が久我とホテルへしけこんだとして、やつの体に股間が反応するとも思えない。ちなみにその点を確認したところ、頭から足までじろじろ見られた上で「イケます」とガッツポーズされた。なんでだ、逆に嫌だ。

「まぁ、すぐに決めるのはやめましょう。人生において一大決心になるわけですから」

 慰めの言葉を久我が口にして、俺は力なく頷いた。

「でも早めに決めた方がいいですよ。発情期、いつくるか分からないんじゃないんですか」
「……」

 その言葉に、緩みそうになっていた気持ちが凍りつく。
 俺の体は今、どこまでオメガになっているのかわからない。検査待ちだ。まだオメガとも呼べないような未熟な状態かもしれないし───今すぐにでも妊娠できる状態かもしれない。それは、いつ最初の発情期が来てもおかしくないということを意味する。
 もしものときの薬は処方されたが、何事にも万全などない。俺は発情期が来たときどうすればいいのか、まだなにも理解できていない。
 その日は結局酒も食も進まず、微妙に気まずい状態で久我と別れた。

(もしかしたらこのまま、番の話は流れるかも……)

 帰宅し、会社や役所に届け出る書類を整理しながらそう考えたのだが。

「先輩! お昼一緒に食べましょ!」
「……」

 分かりやすく嫌そうな顔をした俺のことなど全く構わず、久我に肩ごと腕を抱きかかえられて立ち上がる。そのまま社員食堂へと引きずられる俺を、フロアにいた同僚たちがポカンと見つめていた。

「……なんのつもりだよ」
「いやぁ、あれから考えたんですけど。俺の話の切り出し方って性急だったなって思って」

 社食はほどほどの混み具合だった。
 営業の社員は出先で食べることも多く、あまり見知った顔はいない。それでも誰かに会話を聞かれるリスク軽減のため端の方の席に陣取り、さらに声を潜めて話す。久我も意図を理解してくれ、少し顔を寄せて内緒話の姿勢になった。
 安くてすぐ出てくる代わりに味はそこそこな盛りそばセットをつつきながら、視線だけでどういうことかと問う。

「先輩は昨日いきなりあんな宣告を受けたんですから、きっと気持ちの整理なんてなにもできてませんでしたよね。そんな先輩に俺、さらに混乱させるようなこと言っちゃったなって反省したんです」
「お……おう。いやに殊勝な態度じゃないか」
「それに会社の後輩社員とはいえ、よく知らない男と……なんて、オメガとか関係なく嫌だろうと思うんです。そこで」
「そこで?」
「俺のこと、よく知ってもらおうと思って!」

 最近やっと板についてきたイケメンスマイルを存分に披露した久我は、言い切ったとばかりに自分の天丼セットに箸をつけた。
 なるほど、一緒に昼飯というのも「久我を知る」の第一歩というわけだ。たまに飲みには行くし、ほかの社員よりは共にする時間が長いものの、これまで昼食は別々のことが多かったし、会話は業務のことに終始していた。
 今後はお互いの私的な面を知っていこうという試みなわけだ。

「おまえにしちゃ悪くない案だ」

 ひとつ頷いて提案を受け入れると告げると、久我はぱっと笑顔になる。

「ありがとうございます! しばらくよろしくお願いしますね、先輩」

 その顔が、まるでよく懐く大型犬のようで……俺は零れる笑みを抑えることができなかった。

「ははっ。ヤロウとメシ食えることがそんなに楽しいか?」
「ただの野郎じゃないですよ、先輩だからですよ!」

 嬉しいことを言ってくれる。たとえ動機が不純だとしても、後輩に好かれるというのは悪い気分じゃない。
 親しみを込めて漬物の小皿を進呈したら「野菜嫌いだからって押し付けないでくださいよ!」と怒られた。バレていたか。でもそれを突っ返さずに食べてくれるところは、俺もこいつを嫌いじゃないなぁと思う。

 正直このときは自分のことでいっぱいいっぱいで、久我の提案もあまり深く考えてはいなかった。
 自分がオメガになったことも、オメガがどれほど生きにくいのかも。
 そしてアルファにも、同じような苦悩があるということも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 8/16番外編出しました!!!!! 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭 4/29 3000❤️ありがとうございます😭 8/13 4000❤️ありがとうございます😭 お気に入り登録が500を超えているだと???!嬉しすぎますありがとうございます😭

オメガ社長は秘書に抱かれたい

須宮りんこ
BL
 芦原奏は二十九歳の若手社長として活躍しているオメガだ。奏の隣には、元同級生であり現在は有能な秘書である高辻理仁がいる。  高校生の時から高辻に恋をしている奏はヒートのたびに高辻に抱いてもらおうとするが、受け入れてもらえたことはない。  ある時、奏は高辻への不毛な恋を諦めようと母から勧められた相手と見合いをする。知り合った女性とデートを重ねる奏だったが――。 ※この作品はエブリスタとムーンライトノベルスにも掲載しています。  

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

箱入りオメガの受難

おもちDX
BL
社会人の瑠璃は突然の発情期を知らないアルファの男と過ごしてしまう。記憶にないが瑠璃は大学生の地味系男子、琥珀と致してしまったらしい。 元の生活に戻ろうとするも、琥珀はストーカーのように付きまといだし、なぜか瑠璃はだんだん絆されていってしまう。 ある日瑠璃は、発情期を見知らぬイケメンと過ごす夢を見て混乱に陥る。これはあの日の記憶?知らない相手は誰? 不器用なアルファとオメガのドタバタ勘違いラブストーリー。 現代オメガバース ※R要素は限りなく薄いです。 この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の「BL部門」お題イラストから着想し、創作したものです。ありがたいことに、グローバルコミック賞をいただきました。 https://www.pixiv.net/novel/contest/kadokawapixivnovel24

オメガバース 悲しい運命なら僕はいらない

潮 雨花
BL
魂の番に捨てられたオメガの氷見華月は、魂の番と死別した幼馴染でアルファの如月帝一と共に暮らしている。 いずれはこの人の番になるのだろう……華月はそう思っていた。 そんなある日、帝一の弟であり華月を捨てたアルファ・如月皇司の婚約が知らされる。 一度は想い合っていた皇司の婚約に、華月は――。 たとえ想い合っていても、魂の番であったとしても、それは悲しい運命の始まりかもしれない。 アルファで茶道の家元の次期当主と、オメガで華道の家元で蔑まれてきた青年の、切ないブルジョア・ラブ・ストーリー

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加
BL
 変異型――それは初めての性行為相手によってバースが決まってしまう突然変異種のこと。  男子大学生の金城 奏汰(かなしろ かなた)は変異型。  もしαに抱かれたら【Ω】に、βやΩを抱けば【β】に定着する。  奏汰はαが大嫌い、そして絶対にΩにはなりたくない。夢はもちろん、βの可愛いカノジョをつくり幸せな家庭を築くこと。  だから護身術を身につけ、さらに防犯グッズを持ち歩いていた。  ある日の歓楽街にて、β女性にからんでいたタチの悪い酔っ払いを次から次へとやっつける。  それを見た高校生、名張 龍也(なばり たつや)に一目惚れされることに。    当然突っぱねる奏汰と引かない龍也。  抱かれたくない男は貞操を守りきり、βのカノジョが出来るのか!?                

処理中です...