運命の赤い糸(物理)

キザキ ケイ

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10.心の変化

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 一度魔物討伐の依頼を受けてみれば、拍子抜けするほどあっさりとこなすことができた。
 前衛二人で片付けられるような依頼しか受けられないため、報酬はどうしても少ないが、採集などの低ランク依頼に比べればずっと稼げる。

「はぁ……やっと生活の目処がたった……」
「そんなに困窮していたのか」
「うっせぇ。冒険者なんてみんなそうだろ、宵越しの金は持たない。酒に葉巻きに女にぱーっと使っちまうのさ」
「コーマはどれにも縁がなさそうだが」
「うっせぇ! どうせ俺はモテねーよ!」

 ギルドの振込証書をしっかりと二度確認して、俺はやっとひと心地つく。
 大規模討伐の報酬のおかげで、なんとか今月は金の心配をしなくて良くなった。
 懐があたたかい、というほどではないにしろ、宿の大して美味くないスープからさらに肉のかけらと野菜くずまで取り除いてくれ、なんて言わずに済む。
 もはや馴染んだ宿のベッドに倒れ込み、はっとした。

「なぁ、行くか? 娼館」

 糸で繋がってからというもの、何度かカタンとそういうことをした。
 しかし本来は俺もカタンも、欲を吐き出すなら女性相手という性分だ。これまでは糸の危険性を鑑みて、娼婦や従業員に万が一がないとも限らない娼館へは出向けないという危惧があったが、今はだいぶ糸の扱いにも慣れてきた。
 それに今回の収入があれば、従業員や客が糸に足を引っ掛けるかもしれないような場末の娼館ではなく、すれ違うもののない高級娼館に行ける。
 カタンの片想い問題はあるが、なんせ今カタンは俺を相手にしている。一夜の相手なら平気、と考えられる。

「その……結局俺の方が世話になっちゃってるだろ? 全額おごってやるのは難しいけど、いくらか多く負担してもいいし」
「コーマは行きたいのか」
「え、いや俺というよりおまえが、」
「俺は行かない」

 ぎしり、とベッドが軋んで男二人分の体重を受け止める。
 覆いかぶさるようなカタンに射抜くような視線で見つめられ、俺は固まった。
 まるで怒っているかのような相棒の様子に困惑する。
 あぁやっぱりこいつは娼館とか行かないタイプの潔癖者だったか。話題にも出されたくなかったのか。ごめん、撤回するよ。
 そう言って取り繕えばいいとわかっているのに、声が出なかった。

「……ん……」

 少しだけ傾いたカタンの整った顔が近づいて、少しして離れる。
 幻のように触れ合った皮膚は柔らかくて、俺よりやや低い体温が直に伝わって、微かにちゅっと濡れた音がした。

「先に休む。食堂に行くなら、糸、気をつけてくれ」

 そのまま隣のベッドへ横になってしまったカタンに、俺は何も言えなかった。
 非常事態が起きない限り、仲間の休息を邪魔するのはご法度だ。
 本当は今すぐ、こちらに背を向けて横になっている男の肩を掴んでガクガク揺さぶって、さっきの物言いはなんなのか、あの意味深な接触はどういうことなのか問い詰めたい。
 しかし冒険者が寝ると言ったら、それは絶対なのだ。

「~~っ!」

 様々な憶測や口に出せない言葉が頭の中をかき回すようにぐるぐる回って、小さく呻くことしかできない。
 そんな状態で取った食事は味気なく、睡眠の質もさぞかし低いかと思いきや、そこは冒険者を長年やっているだけあって快眠だった。
 すっきりとした朝、はっと身を起こすと隣のベッドが空だ。

「カタンっ」
「起きたか。おはよう」

 予想に反してカタンは部屋の入口にいた。
 慌てなくとも、小指から伸びる糸を見ればカタンが遠くにいるかどうかくらい今はわかるというのに。
 なんだか調子が狂う。頭をかきながらベッドを出ると、廊下からひょこりと覗く人物があった。

「やぁおはよう。意外と朝遅いんだな、コーマ」
「あれ、バイアス。何してんだ?」
「仕事の依頼だよ、ギルドからの。ちょうどよかった、二人で聞いて」

 相変わらず魔術師に見えない筋肉質な冒険者仲間、バイアスが、早朝だというのにきっちり着込んだローブを翻し俺を手招く。
 しぶしぶとカタンの横に並ぶと、わずかに肩が触れ合った。
 大げさに肩を跳ねさせるのはプライドが許さなくて、無理やり体の反応を抑え込んだが、内心は動揺していた。昨日の触れ合いを嫌でも思い出してしまう。
 落ち着け、今はそれどころじゃない。仕事の依頼だ。
 頭を振って気分を切り替えようとしていると、バイアスはのんきに「まだ眠いの?」なんて聞いてきやがる。後で嫌と言うまで愚痴を聞かせてやろうか。

「先月の大規模討伐、覚えているだろ。私は参加しなかったんだけど」
「もちろん。またやるのか?」
「いや、悪化してるらしい。あの森は今や魔物の巣窟となっていて、Aクラスの魔物が出現した可能性がある」
「Aクラス……」

 あの討伐で相手にしたものは、森の生物が過剰な魔力に汚染されたことによる魔物化の産物ばかりで、本隊の方でもBクラスより上の魔物とは遭遇しなかったと聞いている。
 それがよりによって、最高のAの魔物。
 それらは動植物が魔物化したものではなく、穢れた魔力が凝ってできる別次元の存在だ。川の水を子どもが汲みに入っても危険の少ないような、平和な森に出現するものじゃない。

「事態は急を要すると判断して、国から近隣ギルドに依頼があった。戦闘職および支援職の冒険者はすべて協力するようにとのお達しだ」
「なるほど。それでギルド職員でもないバイアスまでメッセンジャーで駆り出されてるのか」
「そうそう。おかげで朝食を取り損ねて空腹なんだ。ギルドに向かいがてら、一緒にどうかな」
「わかった。コーマ、行けるな」
「……おう」

 カタンは本当にいつもと変わらない様子だった。俺ばかり昨夜のあれこれを引きずっているのが馬鹿らしいほどに。
 俺もいい加減に気分を切り替えることにして、手早く身支度を整えた。
 行き道の屋台で軽食を買い、食べながらギルドへ向かう。

「その後どうだい? その、女神様の」
「あぁ……変わらずだよ。まぁ慣れたけど」
「そうか……」

 バイアスはずっと俺たちの間の糸のことを気にかけ、折りに触れ調べてくれていたらしいが、やはり何もわからなかったという。
 そもそも女神様から直々にお言葉を授かること自体、王族や高位の神官にしかありえない現象で、平民が恩寵を賜ったなんて記録自体がないという。探りを入れた現役神官の知人に変な顔をされたとバイアスは嘆いた。

「今回の討伐は恐らく現役のギルド所属者全員に出撃命令が出ると思う。だから、事情を知ってる私と二人が組めるようにできればと、こうして呼びに来たんだ」

 悪いのは女神様なのに、まるで自分のせいみたいに背を丸めて申し出るバイアスに、俺は胸がじんとした。

「バイアス、おまえなんていいやつなんだ……ありがとな……」
「こんなことしか力になれなくてすまない。足を引っ張らないようがんばるよ」
「いやいや、たぶん俺のほうが足引っ張るから。今俺、前衛やってんだ」
「えっ、コーマが? ……そうか、糸が絡まるから……」

 背負った槍を見せると、バイアスは大きな体をますます縮こまらせてしまう。俺は慌ててバイアスのせいじゃないとフォローした。
 ギルドの広場には名のある冒険者パーティの代表たちから、あらくれ同然の輩まで様々な人間がひしめきあっていた。
 どうやら総動員というのも大げさな表現ではないらしい。
 予定通りバイアスと、もう一人魔術師、それに支援職の新人が同じパーティに組み込まれた。前衛は俺とカタンだ。

「コーマ、本当に大丈夫?」
「平気平気。付け焼き刃だけどカタンに習ったんだからな。俺の槍の腕前、見たら驚くぜ」
「そうか……後方支援は任せてくれ」

 バイアスは最後まで心配そうに俺を気遣ってくれた。
 Aクラスの魔物と遭遇する可能性のある大規模戦闘なんて、正直不安しかない。だが安心して背中を任せられる魔術師バイアスがいるし、なにより肩を並べる相手は一線級の剣士だ。

「コーマ」

 その凄腕剣士カタンが、槍の刃を念入りに確認している俺に声をかける。

「戦闘が始まったら普段より後衛と距離を取る。狭い木々の間で戦うことはできるだけ避けよう」
「新人もいることだしな、見えない糸に引っかかりでもしたら最悪死人が出る」
「あぁ。……俺は絶対におまえを死なせないし、絶対に無事にここへ戻ってくる。約束する」
「な、なんだよ改まって」

 槍の柄を握っていた俺の手に、剣だこのある手が重ねられる。
 きれいな作りの男の顔が目の前にあって、どうして俺の胸の鼓動は高鳴るのだろう。

「この戦いが終わったら、話がある。聞いてくれるか」
「ぇ、あ、いい、けど」
「ありがとう。出発しようか」
「あぁ……」

 とくとくと軽快に刻まれていた鼓動が、少しだけ嫌な具合に鳴り出したのを、俺はできるだけ気にしないよう努めた。
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