運命の赤い糸(物理)

キザキ ケイ

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12.覚悟

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「う、ぐぁ……っ!」
「コーマ!!」

 肩が消し飛んだかと錯覚するほどの痛みだった。
 くずおれた俺に駆け寄ろうとするカタンを制し、急いで左手で糸を握り締める。糸は俺が手を離した一瞬たわんで、魔物の拘束を緩めてしまっていた。
 体はうまく動かせないものの、腕が自由になってしまった魔物が目前に迫る。
 その間隙にカタンが滑り込み、爪を受け止め弾き返してくれた。

「悪い、カタン。右が使い物にならない」
「わかってる。こいつは俺が片付けるから休んでろ」

 並の魔物相手なら、カタンの言葉を頼もしく思えたことだろう。
 しかし相手はAクラスだ。今のところ有効打すら与えられていない、ただ多少拘束できているだけの状態。
 カタン一人で倒せるわけがなかった。

「……はっ」

 進退極まり、自嘲するしかない。
 冒険者をやっていればいつかは直面するとわかっていた。
 何かを失わなくては切り抜けられない、極限の場面というものに。
 失うものが大切なものでなければいいと願っていたが、今回はそれを支払うことになりそうだ。
 カタンの何かを、俺のせいで失わせることなど、できるわけがないのだから。

「カタン、30秒だけ持たせてくれ」
「……コーマ?」
「頼むな」

 焦ったカタンの声を無視して、俺はろくに動かせない右腕をなんとか持ち上げ、その小指に糸を巻き付けていった。
 女神の赤い糸は、小指の付け根に結ばれていて動かすことができないが、その位置は関節からは少しだけ離れている。根本ギリギリに何度かきつく巻いても、わずかに隙間ができる。
 俺は左手で糸を握ったまま、手探りで腰のナイフを抜いた。
 この窮状は俺の責任だ。
 糸が魔物に切られる心配はないが、片方の端が俺というお荷物に繋がれていてはカタンの邪魔になってしまう。倒すにしても逃げるにしても、現状ではどうしようもない。
 だが、糸が俺から離れていれば逃げられる。
 糸が俺に繋がっていなければ、カタンの動きを遮る心配もない。

「おまえと組むのは楽しかったぜ、カタン」
「やめろっコーマ!」

 もう一度きつく糸を引き、小指の血流を阻害する。
 糸の隙間にナイフを差し入れ、力を込めようとした────その時。
 赤い糸が、発火した。

「うわっ!?」
「な……っ」

 糸が赤い炎を噴き上げている。そう、火がついたんじゃない、自ら火を吐いているかのような凄まじい燃え方だった。
 炎は俺とカタンの指に近づく前に、長く伸ばされている部分へと延焼していく。すなわち────魔物の体を縛る部位へと。

「ギャァアアアアアッ!」

 女神の糸から出た火はさしずめ女神の炎だったのだろう。
 断末魔の叫びを上げて魔物が暴れ回る。

「下がれコーマ!」

 燃え上がる魔物を呆然と見つめていた俺をカタンが引っ張って後退する。
 真っ赤な炎は魔物を焼きながら激しさを増していく。有機物の焼け焦げる臭いが充満して、空に逃げていく。
 やがて魔物は動かなくなり、炭化した骨だけが残った。

「助かった、のか……」
「らしいな。で、この火はどうする」
「え?」

 魔物を縛り付けていた糸は燃え尽きたようだったが、俺たちの指にはまだ糸が繋がっていて、それを導火線のように辿りながら小さな火がまだ燻っている。
 それはじわじわと近づいてきていて────俺たちは慌てて火に土をかけたり、布で叩いたり、水場を探して水を掛けたりしたが────健闘虚しく火は俺たちの小指の根本をねっとりと火傷させ、そして消えた。

「魔物を倒してくれたときはありがたいと思ったが……やはり一筋縄ではいかなかったか」

 小さいが澄んだ水の流れる小川に左手を浸しながら、カタンが深く溜め息を吐き出す。
 あのまま魔物だけを退治して消えてくれたら美談だったものを、女神様のポンコツ恩寵は最後まで俺たちを邪魔していった。

「未完成だって言ってたもんなぁ……」

 俺は右手を水につけ、肩にも水を掛けながら苦笑した。
 魔力による攻撃を受けた箇所は冷やしても治癒しないが、気休めだ。

「それより、やっと消えたな。糸」
「……あぁ」
「なんだよ、もっと嬉しそうな顔しろよ」
「この顔は元からだ」

 いつも以上にぶすっとした無表情のカタンに、俺は首を傾げる。
 あの邪魔くさい糸さえなければ俺たちはそれぞれソロでそれなりに稼げる冒険者だ。無理に低ランクの依頼を受けたりする必要はないし、共同生活する必要もない。

「そうだ、あの宿。傷の具合では熱が出るかもしれないから俺は何日か残るが、カタンは先に出ていいからな。引き払うのは俺が、」
「いい。コーマが出るまで俺もいる」
「……あ、そう?まぁそのほうがありがたいけど」

 言葉を遮られたときは怒っているのかと思ったが、カタンはやはり無表情だった。
 カタンの手を借りながら森を抜けると、すぐにパーティメンバーであるツイルとネップと合流することができた。
 彼らはバイアスを治療所へ送り届け、ギルドにAクラス出現を伝え、すぐに戻ってきてくれたらしい。二人の後から続々とAクラス討伐のための冒険者がやってきたが、倒したことを伝えると心底驚かれた。

「でも、コーマさんの肩が……それにお二人ともボロボロで……」
「俺たちがもっと強ければ……っ!」
「あーあー泣くなよ。悔しいなら強くなれ、俺ももっと頑張るから。な?」
「うぅ……うわぁんっ」

 魔術師と支援職、細身とはいえ男二人に泣きつかれとてもむさ苦しい。
 カタンに視線で助けを求めたが、そっちはそっちで冒険者たちに囲まれ、Aクラスをどうやって倒したのか尋問のごとく質問されまくっていたので、そっと目を伏せた。言い訳は任せた相棒。

 いつまででも泣いていそうなツイルとネップを、カタンと一緒にひとまずギルド本部へ向かわせ、俺は宿へ戻ることにした。

「コーマ一緒に、……あ」
「はは。一人で平気だよ」

 別行動できることの方がおかしいなんて、俺もカタンもずいぶん「恩寵」に馴染んでしまっていたようだ。
 肩をかばいながら、にわかに騒がしい町を歩いていく。
 本当は治療院に寄って肩を治してもらうつもりだったが、遠目から見ても大規模討伐の負傷者でごった返す場所に割って入って施術してもらう気になれなかった。
 治療院の入り口にいた若い看護人に魔力傷に効く湿布薬をもらうことができたので、今はそれでいいだろう。

「疲れた……」

 宿の部屋へ帰り着き、ベッドに倒れ込む。
 固いマットレスの弾力が右肩に響いて呻いたが、俺のケガといえばその程度だ。
 ふと左手を見る。
 小指の根元が円形に火傷しているが、この程度の負傷は冒険者やってれば日常茶飯事だし大したことはない。それより、その場所に何もないことの方が違和感が強かった。
 カタンと糸で結ばれて数ヶ月。すっかり糸ありきの生活が染み付いてしまっていた。

「はぁ……これでやっとカタンを解放してやれるんだな……」

 女神様から直接啓示を受けた俺と違って、カタンにとっては降って沸いた災難だったに違いない。
 それなのにろくに文句も言わず、糸のある生活に適応しようと努力してくれた。
 俺はカタンに、おまえのせいだと言われたことは一度もない。

「そんな良いやつにあんなことさせちまうとは……」

 想う相手がいるという堅物なカタンに何度も性欲処理をさせてしまったことを、俺はずっと悔いている。糸の制約があったとはいえ、ひどいことをした。

「謝らなきゃな……」

 寝そべっていると眠気が押し寄せてきた。患部が熱を持って、体全体も発熱しているようだ。
 俺は緩慢に装備を脱ぎ捨て、せめて糸が邪魔じゃないシャワーをたのしみたいと思ったが、疲労と睡魔に勝てず眠り込んでしまった。
 次に目が覚めたとき、目の前にはカタンがいた。

「うぉ。おかえり」
「コーマ、熱があるのか。なぜ肩を治療していない」
「あー……」

 熱はあるが大したことはないし、肩は治療院が混んでいたから寄らなかったが湿布は貼った、と言いたいのに頭が働かない。
 今はとにかく眠らせてほしい、という思いでカタンの体を押し返す。
 しかし逆にその手を取られ、睨まれてしまった。

「言い訳もしないのか。もうパーティを解消するからどうでもいいのか」
「……んぁ?」
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