ロスト・ナイン

キザキ ケイ

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 異世界人であるヨウと国王グーラの結婚が許可されても、しばらくはヨウの生活に変化はない。
 国王の結婚が、一年のうち定められた二ヶ月間しか行えないという国法があるせいだ。
 グーラは焦れったそうにしていたが、ヨウは安心した。
 公私ともに王を支えるにはまだ知識も経験も足りない。
 この世界で生きていく覚悟だけは、グーラを好きになったときに固めていたが、王の伴侶としての自覚や実力は十分でないと感じていた。
 ヨウの存在のせいでグーラが、未熟な者を私欲で侍らせる暗愚な王、などと陰口を叩かれるのは嫌だ。
 ヨウはますます勉学に力を入れることを誓った。

 ヨウの一日は朝食後から始まる授業で多くの時間を占められる。
 今日はこの国の歴史を学ぶ。
 やる気十分で挑んだが、レンブレーが手配してくれた歴史の教師はかなり高齢で、分厚い歴史書を眺めながら穏やかな口調で滔々と語られると眠くなってしまう。
 ヨウは転移前の世界───現代日本の学校ではそれなりに勉強ができるタイプだったが、あくまで「それなりに」だ。
 苦手な教科は平均ギリギリの点を取ることもあったし、授業は居眠りしてあとから教科書や副教材で復習することもあった。
 よく言えば年相応、悪く言えば要領だけはいい。すべてにおいて真面目な学生だったとはとても言えない。
 その代わりヨウは記憶力が良い方だった。
 この数ヶ月前で異世界の言語はかなり習得できたと自負している。
 発語はほぼマスターし、書き文字もかなりできるようになった。難しい言い回しや古語、専門用語はまだ穴開きだが、日常生活で困る場面はなくなった。
 それもこれも、突然異世界に放り出されて困り果てていたヨウを献身的に支え、学習機会を与えてくれたグーラのおかげだ。

「ヨウ様、聞いておられますかな」
「……はっ!」

 ついウトウトと微睡んでしまっていたらしい。
 急いで顔を上げると、呆れた様子の老教師がヨウを見つめていた。

「あまり集中できていないようですな」
「いえ、あの……はい」
「王との婚姻をレンブレー様からお許しいただいたと聞きました。めでたいことですが、それならば尚のこと、勉学はしっかりとせねばなりませんぞ」
「はい……すみません」

 一対一の授業で居眠りしてしまうなど失態だ。
 昨日の夜は「一回」で済んだし、そんなに疲れていないと思っていたけど、意外と日々の疲れが溜まっていたのかもしれない。
 昨夜見た色気だだ漏れの恋人の姿を思い出しそうになり、慌てて頭を振って授業に集中する。
 しかし数分後にはどうしても強烈な眠気を感じてしまい、ヨウは仕方なく教師に正直に話すことにした。

「ふむ。慣れない環境でお疲れなのでしょう。あまり無理をさせないようにとレンブレー様から言われておりますし、今日は軽い復習だけで終わりにしましょう」
「レンブレーさんが……?」
「はい。異国の言葉に文字、歴史を短期間で詰め込み、王宮の礼儀作法まで学んでいるのだからそろそろ疲れているはず、と」

 眠気を誘う老教師の癒やしボイスでそんなことを言われたら、ヨウの胸はじんと打ち震えてしまう。
 元々レンブレーに悪感情を抱いたことはない。
 宰相という、王に次ぐ───あるいは王以上に国の行く末を考えなければならない重要な立場の人間なのだから、どこの馬の骨ともわからないヨウのような人間を王に近づけさせてはならないと警戒するのは当然だと思う。
 彼がどんな判断でヨウとグーラの婚姻を認めたのか、そのすべてが理解できているわけではない。高度な政治的判断も多分に含まれているはずだ。
 それでもヨウのことを認めてくれて、こうして気遣うような指示までしていると知れば、いつも眉間に深い皺を刻んでいる気難しそうなレンブレーに対する印象はより良くなる。

「お気遣いありがとうございます。確かに最近少し疲れているかも……」
「そうでしょう。では復習をして今日はおしまいにいたします」
「はい。……あれ?」

 教科書を数ページめくって戻ると、ヨウは違和感を覚えた。
 これまでの授業と同じ歴史書を教科書として勉強してきたのに、数ページ前の記述に見覚えがある部分がひとつもない。
 学んだ内容はノートに筆記しているし、昨日は自室で復習もしたはずなのに。
 一度習得したはずの学習内容をこれほどまでにすっぽり忘れてしまうなんて、今までの人生で経験したことのない失態だった。こめかみを押しても頭を振っても、欠片すら出てきそうにない。
 とはいえ覚えていないものはどうしようもない。申し訳なく思いながら教師にそれを告げると、嫌味を言われるどころか心配そうに覗き込まれてしまった。

「それほどまでにお疲れとは、この爺、気づかずに申し訳ないことをした。すぐにお部屋にお戻りください」
「そんなに疲れてないはずなんですけど」
「お若いほど自分の疲労には鈍感なものです。年寄りの言うことを聞いてくだされ」

 歴史書を取り上げられ棚に戻されてしまえば、ヨウも観念するしかない。

「わかりました、部屋で休みます。次の授業までには復活しておきます!」
「その意気です。では最後に、差し出がましいようですがひとつ」
「?」
「ヨウ様もグーラ様もまだお若い、止まれぬ夜もあるでしょう。しかしつらいとき、嫌なときはしっかりとお断りをせねばなりませんぞ。手綱を握るのなら早い内にしておきなさい」
「……は……はい……」

 ヨウが呆然としているうちに教師は退出していった。
 遅れて言葉の意味が理解でき、じわじわと顔に熱が集まってくる。
 結婚の許可を得る前から、二人は恋人だった。
 グーラはヨウに対する執着心を隠すことすらしていなかったので、少なくとも王宮内では二人の関係は周知の事実だ。
 もちろん恋人らしい触れ合いも以前からしている。
 ヨウに体調不良の気があるとすれば、原因の大半はグーラ王なので、諌めるのは難しいと思われていることをヨウ自身薄っすら自覚している。
 もちろん、本当に嫌なときは拒否している。そういうとき、グーラが無理強いすることは絶対にない。
 問題は、ヨウがグーラを拒むほど嫌だと思う日が滅多にないことだ。

「でも勉強に支障が出ちゃうんじゃあダメだよな。自分のためにもグーラのためにも……よし、夜はもう少し控えてもらうよう言おう」

 グーラが悲しそうな表情を浮かべる想像をしてしまい、今から胸が痛む。しかしこればかりはヨウも譲れない。
 ペンやノートを片付け自室に戻り、ベッドにどさりと体を横たえた。
 ヨウがこの世界にやってきて、もう半年は過ぎただろうか。
 この短期間で目まぐるしくすべてが変わってしまった。

「思えば最初からグーラは熱烈で、優しかったな」

 ────学校へ向かうため、駅への道をただ歩いていただけ。
 まばたきひとつという僅かな一瞬、ヨウの革靴はアスファルトではなく草原の土に降り立っていて、周囲は見渡す限り野原と青空だった。
 手には学生鞄、ポケットには学生証と定期。財布にはほんのわずかな現金のみ、頼みの綱のスマホは圏外。
 見慣れたビル群や住宅はなく、それどころか目印になりそうな山や森すらない。
 混乱し立ち尽くしていたヨウを、どこからか現れた騎馬のグーラが見つけてくれた。
 白馬の王子様ならぬ黒馬の王様は、言葉が通じずパニックになるヨウを宥めながら王宮まで連れてきてくれた。
 それから今日に至るまで、寄る辺なく身元もはっきりしない異分子のヨウに衣食住から教育まですべてのものを与えてくれた。
 ついには、愛情までも。

「好きになっちゃうよなぁ、そんなの……」

 シーツの上に投げ出した腕を持ち上げて、手のひらを握り込む。
 何も持っていないヨウは、グーラの差し出す親切に何も返せなかった。
 働いて恩を返すにも、一介の甘ったれた学生であったヨウは炊事もできなければ武術の心得もない。厨房にも井戸のそばの洗い場にも居場所がなく、体力不足で力仕事もままならず、兵士になどなれるはずもなかった。
 何もできず何も返せないのにすべてを与えられる罪悪感に押しつぶされそうになって、衝動的に王宮を飛び出したこともあった。
 そんなヨウに愛想をつかすことなく、グーラは探しに来てくれた。
 王宮の外でも職を得られそうにないと悟ったヨウが、野卑な態度の町人に追われて逃げ込んだ薄暗い路地に、この国で一番偉い人がやってきて手を差し伸べてくれる。
 額に汗して、そこら中を探し回ったと言って、微笑みながらヨウの腕を力強く引いてくれたあの日───ヨウはたしかに恋に落ちたのだ。

 ベッドで横になって少し休憩するだけのつもりだったのに、いつしか眠り込んでしまっていた。
 瞼を開くと室内は夜の帳が降りていて、すっかり寝過ごしてしまったことを知る。
 きっと誰かが夕食にと呼びに来たはずだ。悪いことをしてしまった。
 起き上がろうとして、掛けた覚えのないブランケットが肩から滑り落ちる。

「グーラ」

 ブランケットを分け合うようにグーラが眠っていた。
 ちょうどヨウの体に沿うように、それでいてヨウの寝返りを邪魔しないような距離感で。
 権勢を極め誰にも傅かない一国の主が、ヨウに対してはやり過ぎなくらい気を使ってくれる。恋人の微笑ましさにくすりと笑みがこぼれる。
 その声が聞こえたのか、夜闇の中でぱちりと紅色の双眸が開いた。
 グーラの持つ色彩は苛烈だ。
 艶やかだが芯の強い金髪は、この世界では「龍の鱗」と呼ばれ縁起のよい色なのだという。
 赤い瞳も同様に吉兆とされ、炎とも星とも例えられる。じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうで、なのに暗い場所で見る紅眼は遥か彼方で燃える恒星のように手が届かないような気がしてしまう。

「ヨウ、起きたか」

 顔貌も美しい人だが、典型的な日本人らしい黒と茶の色彩しか持たないヨウはいつもその珍しい色味に惹かれる。
 そっと目元を指先で拭われ、はっと我に返った。

「グーラこそ。ごめんね、僕寝ちゃってた。夕食に誘いに来てくれた?」
「あぁ。だがおまえの安らかな寝顔を見ていたら、俺まで眠くなった。ヨウの寝顔には癒やし効果があるな」
「何言ってるの」

 臆面もなく甘い言葉を吐く美形を直視できなくて顔を逸らすと、含むように笑われてしまって余計に恥ずかしくなった。
 体を起こしたグーラがぐっと伸びをする。
 差し出された手を自然に握り返せるようになったのはごく最近のことだ。
 ゆっくりベッドを降りて、遅い夕飯をとるために部屋を出る。
 彼が当然のように気にかけてくれて、惜しむことなく愛情を注いでくれるので、ヨウはやっと過度な謙遜や卑下をしないで生きられるようになってきた。
 こんなに立派で素晴らしい人が好いてくれるこの身を大事にしようと、そう思うことができるようになった。
 それでもやはり反射的に芽生えてしまう後ろ向きな思考は完全には消せず、いつかこの日々が終わって、幸せな気持ちが泡のように消えてしまうのではないかという恐怖は脳裏にこびり付いている。
 まるで呪いのようだ────。
 ヨウの暗い未来予測をグーラに話したことはない。
 でも彼はヨウの心の機微を敏感に察知して、悲しい気持ちごと吹き飛ばすように甘やかそうとしてくる。

「おいで、ヨウ」

 夕食をとって湯浴みを終え、薄い寝間着を纏い戻ってきた自室の寝台で、グーラが大きく腕を広げた。
 迷いなく体を預けると痛いくらいの力強さで抱きしめてくれる。
 そのまま掛け布に二人くるまると、グーラの心臓の鼓動が伝わってきた。
 どくどくと力強い生命の証。筋肉も贅肉もない薄い胸のヨウの鼓動はかき消されてしまうのではないかと思うほどに。

「老師から、ヨウは疲れているようだと聞いた。体調はどうだ」
「大丈夫。疲れているとも思ってなかったから」
「それは良くない。おまえはもう俺のものなのだから、勝手にすり減って弱ってしまっては困る」
「なにそれ」

 気遣わしげなのに偉そうな言い草がおかしくてくすくす笑うヨウに、グーラはほっと息を吐いて微笑みかけた。

「俺と末永く一緒にいてくれるんだろう」
「うん……そのつもり」
「なら健康でいてもらわねば。明日の授業は休みにするか?」
「ううん、大丈夫。ありがと、グーラ」

 太い腕が絡みついたままの体を捩って位置を変え、伸び上がって唇を合わせる。
 二度三度、触れるだけのキスは次第に深いものに変わったが、それ以上の行為には発展しなかった。

「……あまり煽らないでくれ。疲れているおまえに無理を強いたくないから、我慢しているんだ」
「我慢しなくていいって言ったら?」
「……ダメだ、寝ろ。国王命令だ」
「はーい、グーラ王さま~」

 真面目なやり取りに滲む戯れの気配に二人してまた笑って、そのまま抱き合って眠った。
 これまで誰かと同じ布団に寝たことがなかったヨウが、今ではグーラの体温がないと安心して眠れないと思うほどに彼の存在に慣らされている。
 自分の変化を怖いと思うこともあるけれど、ヨウは後悔していなかった。
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