ロスト・ナイン

キザキ ケイ

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 今日は週に三日ある剣術訓練の日だ。
 前日の夜を穏やかに過ごしたおかげか疲労は欠片も感じられず、むしろいつもより体が軽いような気さえする。

「よ。元気そうだなヨウ」
「おはようございますグリンさん」

 ヨウの待つ離宮の庭にのんびりとやってきたのは、グーラの弟であり、王直属の「王宮兵団」兵団長のグリン。
 王と王族、王宮に住まうもの、王宮の周囲をあまねく守護する屈強な兵士たち。彼らを束ねる立場が兵団長だ。
 実力で勝ち取ったという兵団長の地位に加え、グリンは現王の弟だ。
 グーラ王との血縁を強く感じさせる金の髪と、茶に近い赤の瞳は常に自信に満ち溢れている。
 ヨウにとっては雲の上のように感じられる偉大な人物だが、とても快活で気さくな性格の彼を前にすると緊張し続けることは難しい。すぐに打ち解けて話せるようになった相手だった。

 彼は畏れ多くもヨウの剣術教師だ。
 多忙な身のため長時間拘束することはできないが、それでも週に三回数時間ずつ、兵団長自ら教えを施されるのは破格の待遇だという。
 兵団の訓練の隅にでも混ぜてくれればいいというヨウの主張を却下してグリンが手配されたのは、大勢の目にヨウの姿を晒したくない王の独断があったが、ヨウは知る由もない。

「先週の授業までで、基本的な訓練のやり方や剣の型は教えたんだったな」
「はい」
「じゃあ、今日からはコレだ」

 軽く投げ渡されたものはずっしりと重く、取り落しそうになって慌てる。
 しっかりと握ったそれは、刃を潰した鋼の剣だった。
 兵団で支給される長剣と比べれば遥かに軽く短いが、ヨウが先週まで使っていた木剣に比べればずっと実践的な代物だ。
 鋭い刃こそないものの、取り扱い方によっては容易に相手を負傷させることができる。
 剣の握りには通常より厚めに布が巻かれ、手に馴染み手のひらを傷つけにくい細工がされている。そこにしっかりと指を絡め、ヨウは気を引き締めた。

「この鋼の剣を木剣と同じように振ってみろ。重いから気をつけろよ」
「はい!」

 グリンから数歩離れて、両手で剣を構える。
 剣を扱えるようになるには技術的な面だけでなく、体力や筋力、すべての基本となる体幹や身のこなしも重要であると知った。運動系の部活にすら入ったことがないヨウは体ができておらず、しばらくは筋トレのようなことだけしかさせてもらえなかった。
 訓練用の木剣を最初に渡された時の高揚感は今でも覚えている。
 鋼の剣は、さらに求められる技術や筋力が増すことだろう。いつか真剣を持たせてもらえるまでがんばるつもりだ。
 ヨウは自分で自分の身を守りたかった。

 この世界はヨウが暮らしていた異界よりずっと戦乱が身近だ。人々が笑いながら明るく生きている傍らで、不穏な争いの気配が息を潜め存在している。
 ちょっとしたことで領主が争い、民同士が争い、国すら戦争を始める。
 幸いこの国はグーラの善政と外交手腕でもって平和を維持しているが、いつその均衡が崩れるかわからない。
 異界で何不自由なく安穏と生きてきたヨウは、この世界では弱く脆い。グーラの弱みにしかなれない。
 だからせめて自身の身を守るため、ヨウは勉強を始めた。
 魔力が僅かしかないらしく魔法は上達の見込みが薄いが、なにも知らないより知識を持っている方がいざというとき違う結果が出る。
 剣術も同様だ。剣を使って襲い来る敵を倒すことはできなくとも、知識と経験があれば身を守り時間稼ぎできるかもしれない。
 惜しみなく愛情を与えてくれるグーラのために、そしてグーラと離れたくないヨウ自身のために、生きる力を身につける。決意が握った手に込められ、剣の柄がぎゅっと鳴る。

「はっ!」

 気合いを入れる意味合いを込めて、頭上に振り上げた剣を振り下ろす。
 そのまま数回、十数回と振ってみて、重くなった剣の取り扱いについてグリンから指導を受ける───はずだった。

「え?」
「ありゃ」

 手のひらに想像した重みを感じない。手を見ると、剣がなかった。グリンはバツの悪そうな苦い顔をしている。
 ヨウの鋼剣はすっぽ抜けて、地面に落ちていた。

「悪い悪い、木剣からコレに急に変えたら重いよな」
「え、いえ……あ、あれ」

 疲労はない。指先まで神経がしっかりと通っている。手が震えるわけでもない。
 それなのに、重量が少々増えたくらいでこんなに扱いにくくなるものなのだろうか。
 グリンは素早く訓練場に取って返し、先週まで使っていた訓練用の木剣を持ってきてくれた。
 今日握ったばかりの鋼の剣と比べれば軽く、格段に握りやすいが、ヨウ自身それほど重さが変わったとは思えなかった。子どもでも扱う訓練用の剣とはいえ、みっしりと密度のある木の塊はそれなりに重い。

「まずは素振りの感覚を思い出そう。それで振ってみてくれ」
「はい……」

 短く息を吐いて、木剣を振り下ろす。
 今度はすっぽ抜けるということはなかったが、不思議と今まで通りの動きができていないことにヨウはすぐに気づいた。
 グリンも顎に手を当て首を傾げている。

「ん~? ヨウ、何回か振ってみろ」
「は、はい」

 重心が定まらず足がふらつく。右腕にばかり力がこもってしまうせいだ。頭でわかっているのに体が追いつかない。
 上手くできていない部分は、かつてグリンに指摘され、必死で直した箇所ばかりだった。
 今まで学習して努力してきたことが、すべて水泡に帰しているかのような動作しかできない。

「やめろ、ヨウ。剣を下ろせ」

 自棄になってがむしゃらに振っていた木剣を、鋭い声で制止させられた。
 違う、覚えてる、グリンさんに教わったことを忘れてはいない。
 でも体が上手く動いてくれない───。
 どうしようもない焦燥感に身の内を焼かれながら、言い訳めいた言葉が喉につかえて出てこない。
 彼は武人だ。潔く合理的な考え方の持ち主で、嘘と言い訳を嫌う。
 自分の信じる道を一心に極めるその姿がグーラによく似ていて好感を持ったけど、今はその高潔さが自分に向くのではと恐ろしかった。
 両腕をだらりと下げて沙汰を待つヨウに、グリンは軽く肩を竦め苦笑いを浮かべた。

「なぁに、調子が悪いときもあるさ。鋼剣を持って体が緊張してしまったのかもしれないしな。刃を潰してあるとはいえ、木剣に比べれば実践的な得物だ」
「でも、僕……」
「焦らなくていい、ゆっくりな。ヨウの剣が未熟なうちは、俺達が身命を賭して御身をお守りいたします」
「や、やめてください! 頭を上げて……」

 優雅に礼をして見せるグリンからはいつもの粗雑な印象が消え失せる。
 王位継承権を放棄しているというが、彼はやはり王族なのだ。そんな立派な人に頭を下げられ守ってもらう価値など、今のヨウにはない。

「ま、兄上のおかげで俺達はヒマしてる。それこそ素人に剣術を教えられるくらい平和だ。少しずつやっていこう、な」
「はい……すみません」

 ヨウは俯いて自身を見下ろし、制御できない己にじわじわと恐れを感じ始めていた。
 半ば強制的に帰された自室で一人思い悩む。
 昨日の歴史の授業に引き続き、今日は剣術の授業で醜態を晒してしまった。
 剣術はずぶの素人から始めたものだったが、日に日に筋肉がつき、体の動かし方がわかるようになって、目に見えて上達を感じられる科目だった。
 グリンの教え方が良かったこともあるだろう。さすが幾千万の兵を従え指揮を執る人物だ。
 そんな彼に一対一で教えを受けているのに、今日ヨウは教えの殆どを忘れたかのように動けなくなってしまった。

「どうして……」

 手のひらを見つめても答えは出ない。
 失意の中、なんとか気持ちを奮い起こしてのろのろと立ち上がった。
 グリンの次は、同じく忙しい身である魔法師団長ティルクスの授業だ。
 王宮兵団と双璧をなす、王の剣たる「王宮魔法師団」。
 ヨウの故郷では、ファンタジー作品の中にしか存在しなかった「魔法」という概念がこの世界では普通に用いられている。すべての人の内に秘められている魔法の源───魔力を、己の手足以上に自在に使いこなせる者のことを、この国では魔法師と呼ぶ。

 魔法を駆使して王宮と人々を守る魔法師団。
 その長であるティルクスは、着崩したローブと緑がかった銀灰色の長髪がトレードマークの、若く軟派な見た目の割に優秀で才能あふれる魔法師だ。
 平民から魔法師団に入り、実力で師団長にのし上がった実力者。
 グリン同様、グーラの信頼を勝ち取った側近の一人だ。
 異世界からやってきてすぐさま離宮へと迎えられたヨウのことを、彼は当初不審がっていた。
 今思えば、彼が何度か部屋に訪れ色々と話をしたのも、魔法による尋問の一種だった。
 ヨウに王や王宮への害意がないと分かると、ティルクスは良き話し相手になってくれた。平民生まれなので感覚が近く、グーラやグリンなどいかに柔軟に見えても根っから王族な男に囲まれていたヨウにとっては、本音で話せる安心できる相手だった。
 自分はとても恵まれている。優れた師が何人もヨウに教えを与えてくれる。期待に応えたい。
 それなのに。
 定刻通りにやってきたティルクスは、暗く沈んだヨウの顔色にぎょっとした。

「どうしたの、大丈夫? 今日の授業は延期にしようか?」
「大丈夫……だと、自分では、思うんですが」
「うーん。気分が優れないとか体調が悪いと感じたらすぐに言ってね。絶対だよ」
「……はい」

 ティルクスの浮かべる穏やかな笑みは、父のように兄のようにヨウを慈しむ気持ちが込められている。
 そのまなざしに責める色がないのを見て少しだけ肩の力を抜くことができた。
 歴史の教科書とは違う、薄く端が擦り切れた教本を開く。
 これはティルクス自身が幼い頃に使っていた魔法の指南書だという。発動のコツや覚えにくい単語の語呂合わせなどが書き込まれていて一助となっている。
 自分が、ファンタジーの象徴とも言える「魔法」を習うことになるとは、これまで想像したこともなかった。
 しかしこの世界の人々にとって魔法はごく身近な存在で、しっかりと基礎を学びさえすれば誰でも使えるようになるものと聞き驚いたことを覚えている。

「ある程度なら誰にでも使える魔法が、ヨウは全く使えない。場合によっては子どもにも負ける。王の伴侶がそれでは困るからね、正式に結婚する前に初歩の魔法と他者からの干渉魔法を防ぐすべは習得してもらうよ」

 言い渡されている内容はシビアだったが、師の教え方が上手いおかげか、はたまた彼の持つ独特の雰囲気のせいか、ヨウは焦ることなく着実に魔法を学び身につけ始めていた。
 ティルクスの長い指が教本のページを差す。

「今日はここから。前回は指先に火を出現させる魔法を教えたね。今日はこの瓶に水滴を落とす魔法をやってみよう」
「……はい」

 声が僅かに揺らぎ、手のひらが強張る。異様に緊張している自分をヨウは自覚していた。
 剣術のときのように忘れてしまっていたらどうしよう。
 教本に描かれた魔法発動のための理論を読み込みながら、震えそうな指先をなんとか伸ばして水瓶の上に翳す。
 この世界の魔法は魔法陣を書くことはなく、詠唱も行わない。体内を循環する魔力を集めて空気中に含まれる魔力と結びつけ、望む現象を起こすという原理らしい。
 全身を巡る魔力が手のひらを目指す感覚と、指先に水が集まるイメージを同時に練り上げる。
 どうしよう、また失敗したら、ティルクスに失望の目で見られたら。そうしたらきっとグーラにも知られてしまう。
 彼に見放されたら僕は。

「……っ」
「お」

 涙がこぼれそうになって瞼を強く閉じたのと、指先から現れた水滴がぽつんと瓶の底を叩く音は同時だった。

「うん、上出来。きちんと空気中の水分を集めて水滴にできているね。このままもう少し……って、どうしたのヨウ!?」
「え?」
「な、なんで泣いてるの!? どこか痛かった? それとも水魔法ができて嬉しすぎたとか?」

 恐る恐る開いた視界は滲んでいたが、ヨウの指先から透明な水滴がぽとぽとと落ちていくさまはしっかり見えた。
 瞬きしたときに転がり落ちた涙の粒がティルクスのハンカチに吸われていく。

「どうしよう、僕がヨウを泣かせたなんてグーラに知られたら……減給、解雇、いや処刑……?」
「ご、ごめんなさい、なんでもないんです。目にゴミが入って」
「え……そうなの? 大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」

 乱暴に目尻を拭って笑顔を見せる。
 ヨウの笑みは心底からの安堵を含んでいて、虚勢ではなかった。
 昨日の歴史の授業のように、今朝の剣術の授業のように失敗することがなくて、本当に良かった。
 こうなると余計にこれまでの大失態が気にかかるが、やはり二人の教師に言われたように調子が悪かっただけなのだろう。なにせ一番馴染みがなくゼロからの学習となっている魔法で、こうしてしっかりした成果を残せているのだから。
 剣術も座学も、これまで以上に励もう。
 忘れてしまった部分を丁寧になぞれば、またこれまで通りこなせるはずだ。
 そうすればヨウは誰からも後ろ指さされず馬鹿にもされず、グーラの隣に立つことができる。
 彼に悲しい顔をさせずに済む。

「ティルクスさん、もっと教えてください! 僕、もっと上達したいんです!」
「わ、今日はすごくやる気だね! 教え甲斐があるってもんだよ。じゃあ次はひとつ難しい魔法に挑戦してみようか?」
「ぜひ!」

 決意を新たにしたヨウは前のめりでティルクスに教えを乞いながら、魔法の練習に打ち込んだ。
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