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第二話 触手と二回目はあり得ない!
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しおりを挟む「歩き回って疲れただろ。何か飲むか」
「俺が淹れますよ」
買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に振り分けて仕舞い、一息つける。
深谷の言葉に甘えてソファに座ると、キッチンからガチャガチャと不慣れそうな音がしばらく聞こえて、コーヒーが出てきた。
「粉の場所すぐ分かったか?」
「えぇ。カップはこれで良かったですか?」
「おう、ありがとな」
飲み慣れたインスタントコーヒーも、自分以外が淹れたものだと妙に美味しく感じるのが不思議だ。
深谷がソファに腰掛ける。頑張れば四人ほど掛けられる大きめのソファだから、自然に座れば体が触れ合うことはない。
そういえば、元カノはあまりこのソファに座ってくれなかった。二人肩寄せあって静かに過ごす休日、なんてものを想像して買っただけに、寂しさを感じたのを思い出す。
何も触れない右肩が妙に寒々しく感じた。
だからといって今右側に座っているのは未確認危険生物だ。こいつと触れ合いたいわけじゃないので感傷に浸るのはもうやめよう。
「映画でも見るか。おまえも見る?」
「さっき借りてたやつですか。暇だし、ご一緒しようかな」
「おう。これこれ」
レンタルショップの布袋から取り出したDVDに首を傾げた深谷は、タイトルをスマホ検索して眉を顰めた。
「ちょっと、新さん。どういう意図でこの映画にしたんですか?」
「いやぁ~、いくら危険生物だとしてもおまえは同居人になっちまったわけだし、理解を深めておこうかなと思って」
「言うと思った……俺はタコじゃありませんよ」
借りてきたのは、巨大なタコが人間を襲うパニック映画だ。
そのものズバリなタイトルに惹かれて借りたから、内容はパッケージ裏のあらすじ以上は知らない。人気の出なさそうなイメージビジュアルからして、いわゆるB級映画というジャンルの作品だろう。
横に実際にタコの化け物みたいな存在が座っていると臨場感があって良さそうだ。
「嫌なら見なくていいぞ」
テレビに付属しているプレイヤーに円盤を吸い込ませながら突き放したが、深谷はソファから立ち去ることはなかった。
その代わりか、不服そうに唇を尖らせ画面を睨みつけている。そんな仕草が年齢以上に幼く見えて、俺はこっそり含み笑った。
巨大タコの映画は想像していたより酷くはなかったが、ハリウッドの最新CGで作られる映像を見慣れた現代人にとってはやはり少々チープだ。
パニックものとしてはそれなりに楽しめた。なにより主役の女優が美人だった。
「けっこう面白かったな。おまえの仲間も出番多かったし」
「俺はタコじゃないですってば」
「でも人間を捕食するんだろ?」
「捕食じゃなくて、精気だけで……それに俺は新さんしかいらないし」
なにやら物騒な方向に話題が行きそうになり、慌てて深谷の言葉を遮る。
「そういえばさっき死体で映った乗組員、瞼動いてたよな」
「え、本当ですか? 戻して見てみます?」
「……やめとこ」
一時間半ほど動かさなかったせいで固まった肩を回して伸びをする。
ふと、映画を見ている間なにもされなかったなと思い、恐ろしい思考を慌ててかき消した。
まるでなにかされたがっていたかのような考え方だ。俺は平穏がいいんだ。
たとえ同居人が人外でも、俺の命を狙っていても、なにもしてこないのであればそれが最良に決まってる。自ら危険に首を突っ込む必要はどこにもない。
(でも……)
ソファの上に並んで座った深谷は、必要以上に俺に近づかないよう気をつけているみたいだった。
それがほんの少し寂しいと思ったことは事実で、芋づる式に元カノとのことを思い出して気分が落ち込んで、今この空間に一人きりじゃなかったことがほんの少し嬉しく思ったりして。
(待て待て、やっぱ俺だいぶ毒されてんな。相手は未確認生物、危険人外……)
「何ぶつぶつ言ってるんですか?」
「い、いやなんでも? さぁてそろそろ晩飯の準備するかな!」
コーヒーを飲みながら訝しげに俺を見つめる深谷から意識して顔を逸らし、そそくさとキッチンへ逃げ込む。
俺の背中を深谷がじっと見つめていることには気づかないふりをした。
夕食は入居日に深谷が持ってきた乾麺セットを開封して、そばにした。
冷凍していた鶏肉を引っ張り出して鶏南蛮にする。肉にもネギにも、やや濃いめの焼き色がついたのが俺の好みだ。
芯の近くまで使われたキャベツとか賞味期限間近のもやし、野菜室の奥の方でシワシワになりかけていた茄子なんかを適当に切って炒めておかずにする。そばのついでに取ったかつお出汁で豆腐の味噌汁も作る。明日の朝食用だが夜にも食べる。
働き盛りの男二人の食卓にどれだけメシを乗せれば足りるのかわからず、とりあえず米を二合ほど炊いておく。そばは二人前しかなかったので、おかわりと言われたらそれを出そう。
「夕飯できたぞ」
エプロンを外しながらリビングへ皿を持っていくと、ソファでスマホを見ていた深谷が寄ってきた。
「わぁ……これ全部新さんが作ったんですか。すごい……」
「別にすごくない。手間のかかる料理はないしな」
「いい匂い、おいしそう……」
テーブルに並ぶ皿の数々を目を輝かせながら見つめるので、俺はなんとなく照れくさい。
謙遜してみせたが、深谷は心から俺の料理に賞賛を送ってくれたようだ。
彼はこれまで長く一人暮らしで、食物から一定量の精気さえ摂れれば良いという生活をしていたらしい。そのため日々の食事の味は二の次で、家庭料理とは縁遠かったとも聞いた。
そんな男からしてみれば、まぁまぁ立派な食事に見えるだろう。
「いただきます」
「召し上がれ」
丁寧に手を合わせて食事を始めた深谷は、昼食の時よりさらにやかましく美味いを連発してきた。
おまえが買ってきたそばだぞ、なんて適当に相槌を打ちながら、気を抜くと赤くなってしまう顔を押さえていると、視界の端をなにかが横切った。
ここ数日ですっかり見慣れてしまった、深谷の触手だ。
イケメンが笑み崩れながら鶏肉を頬張っている背後で、触手がにょろにょろと踊っている。まるで彼の心情を表しているかのように。
俺が凝視したせいか深谷も自身の動きに気づいたようで、すぐに触手は消えた。俺はその時に初めて、外へ出かけてから今まで深谷が触手を仕舞い込んで出さないようにしていたことに気づいた。
「すみません……美味しい料理が嬉しくて、つい出ちゃいました」
嬉しいとつい出ちゃうのか触手。
それも道理か。おそらく深谷の本体は触手だから、それを出さないということは無理をして抑えているということだろう。感情の変化で不意に出てしまうことがあっても不思議じゃない。
「別に構わない。俺のメシで喜んでくれてるんだろ」
「……! はい! どれもこれもすごく美味しいです!」
「はは、そっか。ありがとな」
もう認めよう。
俺は深谷という男自体にはなんら悪感情を抱いていないことを。
世慣れせず素直な彼の言動は心地良く、同居人として理想的だとすら感じる。不幸な境遇の片鱗を感じる微かな影も、構い倒して笑わせて、吹き飛ばしてやりたいと思うほどには、俺はこの数日で深谷に好感を持っていた。
ただどうしても、こいつが人外の存在であることが足を引っ張る。
触手さえ出さなければいいやつなのに。触手でさえなければ、彼を拒否する理由は───。
(……あんまり考えない方がいいかもな、これ)
どれほど惜しく思ってもこの男は俺とは違う生き物だ。
知性があり、言葉によって対話できるが、俺を襲った事実に変わりはない。確かな線引きが、俺の方には必要だ。
箸が止まった俺のことを深谷がじっと見つめていたことに、今度は気づけなかった。
食事を終えて後片付けをしてしまえば、同居人と一緒にいる必要はなくなる。
俺は早めに風呂に入り、ごろごろしながら読書したりスマホをいじったりして、眠くなったら寝るという夜を過ごすのが好きだ。
浴槽に湯を張りながら、一番風呂は深谷に譲るべきかどうか一瞬迷ったが、彼はもうお客さんではないので気にしないことにした。二番湯が嫌であればシャワーで済ませても平気な気候だ。
「部屋に戻ってるから。おやすみ」
「早いですね」
「おう」
ネコ次郎のご飯を用意し、さっさと入浴を済ませて部屋に引き上げると、細く長い溜息が出た。
自分で思うより緊張していたらしい。
しかし今日はなにもなかった。深谷が不審な動きをすることも、不意に触れてくることもなかった。
拒絶のオーラを纏う俺に配慮してくれたのか。はたまた、一昨日精気をたっぷり得たから今はいらないということなのか。
「用がなければ、俺なんかに近づく意味もないしな……」
ベッドに大の字に寝そべり、ごろりと横になる。
なんだか今日はやる気が起きないし、早めに寝てしまおうか。そう思った矢先、部屋のドアがコンコンと軽い音を立てた。
「新さん、開けていいですか?」
「おー」
返事をすると、寝間着らしいスウェット姿の深谷が扉を開けた。
早くも寝入りそうになっていた俺の姿を見て申し訳なさそうに眉を下げたが、用件を引っ込める気はないらしい。
「もう寝るところだったんですね、すみません。俺の部屋に来てくれませんか?」
「ん? どうかしたか」
「いえ、ちょっと……」
なんだ、電球でも切れたかな。それとももしかしたら、どこかから元カノの荷物でも出てきたか。深谷が言い淀んだことから後者の可能性が高まる。
俺は体を起こし、数歩先の深谷の部屋に入った。
整頓された室内は今や梱包のダンボール箱すら片付けられていて、すっかり見慣れない景色を呈している。電気もついているし、女物の何かもない。
「この部屋がどうし……」
「新さん」
後から入ってきた深谷を振り向こうとして、固まった。
背後から抱き締められている。それも、複数の腕のようなものに。
「ちょ、おまえ、おいこら!」
「すみません、ごめんなさい新さん……」
「謝るならこの触手引っ込めろって、おいやめろ!」
触手に拘束されたままズルズルとベッドの方へ押され、倒された。
なぜか深谷は俺の首筋に鼻を埋め、匂いを嗅いでいる。触手はそれぞれが意思を持つかのように蠢いて、一部は俺の上着を捲り上げ素肌に触れている。
表皮がぞわりと鳥肌を立てた。また、一昨日のようなことが起こる。
「やめろ、マジで! 週一でいいんじゃなかったのかよ!」
「すみません、嘘をついたつもりはなかったんです。週一かそれ以下でも、新さんの体液をほんの少しもらえれば足りるはずだったんです。でももうダメなんです、あなたの味を知ってしまった。週一じゃ、少しだけじゃ足りなくなってしまったんです」
「そ、そんな」
「ごめんなさい、新さん。もう少しだけ、精気をください」
いつの間にか正面から深谷に抱き締められていた。
整った顔が近づき、動けない俺の唇を塞ぐ。あの長い舌が入ってくる気配を察知して、俺は───渾身の力でその舌を噛んだ。
「───ッ!!」
弾かれたように体を離した深谷を追って、力の抜けた触手を振り払う。
胸ぐらを掴んで引き倒し、舌を負傷して目を白黒させている間抜けな顔の男を真上から睨みつけた。
「おまえなぁ! 許可なくこんなことして、強姦だからな!? 男が相手なら力づくでもいいと思ってんのか!」
「あ、あらははん……」
「怖いんだよ! 必死なおまえも、このわけわかんない触手も……!」
そうだ、俺は怖かった、一昨日からずっと。
よくわからない生き物が自分の近くにいること。好感を持っている人物が人外の生き物であること。いつかその本性を剥き出しにしてくるかもしれない底知れぬ恐怖。
そして俺は一度、その毒牙にかかってしまっている。
あのときは痛いことも怖いこともされなかった。でもこの先はわからない。
俺より遥かに強い力を持つ触手が、俺の命を欲しがるこいつが、加減を忘れて際限なく搾取しようとしたら───最悪の事態もあり得るのではないか。
なにもかもが現実離れしていて、でも目を逸らすことができない現実で。それがとにかくストレスだった。
無理矢理笑みを浮かべてみても、こびりついた恐怖が消えない。映画を見たり料理をしても、頭から振り払うことができなかった。
「人間でいてくれよ、頼むよ。今まではずっと完璧に人間のフリができてたはずだろ?」
「……すみません、でも俺、新さんには気持ちも姿も偽れないんです」
俺に胸ぐらを掴まれてベッドに押し倒されている深谷は、痛む口を押さえてやや苦しそうにしながらも、はっきりと拒絶した。
視界が歪む。俺が頼んでいるのはそんなに難しいことなのか。どうして聞き入れてくれない?
「なんでだよぉ……」
「ごめんなさい、ごめんなさい新さん」
「じゃあせめてさぁ、精気吸うときは人間のままでいてくれよ……怖いんだよ、こんなわけわかんないもので好き勝手されるの……俺はなんの変哲もない、ただの人間なんだから……」
あぁ、また情けなく涙が出てしまった。俺はどうにもストレスが閾値を超えると泣いてしまうらしい。酒を飲んでも泣き上戸だし、涙腺が脆いんだ。
ぐすぐすと鼻をすすりながら手を離すと、深谷が起き上がった。
一度だけ咳をして、俺の泣き濡れてぐしゃぐしゃの顔を覗き込んでくる。
「新さんそれって、俺が人間の姿なら精気をあげてもいいって言ってる?」
「……あ?」
「嬉しい。新さん。俺がんばるから」
「あれ?」
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