触手とルームシェア

キザキ ケイ

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第七話 触手と恋人になんてならない!

7-1

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 虫の知らせ、よりもぼんやりとした予感。
 例えば休日の朝、いつもの起床時間よりずっと早くネコの嘔吐音で目が覚め、普段見もしないテレビの星座占いで最下位とか下から二番目とか言われ、食器を落としそうになり、油をケチって目玉焼きの端が焦げ、ドアの角に足の小指をぶつける。
 そういう、決定的ではないけど微妙に気にかかる不運や不注意が朝から積み重なると、なんとなく「今日は活動を控えて必要最低限で過ごそう」と思うものだろう。
 今の俺はまさにそれだった。

「じゃあ、行ってきますけど。一人で大丈夫ですか?」
「いってら。大丈夫だって、足の小指ぶつけたくらいじゃ」
「うーん……」

 靴を履き終わった深谷がなんとも言えない顔で俺を見返してくる。
 休日の朝にしては冴えないスタートを切った俺は、これ以上なにかをやらかしてしまわないよう今日一日家から出ないことに決めた。
 本当は買い出しに行きたかったんだが、明日でもいいし。と思っていたら深谷がその役を買って出てくれた。ちょうどショッピングモールで買い物をしたかったのだという。
 俺はこれ幸いと買い物メモを渡し、こうして玄関まで見送りに来た、のだが。

「なんだよ」
「……いえ。気をつけてくださいね」
「それはこっちのセリフだろ。いってらっしゃい、気をつけてな」
「はい……」

 露骨に後ろ髪引かれながら出ていった深谷の様子に苦笑して、リビングに戻る。
 できれば家事もせずに一日寝転んでいたいが、ここ数日小雨続きで溜まってしまった洗濯物だけは片付けてしまいたい。俺は腕まくりをしながら脱衣所へ向かった。
 買ったばかりの洗濯機はデカくて威圧感があるが、水も洗剤も少なく済んできれいに洗い上がると評判の最新型だ。
 ルームシェアを始めた頃、深谷はこの洗濯機の扱いに特に難儀していた。
 火事でなくなったアパートも社員寮も、かろうじて手回しではない、みたいな年式の洗濯機を使っていたそうで、ドラム式自体初めて見たという。洗剤を予め入れておく、と説明したら顔中疑問符だらけにしていてかわいかった。
 ……かわいいってなんだ。成人触手男性にそぐわない表現を用いてしまった。お詫びして訂正する。
 最新式なので乾燥もかなりの程度やってくれるのだが、やはり天日干しの爽やかな仕上がりには敵わない。下着などできるだけ毎日洗いたいもの以外は、こうして数日溜めてでもベランダに干すのが俺のポリシーだ。
 そんな細かい価値観のすり合わせを深谷相手にしたとき「意外と細かいんですね」とか言われたら嫌だなと思ったものだが、実際には「新婚さんみたいで興奮します」と言われた。もっと嫌だった。深谷という男はすべてにおいて俺の想像を越えてくる。

(あのちょっと気持ち悪い性格をなんとかできればな……)

 色んな意味ですっかり慣らされてしまったおかげで、もはや触手のことを気色悪いだとか気味悪いだとか思うことは一切なくなった。
 しかし中身の方には問題が山積みだ。
 ヤツは触手生物であり、人間とは根本的に異なった作りの存在なのだが、日々文句も愚痴もろくに言わず人間のふりをして仕事に出かけている。給料が出たら折半の生活費ももらっている。
 日常生活も、かなり努力している。料理や掃除やゴミの分別など、来たばかりの頃とはすっかり見違えた。
 それが俺との関係性となると途端に落第点となる。
 セフレだとはっきり言い渡してあるのにしょっちゅう彼氏ヅラしてくる。スキンシップも多すぎる。セフレの地位に甘んじてか毎週末襲いかかってくるし、一旦始めるとしつこいし長いしねちっこいし、性豪で絶倫でおよそついていけない。
 しかしもっと手に負えないのは、そんな末恐ろしい男とのルームシェアを解消するでもなく、文句言いながらも流されてしまう俺の方だ。

(でもなぁ。あのきりっとした男前が、眉下げて悲しそうな声出して、濡れた大型犬みたいにショボくれてると無視できないんだよな……)

 自他ともに認める飼いネコ溺愛男である俺だが、昔は犬派を自負していた。
 特に警察犬として有名なシェパードや狼のような見た目のハスキーなどが好きで、あまり触れ合う機会はなかったもののテレビの特集などで見かけると微笑んでしまうくらいには好きだ。
 深谷の印象はそれに少し似ている。
 だからといってヤツの要求は、躾のできる犬のそれとは比べ物にならない。あまり譲歩しすぎるのも良くない、俺のためにもあいつのためにも。

 なんて考え事をしている間に洗濯物が出来上がった。
 ランドリーバスケットいっぱいの衣類を抱えてベランダに出る。外は眩しいくらいの晴天だ。
 洗濯バサミに布の端を挟んでから引っ張ってシワを伸ばす。
 深谷のやつ、洗濯はかろうじてできたものの干すコツを知らなくて、乾いてクシャクシャなインナーとか着てたんだよな。やり方を教えて、ワイシャツとネクタイのアイロンがけを指導したら見違えるほど身だしなみが整った。あのときはちょっとした優越感というか征服感というか母性というか、なんとも言えない感情を味わった。

「ん?」

 ベランダにいると外の音はよく聞こえるが、家の中で何か物音がしても気づかないことは多い。よくそれで宅配の人をスルーしてしまい、不在票を見つけて申し訳ない気持ちになる。
 だから今、チャイムが聞こえたのはラッキーな偶然だった。
 干すものがなくなったバスケットを抱えて室内に戻ると、今度ははっきり音が聞こえた。ピンポーン、という長閑で間延びした音が響く。
 来客が嫌いなネコ次郎がとっくにどこかへ隠れた気配を感じつつ、リビングを突っ切った。

「はーい」

 来客の予定はないから宅配かな。俺はここ数日通販では買い物してないし、お歳暮やお中元といった時期でもない。深谷の方の荷物だろうか。
 念のため両方の苗字のシャチハタ印を掴んで、インターホンのディスプレイも見ずに玄関扉を開けた。

「……え」
「久しぶり。元気そうだね」
「……な、あ……?」

 そこに立っていたのは配達員さんじゃなかった。
 記憶にあるより伸びた髪。見たことのないワンピースと、見た覚えのあるバッグ。俺を見つめる眼差しは思い出そのまま。

「あ、アリサ……」

 にっこりと笑みを浮かべたその女性は、自らが浮気をして出て行ったとは思えない罪悪感の無さで俺の前に立っていた。
 なるほど、今週かに座の運勢最下位ってのもあながち嘘じゃないらしい。



 ドアを開けなければどうとでも対処できたが、開けてしまってはどうにもできない。
 俺はアリサをリビングへ通し、キッチンで来客用の緑茶を淹れた。
 彼女が好きなカフェラテのために冷蔵庫から牛乳を取り出しかけて、なんとか押し戻す。

「何しに来たんだ。荷物は全部持ってっただろ」

 よし。我ながら冷たい声を出せたぞ。
 俺の突き放した態度にアリサは大きな目をぱちぱち瞬かせて、そっと伏せた。
 それは俺に対して極めて効果的な彼女の仕草だった。これをやられてしまうと俺はどんなに相手が悪いとわかっていても喧嘩を続けていられなくて、なあなあで仲直りしてしまっていた。惚れた弱みってやつだ。
 だが今となってはそんなもの効かない。一瞬椅子から腰が浮きかけたがなんとか押さえ込んだ。

「用があったわけじゃないの。元気にしてるかなって思って」
「おう、この通り元気だよ。俺がいつまでもへこんで泣いてヤケ酒でもしてると思ったか?」
「違うよ! そんなんじゃないけど……」

 可哀想な風情で俯く彼女を視界から無理やり追い出し、内心深々と溜め息を吐く。
 アリサは元カノだ。
 同じ大学の同期。学部は違ったが話は合った。俺が猛アタックして付き合って、卒業後に就職しても別れることなく交際を重ね、新居たるこの部屋で同棲までしたが、他の男を選んで出て行った女。
 浮気が発覚して言い争いになり、酷いことを言ったし言われた。
 彼女はすぐに荷物をまとめて出て行って、おそらく外資系とやらの新しい彼氏のところへ転がり込んだのだろう。
 そんなアリサが元カレである俺とこうして俺の部屋で会ってることがバレたらまた修羅場になりそうだ。
 俺はやましいことなどないし、この先どう転んでもやましい展開になんてならないからどうでもいいけど。

 久しぶりな割に上手く淹れられた緑茶を啜りつつ、アリサの様子を伺う。
 まだ別れてから半年も経ってない。
 外見的に変わったのは髪の長さくらいか。入念に手入れされているダークブラウンの髪はゆるく波打って、メイクもファッションも完璧に合わせられている。
 いかにもかわいくてか弱くて、守ってやりたくなる女性だ。

(俺は本気で好きだったけど、向こうにはそんなの関係ないもんな……)

 こうして対峙していると、彼女が出て行った当時のボロボロだったメンタルを思い出してゆっくり沈み込むような絶望感が押し寄せてくる。
 これは俗に言う「顔も見たくない」という精神状態だと思うが、一度は結婚まで決意した相手を無下にはできなかった。

「そうだ。ネコ次郎は元気?」
「元気だよ。チャイム音に驚いて逃げたみたいだけど」
「相変わらずだね」

 くすくすと笑みをこぼすアリサの様子は、付き合っていた頃と寸分違わないように見える。
 当時もこうして、ネコ次郎の愛らしい行動を報告し合って笑い合った。彼女が引き取ってきたのに俺の方に懐いてズルいと言われたこともあったっけ。
 もう二度と関わらないだろうと思っていたのに。
 再会してみれば、案外普通に接することができるんだな、とどこか他人事でぼんやりと思う。

「まだ……ここに住んでるんだね」

 リビングを見渡しながらアリサがつぶやいた。
 彼女が最後に見たリビングと変化した部分はほとんどない。
 深谷を受け入れるにあたって整えたのは個別の部屋だけで、リビングは家具も家電もソファの位置もそのままだ。
 当初は未練がましい気持ちが確かにあったが、深谷との生活を開始してからは感傷に浸るどころではなく、休みの日だって買い物掃除セックスと過ごしていれば模様替えする暇もない。
 しかしアリサはそうは思わなかったようだ。
 俺の中に彼女への未練の切れ端を感じたのだろうか。俺をじっと見つめて目元を綻ばせる。

「あのね。ホントは新くんに謝りたくて今日来たの。あの時私、酷いことたくさん言っちゃって……私の方が悪いのに、新くんに非があるような言い方して……ごめんなさい」
「……」
「新くんがまだここに住んでて、懐かしいこの部屋を見れて、嬉しいって思った。ねぇ、また遊びに来てもいい?」

  俺はアリサの声を聞きながら、同時に二つのことを考えていた。
 まず、この女は何を言っているのかと。
 決定的な言葉は何一つ発していないが、彼女はおそらく今も例の浮気相手と付き合っているはずだ。
 長い付き合いの俺を簡単に切り捨てられるくらい高スペックの男とやらと。まったく俺の好みではない服を身に纏っている時点でお察しだ。
 なのに別れた男の家にまた来たいとは、どういう神経なんだろう。
 今の彼氏と上手くいっていないのか。もしくは別れたのか。
 どちらにしろ俺には関係ない場所でやってほしい。彼女とヨリを戻すことなんて考えられないのだから。

 そして同時に、最近俺は彼女のことをちっとも思い出さなくなっていたことについて考えている。
 少し前までは、家中どこを見てもアリサを思い起こしていた。彼女はこの家にあまり寄り付かなかったにも関わらず、だ。
 それが最近では───キッチンに立てばまだ料理が不慣れな深谷を連想して、脱衣所に来ればドラム式の洗濯風景に目を輝かせた深谷を思い出し笑いし、ネコ次郎を世話すれば深谷が触手を引っかかれてのたうち回ったことを思い起こして、自室にいてもベッドの上で深谷とどう過ごしたか思い返して体が熱くなる。
 あいつどんだけ俺の日常に侵食してるんだ。
 もはや俺のほうがよっぽどあいつのことを四六時中考えているような有様だ。
 やっぱりコレってそういうことなのか?

「なぁ。特定の相手のことをいてもいなくてもずっと考えちゃう現象ってさ。心を病んでるってことなのかな?」
「え?」
「ノイローゼ……いやトラウマ? 色んな場面で思い出すからPTSDとかになっちゃうのかな」
「あ、新くん……?」

 俺の予想外の言葉に驚きつつ困り顔をしたアリサは、一瞬溜めを作ってからにこやかに言った。

「それってやっぱり、恋だと思うよ」
「…………えぇー?」
「なんでそんなに嫌そうな声出すの? すてきなことじゃない! ね、それってもしかして、また私と」
「俺が深谷に……?」

 アリサが笑顔のまま固まったが、俺は自分の内心を推し量ることに忙しくて構っていられない。
 かつて惚れていた女がやってきたことで、くっきりと浮き彫りになった想いを認めたくなくて唸る。
 だって相手は深谷だぞ。入居初日に家主を丸め込んで強姦して、その後もなんだかんだと体ごと精気を貪る恐ろしい人外生物だ。
 そりゃ同居人としては悪くない。
 素直だし働き者だし、家事もゴミ出しもネコ次郎の世話も嫌な顔せずやってくれる。生きづらいだろうに人間として社会でしっかり生活基盤を築いていて、生活費も入れてくれるし買い出しも率先してやる。
 同居人としては得難いほどの逸材だ。
 ただし俺たちは恋人でもないのに性行為をする関係であって、それさえなければ……という注釈をつけていた。以前までは。
 近頃は俺のほうが(認めたくないが)人外セックスにハマりかけてて、ぶっちゃけ手持ちの大人のおもちゃではもう全然足りない。だからここ数日はおもちゃの引き出しを開けてすらいない。
 そもそも、俺が欲求不満になりそうなときは深谷が率先して処理してくれる。自分で慰める機会自体なくなった。
 いつだって「俺のせいにしていいですよ」と言わんばかりに、俺の罪悪感や後ろめたさを拭うような態度で手を出してくる。
 それでいて、こちらが勇気を出して明かした好意の一端にはまるで気づかずスルーしてしまう。これはまぁ、彼はちょっと前まで童貞だったし仕方ないか。
 真面目なのにちょっと鈍くて、俺にだけは嘘も隠し事もしないように振る舞う年下の男がかわいいと思っちゃってる事自体は、もはや否定のしようもない。
 俺の中で深谷は、ネコ次郎の次にかわいい存在になってしまっている。そのランキングに他の人間は入っていない。
 俺にとって深谷だけが、特別なのか。

「あの、新くん? その、フカヤさんっていうのは」
「あぁ、深谷は今のルームメイトでさ。この部屋一人と一匹じゃ広すぎるだろ? だからシェア相手を探したんだ」
「え……」
「そ。同性だよ。つってもあいつに性別の概念を適用していいものかどうか」

 アリサの脳内で深谷がオネェ系の容姿で浮かんでいそうだが、特に訂正はしない。

「あいつは前からずっと好意を伝えててくれたんだけど、やっぱ同性だしそれ以外にも色々あるし、俺は突っぱねてたんだよ。でもやっぱ一緒に暮らしてるとさ、あいつの未熟なところも良いところも見えてきて、拒絶し続けることも難しくなってて」
「へ、へぇ~そうなんだ……」
「にしても俺が深谷にって……はは、ありえねぇけど、むしろ今まで全然意識しなかった相手の方が深く惚れちまったりするもんだよなぁ」
「そ、そーだね……」
「あーあ。こんなことなら早めに追い出しとくべきだったよ。ま、そういうことだから」
「え?」

 椅子に座ったまま呆けているアリサを立たせ、背中を押して玄関まで連れて行く。最後にバッグを突きつけ、自然と浮かんだ笑顔のまま告げた。

「今はここ、俺と深谷の家なんだ。おまえも今の彼氏が大事なら、もうここには来るな」

 何かを言い募ろうとして、口を噤んだアリサの顔は見なかった。
 彼女を断固として拒絶した俺が言うことじゃないが、正直あいつの泣きそうな小動物っぽい顔を見たら決意が揺るぎかねない。俺は昔からアリサの眉の下がった顔に弱かった。
 今好きなやつは、男だし俺よりガタイが良くてイケメンだし、元カノに似たところは全然ないけど……俺を求めて情けない顔をしたときだけは、ちょっと小動物感あるんだよな。
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