吸血鬼様のごはん

キザキ ケイ

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伯爵邸の寝床問題

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 お茶をいただきながら話を聞いていたシャオは、途中から笑みを隠しきれなくなっていた。
 クリスが「と、いうことなんですが……」と一応話を終わらせたとき、シャオは絵に書いたような悪徳商人の全力笑顔で何度も頷いた。

「いやぁ、わたくしは自分の才覚が恐ろしい!」
「はい?」
「たしかにわたくしは吸血鬼の情報の対価として、あなたの血液を要求した。しかしそれはあくまで、吸血鬼のそばに長くいた『人間として』の血を求めたに過ぎません。それがまさか……吸血鬼の眷属の血を譲り受けられるとは!」

 これが賢い投資というものですね、とにこにこニヤニヤ笑うシャオから少し離れたところに座るウルリクは、限界まで顔を顰めているせいで美しいかんばせが古布のようにしわくちゃになってしまっている。

「忘れるな、商人。おれは眷属の血を一滴たりともよそへ渡したくなどないのだ。クリスがどうしても義理を通したいと言うから仕方なくだぞ」
「わかっておりますとも、伯爵。いただいた血液は研究にのみ使用し、絶対に他人の口に入ることのないように、ですよね」
「そうだ。約束を違えたときは、おれの牙がどこまでも追いかけておまえの喉笛を噛みちぎってやる」
「おお怖い。恐ろしい吸血鬼伯爵を敵に回そうなどと、小心のわたくしが思うはずがないじゃありませんか」

 「嘘くさいなぁ」と思う吸血鬼たちの視線を尻目に、商人はクリスの腕に刺していた針を慎重に抜き取った。
 密封できる瓶に収められたのは、クリスの血液だ。
 吸血鬼に噛まれても死ななかった人間は、逆に吸血鬼の血や唾液を媒介に肉体を変容させ吸血鬼と似た存在へ変わる。
 それが「眷属」だ。
 吸血鬼より脆いが不死に近くなり、老いなくなる。吸血鬼のように血を糧に生きるようになる。
 それ以外の体質については、祖となった吸血鬼から要素を受け継ぐ。ウルリクは魔物として最高位の吸血鬼であるため、銀の杭もにんにくも弱点とはならず、日光もそれほど嫌がらない。ただウルリクは肌が白いせいか、日焼けが炎症を起こすため夏でも長袖を着ている。その程度だ。
 唯一、聖職者が作る「聖水」と呼ばれる浄化された水は弱点で、触れれば火傷し飲めば一週間は寝込まなければならない。(寝込む程度で済むものを弱点と呼べるのか、クリスは不思議に思ったが尋ねなかった)
 それから、糧となる血液を摂取しないことで力を失い、肉体を失くして眠りにつくことも弱みと言える。
 眷属であれば一年ほど、ウルリクほど力があっても十年の絶食が限界だ。

 ウルリクもかつては食を断ち、再び目覚めたあとも十年で消え去るつもりでいた。
 食糧兼下働きとして買った少年クリスに、親のような愛情を抱き始めていたウルリクは、人間であるクリスの将来を案じて血を飲むことはせず、彼の人生からそっと退場するつもりだった。
 まさかクリスがウルリクに対し並々ならぬ熱情を抱き、眷属になってまで繋ぎ止めようとしてくるなどとは思わず、ある意味彼の策略にはまるような形で血を吸い、クリスを眷属とした。
 ふた月ほど前のことであるが、あの日の驚きは今でも鮮明に思い出せる。
 ウルリクが過去に思いを馳せている間に、シャオは片付けを済ませクリスに向き直った。

「さてクリスさん。今日は対価のお支払いだけではないと伺っておりますが」
「あぁ、はい。この度ウルリクさまのための新しいベッドを設えるにあたって、この辺ではウルリクさまに相応しい最高級の布や綿が手に入りにくいので、シャオさんに手配してもらおうと思って」
「何?」

 驚いたのはウルリクだった。
 シャオはほくほくと嬉しそうにカタログを取り出そうとしている。それを制し、ウルリクはクリスへ詰め寄った。

「おれの新しいベッドとはなんだ。ベッドならある」
「ウルリクさま、地下のアレは一般的にベッドとは呼びません。あれは……棺です」

 それのなにがいけないのかとウルリクは腕組みして鼻を鳴らした。
 由緒ある古式ゆかしい吸血鬼であるウルリクは、人間の国に根を下ろすにあたって故郷から寝具を持ち込んだ。それがあのベッドである。
 たしかに四角くくり抜いた石の寝台に石の蓋がついているから、石棺と見る向きもあろうが、あれこそが正式な吸血鬼のベッドなのだ。
 それに石製といえど中はやわらかい綿をたっぷり詰めているし、隙間のない一枚岩を使っているから寝ている間に砂になっても一粒も欠けることなく再び元の肉体を取り戻せる。
 砂が肉体に戻るときに量が足りないと、内臓が欠けたまま再生したりするから一大事なのだ。
 そんなことを説明すると、シャオはとても痛そうな顔をした。
 クリスは、痛ましそうな顔をした。

「ウルリクさま。クリスがお側にいるかぎり、共にいてくださるとおっしゃったではありませんか。約束を違えるおつもりですか?」
「約束を破る気はない。だが不意に砂になったとき、ふつうのベッドでは砂粒がこぼれてしまう」
「砂になどさせません。愛しい我が主……」

 腰を強く抱き寄せられ、椅子に座るクリスの膝に向かい合わせで腰掛けるような形にされた。
 シャツの襟元から首筋に吸い付かれ、ウルリクは息を詰める。
 クリスの膝の上で甘い口づけを受けるその格好は、さながら毎夜の「食事」のあとに付随する行為を思い起こさせる────。

「あーちょっとちょっとお二人とも、わたくしがまだいるので待ってください」
「んッ……なんだ、まだいたのかシャオ」
「呼びつけておいてひどい人たちですね……あぁもう人ではないのか。なら仕方ないか……」

 商人シャオは手際よく持ち物を片付け、挨拶もそこそこに去っていった。
 後日布と綿の見本を送る、と言い捨てていった言葉を、クリスは聞いていたのかいないのか。
 すっかり互いに火がついて、服の裾から肌をまさぐることしか考えられない二人にとって、目の前の相手以外のことはもはや些事だった。

「愛しています、ウルリクさま」
「あぁ、おれもだクリス。早く寝台へ連れて行け」

 命じるやいなや、クリスはウルリクを軽々と抱き上げ運び、自身のベッドへそっと下ろした。
 それから許しを請うようにウルリクの手の甲へ口づけ、するりとシャツの袖を捲り上げる。現れた病的に白い肌に軽く犬歯を立て、上目遣いでお伺いを立ててきた。
 ウルリクはくすくす笑いながら、愛し子の額へキスを落とすことで許しの代わりとした。
 肌を歯が貫く感覚に目を眇めることになっても、胸の奥から溢れて止まらない愛情に変わりはない。
 従者であり、眷属であり、恋人であるクリス。
 その三つの要素が彼の中でどう折り合いをつけているのか、また折り合いなどつけられていないのか、想像しながら彼に己を許すことがウルリクは楽しくなっていた。
 牙を突き立てて血を吸いたくてたまらないのに、同じくらい舌で肌を愛撫し跡を残したいと思っている、そのせめぎ合いを全身で感じるのが好きだ。

「ぁ、クリス……もっとこちらへ」
「はい、ウルリクさま」

 抱きしめられる形になり、クリスの顔が首筋に埋まる。
 血を吸われるか、肌を吸われるか。どちらの快感が来るかその瞬間にならないとウルリクにはわからない。
 戦慄に似た快楽に震えるウルリクを、クリスは愛おしくて仕方ないとばかりに掻き抱いた。

 いつものように腰が立たなくなるほど精を吐き出させられ、血も吸われ、ウルリクは力なくベッドに寝そべっていた。
 クリスはいない。あたたかい湯で濡らした布でウルリクを拭くために台所へ行っている。
 指先を滑らせたシーツはやわらかく、その下の綿の層はウルリクをしっかりと受け止めている。さらに下には木製のフレームがあって、絨毯、板葺の床へと続いている。
 目を閉じると、空腹の果てに砂となったかつての記憶を鮮明に思い出せる。
 少しずつ形を失い、崩れていく自身を、ウルリクはいっそ誇らしく感じていた。
 人と共に生きると決め、それをやりきったことで初めて、故郷を捨て、敵側として同族を殺してきた自分が報われたと思えたのだ。
 達成感に包まれて目を閉じたウルリクが安堵の中で長い眠りにつけたのは、やはりあの石のベッドの存在が大きい。砂粒一つ取りこぼさないあの石台は絶対に必要だ。
 しかし今のウルリクにはもう一つ、大事なものがある。

「ウルリクさま、お体を清めさせていただきます」
「あぁ……」

 湯を持って帰ってきたクリスが、恭しい手付きでウルリクの体を清拭していく。
 その手付きをじっと見つめた。

「クリス」
「はい、ウルリクさま」
「おまえ、共寝をしたいのか」

 肩を拭いていたウルリクの手がびくんと震える。
 図体は大きく育っても中身はそれほど変わらない。隠し事のできない純朴な男だ。

「なるほどな。夜毎どんなに引き止めても地下へ寝に帰るおれを、寝心地の良いベッドで釣って寝過ごさせようとそういう魂胆か」
「いえあの、そんな、邪な考えは決して」
「勝手におれのベッドを設えようとした者がどう言い繕ったとて」
「は……すみません……」

 石のベッドはウルリクのためだけに作ったものだから、窮屈すぎてクリスと一緒に寝ることはできない。
 かといって毎夜抱き潰しても、ウルリクは律儀に自分のベッドへ戻ってしまう。
 考えあぐねたクリスは苦肉の策として、ウルリクが離れがたくなるような寝心地の良いベッドを用意しようと思ったらしかった。

「ふ……くっくっく……」
「わ、笑わないでくださいウルリクさま。これでも真剣に考えて」
「ははは。それがおかしいと言うのだ。まったく愛いなぁおまえは」

 高い位置にある頭をぐりぐり撫でて、金の髪をくしゃくしゃにしてやると、クリスは困ったように笑った。
 ウルリクが石のベッドに戻ってしまうのを防ぐために、石のベッドのほうを排除するのではない。こっちの寝床は快適だよと、控えめに誘うことしかできない健気な恋人に、ウルリクはますます笑みを深くした。
 まるで、立派な巣を作れば求愛を受け入れてもらえると一途に信じる小鳥のごとき愛しさ。

「よかろう。我が従者クリスよ。千年を生きる吸血鬼伯爵にふさわしい寝台を用意せよ。おれのめがねに適うものを用意できたあかつきには、その寝台で毎夜の共寝を許す」
「えっ……は、はいっ、全力を尽くします!」
「励めよ。あぁそうだ、せっかくならベッドヘッドに彫刻を施せ。足にもだ。吸血鬼と眷属が眠るのだからな、強そうで高貴な図柄であるぞ」
「はい、ウルリクさま」

 一月後、クリスの手づから作られた木製フレームに、豪奢な布とたっぷりの寝藁と綿を使ったマットレス、きめ細かい絹のシーツに、最高級の羽毛と毛皮で作られた掛け布団が立派な天蓋カーテンと共に設置された。
 伯爵邸は一度破壊され風化し、再建された今は質素な石造りの小さな家であるため、ベッドだけが異様に豪華になってしまい、ウルリクは目を見開いて驚いた。
 しかし至極満足そうな恋人の顔を見て嗜める気も失せてしまった。

「おれにふさわしい素晴らしい寝台だ。しかしデカいな……」
「す、すみませんウルリクさま。これより小さいものは、その、わたしの足が入らなくて」

 ウルリクは横に立つ眷属を上から下まで眺め、納得した。

「それならば仕方ない。さっそく寝るか」
「えっ。まだ日が高いですが」
「構わんだろう、休みの日くらい。おまえは寝ないのか?」
「いえ、お供します」

 掛け布の量を調節し潜り込んだウルリクの横に、遠慮がちに入ってきたクリスをウルリクは強く抱き寄せた。
 服越しにも熱く波打つ鼓動が感じられ、それ以上に火照り始めている体にくすりと笑みを零す。

「ふふ。夜まで我慢できないのはおまえのほうだな、クリス」
「申し訳ありませんウルリクさま……ウルリクさまが、わたしの設えたベッドにいてくださるのだと思うと……」
「許す。おまえの望むようにせよ、我が眷属よ」

 純朴で穏やかな青年の瞳が、捕食者の色に変わる。
 首筋に鋭い牙を突き立てられながら、ウルリクは満足感に身を震わせた。熾火で炙られる体が、クリスの求めで従順に開いていく。
 愛し子が設えた巣で貪られる我が身は、伴侶か獲物か。

「可愛いクリス。おれのものだ……」
「はい、ウルリクさま」

 吸血鬼の流儀を曲げてでも、眷属の心の安寧を守ってやりたいと思う。
 それはウルリクにとってクリスがもはやかけがえのない存在であることの証。
 飢えた魔物たちの狂宴は明るい時分から始まり、深夜になっても終わることがなかった。
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