吸血鬼様のごはん

キザキ ケイ

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伯爵と従者と町民たち

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 王都から遠く離れた、山と平野だけがある一地方。
 田舎にしてはまぁまぁ栄えた一地方都市、その商店街エリアからほど近い丘の上には、何十年も吹きさらしの廃墟がある。
 いや、あった。
 現在は石造りのこぢんまりとした建物があり、人が住んでいる。
 数年前、かの地にある日突然現れたのは、まだ幼さの残る少年であった。
 のちに彼には伯爵位を持つ主人がおり、あの廃墟に住んでいるとわかり、廃墟に貴族が住み着くという前代未聞の事態に町は大層混乱した。しかし強固な縄張り意識を持つほどド田舎でもない地方都市、町長含め住民はみなしばし静観の構えであった。
 ひとえに、従者の少年の人当たりがよく、いたいけで、金払いが良かったためである。

 しかしあるとき、廃墟から男が下りてきた。
 少年を従え、なんとも偉そ……気品に満ちた所作で現れたのは、自称ウルリク・ミルヴェーデン伯爵。
 かの伯爵は少年の馴染みの店でいともたやすく金貨を出し、すれ違う婦女をその美貌で虜にし、かと思えば方々ほうぼうで職を求める問いかけをしていったという。
 さすがに不審であると町のお偉方で話し合いが持たれ、廃墟に住む彼らが何者か確かめることになった。
 町長とその側近、それから町内議会の議員が数名、丘の上の廃墟へ押しかけ、それから数時間で帰ってきた。
 物見高い町民たちは丘の麓で彼らを待ち受け、戻ってきた町長たちに話を聞こうと群がった。
 しかし町長たちは言葉少なだった。
 彼らがあの土地に住む権利が間違いなくあること、爵位は正式なものであること、所持金は悪事で得たのではないことなどを確かめ、代わりに廃れた教会で教師をするという職を斡旋して帰ってきたという。
 町民たちは、なんとも歯切れの悪い町長の様子に疑問を抱き、さらに深く彼らを探れないのかと訊いた。
 町長はわずかに口ひげを震わせ、首を振っただけだった。

「深入り……いや、刺激しない方がいい」

 そう言っただけで、彼らについてはほとんどを黙認するということに決まったということであった。

 美貌の伯爵ウルリク・ミルヴェーデンは、ミステリアスで、高貴で、叡智に満ち、なのに気さくで砕けた人柄で町の淑女および少年少女たちに大人気である。
 毎日のように子どもを介した食品による貢物合戦が起こっていて、しかし伯爵は少食であるため彼の従者クリスに貢ぐしかなく、それも量には限界があり、タイミングによっては受け取ってもらえない。かといって装飾品や日用品など形の残るものは受け取ってすらもらえない。
 ではと直接伯爵家に押しかけたり、接触したりしようとすると、周囲から袋叩きに遭う。
 町という小さなコミュニティから弾かれんばかりに糾弾されかねないので、女たちは互いを牽制しあっていた。

 しかし何事にも例外はある。
 町外れの牧場から、伯爵邸に直接牛乳と卵を配達するピーター少年。
 それから、従者の青年クリスが少年だった頃から親しくしていた八百屋のマーサ夫人。
 彼らだけは、伯爵邸に物資を届け、伯爵と直に接する機会を日常的に持つことが許されているのだ。
 必然、ピーターとマーサのポジションは町民から常に注目され、狙われていた。



 アナベラは思わずスキップしそうになり、腕に下げたカゴを気にして慌てて足の暴走をおさめた。
 飛び跳ねたい気持ちは一歩ごとに高まっていたが、カゴの中身をぶちまけてしまえば本末転倒である。カゴにはいくつかの瑞々しい野菜、果実、それから隣家の肉屋から預かった燻製豚のブロック肉が入っている。
 これらは普段は、アナベラの母マーサが伯爵家へ届ける食材だ。
 しかしマーサは今朝から腰を痛めており、急遽代役が立てられることとなった。だが本来であれば、若い女であるアナベラが選ばれることはないはずだった。
 買い付けに行った父が夕方まで戻れないこと、近隣の年配者も用事があったり出払っていたりと、奇跡的な確率の偶然で、手の空いているものがアナベラしかいなかった。
 湧き上がる歓喜を、頬の内側の肉を噛むことでなんとか顔に出さないようにしているアナベラに、マーサは大きく嘆息しつつ宅配を命じてくれた。
「くれぐれも、絶対に、粗相のないようにね」と念押しされた。あんなに真剣な表情の母は滅多に見られない。
 アナベラは表面上神妙に頷いたが、心は美貌の伯爵の元へ飛んでいってしまっていた。

「ふふふ……伯爵様を近くで見られるうえにお話までできるかもなんて、あたしってばなんて幸運なんだろ!」

 アナベラはまだ嫁に行っていないので子がなく、伯爵が教師を務める教会の青空教室と接点がない。かといって自身が生徒として通う年齢も過ぎてしまっていたので、こうでもしなければ伯爵を近くで見る機会すらないのだ。
 伯爵は若く見えるが、それなりの年齢のはずだとは周囲の大人の言である。なのに未だに独り身である。
 つまり、町の未婚の娘たち全員にチャンスがあるということ。

「ぐふふ……」

 淑女らしくない笑みがこぼれてしまい、アナベラは慌てて口元を引き結んだ。
 そんな彼女の背後に、がらがらという音が近づいてきた。

「はいどいてどいて~邪魔だよ~」
「ぎゃっ」

 アナベラの背中にどんと何かがぶち当たり、道から弾き出された。
 カゴがひっくり返ることだけはなんとか阻止して、怒りに満ちながら不届き者を振り返る。
 伯爵家へ荷車を引いていくものは一人しかいない。牧場のピーターだ。
 しかしそこには予想に反し、女がいた。

「あ、あんたシビル! なにやってんのよ!」

 荷車を引くのは、サロペット姿の少女シビルだ。
 町の反対側に住んでいるので接点は少ないが、機械工の父にくっついてアナベラの家の方に来ることもある。栗毛にそばかすの、気が強い女だ。

「何って、配達。見ればわかるでしょ。アナベラこそなにやってんのよ、そんな気合いの入ったドレスなんか着て」
「あたしだって配達よ!! 牧場からの配達はピーターだけのはずでしょ、なんでシビルがいるのかって聞いてんのよ!」
「ピーターがケガしたのよ。大したケガじゃないけど足だから、大事を取って今日は休むことになったの。だから今日の配達はわたし」
「えっ。ピーター大丈夫なの?」

 牧場の息子ピーターはまだ若いのに働き者で、朝は牧場仕事、昼は伯爵の教室へ通い、夜は町のレストランで給仕の手伝いまでしている。
 その真面目さが気に入られたのだろう、伯爵とも従者クリスとも仲が良く、クリスと歳が近いこともあって彼の親友のような存在と位置づけられている。
 だからこそ、伯爵に近づこうとする女子たちをブロックするためにピーターが配達の役目を放棄するとは考えにくかったのだが。それほどケガの具合が良くないということではないのか。
 おろおろと心配するアナベラに、シビルはやや警戒を解いたようだった。

「大丈夫だって。血が出たとかじゃないんだけど捻っちゃって、歩くと痛いって。ちょうどパパが修理で牧場に来てたときだったから、わたしが代わりに行くって言ったの。わたしは教室の卒業生だし、伯爵ともクリスとも面識あるから」
「あぁ、あんた卒業生だったのね。いいなぁ、伯爵の教室に通えたの。あのきれいなお顔を直視して許されるなんて……」
「……そんなにいいものじゃないよ」

 アナベラは目を見開いた。
 年頃の少女たちはみな夢見るように伯爵に恋い焦がれているものだと思っていた。しかしシビルに浮ついた様子はまったくない。

「シビルは伯爵狙いじゃないの?」
「違う。狙ったってあのひとはどうにもならないわ」
「ど、どういうこと……?」
「無駄話してないで行くよ。牛乳の鮮度が落ちちゃう」
「あ、うん」

 謎めいたシビルの言葉が気にはなったが、アナベラはそれ以上問うこともできず、荷車を後ろから押してやりながら丘をのぼっていった。

「こんにちは~。配達に参りました~」

 ドアノッカーをこつこつ鳴らし、しばし待つ。
 ほとんどは従者クリスが応対するが、稀に伯爵がマーサやピーターを労いに玄関まで出てきてくれることがあるそうだ。アナベラはそれが狙いだった。
 シビルと並んで待つ。
 しかし、誰も出ない。

「あれ……留守かな?」
「留守なら裏の厨房に納品することになってる。こっち」
「う、うん……あー、会えもしなかったか……残念」

 がっくりと肩を落とすアナベラに、シビルはちらりと視線を向けた。

「アナベラは不思議に思わないの」
「え? なにを」
「ろくに会ったこともない伯爵に、町中の女の子が夢中なの。おかしいと思わない?」
「えぇ?」

 シビルの指摘に考えてみる。
 たしかに伯爵を見かけたのは数回だけ。会話をしたこともない。伯爵にお熱な他の女友だちも似たりよったりの状況だ。
 ただ、人によって度合いに違いはあろうが、みな伯爵に憧れている。
 いつだって一目見たいし、お話できたら天にも昇る気持ちになるだろうし、どうにかお嫁さんの座に収まれないかと企んでいる。それでなくとも、あの美しいひとがアナベラの手を取って微笑んでくれたら、なんでも捧げてしまいたくなるだろう。
 妄想で鼻の下が伸びるアナベラに、シビルはため息と共に吐き捨てるように言った。

「伯爵が吸血鬼だって噂、知ってるでしょ」
「え、あぁもちろんよ。5年前に町に来てからずっと美しいままだからって」
「そうじゃないわ。……たぶん、噂は事実よ」
「えぇ? シビル、頭でも打ったの?」
「わたしがおかしいんじゃない。教室に通った子は、みんな多かれ少なかれ噂を事実と捉えてる」

 ミルヴェーデン伯爵が吸血鬼である、という噂は、伯爵本人が広めたものだと言われている。
 彼は変わり者のようで、吸血鬼らしく扱われることを好むが、かといって誰かを襲って血を吸ったり、ニンニクを嫌がったり日光に当たれなかったり、なんてことはない。
 そもそも本当に吸血鬼なら、教会で勉強を教えるなんて役目できないはずだが。
 アナベラは噂に懐疑的だったが、シビルは心底信じているようだ。
 しかしだからといって……伯爵が吸血鬼だとして、今までの話になんの関係があるのか。

「わたし、本を読むのが好きで。吸血鬼のことも調べたことがあるの。吸血鬼は色んな能力を持っていて、血を吸うために、女や子どもを魅了する力があるのよ」
「魅了って……じゃあ、あたしたちが伯爵を好きなのは、伯爵が本物の吸血鬼で、あたしたちを魅了してるってこと?」
「そうかもしれない。だからわたしは、必要以上に伯爵には近づかないようにしてた」
「そんな……」

 自分のこの恋情が、異形の異能かもしれない。
 ぞっとして立ち尽くすアナベラにシビルは背を向けて、荷車の荷物を出し始めてしまった。慌ててアナベラもそれに続く。
 納品する場所は厨房の中だ。念のため裏口のドアもノックして、応答がないことを確認してからそっと押し開ける。

「失礼しまーす……配達でーす……」

 伯爵邸は質素で、とても貴族の居には思えないとみなが言うが、たしかに覗いた厨房は一般家庭のそれと変わらない程度の造りだった。
 しかしあんな話を聞いてしまったあとだと、薄暗い石造りの部屋が不気味な魔物の住処に思えてしまう。
 アナベラはぶるりと身震いし、さっさと納品を済ませるべくシンクの手前の木箱へカゴの中身を移し始めた。

「……から、……ま」
「えっ」

 どこかから声が聞こえる。
 口を抑えて固まったアナベラの横にシビルがやってきて、唇の前に指を立てた。静かに、という合図。

「クリスの声だ。たぶん伯爵もいる。会話を聞けば、もしかしたら伯爵の秘密を暴けるかもしれない」
「えっ、シビル」
「黙って。……近づいてきた」

 二人はしゃがんで縮こまる。
 たとえ厨房の入り口が開けられても見えない位置だが、見つかれば咎められるのは間違いない。
 アナベラは小さく体を折って黙り込むことしかできなかった。

「いたか?」
「いえ……」
「ほら、気のせいだ。それよりおまえその格好で表に出るつもりだったのか」
「あ、いえ、その」

 がさごそと物音がして、クリスとウルリク伯爵が玄関を確認しに行ったらしいとわかった。
 それにしても、表に出られない格好とは。

「ほら、血がついてる」
「あ、失礼しました」
「あっこら、舐めるな。おい、そっちは違うぞ」

 アナベラの脳内に疑問符が増え始める。
 どうやらクリスは出血しているらしい、と思ったのだが、その後クリスはウルリクを舐めたらしい。伯爵を舐めるとは?

「ん、ふふ。まだ足りないのか?」
「はい……」
「構わん、許す。腹いっぱい飲むがいい」

 潜めた声、甘い喘ぎ声、それからとろけきったクリスの声。

「ウルリクさま……」
「ん、ベッドに戻るか。あぁ待て、このまま体をつなぐとおれが貧血になる。その前におまえのを飲ませろ」
「えっ、あ、飲むのはそちらですか」
「おまえの肌に穴を開けるのはなるべく避けたいからな。おれが咥えるの、好きだろう?」
「う……はい……」
「素直だな、愛いやつめ」

 二人分の足音が遠ざかっていき、どこかの部屋が閉まった音がした。
 きっと、少し前に町の大工たちが監修したという特大サイズのベッドになだれ込んだのだろう。このままここにいれば、ぎしぎしという音が聞こえてきそうで。
 アナベラはそっと音を立てないように裏口から外へ出た。シビルも続く。
 二人とも、帰り道はしばし無言であった。

「……漏れ聞こえた会話からは、伯爵が吸血鬼かどうかは正直わかんなかったけど……」
「うん……」
「あの二人、そういうことだったのね……」
「だね……」

 呆然としながらも、シビルが話した曰く。
 シビルが青空教室の生徒として通った二年ほど、従者クリスとウルリク伯爵の仲の良さは周知の事実であり、生徒たちも当然のこととして受け入れていた。
 クリスは伯爵の唯一の従者であるし、青空教室の生徒第一号でもあるし、特別なのだろうと受け止めていた。
 たしかに従者と主人にしては距離が近いと思わないこともなかったが、生徒も町民も他の貴族など見たことがないのでこういうものかと理解していた────とのこと。

「まぁそう思うよね……あー、伯爵もクリスも浮いた話がないの、そういうことだったのかー。納得」
「幻滅した? アナベラ。それとも失恋?」
「いやぁ、あたしのはさ、あわよくば貴族のお嫁さん、ってのもあったけど、憧れが強いというか……だから失恋って感じじゃないかな。心底残念だけど」
「じゃあ、他のみんなに話す?」

 そう聞かれ、アナベラは考えた。
 アナベラはこの程度のショックで済んだが、友だちの中には本気で伯爵を想い、または伯爵夫人の座を狙っているものもいる。町全体の若い女性のうち、ともなれば少なくない割合だろう。
 彼女たちにさっき見聞きしたものを話したとして、信じてもらえるとも思えないが、もし話が受け入れられたら。
 過激派の彼女たちの矛先がどこに向かうか。
 それはきっと、勝手に愛して裏切られた地位の高い者ではなく、それより立場が弱いもの。

「んーん。伯爵にもプライベートってものがあるもん。それにあたしが噂を言いふらしたからって、伯爵がうちの店のご贔屓やめちゃったら大損害だし」
「……そうだね」
「シビルはどうするの?」

 シビルは伯爵が本物の吸血鬼で、町の女たちに魅了の異能を使っていると疑っていた。
 魅了云々の真偽は掴めなかったが、伯爵に良くない噂が回ればそれは「伯爵の魅了」の被害を減らすことに繋がらないこともない。
 しかしシビルは首を振って、それ以降はなにも言わなかった。



 腰を痛めた八百屋のマーサは、三日後になんとか直立できるようになった。
 しかしそれでも重いものを持つのはつらく、マーサの抜けた穴は娘のアナベラが埋めていた。
 今まで化粧だの服だの恋だの愛だのと、ふわふわしたものにばかりうつつを抜かしていた娘は、近頃見違えたように家の手伝いをするようになっている。
 伯爵の邸へ配達に行かせてからだと、マーサは気づいていたが、問いかけることはしなかった。
 アナベラが伯爵とその従者になにか粗相をしたのであれば、マーサの元に苦情が入らないはずがない。貴族というものが、馴染みとはいえ下々の民の無礼を許すほど寛大ではないことはわかっている。
 しかし伯爵からは音沙汰なく、アナベラも何も言わない。
 結局マーサは、アナベラが仕事に積極的になったというその事実のみを歓迎するに留めた。

 後日、伯爵の直筆の署名と労りのメッセージが書かれたカードが、小包と共に八百屋と牧場に届けられる。
 小包には瓶に詰められた怪しげな軟膏が入っており、その軟膏はにおいこそ酷いが、ひと塗りすればキズや捻挫に大層よく効いたという。
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