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海を越えた通信を現実にしよう
しおりを挟むさて、トーマス・スミス君、ここからが本題だ。ホィートストーン博士の実験とブレット兄弟がどう関わってくるか、そこに話の焦点を絞ろう。私が居合わせてもいない一八四五年のロンドンの街角の様子を語ったのは、そこがブレット兄弟にとって画期的な年だったからだ。
鉄道に興味を持っていたとはいえ、線路ではなくなぜケーブルの方にブレット兄弟の興味が移ったのかというのを、昨今流行りの小説の主人公のように観察から断定的に語ってみようか。
弟のジェイコブが元々は技師で鉄道に恋い焦がれていた話はしたな。そして兄弟は鉄道会社に投資をしていた。しかし、その頃にはすでに、ジェイコブの興味は通信に移っていたようだ。彼らがハノーヴァー通りに居を構えたのは一八四一年だったが、社交界(政界も含む)に近しくなったことで、産業における最新技術の情報も十分に得ることができた。
このような新しい技術が開発されたとか、誰それが何々の会社に投資した、あの会社はこれこれを実用化するらしいといったことまで耳にすることができたろうさ。その一つにホィートストーン博士の実験の話もあったんだろう。ジェイコブは興味津々だった。
それはたいへんロマンのある話だった。
海を越えて、人々が言葉を伝え合うことができる。ドーバーを越えて、大西洋を越えて、さらにはインド洋も太平洋も越えて、世界のどこの地域や国とも言葉をやり取りできる。
陸から海へと彼らの興味が飛躍的に増したことは想像に難くない。
そうそう、ジェイコブ・ブレットは事業に着手する前から分からないことがあると、当事者に手紙を出して尋ねてもいるのだよ。ホィートストン博士にも照会をしている。後年だが、モールス博士(※1)ともやり取りをしていた記録がある。こと新しい技術というテーマならば、彼は大変な社交家だった。
それはブリストルではなくロンドンにあるからこそ得られる特権でもあるだろう。
画廊の穏和な支配人は、この新しい技術が現実として人間の手に入るときを、胸昂らせて待っていたに違いない。そして、それを現実にすることに挑戦したいと願うようになった。そして兄のジョン・ワトキンスも弟の考えに賛同し事業に着手すると決めたのさ。私が一八四五年にロンドンを闊歩する兄弟をまず思い浮かべたのは、当てずっぽうではなく、まさにそれに着手する時だったからだよ。
彼らの動きは早かった。七月には会社設立の申請をし、当時のロバート・ピール首相に趣意書を提出した。社の書庫にあった資料をさっき引っ張り出してきた。これだよ。
〈准男爵ロバート・ピール(首相)閣下、
ロンドン 7月23日 MDCCCXLV.
私たちは、下名が特許を取得した海洋および地下の内陸電信による一般的な通信と、安価で効率的な計画にもとづく建設のための案を閣下に提出することを光栄に思います。
この電信によって、ロンドンやその他の場所からあらゆる通信が瞬時に送信され、英国や植民地の最も離れた場所に、ほぼ同じ瞬間に印刷された形で届けられるでしょう。
この発明が政府にもたらす利点と力は、政府がこれを自らの管理下に置き、この一般的な電信通信の計画を手配し実施することを、最も重要なものとするものです〉
とまあ、このような公式文書を引っ張り出して君に示すのは興ざめな行為かもしれない。それでも私にとっては『ストランド・マガジン』巻頭作品に匹敵するストーリィの一部なのだ。そしてストーリィではあるが、事実だ。私の話が嘘八百だと一瞬でも疑われるのは堪忍ならないからね。
もうしまっておこう。
酔っぱらって大事な書類をパブに忘れるというのはよくあることだが、あまり後で思い出したくない失態だからな。
さあ、ここからが彼らの本当の冒険だ。それにはたくさんの道具が必要だ。スミス君、きみなら分かるだろう。彼らが何を用意する必要があったか言ってみたまえ。
「そうですね、今主幹がおっしゃっていたガッタパーチャ被覆のケーブルは無尽蔵に必要でしょう。早いうちに原料の確保も含めて注文しておかなければならない。ドーバー海峡とフランスのカレー間は一八海里(約三四km)ぐらいでしょうか、ケーブルがそれだけでは足りない。何しろ海に沈めていくのですから。ドーバーの水深は深い所で一五〇フィート(四六m)程度だといわれているから、最低二〇海里分(約三七km)は欲しいところですね。あとは……船か。ケーブルを載せて沈めていく船が必要ですね。一隻では足りないのではないでしょうか。あとは、ケーブルを運搬する荷馬車がなければ、どうしようもない。ガッタパーチャケーブル製造工場からドーバーの港まで二〇海里分を積んでいくとなると、どうなるのでしょう……」
そうだな。きみならばそれぐらいの想像力は当然持ち合わせているはずだ。ただし、ケーブルはすでに鉄道網に沿って陸上に敷かれているのだ。それを考慮に入れるべきだと指摘しておかねばならないだろう。それより何よりきみ、通信機を忘れているが……ラム酒のせいかな。この頃には通信機も進化していたのだよ。
そう、この頃は鉄道網に沿って通信が発展していたので、目に見える鉄道に比して通信機だとかケーブルについて市民の関心は低かった。それをひっくり返した事件のことも話しておこう。
一八四五年、スラウでサラ・ハートという女性が殺害され、測量士のジョン・タウェルが容疑者とされた。彼はパディントン行きの列車に乗ったことが判明したので、警察はタウェルの人相を細かく書いた手配書をパディントン駅に打電した。スコットランドヤード(ロンドン警察)はそれを受けて容疑者を捜索したところ、すぐに発見し追尾した。容疑者はストランド行きのバスに乗り、数軒のコーヒーショップに入った。それからキャノンストリートの宿に入ろうとしたところを逮捕された。
容疑者は裁判で有罪、絞首刑となった。
この事件は電信の有用性を世間に広く知らしめる機会になった。
このときパディントン駅に設置されていたのがホィートストーン博士が開発した二針電信機だった。博士はもちろん、ケーブルだけを研究していたのではないというのを言い忘れていたので、付け足しておこう。
おや、心配そうな顔をしているな、スミス君。
見くびってもらっては困る。頭ははっきりしているし、返って冴え渡ってきたほどだ。それにまだ太陽は沈んでいない。ほら、窓にまだ西日が差しているだろう。
話を戻そう。
ブレット兄弟が海底ケーブル敷設を主とする会社『General Oceanic Telegraph co.,』を設立する仮登録をしたのが一八四五年、それが翌年には『General Oceanic and Subterranean Electric Printing Telegraphic co.,』として再登録された。ずいぶんと長い名称だが、のちの事業拡大を見越して総取りするような名にしたのだな。失敗するとは微塵も考えていなかった。
それからは大車輪だ。実験ではなく実用化しなければならないのだからね。資材の調達もそうだし、数々の特許を取得しなければならなかった。当面の目的はドーバーとカレー間の海底ケーブル通信を達成することだったので、英国だけでなく対岸のフランスにも認可を得る必要があった。フランス側では、認可後後一年で敷設を達成するという条件を付けられたのだが、これがなかなか達成できなかった。フランスにしてみれば、自国が同様の事業を成功させられるなら、対岸に長い猶予を与えない方がいい。とはいえ、これだけの規模の事業をフランスがパッとは展開できなかったのは幸いだったな。結局、認可申請は毎年更新しなければならなかったのだが、最終的に一八五〇年九月一日までに完成すれば、十年間は事業を独占できるという認可を得た。要するに、そこまでには成功させなければいけないというわけだ。
最終締め切りが示されたということだ。
※1 モールス博士……サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス(Samuel Finley Breese Morse、1791- 1872)はアメリカの画家、発明家。モールス電信機を発明し、ジョゼフ・ヘンリー教授とともにモールス符号を考案した。
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