ブリストルの兄弟ーThe Modern World Never Concerns

尾方佐羽

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The Modern World Never Concerns

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 さて、スミス君、ここから壮大な大西洋横断ケーブルの話が始まるわけだが、外も暗いし大分時間が経ってしまったようだ。いや、そういうことではなくて……ブレット兄弟にも落陽のときが来ていたのだ。

 本格的な大西洋海底ケーブル敷設がアメリカの実業家の主導でスタートする。その辺りから弟のジェイコブは表舞台に出てこなくなる。この事業から一切手を引いて引退してしまったのだ。一方
、兄のジョン・ワトキンスが『アトランティック・テレグラフ』社に参画したのだが、この事業は簡単には目的を達せられなかった。一年?二年?いや、五年経っても成功しなかった。
 そして、ジョン・ワトキンス・ブレットは一八六三年にこの世を去ったのだ。大西洋のケーブル敷設と通信が完全に成功したのはその三年後、一八六六年七月二七日のことだった。都合十二年もかかったが、ひとえに最後まで事業を諦めなかったサイラス・フィールドの尽力の賜物だった。ジョン・ワトキンス・ブレットはもちろんその報を聞くことができなかったし、まだ存命のジェイコブ・ブレットの名も人の口の端にのぼることはなかった。

 ジェイコブはなぜ事業からひっそりと引退してしまったのだろうか。

 実際兄弟に何が起こったのか分からないので私の想像でしかないのだが、アトランティック・テレグラフ社の設立に際して、兄弟の意見が合わなかった可能性は高いだろうと思う。
 これまでのいきさつを振り返ってみると、鉄道事業から通信に舵を切るきっかけはジェイコブだったし、実際に技術的な問題を考えていたのも彼だった。ジョン・ワトキンスは公的な役割を担っていた。表に出るのはほとんどが兄で、本来穏やかな性質の弟が出てくることはなかった。それでも技術的なことで役に立つならばまだよかった。発明というのは常に技術的な背景が重要とされるからだ。
 そこにトーマス・クランプトンが登場して、技術面の改良による成功を成し遂げてしまった。だんだんと自分の居場所がなくなるように感じていたかもしれない。
 さらにアトランティック・テレグラフ社の話だ。今度は大富豪のアメリカ人がやってきて、兄はそちらにすぐさま乗ってしまった。おそらく、ジェイコブに相談などしなかっただろう。
 これは決定的だったんじゃないか。
 きちんと兄弟で考えを合わせていけば、弟が引退することはなかったような気がしてならない。大西洋のケーブル敷設成功はジェイコブにとっても叶えたい夢だったはずだ。それが些細な行き違いで決裂してしまったのだとしたら、これほど残念なことはない。

 彼には兄と共同で持っている資産があった。そして兄の遺産もいくらかはあっただろう。なので一切事業から手を引いても、まったく差し支えがなかったのは事実だ。事実だったが、実際は優雅な引退生活とはならなかった。ブレットの名は英国じゅうに知れ渡っているし、ジェイコブが裕福であることも一部で知られていた。彼には事業に投資してほしいという依頼が山のように押し寄せてくる。彼は元々人のよい男だし、新たな事業の共同経営者になるのも悪くないと再び考えるようになる。彼が情熱を傾けた海底ケーブル事業もすでに大西洋からインド洋に伸びていこうとしていた。新たな投資話に心が疼くようになったのも仕方のないことだと思うよ。
 それほど長くない間に彼はすっかり自分の資産を使い果たしてしまった。そして、昔の知人たちに金を無心して歩くようになった。

 彼の人生の後半は窮乏のうちに暮れていった。

 話はここまでだよ、スミス君。

   ・・・・・・・・・

 

 グレイ主幹は薄暗いパブの照明でも眩しすぎるというように、目を一瞬引き絞ってから私に目を向けた。
「誰もが皆、実現したい人生があるし、結局叶わないのもよくあることだ。どんな人も皆自分の人生を懸命に生きている。なのでそれをここでとやかく言うつもりはない。私が思うのは……この時代の、人々の生活の向上に貢献する輝かしい功績、素晴らしい発想、完成までのたゆまぬ努力……それらを果たした人の人生が何かの拍子に暗転し、終いには貢献した社会から追いたてられ用済みになってしまうという嘆かわしい事実についてだ。それがまだ若く純粋なきみの問いに答えることにもなる」
 ジェイムス・グレイが語りたかったことはその言葉に収斂されていた。

 すでに外には夜の帳が降りていた。


 一八九八年のこの日、私は上司のジェイムス・グレイが滔々と語るのをひたすら清聴した。彼は酒量がいつもより多いので話し続けているのだろうと私は考えていた。しかし彼の話す様子を見ているとそれは酔っぱらいの単なる愚痴であるとか、大洞吹きの類いではなかった。彼の裡には語るべき言葉がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、外に出る時を待っていたのかもしれない。
 私もラム酒をいささか飲み過ぎたこともあって、この時の話を素面で出すことはなかった。しかし、グレイ氏がこの世を去ってしまった今、私とグレイ氏が書いた記事の背景を記しておくのは意味のないことではないと信じる。

 窮乏のうちに亡くなったジェイコブ・ブレット氏について付け足しておこう。少々遅きに失してはいたが、政府が無視していたわけではない。一八八六年には、グラッドストーン氏の推薦により、年間一〇〇ポンドの年金が支給された。それがジェイコブ・ブレットの定期収入となった。しかしそれでは生活が成り立たないので、一八九二年、電気技術者協会が財務省長官に申請し、王室報奨基金から二〇〇ポンドが支給されることになった。
 それはしかし、彼の生活を維持するには不十分だった。ジェイコブはもう九〇歳になろうかというほどの歳で散財する活力もなかったが、生活のもろもろを介助する人を頼むとか、病院にかかる費用は重くのしかかった。新しい挑戦が不可能になっても、ただでは生きていけないのだ。それらの助成もあっという間になくなってしまった。

 実は、一八九七年の暮れには再度ジェイコブの窮状を救おうと、ケルビン卿、レイリー卿、ジョン・ホプキンソン博士、W・H・プリース氏、ヘンリー・マンス卿、ラティマー・クラーク氏によってさらなる援助を求める嘆願書が作成されたのだが、それが実行される前にジェイコブは世を去ってしまった。

 彼のしてきたことを知ると、その結末はあまりにも不相応に思える。
 彼の訃報が他の新聞に載っていないと主幹があえて書いたのも『THE ELECTRICIAN』に異例のページを割いたのも、それを踏まえてのことなのだ。彼の業績をきちんと残しておかねばならない。主幹の狙いはその一点に尽きた。

 そろそろ原稿も終わりに近づいた。

 この話は難問を即座に解決する探偵の冒険ではないし、いまだに世間の耳目を集めている『切り裂きジャック』の犯人探しでもない。その意味で読者の興味を激しくそそるものでないと認めるしかないのだが、ひとつ考えてみてほしい。電信、ひいては電話が今日、この島国からヨーロッパ、アメリカ、インド、アフリカへと繋がっている。何が繋げているのか。
 世界の海に無数に張り巡らされたケーブルによって繋がっているのだ。それを最初に実現したのは誰か。関心を持つ人がいなくなればその事実すら埋もれて消えてしまうのではないか。

 最後にひとつだけ書いて締めくくろう。

 介助人、援助した人などジェイコブ・ブレットの側にいた数少ない人の証言によると、彼は人生に呪いの言葉を吐くこともなく、回りからの援助に感謝しながら朗らかに過ごしていたという。
 それが私たちにとって、ささやかな慰めである。
 T・スミス
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