16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

炎の十字架 1545年 セイロン島(スリランカ)へ

〈フランシスコ・ザビエル、ミゲル・ヴァス司教代理、ポルトガル国王ジョアン3世、アルフォンソ・デル・ソーザ総督、ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシラス、セサル・アスピルクエタ、ジャフナパタン王、コタのユーゴ王子、ジョアン王子〉

 1545年の新年になった。私はセイロン、インド東岸への旅のしたくをはじめようとしていた。セイロン行きには、セサルも随行するという。もしかしたら、少し身体を動かしたいのかもしれないなどと私はうがって考える。何しろ、かつて隠れ家のシャビエル城にいたときも、夜ごとこっそりと馬を乗り回していたのだ。
 春先の移動ならば、彼の身体に負担は少ないだろう。いくら壮健だといっても彼は今年70歳になるのだ。

ーーー

 その前に私は、司教代理ミゲル・ヴァスと話したいと思い、コーチンに赴いた。私がインドに来るずっと前から彼はここで信徒の心の拠り所となってきた。それに、私がインド南端を回っていたときの情勢をもう少し詳しく聞きたかったのだ。そのため、私はコーチンに滞在して、ヴァス司教代理の話を聞いてから、各所への書簡をしたためることにした。



 コーチンの海辺には心地よい風が吹いている。快晴で波音がほとんど聞こえないほど静かだ。見ると、四角い板の上に草で編んだマットを敷いて、魚を売っている漁師たちがいる。銀色に輝く魚たちはどれも新鮮で美味しそうだ。私は漁師に声をかけてみる。
「これぐらい海が静かだと、漁もしやすいでしょう」
 道端にしゃがみこんでいる漁師はにっこりとしてうなずく。
「இது எப்போதும் நடந்தது என்று நான் விரும்புகிறேன். இன்று நீங்கள் தேவாலயத்துக்குப் போகிறாயா?」
(ずっとこうならいい。今日は教会にお出かけですか)
「ஆமாம், நான் சபைக்கு போவேன். 」
(はい、教会に行きます)

 コーチンにも次々と聖堂が建てられている。

 ミゲル・ヴァス司教代理は私の、間の空かない再訪をたいへん喜んだ。そして、私にこの1年の動きや自身が赴任して12年の間のことを静かに語ってくれた。時おり咳き込まれるので申し訳なくも感じたのだが。
 話はたいへん多岐にわたるものだった。次々と船でやってくるポルトガル人に祈りの場(聖堂)を整え、ミゼリコルディア(信徒の会)をよく指導し、礼拝を行い、洗礼を授け、病人の看護をし、臨終を看取る。洗礼を授ける機会は多くあった。ポルトガル人とインドの女性の間にたくさん子どもが産まれていたからだ。また、病人もたくさんいた。暑さはもちろん言うまでもないが、水が合わずに下痢を続けることも珍しくない。それに加えて熱帯特有の風土病、伝染病にかかる人がたいへん多い。
 ヨーロッパのどこにいても、これだけ仕事の多い場所はないだろう。
 一方、この土地に赴任した聖職者ならではの仕事がある。新しくやってきて土地に慣れていない聖職者のまとめ役になること。誰もが模範的に振る舞うわけではない。どのような悩みが生じても同じ立場以上の人がいないので相談もできない。ただ主に告白するばかりだ。
 総督や長官とのつながりを緊密に保つことはさらに重要だ。常に教会はポルトガルの一部として機能するのだから。
 さらに、私のように未信徒の土地に赴いて宣教活動をすることも含まれる。

 ヴァス司教代理の話を聞きながら、私は彼の担ってきた役割の重さを改めて知った。聞けば、私が嘆願するまでもなく、司教代理はインドを離れてポルトガルに戻ることが決まっているという。私はそれが彼の身体のためにはよいことだと感じていた。しかし、これだけの役割をつつがなく担える人材はそうそういないようにも思えた。

「お国に帰れるのは何よりですね」と私は話を一通り聞き終えた後にうなずきながら伝えた。すると、彼は少し表情を曇らせた。
「正直に言いますが、私はここでやり残したことがあると思っています」
 意外な答えに私は目を見開いた。司教代理は私の目を見ながらさらに続ける。
「あまり他の人に言ったことはありませんが……はじめは、帰りたいと思うこともありました。それはあなたにも分かっていただけるでしょう。でも今は、ここインドの地でキリスト教が根を張るのを見届けたいと思うのです」
「そうだったのですか。私は勘違いをしていたようです」と私は言葉をつぐ。司教代理は可笑しそうに微笑んで、「あなたのせいですね」と言う。私は目をしばたいた。彼はその理由を説明する。

「あなたは道を拓いていく人ですね。
 この2年、あなたが南部を回っている様子を折々耳にしてきました。自分たちで苦心して教えを翻訳し、どの人にも隔てなく親しみ教えを広められた。そして信徒の身に危険が迫ると、土地の王であれ総督であれ交渉しようと奔走する。もちろん、ことがすべて上手く運んだわけではないでしょうが、そんな時でもあなたは手を尽くしてきた。
 私はあなたのような聖職者を見たことがありませんでした。そして、この国にいる聖職者たちはあなたのことを手本だと思うようになっている」

「そんなことは……」と私は肩をすくめる。

「あなたの行動について聞き、実際のあなたを知るにいたって、私はこの国のキリスト教会が広がりを持ち、もっと堅固に根を張ることができる、そう確信したのです。私はもう、ほうぼうに宣教して回ることはできませんが、皆の家(聖堂)を守る役目をまっとうしたい、そう強く願うのです。ですので、本当はここを去りたくないのです」

 私は司教代理の言葉をかみしめていた。
 自分の行動をそのように見ていてくれたのかという喜びがあった。しかし、自分の視野はまだ狭いと感じていた。これまで、多くの人にひたすら洗礼を授けることにばかり意識が向かっていたのかもしれない。ブニカレに逗留したマンシラスのような方法を私も取るべきだったかと省みていた。
 ヴァス司教代理のことを私は思った。移動しながら宣教することと一ヶ所に根を張って広げることが両輪になってこそ、主の御心に叶うものではないか。
 私の視野が狭いとはそういうことだ。
 主は皆に御心を置かれている。
 ならば、私もそれに倣い、皆と心をひとつにして取りかからなければならない。
 
 そのようなことを心に留めながら、私はポルトガル国王ジョアン3世、ローマのイエズス会員、ポルトガルにいるシモン・ロドリゲス、そしてイニゴに手紙を書いた。
 ただ、ミゲル・ヴァス司教代理のことについては趣旨を変えた。話をしてみて、司教代理がこれまでどれほどの役割を果たしてきたのか知ったし、本人もインドでやり残したことがあると私に告げたのだから。そこで、私はポルトガル王に対して、ミゲル・ヴァス司教代理がいかに徳の高い人物か、いかにインドの教会に必要な人物かを述べ、体力的に厳しいとは思うが、本人さえその気があれば、ぜひまたインドに派遣(帰任)してほしいと懇願したのだ。
 後任者が彼のように勤められるかというと、少し難しいように思えたからだ。

 この当初と真反対の懇願については、のちにセサルに苦笑された。

「的に向かう矢のようにまっしぐらなのは素晴らしいことだが、周りは常によく見ておくことだ」

ーーー

 コーチンではさらにふたつの朗報を手に入れた。それも私は手紙に書き加えた。

 ひとつはポルトガルが拠点を築いているマラッカ(現在のマレーシア)のアントニオ・デル・ソーザ長官からのものだった。マラッカのさらに向こうにあるマカッサル(スラウェシ島、インドネシア)に勢力を持つ2人の王がキリスト教に改宗したという知らせだった。



 それは大いに喜ぶべきことだった。王自らが改宗したとなれば、従う領民が多く現れるだろうし、そうでなくとも、宣教活動を妨げられる心配がない。マラッカにはまだ十分な数の聖職者がいないので、ソーザ長官は聖職者の派遣が必要だと言っているという。私はこれに強い興味を持った。

 もうひとつは、懸念していたマンナル島の信徒のことだ。ポルトガルの兵たちが救助に取りかかり、イニキトリベリン王の領内で保護しているという知らせも届いた。やはり、総督が命じれば動きは迅速なのだ。
 また、セイロンから新たな知らせを持って客人が訪れていた。セイロンのコタという地域を治めるブバネカ・バフ王の王子ジョアンである。
 彼の話に私は身体が震えるのを感じた。
 ブバネカ王には王子が2人いた。そのうちのユーゴ王子がフランシスコ会司祭の話を聞いて、キリスト教に改宗したいという意思を示したのだという。

 前年の暮れ(1544年)、ユーゴ王子はブバネカ王の逆鱗に触れて処刑された。
 その話を聞いて、私は思わず十字を切って天を仰いだ。しかし、私はそれに続く話を聞いて驚嘆した。
 ユーゴ王子が丘の上で命を断たれた瞬間、そこに居合わせた人々は信じられない光景を目にした。
 宙に突然、燃える十字架が現れたというのだ。
 人々はそれを見て、恐れおののき、方々へ慌てて逃げまどった。王子の処刑を命じたブバネカ・バフ王も驚いて慌てて逃げ出した。燃える十字架はしばらくして消えたが、人々はしばらくその場に立ち尽くしてたという。それだけではない。ユーゴ王子が倒れた辺りの地面が十字に裂けたというのだ。
 「奇跡だ」と私がつぶやくと、その話をしてくれた司祭とジョアン王子は大きくうなずいた。ジョアン王子はポルトガルの保護を求めてコーチンまでやってきたのだが、「炎の十字架を目の当たりにして、キリスト教に改宗したいと密かに望む人が多くいます」と私に告げた。


 私はそれを聞いて、すぐさまセイロンからマンナル島に向かうことにした。もとより目指そうとしていた方角に、思い切り舵が切られたということだ。



「船に乗るのは久しぶりだ」とセサルはつぶやく。
「私はさんざんトーネ(小舟)に揺られましたよ」
 私がつぶやくのを聞いて、セサルは楽しそうに笑う。
「そうだな……海の道を行くのだから、舟は必需品だ……船酔いしたのか」
「ええ、たっぷりと。マンシラスへの手紙にも愚痴を書いてしまいましたよ」と私はため息をつく。
「愚痴を叩く口があれば上等だ。寝込んで青息吐息ではそんなこともできないだろう」
「ギニア沖の話はもう止してください」と私は少し困った顔になる。

「おまえは……後悔したことはないか」とセサルが私の顔をのぞきこんで言う。

「Damutuko?」
(後悔?)
「Asi que. ¿No te arrepientes? En realidad no se suponía que fueras a Portugal. De repente decidiste ir a Portugal y te fuiste de viaje a la Misión Oriental. Todo fue una coincidencia. ¿No te arrepientes?」
(そう、後悔していないか? おまえはポルトガルに行くことにはなっていなかった。そして突然ポルトガル行きを決め、東方宣教にも出ることになった。すべて偶然だった。後悔はないのか?)

 セサルは周囲に遠慮したのか、スペイン語で私に問うた。私はふっと、ポルトガルのリスボンでマルティン・アスピルクエタとセサルに再会した日のことを思い出した。
「もしかして、マルティンもそのように考えていましたか? 」
 セサルはうなずく。
「もちろん。マルティンはおまえの父と母が亡くなって以降、おまえの後見人は自分だとずっと思っていた。あのままパンプローナで司祭になってくれたらどれほどよかったか……とずっと言っていた。あるいは、コインブラ大学に哲学か神学の教授として招くことも考えていたようだ。マリアがどれほど末っ子のおまえのことを案じていたか、いちばんよく知っているのはマルティンだったのだから」
「そうですね……それは分かっていました。父が亡くなったとき、マルティンはまっさきにシャビエル城に駆けつけてくれました。母が亡くなったときもそうだったでしょう。私はきっと彼の期待には添えなかったのですね……」と私はつぶやく。

 セサルは、「いや、おまえの決めた道を否定しようとしたのではない。マルティンはおまえがいいように利用されるのではないかと心配していたのだ」と前置きして話を続ける。
 彼はこう言っていた。

ーーー

 ポルトガルの国王、ジョアン3世がカトリック教会を庇護する国家として名乗りを挙げたのは、いくつか理由があるだろうが、東方の至る所に拠点を築くのを正当化するのが大きな目的だ。そうしなければ新大陸の側から太平洋を狙っているスペインに先を越されてしまうだろう。

 ポルトガルの航海家だったフェルディナンド・マゼランが主を替え、スペインの旗のもと大西洋から新大陸(南アメリカ)の南端を回り込み、太平洋の島嶼(現在のフィリピン)にたどり着いた。彼らの船団は反乱と殺人の連続だったようだが、よく航海を続けられたものだ。マゼランはその島嶼で命を落とす。相当恨みを買われていたのだろう。船団の人と船は数を大幅に減らしたものの、見事にスペインに帰港した。世界を一周したのだ。
 これに戦々恐々としたのがポルトガルだ。
 ポルトガルは艦隊をテルナテ、アンボン(アンボイナ、両方とも現在のインドネシア)まで派遣しているが、太平洋回りですぐ側までスペインが迫っている。香辛料の扱いを一手に握って莫大な富を得ようとしているのをスペインが阻むに違いない。当然そう思っているだろう。

 もともと、スペインとポルトガルはイベリア半島で境を分け合っている。そして、スペインが神聖ローマ帝国の一部も同然になった。王と皇帝が同じ(カール5世、カルロス1世)なのだ。
 ポルトガルが戦々恐々とする理由が見えるだろう。レコンキスタ(イスラム教国家からイベリア半島を回復する戦い)の頃から王家同士で婚姻を結ぶことによって安寧をはかってきたが、それも危うくなったのだ。

 そこでポルトガルは新たにローマ、すなわち教皇庁を味方に付けることにした。そのひとつの政策が東方宣教だ。未信者を多くキリスト教徒にすることで、プロテスタントの勢いに圧されぎみになっているカトリック教会の力を復権させる。ローマもそれならば支持するだろうと。

 これはひとつの手段、政治なのだ。マルティンはそれをよく分かっていた。だからこそ、そこにおまえが巻き込まれるのではないかと心配したのだ。

ーーー

 セサルの長い話を聞くと、私は彼の目をまっすぐに見た。
「セサル、私はしもべです。ただしポルトガルのではない。使徒として、主によって遣わされたしもべです。ヴァス司教代理と話した時にも強く感じました。あなたもご存じでしょう。この国の人々の大半は貧しく日々の暮らしにも事欠いている。イエス・キリストを知って洗礼を受けたいと告げてくれる。決して少なくない人々が主の救いと愛を受け入れてくれているのです。あなたが言うように、政治であるとか個人の私利私欲と相容れないことは、この1年で身に染みて分かりました。だからと言って、主の恵みを受けたいと望む人がいる限り、私は働かなければならない。きっかけが偶然かそうでないかというのは、もう大したことではありません。これは私の使命(ミッション)なのです」

 セサルはそれを聞くと微笑んで、「マルティンに今の言葉を聞かせたかったな。やっぱり、おまえは……旅する使徒の顔になっている」とだけ言った。

 1545年2月、私とセサルは現地の案内人とコーチンを発ち、クイロンを経由してセイロン島(スリランカ)のコロンボにたどり着いた。

 四旬節ももう間近になっていた。

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