16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

海の巡礼 1546年 マラッカからアンボンへ

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〈フランシスコ・ザビエル、セサル・アスピルクエタ、シモン・ポテリョ長官〉

 私はマラッカ(現在のマレーシア)にいるが、出発を控えて忙しくしていた。マカッサル(現在のインドネシア)行きの船を待っていたのだ。
 この地域は一年を通じて暑い。夏の暑さよりは冬の暑さのほうがいくらかましだが、暑いことに変わりはない。冬はインドより暑いぐらいかもしれない。ただ、身体はもう慣れていたようだ。航海を待つ期間に体調を崩して寝込んでしまうようなことはなかった。それはセサルも同様だった。

 マカッサル行きにあたって、マラッカのポテリョ長官とよく話をしていた。
 すでにマカッサルには艦船が派遣されていて、ヴィセンテ・ヴィエガスというポルトガル人司祭が派遣されている。同じ船には大勢のポルトガル人と物資が積まれたという。それが何を意味するかはすぐに推察することができた。

 セイロンからゴアに戻ったとき、セサルが私に言った言葉を思い出していた。

「それは当たり前だ。おまえのためだけにポルトガル艦隊が動くはずはないだろう。利害が一致しなければ動くことはない」

 マカッサルに対して、ポルトガルは臨戦態勢にあるようだった。
 ポテリョ長官は、少なくとも、ヴィエガス司祭から現地の事情が報告されるまで、渡航を待ってほしいと私に告げた。

 私たちは、自分たちの宿所でもある病院で看護のつとめをし、人々の告解を聞く。それとは別に、信徒の子どもたちには、誰かれの区別なくともに祈る時間をもうけた。昼はたいへん暑く、外で集まるにはまったく不適当だ。子どもたちには家庭での用事や手伝いもある。なので食事が済む時分に集まってもらう。夜の子どもの祈りの会とでも言おうか。私は時間になると、小さな、鳴らしても耳障りにならない程度の鐘を鳴らす。すると、家々から子どもたちがひとり、ふたりと出てくる。これが集まると結構な人数になる。夜に子どもたちだけで集まるというのは、楽しいことだっただろうと思う。それでも、祈りの最中にひそひそ話をしたり、ふまじめな態度を取る子どもはいなかった。祈りの時間が終わったあと、子どもを家の近隣まで送る仕事は私とセサルで手分けして行なった。

「Boa noite, padre Francisco!」
(フランシスコ司祭さま、おやすみなさい!)

 子どもたちのかわいいあいさつの声が今でも聞こえるようだ。

 そのようにマラッカで待機して3カ月が経った。結局、ヴィエガス司祭からの報告が来ないまま、マカッサル行きの船にとって風の具合がよい季節は終わろうとしていた。私はポテリョ長官と再度相談して、行き先の変更を検討し始めた。私はキリスト教の宣教に適した場所を考えていた。紛争の起こる可能性が少なく、船の便がまだあって、より遠い場所に赴こうと思っていた。

 そして、私はアンボン島とモロタイ島、さらに可能であればテルナテ島に行くことを決めた。

 このとき、ポルトガルが要塞を築いている最東端はモルッカ諸島(北マルク諸島)のアンボン島とモロタイ島、そしてテルナテ島(現在のインドネシア)だった。なぜ、これらの島なのか説明が必要だろう。



 このバンダ海、近接するセラム海という海域には大小を問わず星の数ほどの島々がある。大陸と呼べるものはない(※1)。マカッサルのある島(スラウェシ島)はこの海域の中でも大きい島だが、たいへん複雑な形をしていた。初めは島だと思われていなかったほどだ。そして、熱帯の森林が果てなく続き、いったん入り込んだら迷い込んで出られなくなると言われていた。そこで、重要な拠点のマカッサルに要塞を築き、その地域から足を伸ばさなかったのだ。
 その手前にある巨大なカリマンタン島(現在のマレーシア、ブルネイ)にポルトガルの拠点はなかった。

 マカッサルからさらに東に進んだところに、アンボン島とモロタイ島とテルナテ島がある。どれもこの海域では大きな島ではないが、大きさでいえばモロタイ、アンボン、テルナテということになるだろうか。ただ、山がそびえ立ち、周辺を南方の森に深く覆われているため、生活しやすい沿岸部に人々の大半が居住している。

 この中でテルナテのイスラム教の王国がこの辺りではたいへん強い勢力を誇っていて、その影響は他の島々にも及んでいた。ポルトガルが拠点を築くことができたのも、外交的取引によってである。船が航行するのに支障がなければ、大きな島をまるごと支配する必要がなかったのだ。これらの島々が、ポルトガル勢力の東の涯(はて)である。

 渡航を決めるのに一番重要なことはーー現実的ではあるがーー船の便がまだあるかどうかということだった。すべては風の向きしだい、というと気ままなものだと言われそうだが、アントニオ、あなたはそうでないことをよく分かっているだろう。幸い、1546年の年が明けたら、アンボン行きの船が出るという。私はさっそくそれに乗せてもらうこととした。

 ただ、気になることはあった。
 セサルのことだ。

 彼にはゴアに戻ってもらったほうがよいのではないのかと私は考えていた。行きがかり上、サン・トメから同行してもらったが、彼の年齢を考えるとこれ以上の旅を強いるのは酷なように感じていたのだ。
 セサルにどう伝えようか考えているうちに、生誕節(クリスマス)が近づいてきた。私たちは病院でのつとめを終えると子どもたちの祈りの時間のために外に出た。いつものように小さな鐘を鳴らしていると、珍しく、ある家から子どもと母親が出てきた。母親も私のところに寄ってきた。そして、私に丁寧に礼を言う。母親はマラッカで生まれ育った女性で、ポルトガル人と結婚して子どもを産んだのだ。私が微笑んでいると、母親が明日の朝少し時間が取れないかと尋ねてきた。

「Imam, mari kita pergi ke sungai. Anda boleh melihat gajah dan badak.」
(司祭さま、川の方に行ってみませんか? ゾウやサイが見られますよ)

「それは面白そうだな」と脇にいたセサルが言う。私もうなずいて、母子に案内を頼むことにした。

 翌朝、私たちは母子の先導で川を少し遡っていった。要塞の町を一歩出るとすぐさま草も木も濃く生い茂るばかりとなり、はっきりとした道はなくなっていく。途中で鮮やかな色の蝶、トカゲや蛇、あるいは猫に似た生き物なども見られる。確かに勝手を知っている人と一緒に歩かないと、危険な道行きだ。そうやって、小一時間ほど進むと私たちは川べりにたどり着いた。

「司祭さま、ほら、あそこにサイの群れがいます。少し離れて見ていましょう」と母親が言う。
 マレー語を十分に理解してはいないが、何を言っているかはしぐさで推察できる。6頭大小のサイが川辺で水浴びをしている。私とセサルは目を凝らしてそれを眺める。

 私はふと、フランスからイタリア半島に向かう途上で見た、アルブレヒト・デューラーの精巧な銅版画の一葉を思い出した。あれはサイの絵だった。あの絵で見たサイは、まるで鎧(よろい)をまとったような姿だったが、目の前にいるサイはそれとはだいぶ違っていた。確かに関節の境目に筋は入っているし、オスは立派な角を持っているし、皮膚は固そうである。ただ、鎧のように堅牢かというと、そのようには見えなかった。皮膚もそれほど濃色ではない。
 デューラーも実物を見て描いたわけではないのかもしれない。(※2)

 じっと目を凝らしてサイを見続ける私たちに、子どもの母親はにこやかに笑って聞いてきた。
「Imam, Adakah anda akan meninggalkan Melaka?」
(司祭さま、あなたはマラッカを去るのですか?)
 その問いに不意をつかれた。渡航の話を具体的にセサルにしていなかったからだ。私はセサルの方を見た。セサルは微笑んでいる。私は少し困った顔をしていたと思う。そして、母子に向き直ってうなずいた。

「あの親子は、おまえへの礼がしたくてサイのいる場所に連れていったのだな」
 宿所であり、働く場所でもある病院に帰る道すがらセサルがつぶやいた。
 太陽はだいぶ高くなった。私はまぶしい陽光に目を細めてセサルに話し始めた。

「セサル、あなたはここからゴアに戻ったほうがいいと、私は思うのです」
 セサルは穏やかな表情で聞いている。私はどう伝えたらいいかしばらく考えながら続ける。
「あなたは私より壮健だと思うのですが、もう70歳を超えました。これよりさらに旅を続けることは、あなたの身体によくない。あなたはどの土地でもすぐに馴染むことができます。ただ、これから先はポルトガルに保護されることも難しい場合が出てくるでしょう。私は……心配なのです」

 セサルは私の話を聞くと、ふうとため息をついた。
「そうだな、私も歳を取った。まだ馬には乗れると思うが、背中や腰は少し曲がってきたし、目も前より見えづらくなってきたようだ。おまえの言うことはもっともだと思う」

 海からの風がびゅうと吹いている。
 要塞が見えてきた。セサルは続ける。
「もし、私がある場所にとどまりたいと思うときは、おまえが止めてもとどまるだろう。これは、おまえの考えと異なるだろうが、私は自分の人生最後の旅を楽しんでいる」
「最後の旅だなどと……」と私は眉を中央に寄せる。
「フランシスコ、私はもう、イベリア半島に戻ろうとは思っていない。もちろん、ローマにもだ。たどり着いた場所で死ぬ。それが自然の理、神の意思だろう。フランシスコ、私は楽しいのだ」
「楽しい……ですか」
「ああ、囚われていた、隠れていた37年の月日は……永遠に続くかと思うほど長かった。私はおまえに、1541年に、人生の続編をもらったのだ」
「……はい」としか、私には言えなかった。
 セサルはそのような私を見て、本当に楽しそうに笑う。
「フランシスコ、私たちは越えたぞ」
「越えた?」
「アレクサンドロス大王の東征の範囲を越えたのだ。この、海賊でも軍人でもない、ひとりの使徒と、ひとりの老いた巡礼がアレクサンドロス大王より遠くに来たのだ。愉快だと思わないか。
 かつて、シャビエル城で大王の旅について話したことを思い出す。小さなおまえは、人生は旅だと私に言ってのけた。そうだ、まったくその通りだ。
 聖トマスはもしかしたら、もっと遠くまで至ったのかもしれないが、私たちもまだまだ先に行ける。そうだろう? 私はもう少し、おまえと共に旅することを望んでいる。それでも、おまえが無理だと思うならば、私は喜んで次のゴア行きの船に乗る」

 私はただ、静かに首を横に振ってセサルの顔を見つめていた。



 ひとりの使徒と、ひとりの老いた巡礼。
 その言葉はわたしの胸に響き渡った。
 セサルはこれまで、自身をそのように表現したことがなかった。聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに行けなかったことを残念がってはいたが、自身を巡礼だとは言わなかった。
 何も言わなかったが、この長い長い宣教の旅にひとりの巡礼としての確かな意思を持って付いてきてくれたのだ。

「これは『星の巡礼』ならぬ、『海の巡礼』だな」

 セサルはそうつぶやいて病院の中に入っていった。

 1546年の年が明けた。
 マラッカからアンボン島に向かう船は入江から少し離れた沖に停泊している。
 その船に行く小舟に揺られて、セサルは空の彼方を見ていた。雲は遠くわずかに見えるだけだ。
「出発にはうってつけの日だな」
 私は笑ってうなずいた。


※1 著者注 セラム海とバンダ海の海域に大陸はないのですが、インドネシアのさらに南方にはパプアニューギニアのある巨大な島があり、さらに南にはオーストラリア大陸があります。この時点でオーストラリア大陸の規模はヨーロッパ人には未知でした。

※2 著者注 アルブレヒト・デューラーは実物を見てサイを描いたのではないということです。なお、この頃マラッカにいたと思われるのはスマトラサイ(シロサイ)です。
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