166 / 480
第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル
注目される人 1547年 マラッカ
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、シモン・デ・メロ長官、ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士、セサル・アスピルクエタ〉
1547年の半分ほど、私たちはモロタイ島からテルナテ島、アンボン島、そしてマラッカへと来た道を戻っていた。
モロタイ島にキリスト教を根付かせるには長い時間を必要とすることは間違いなかった。ただ、モロタイ島の村々を回って見聞きしたことは後に続く人たちにとって有益なものになると確信したので、私はそれを書き綴ることに専念していた。
テルナテ島とアンボン島ではさきに信徒になった人々が温かく迎えてくれた。そして、司祭としてのつとめを果たしながら日々を過ごしたのだ。
日曜日と祝日には2回、礼拝と説教を行う。1回目は朝、在留ポルトガル人のために。2回目は昼食後、それ以外の信徒のために。午前と午後に信徒の告解を聞き、ポルトガル人と結婚した女性のための礼拝と説教も行った。この2つの島では私たちの信仰が定着している。それを再訪したときに実感し、私は心から安堵したのだよ。
そのような場所を離れるのは後ろ髪を引かれるような気分になるものだ。私たちが出航するときに皆で見送りに出てくれたときのことを思い出すと、今でも胸の奥が温かくなる。
セサルとはこの間によく話をすることもできた。表現が適切かどうかは分からないが、彼はまるで参謀のようだったよ、アントニオ。
ポルトガルの拠点でこれからどうやって宣教活動を広げていくのかということについての話だ。信徒にどのように信仰を深めてもらうか、未信徒にどのように話をしていくか。どこに何人ほどの宣教師が必要か、どのように総督なり長官とつながりを持っていくか。現地の王にはどのような態度で対面していくか。そして、私たちの大切な移動手段である船についても、セサルは一家言持っていた。
「世俗のものを避けているわけにはいかない。国王の命が出る前に旅立たなければならないときもある。そのためには、船を持っている商人と日頃から付き合いをしておく必要がある。場合によっては当面の費用を借用することも含めてだ。国王なり総督の信を得ているとは言っても、先立つものがなければ何もできないのは事実だ。これまでは船主の好意に依ることも多かったと思うが、今後は宣教師の数も増える。それを見越したほうがいい」
セサルはいつも現実を見ている。それがこの旅でどれほど私の助けになったことか。どんなに望んでも、これ以上の供は得られないだろう。聖職者であり、政治家であり、軍人……いや、司令官でもある。身体は老いてきたが、その頭脳や判断力は変わらないのではないかと私は思う。
アントニオ、今でこそ船主である大商人と親しく交流することは珍しくなくなった。ただ、まだこのときには商人と聖職者の間には一本、はっきりとした線引きがあったのだよ。もともと、求めているもの、目的が異なっていたのだ。商人は現世利益、すなわち儲けることが第一で、聖職者は神の恵み、主の教えを広め、信徒を導くことが第一義だ。それは理解できるだろう。
サン・トメで信仰を失っていた商人が改心した話はもうしたと思う。その後モロタイまで回ったことで、私たちの話に耳を傾けて、信仰に目覚める可能性のある人はまだまだたくさんいると確信したのだよ。そのためにも、商人たちと多く話をする必要を感じていた。
もちろん、ポルトガル人の多くが商人だということもある。
これも言ったと思うが、商人の中にはコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教に改宗した人)が多い。本国では異端審問が厳しく執り行われて、真に改宗したのに疑われることも珍しくなかった。それならば海を渡って自由に暮らしたい。そう思うのも不思議はない。
ヒンドゥー教、イスラム教、あるいは他の宗教から改宗する人と、ユダヤ教から改宗した人を区別するべきだろうか。もし、キリスト教徒としての信仰を真に持つのであれば、同じに扱うべきではないだろうか。そうでなければ、宣教活動じたいに矛盾が生じるだろう。
これは、異端審問制度をすすめているポルトガル国王にそのまま言うわけにはいかないことで、たいへん難しい問題だった。それに聖職者の中にも反対する人がいるだろうことも想像できた。
このことについては、後にひとつの方策を取ることになるだろう。
◆
モロタイ島を回っている時は緊張していたので意識していなかったが、船に乗って島を去るときにセサルがぽつりとつぶやいたことがあった。
「ここは海の果てだろうか」
いや、私たちが至ったのはポルトガルの影響が及ぶ範囲の果てまでだ。モロタイ島の西と南、すなわち私たちがやってきた方角には島嶼があるものの、東ははるか彼方まで何もない。ただ、進めど進めど、大海原が続くその先にはスペイン艦隊の拠点メキシコがある。
ここは海の果てではない。
果てを目指しても、経路がずれなければ出発点に戻るのだ。それは逆を回ってきたスペイン艦隊が確かに証明している。
ここは海の果てではない。
それはセサルも分かっている。
それでも、モロタイ島を訪れた後で私たちはそこが海の果てのように思えたのだ。
煙を噴く山、なかなか打ち解けてくれない人々、草木がすべてを覆い尽くして、山は急峻にそそり立つ……そこに、私たちの常識とは異質の、私たちの故国とはまったく異なる光景があった。
海の果てというより、地の果てに来たという方が正しいだろうか。
地の果てというのもないように思うのだが、もしかするとあるのかもしれない。
ここよりもさらに果ての地が。
海の巡礼路はどこまで続くのだろう。
◆
1546年7月に、私たちはマラッカに戻ってきた。海峡の都市である。マラッカを初めて訪れたときにはそれほど感じなかったが、島々を回った後では人の多さに息切れがしたほどだった。私たちは昨年から就任したシモン・デ・メロ長官へのあいさつに訪れたのだが、彼は前任のポテリョ長官から話を聞いていたようで、興奮しながら私たちの旅の苦労をねぎらってくれた。
「危険があって、司祭がいなかったモロタイ島までよく足を伸ばしてくれました。無事で何よりです。ゴアやリスボンまであなたの活動は知られていますよ。みなあなたを尊敬し、会いたいと思っています。あなたに続いてモルッカ諸島への宣教に赴きたいという人たちがいて、もうマラッカに来ているのです。ぜひ、彼らに助言をしてあげてください」
私たちは長官にていねいにあいさつをすると、さっそく聖堂に向かうことにした。
巨大なサンティアゴ砦が日に灼けたように見える。それは、真夏のマラッカをいきなり見たからかもしれない。マラッカは常に暑い町なのだが、空も緑も色がとても濃い。
「おまえは、ずいぶん人から注目されるようになったな」とセサルがつぶやく。
「そうなのでしょうか」
「ああ、出会った人も出会っていない人もおまえのしたことに注目している。これからは一段とそうなるだろう。それはいい面もあれば、そうでない場合もある。水を差すようだが、それには気をつけたほうがいいかもしれない」
セサルの顔を見ながら、私はこの人のたどってきた道を思った。この人はごくごく幼い頃から注目されて育ったのに違いなかった。教皇の庶子(実際は実子)として、小さい頃から衆目を集めてきたのだ。そう、彼は10代半ばでもうパンプローナの司教だった。それがローマの人々にどれほどの感情を抱かせたか、想像することは難しくなかった。彼の言葉には実感がこもっている。
「あなたがそう言うわけは分かりますよ。水を差しているなどと思うはずはありません」
私はセサルに他人事のように告げたが、それを実感するのは思ったよりもずっと早かった。
私たちは総督が言っていた3人の聖職者にまず対面することにした。ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士だ。この3人がモルッカ諸島の宣教活動を引き継ぐと志望してくれたのだ。私はとても嬉しく感じたし、自分の見聞きしたこと、適切な宣教の方法についてしっかり引き継がねばと、身の引き締まる思いだった。
リベイラ司祭とヌネス修道士がポルトガルのコインブラでイエズス会に入会したと聞いて、私は身が震える思いがしたよ。アントニオ、コインブラ大学には私の血縁者、マルティン・ナワロ教授(アスピルクエタ)がいるからだ。私がそれを持ち出すまでもなく、彼らからその話をしてくれた。
「国王の認可を受けたイエズス会のコインブラ学院でたくさんの若者が学んでいます。コインブラ大学のナワロ教授も神学やラテン語の担当として教鞭(きょうべん)を取っておられます。だいぶお年を召しておられますが、まだまだご健在です。私が聴講したときもザビエル司祭のことを話しておられましたよ。彼は私の一族の、ナヴァーラの誇りだと。私もそのお話を聞き、あなた様にお会いすることを夢見ていたのです」
リベイラ司祭の言葉を聞いて、セサルは、「フッ」と笑いをこぼした。私はセサルを見やって顔を赤くした。マルティンが元気なのは何よりだったし、イエズス会のために尽力してくれているのも嬉しかった。しかし、ナヴァーラの誇りとは……少々言い過ぎだと思う。
私はかつて、マルティンが寄越してきた手紙のことを思い出した。
――カトリック教会を救うなどと言っているようだが、文字通り大言壮語(たいげんそうご)と断じざるを得ない。既存の教会に、聖職者にそれができないと言うのだろうが、おまえたち若者の集団にそれができるという保証はあるのか。おまえの兄たちの言うことはもっともだと私は思う。早くその集団からは抜けてパリ大学での学業を修了しなさい。皆がナヴァーラで、サラマンカでおまえのことを本当に心配しているのだということを理解してほしい。これだからパリ大学などにやるのではなかった。私の目の届く大学にいればこのようなことにはならなかったのに。だからサラマンカに来いと何度も言っただろう。もう修士は取っているのだから、そのままサラマンカに来なさい。これではお前の亡き母に合わせる顔がない――
マルティンにとって、イエズス会は得体の知れない若者の集団に過ぎなかった。それが今は会士を育てる立場を担い、イエズス会に貢献してくれているのだ。何という、素晴らしいことだろう。
懸命に活動するのは主の御心に沿うものだと考えているからで、他の評価や賞賛をあてにしてのことではない。そのような考えでいたら、宣教などできるはずはないのだ。それでも、彼らのようにはるばる海を渡って私の後に付いてきてくれる人がいるというのはたいへん光栄なことだった。彼ら3人にはモルッカ諸島への船が出るまで1カ月ほどの間、島々の様子や信徒の状況などをていねいに説明することにした。
彼らは1547年8月に、モルッカ諸島に旅立っていった。
マラッカの数ヵ月は大きな実りを実感し、大いに働く時間でもあった。
ピエール・ファーブルが天に召されたことを知ったのも、ここマラッカでのことだった。シモン・ロドリゲスからの手紙が届いたのだ。彼はきっと、ローマからの報を受けて急いで手紙を出してくれたのに違いなかった。それでも、1年かかるということだ。いや、ローマからポルトガルに伝わる時間を思えば、驚くほど早く届いたという方が正しい。
やはり、ピエールが逝ったのは1546年の8月1日だった。去年、その日に、私はピエールの声を聞いた。それで、察したところもあったのだが改めて現実として受けとるのは悲しかった。ただ、このときはマラッカで忙しくつとめていたので、それで気をまぎらわすこともできた。
イエズス会の会員で天に召されたものはピエールの他にもいる。それを手紙で知るほかはなかったのだが、私たちのたどった道のりを思い返して、彼らのために祈ったのだよ。
トリエント公会議は1545年3月15日に始まってこの年(1547年)まで続き、いったん中断したという。結局、プロテスタントの聖職者が公会議の参加を見送ったということも手紙で知った。ただ、カトリック教会はプロテスタントの主張を自身の教会改革に生かすよう、教義の見直しをすすめているということだった。
すべてが一息にすすみ、解決するならどんなに素晴らしいだろう。しかし、大きな石を遠くに運ぶには少しずつ、少しずつ動かしていくしかないのだ。
マラッカではたいへん多忙な日々を送っていた。前に来訪したときも病院に滞在し、そこから聖堂での礼拝や説教に向かい、夜は子どもたちに話をし、祈る時間をもうけていた。再訪した今回はそれに輪をかけたようになって、礼拝や説教のときには人が入りきれなかったり、告解を求める人々の長い行列が連なっていた。他にも司祭はいるのだが、「ザビエル司祭に」と望む人ばかりだった。皆同じなのだが……と苦笑するしかない。なかなか全員の話を聞くに至らず、列の後方の人が怒り出す一幕もあった。
「これが、すなわち注目されることということだ」とセサルは聖堂のつとめをしながら私にささやく。私はうなずく。
率先して前に進むこと、それは人に付いてきてもらうことでもあるのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる


