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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル
不毛の島で豊かなものを受ける 1546年 モロタイ島
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〈フランシスコ・ザビエル、セサル・アスピルクエタ〉
1546年の秋、私たちはテルナテ島からモロタイ島(両方ともインドネシア)に至る船に乗った。
モルッカ諸島の島から島へ至る航路では大きな問題も起こらず、私たちも船酔いや生命の危険を感じることがない。船から見える島々の景色も晴れていればたいへん美しい。晴れていれば、である。実際は雨に降られることも多かった。服が濡れてしまうと困るので、船室の中でじっとしていることも多かったのだよ。服をたくさん持ってはいないのだから。
私は司祭なので、黒い胴衣を着ることがほとんどだ。これは替えを用意していたが、あとは寝間着と下着がほんの少しだけだ。この地域の暑さに耐えるよう、薄手の生地のもので揃えている。強い日差しの下で黒い服はすぐに色褪せてしまう。モルッカ諸島の旅では新たな衣類を調達しなかったので、何とかやり過ごさねばならない。なので、大事に扱うようにしていた。
モロタイ周辺の島々の話をポルトガル人に聞くと、正直に言って恐怖を感じることもあった。
その島の人々は書き文字を持たないこと、争いがよく起こっていて人々の中に殺伐とした空気があること、争いによる殺人も珍しくないこと、他の島と比べて山が深く移動に苦労を要すること、食物に乏しくパンもぶどう酒もないことーーなどである。
一言で言えば、それらは野蛮だと言われていた。人は相手に対して理解ができないと、まずその言葉を使う。あるいは奇妙、と表現する。
ただ、モロタイでは以前、その話を裏付けるような事件も起こっていた。以降、新たな宣教師が派遣されることがなく今日に至るのだ。
モルッカ諸島の東端にあたるこの島に、ポルトガルが拠点を築くべく上陸したのは1535年のことだった。
この時に同行していた2人の聖職者が島民の改宗のために働いた。その後、最初の聖職者と交替で2人の司祭、シモン・ヴァスとフランシスコ・アルヴァレスがこの島に入った。この頃まで宣教活動は順調に進んでいたようだ。聖堂も建てられたという。しかし、2人の司祭が着任した後にポルトガルを追い出そうとする地元の諸王が反乱を起こした。そして一帯は諸王に制圧され、ポルトガル人は撤退を余儀なくされたのだ。住民はキリスト教徒であることを止め、聖堂は破壊された。その争乱の中でシモン・ヴァス司祭は反ポルトガル勢力によって殺害され、アルヴァレス司祭も負傷した。アルヴァレス司祭は何とかテルナテまで逃げ延びたが、そこで息絶えた。
その後、この地に派遣されたポルトガルのアントニオ・ガルヴァン長官が再び艦隊を派遣しこの地に拠点を築いたのだ。しかし、いったん消えた信仰の灯を再びともすのは至難の技だった。もともと存在していたイスラム教勢力のもとに帰った人々は、新たにキリスト教徒になる人を迫害するようになった。
1544年に私たちが出会ったスペイン艦隊はこの島に上陸したという。彼らの話によれば、島内のところどころで戦闘が行なわれているということだった。
彼らも口を揃えて、「あの島で宣教することは不可能だ」と私に告げた。
確かに……モロタイに行かずにマラッカに戻るという選択肢もあったのだが、あの時私は行くことしか考えていなかった。上陸することができれば、様子を見て島を出るか決めようと思っていた。
1546年9月に私たちはその島を訪れた。
そうだな、アントニオ。確かに島の人々は私たちを警戒していたようだ。初めは私たちを遠巻きに見るだけだった。彼らの衣類も私たちの目から見れば大昔の人のもののように見えた。船から付いてきてもらった通訳が、「少しの間、島がどのようなところか見て回りたいと言っているだけだ」と説明してやっと迎え入れられたのだ。
そのピリピリした雰囲気はこれまで感じたことのないものだった。
翌日から少しずつ、本当に少しずつ話をした限りでは、彼らが特別排他的だという感じは受けなかった。ただ、襲撃や戦闘が頻繁に起こっているので、外国人とあからさまに接触するのは避けたいというのが本心だったのだろう。それは察することができた。
私たちは彼らの生活について尋ねることからはじめた。
「この島ではどのような作物が採れますか」
「皆さんの衣類は何で作られていますか」
そのような質問をすれば、素直な答えが返ってくる。確かに、他の島のように洗礼を望む人が多くいたわけではないが、少しずつ話をすれば打ち解けてもらえるだろうという確信は得られた。
それでも、以前司祭が殺されたという事実は私たちを慎重に行動するように促した。私は島の村々の様子を知ることを第一の目的にして、性急に信徒になることを求めないことにした。セサルもそれに同感だった。
「常に相手に敬意を払うことだ。しかし警戒は緩めるな」
それは私にとってたいへん難しいことだったが、セサルはやすやすとこなせるようだった。これはもう、過去の立場の違いとしか言えない。表現は悪いが、彼の回りには彼を敵だと考える人間が多かった。警戒しなければ生き延びて成功を目指すことができなかったからだ。
「それが政治というものだ」とセサルは言う。
私はそうではない、と言いたいのだがこのように危険も想定される場では正しい見方のようだ。つい私は、うーむと唸って考え込んでしまう。
セサルは続けていう。
「そうだな、政治というから抵抗を感じるのだろう。政治というのは単純に見れば人と人の関わりに過ぎない。人は不完全なものだ。集まればいさかいが起こる。そうではないのが理想だが、現実はそうではないだろう。
しかし、もっと大事なことがある。人は助け合わなければ生きていけないということだ。例えば、私たちは今モルッカの島々を巡っているが、私たちだけでは船を操ることができない。船を造ることもおぼつかない。私たちの旅もいろいろな考えを持つ人々の助けを得て成り立っているのだ。どう人の助けを得て、使徒としての役目を果たしていくか。時にはおまえの意思とは違う方法を取らなければならないかもしれないが、まずは状況をよく見るべきだろう」
セサルは私の肩をポンと叩くと、寝台に横になった。私はふっと立ち上がって、逗留しているわらぶき屋根の小さな家の外に出た。
星が降ってきそうなほど、まぶしく輝いている。
翌日から私たちはイスラム教勢力の影響が少ないと思われる7つの村を訪れることにした。島の地理に詳しい通訳を先頭に歩く。通訳も道すがらいろいろな話を話してくれた。この辺りでは米がよく獲れるので主食はパンではなく米を蒸したものだということ、衣類はこの島に多く生えている木の皮から作られていること、イノシシがたいへん多いことなど、この島の特徴を教えてくれた。
一方で、セサルが興味を持って尋ねていたのは、噴火する山のことだった。
ちょうどこの島に来るときに、煙をもくもくと噴いている山を持つ島を見た。
タバロス島、と船員は言っていた。もくもくと、というのでは表現が穏やかすぎるかもしれない。凄まじい勢いだった。黒い煙がかなり上空まで達しており、海まで硫黄のような匂いが広がっている。もう人が住める状態ではないようだ。
この辺りには火を噴く山を持つ島が多く、どこかで煙がひどくなれば避難民を近隣の島で受け入れているという。これらの山がひとたび火を噴けば、山の木々は溶けて煮立った岩に押し流され、煙は毒となって地上の生物を窒息させる。地上だけではない、大量の溶けた岩が流れ込んだ海では、魚も窒息してしまう。
「それで楽に魚が採れると漁師は喜びます」
生活の知恵ということだろうか。いずれにしても、島々で行き来をし、助け合っているのもまた事実なのだ。
さて、モロタイの村に入ってしばらく経ってから気づいたが、おそるおそるではあるけれど、話をして、こちらの話を聞いてもらえる場合もあった。もちろん、聞いてもらうに至らないことも多かった。案内人がいるとは言っても、道すがらぶつかる視線は友好的なものではなかったし、ひどく気が疲れるというのが正直なところだった。
ただ、私は今ここの地にいる。ならば人々をきちんと見ようと思った。
この島の人々がこれだけ排他的になるのはなぜなのか。
この島はモルッカ諸島の東端にある「果ての島」だ。海の通り道として昔から舟が行き来し、それゆえに外からの侵入者が多く、争いが絶えなかった。そこで強いものが次々と入れ替わり、裏切りが日常的に横行し人が人を信じなくなってしまったのではないのか。そこに新たに登場したポルトガル人だ。続いてやってきたスペイン人も含めて、西洋人は害をもたらす侵略者として認識されているのではないか。
ならば、「私たちは敵ではない」という、そこから始めるようにするべきではないのか。
私はそのように思い、村々に、人々に、穏やかに働きかけるようにつとめていた。
そのように人々と話をしていたある日のこと。木々に休む鳥が、聞いたことのないような高い啼き声を発してバサバサッと一斉に飛び立った。私は急なことに驚いてそちらを振り返った。続いて、地獄から響いてくるような、低いゴオォーッという地響きがした。それと同時に地面がグラグラと揺れだした。
地震だ。
大きい。
側に立つセサルが、私に伏せるように促す。
しかし、揺れはなかなかおさまらない。
私は頭を抱えて身をじっと伏せた体勢で、揺れが収まるのを待っているしかなかった。大地もろとも揺れていて、どこにも逃げ場はないのだ。
揺れがおさまってくると、私たちは村の人々と一緒に辺りに被害がないか確かめた。どの家も草や木で簡単に組まれたもので、傾いているが、すぐに建て直せるだろう。このような地震が頻繁に起こるので、軽量かつ簡単な家にしているのだろう。これがヨーロッパのようにレンガを積んで造った家ならば、あっという間に崩れて、中にいる人は無傷ではいられないはずだ。
「フランシスコ、あれを見ろ」とセサルが言う。
セサルの指す方を見ると、土の地面はところどころでひび割れている。背後の山を見ると一部崩れ落ちているのが分かる。
村人たちとの対話はそこでお開きになった。
私たちは礼を言ってから次の村に向かうためにまた歩き始めた。地面はところどころで盛り上がったり、落ち窪んでいたので注意して歩かなければならなかった。私もセサルも案内人も同じようにそろそろと歩く。
そうして私は昔、ヴェネツィアに仲間たちと向かう途中、泥地で足を取られて転んだことをふっと思い出した。勢いばかりで進んでいたので、深みにはまって足が抜けなくなってしまったのだ。あの頃はそれを困難だと思わなかったが、今はどうなのだろう……。
「セサル、ここほど宣教に適した土地はないと思います」と私は突然口にする。
「どうした? 急に」とセサルが問う。
「この島の人々は神の恵みを受けるのに最もふさわしい。そうは思いませんか。人々は貧しく、パンもぶどう酒も知らない。人々の悪意を恐れて身を固くしている。自然も決して優しくはない。信仰は、この島の人々のような、このような人々のためにこそあるのです。このような人々が恵みを受けられないのだとしたら、いったい誰がその恵みにかなうと言うのですか」
最後の方には、私は少し興奮していたかもしれない。声が上ずっているのが自分でも分かった。セサルが笑顔でうなずいている。
◆
私たちは1546年の12月まで3カ月間、モロタイの島々の訪問を続けた。生命の危険にさらされることなく7つの村にすべて訪問することができたことに、繰り返し感謝の祈りを捧げたよ。ただ、船の出航に合わせての滞在だったので、十分に働くことはできなかった。3カ月でできる仕事ではないのだ。私はこの島で見聞きしたことを、マラッカに、コーチンに、ゴアに、リスボンの国王とシモン・ロドリゲスに、ローマのイニゴ(イグナティウス・ロヨラ)と全会員に伝えなければならない。
この島こそ最も私たちのような宣教師を多く派遣するべきであると。
私たちは船でまたテルナテ島に戻り、アンボン島に戻る。そしてまた、前にしてきたことを継続するための手だてを考えていかなければならない。船で私は猛烈な勢いで手紙を書き続けた。アンボンから、テルナテから、マラッカから、ゴアから、コーチンから手紙を出し続けるつもりだった。どの手紙が最も早く目的地に着くかわからないからだ。書き漏らしたことがあれば、次の土地で書く。私は書くことに夢中になっていた。
最も不毛に見える土地で、最も豊かなものを受け取ったのだ。
1546年の秋、私たちはテルナテ島からモロタイ島(両方ともインドネシア)に至る船に乗った。
モルッカ諸島の島から島へ至る航路では大きな問題も起こらず、私たちも船酔いや生命の危険を感じることがない。船から見える島々の景色も晴れていればたいへん美しい。晴れていれば、である。実際は雨に降られることも多かった。服が濡れてしまうと困るので、船室の中でじっとしていることも多かったのだよ。服をたくさん持ってはいないのだから。
私は司祭なので、黒い胴衣を着ることがほとんどだ。これは替えを用意していたが、あとは寝間着と下着がほんの少しだけだ。この地域の暑さに耐えるよう、薄手の生地のもので揃えている。強い日差しの下で黒い服はすぐに色褪せてしまう。モルッカ諸島の旅では新たな衣類を調達しなかったので、何とかやり過ごさねばならない。なので、大事に扱うようにしていた。
モロタイ周辺の島々の話をポルトガル人に聞くと、正直に言って恐怖を感じることもあった。
その島の人々は書き文字を持たないこと、争いがよく起こっていて人々の中に殺伐とした空気があること、争いによる殺人も珍しくないこと、他の島と比べて山が深く移動に苦労を要すること、食物に乏しくパンもぶどう酒もないことーーなどである。
一言で言えば、それらは野蛮だと言われていた。人は相手に対して理解ができないと、まずその言葉を使う。あるいは奇妙、と表現する。
ただ、モロタイでは以前、その話を裏付けるような事件も起こっていた。以降、新たな宣教師が派遣されることがなく今日に至るのだ。
モルッカ諸島の東端にあたるこの島に、ポルトガルが拠点を築くべく上陸したのは1535年のことだった。
この時に同行していた2人の聖職者が島民の改宗のために働いた。その後、最初の聖職者と交替で2人の司祭、シモン・ヴァスとフランシスコ・アルヴァレスがこの島に入った。この頃まで宣教活動は順調に進んでいたようだ。聖堂も建てられたという。しかし、2人の司祭が着任した後にポルトガルを追い出そうとする地元の諸王が反乱を起こした。そして一帯は諸王に制圧され、ポルトガル人は撤退を余儀なくされたのだ。住民はキリスト教徒であることを止め、聖堂は破壊された。その争乱の中でシモン・ヴァス司祭は反ポルトガル勢力によって殺害され、アルヴァレス司祭も負傷した。アルヴァレス司祭は何とかテルナテまで逃げ延びたが、そこで息絶えた。
その後、この地に派遣されたポルトガルのアントニオ・ガルヴァン長官が再び艦隊を派遣しこの地に拠点を築いたのだ。しかし、いったん消えた信仰の灯を再びともすのは至難の技だった。もともと存在していたイスラム教勢力のもとに帰った人々は、新たにキリスト教徒になる人を迫害するようになった。
1544年に私たちが出会ったスペイン艦隊はこの島に上陸したという。彼らの話によれば、島内のところどころで戦闘が行なわれているということだった。
彼らも口を揃えて、「あの島で宣教することは不可能だ」と私に告げた。
確かに……モロタイに行かずにマラッカに戻るという選択肢もあったのだが、あの時私は行くことしか考えていなかった。上陸することができれば、様子を見て島を出るか決めようと思っていた。
1546年9月に私たちはその島を訪れた。
そうだな、アントニオ。確かに島の人々は私たちを警戒していたようだ。初めは私たちを遠巻きに見るだけだった。彼らの衣類も私たちの目から見れば大昔の人のもののように見えた。船から付いてきてもらった通訳が、「少しの間、島がどのようなところか見て回りたいと言っているだけだ」と説明してやっと迎え入れられたのだ。
そのピリピリした雰囲気はこれまで感じたことのないものだった。
翌日から少しずつ、本当に少しずつ話をした限りでは、彼らが特別排他的だという感じは受けなかった。ただ、襲撃や戦闘が頻繁に起こっているので、外国人とあからさまに接触するのは避けたいというのが本心だったのだろう。それは察することができた。
私たちは彼らの生活について尋ねることからはじめた。
「この島ではどのような作物が採れますか」
「皆さんの衣類は何で作られていますか」
そのような質問をすれば、素直な答えが返ってくる。確かに、他の島のように洗礼を望む人が多くいたわけではないが、少しずつ話をすれば打ち解けてもらえるだろうという確信は得られた。
それでも、以前司祭が殺されたという事実は私たちを慎重に行動するように促した。私は島の村々の様子を知ることを第一の目的にして、性急に信徒になることを求めないことにした。セサルもそれに同感だった。
「常に相手に敬意を払うことだ。しかし警戒は緩めるな」
それは私にとってたいへん難しいことだったが、セサルはやすやすとこなせるようだった。これはもう、過去の立場の違いとしか言えない。表現は悪いが、彼の回りには彼を敵だと考える人間が多かった。警戒しなければ生き延びて成功を目指すことができなかったからだ。
「それが政治というものだ」とセサルは言う。
私はそうではない、と言いたいのだがこのように危険も想定される場では正しい見方のようだ。つい私は、うーむと唸って考え込んでしまう。
セサルは続けていう。
「そうだな、政治というから抵抗を感じるのだろう。政治というのは単純に見れば人と人の関わりに過ぎない。人は不完全なものだ。集まればいさかいが起こる。そうではないのが理想だが、現実はそうではないだろう。
しかし、もっと大事なことがある。人は助け合わなければ生きていけないということだ。例えば、私たちは今モルッカの島々を巡っているが、私たちだけでは船を操ることができない。船を造ることもおぼつかない。私たちの旅もいろいろな考えを持つ人々の助けを得て成り立っているのだ。どう人の助けを得て、使徒としての役目を果たしていくか。時にはおまえの意思とは違う方法を取らなければならないかもしれないが、まずは状況をよく見るべきだろう」
セサルは私の肩をポンと叩くと、寝台に横になった。私はふっと立ち上がって、逗留しているわらぶき屋根の小さな家の外に出た。
星が降ってきそうなほど、まぶしく輝いている。
翌日から私たちはイスラム教勢力の影響が少ないと思われる7つの村を訪れることにした。島の地理に詳しい通訳を先頭に歩く。通訳も道すがらいろいろな話を話してくれた。この辺りでは米がよく獲れるので主食はパンではなく米を蒸したものだということ、衣類はこの島に多く生えている木の皮から作られていること、イノシシがたいへん多いことなど、この島の特徴を教えてくれた。
一方で、セサルが興味を持って尋ねていたのは、噴火する山のことだった。
ちょうどこの島に来るときに、煙をもくもくと噴いている山を持つ島を見た。
タバロス島、と船員は言っていた。もくもくと、というのでは表現が穏やかすぎるかもしれない。凄まじい勢いだった。黒い煙がかなり上空まで達しており、海まで硫黄のような匂いが広がっている。もう人が住める状態ではないようだ。
この辺りには火を噴く山を持つ島が多く、どこかで煙がひどくなれば避難民を近隣の島で受け入れているという。これらの山がひとたび火を噴けば、山の木々は溶けて煮立った岩に押し流され、煙は毒となって地上の生物を窒息させる。地上だけではない、大量の溶けた岩が流れ込んだ海では、魚も窒息してしまう。
「それで楽に魚が採れると漁師は喜びます」
生活の知恵ということだろうか。いずれにしても、島々で行き来をし、助け合っているのもまた事実なのだ。
さて、モロタイの村に入ってしばらく経ってから気づいたが、おそるおそるではあるけれど、話をして、こちらの話を聞いてもらえる場合もあった。もちろん、聞いてもらうに至らないことも多かった。案内人がいるとは言っても、道すがらぶつかる視線は友好的なものではなかったし、ひどく気が疲れるというのが正直なところだった。
ただ、私は今ここの地にいる。ならば人々をきちんと見ようと思った。
この島の人々がこれだけ排他的になるのはなぜなのか。
この島はモルッカ諸島の東端にある「果ての島」だ。海の通り道として昔から舟が行き来し、それゆえに外からの侵入者が多く、争いが絶えなかった。そこで強いものが次々と入れ替わり、裏切りが日常的に横行し人が人を信じなくなってしまったのではないのか。そこに新たに登場したポルトガル人だ。続いてやってきたスペイン人も含めて、西洋人は害をもたらす侵略者として認識されているのではないか。
ならば、「私たちは敵ではない」という、そこから始めるようにするべきではないのか。
私はそのように思い、村々に、人々に、穏やかに働きかけるようにつとめていた。
そのように人々と話をしていたある日のこと。木々に休む鳥が、聞いたことのないような高い啼き声を発してバサバサッと一斉に飛び立った。私は急なことに驚いてそちらを振り返った。続いて、地獄から響いてくるような、低いゴオォーッという地響きがした。それと同時に地面がグラグラと揺れだした。
地震だ。
大きい。
側に立つセサルが、私に伏せるように促す。
しかし、揺れはなかなかおさまらない。
私は頭を抱えて身をじっと伏せた体勢で、揺れが収まるのを待っているしかなかった。大地もろとも揺れていて、どこにも逃げ場はないのだ。
揺れがおさまってくると、私たちは村の人々と一緒に辺りに被害がないか確かめた。どの家も草や木で簡単に組まれたもので、傾いているが、すぐに建て直せるだろう。このような地震が頻繁に起こるので、軽量かつ簡単な家にしているのだろう。これがヨーロッパのようにレンガを積んで造った家ならば、あっという間に崩れて、中にいる人は無傷ではいられないはずだ。
「フランシスコ、あれを見ろ」とセサルが言う。
セサルの指す方を見ると、土の地面はところどころでひび割れている。背後の山を見ると一部崩れ落ちているのが分かる。
村人たちとの対話はそこでお開きになった。
私たちは礼を言ってから次の村に向かうためにまた歩き始めた。地面はところどころで盛り上がったり、落ち窪んでいたので注意して歩かなければならなかった。私もセサルも案内人も同じようにそろそろと歩く。
そうして私は昔、ヴェネツィアに仲間たちと向かう途中、泥地で足を取られて転んだことをふっと思い出した。勢いばかりで進んでいたので、深みにはまって足が抜けなくなってしまったのだ。あの頃はそれを困難だと思わなかったが、今はどうなのだろう……。
「セサル、ここほど宣教に適した土地はないと思います」と私は突然口にする。
「どうした? 急に」とセサルが問う。
「この島の人々は神の恵みを受けるのに最もふさわしい。そうは思いませんか。人々は貧しく、パンもぶどう酒も知らない。人々の悪意を恐れて身を固くしている。自然も決して優しくはない。信仰は、この島の人々のような、このような人々のためにこそあるのです。このような人々が恵みを受けられないのだとしたら、いったい誰がその恵みにかなうと言うのですか」
最後の方には、私は少し興奮していたかもしれない。声が上ずっているのが自分でも分かった。セサルが笑顔でうなずいている。
◆
私たちは1546年の12月まで3カ月間、モロタイの島々の訪問を続けた。生命の危険にさらされることなく7つの村にすべて訪問することができたことに、繰り返し感謝の祈りを捧げたよ。ただ、船の出航に合わせての滞在だったので、十分に働くことはできなかった。3カ月でできる仕事ではないのだ。私はこの島で見聞きしたことを、マラッカに、コーチンに、ゴアに、リスボンの国王とシモン・ロドリゲスに、ローマのイニゴ(イグナティウス・ロヨラ)と全会員に伝えなければならない。
この島こそ最も私たちのような宣教師を多く派遣するべきであると。
私たちは船でまたテルナテ島に戻り、アンボン島に戻る。そしてまた、前にしてきたことを継続するための手だてを考えていかなければならない。船で私は猛烈な勢いで手紙を書き続けた。アンボンから、テルナテから、マラッカから、ゴアから、コーチンから手紙を出し続けるつもりだった。どの手紙が最も早く目的地に着くかわからないからだ。書き漏らしたことがあれば、次の土地で書く。私は書くことに夢中になっていた。
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