16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

エメラルドの海に響く歌声 1546年 テルナテ島

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〈フランシスコ・ザビエル、セサル・アスピルクエタ、ピエール・ファーブル〉

 私たちは1546年6月にアンボン島を出発し、7月の初旬にテルナテ島に到着した(両方とも現在のインドネシア)。
 現地の人々が使うコラコラという船は小さいものだったが、この航海では大過なく到着することができた。
 ここにはポルトガルの要塞がある。要塞がある、ということはすなわちポルトガル人の町があるということだ。テルナテの中心にある町にはポルトガル人男性が約120人住んでいて、その半数が現地の女性と結婚していた。その子どもと使用人を含めれば人口は1600人ほどになる。モルッカ諸島の中でもポルトガル人が多い島だった。



 この頃にはセサルもよく話すようになっていた。

 彼はアンボン島でスペインの船と船員が居合わせたことにたいそう警戒していた。彼の出自が少しでも表に出てしまうことを極端に恐れていたのだ。それでほとんど話さなくなったというわけだ。
 私が親しく話をしたコスメ・デ・トーレスがヴァレンシアの出身だと知らせたとき、セサルは本当に複雑な表情をしていた。
 彼がスペインという国にいかに複雑な感情を抱いているかを感じさせるものだった。

 今世紀(16世紀)の初めに、ローマやナポリ、あるいはアルバセーテ(スペイン)やパンプローナ(旧ナヴァーラ)で起こった出来事を気に留める人はもういないだろう。トーレスがヴァレンシア出身だと言っても、セサルのことを知っているとは思えない。もう40年も前のことなのだ。
 とはいえ、それを覚えているか、探している人がいるらしいというのも分かっている。現在の教皇パウルス3世(元はアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿)も気に留めているようだし、イエズス会の大きな庇護者であるガンディア公爵(フランシスコ・ボルハ)もそうだ。

 そのような人がいるかぎりはセサルも心底安心することができないのだろう。


 この緑の濃い島で、ポルトガルの要塞を中心に私たちはまた日々つとめに励むこととなった。日曜日や祭日には説教をし、人々の告白を聞く。そしてそれ以外の時は信徒でない人々にも話をする。
 この島にはポルトガル人ではない人々が多くいた。テルナテ島に元から住んでいる人、マカッサルのあるスラウェシ島から移ってきた人、この島の出身ではないがポルトガル人の使用人として来ている人、ミンダナオ(フィリピン)から連れてこられた人、その中にはポルトガル人と結婚してやってきた女性もいる。

 私たちは信徒ではないこれらの人々を分けることなく、同じように話をすることにした。この時にはマラッカで作成した、マレー語の使徒信条などがたいへん役に立った。

 モルッカ諸島ではマレー語が広く使われていたからだ。

 アントニオ、この頃にはこれらの翻訳をより詳しくし、改善をすすめていたのだ。一番最初はポルトガル語で作り、それからマラバル語で作ったのだが、それらはまだごくごく単純なもので、言葉の誤りもあった。気づいた部分はフランシスコ・マンシラスに伝えて加筆修正するようにしていたが、内容についてはもう少し詳しくしたいと思っていたのだ。マラッカではマレー語とポルトガル語双方に通暁(つうぎょう)した人の助けを得られたので、作業は順調に進んだ。

 ただ、一晩やそこいらでできるものではない。その点は実際にやってみないと分からないだろう。

 テルナテではその手順から一歩進めて、ポルトガル人向けの解説書を作成した。『公教要理の信仰箇条についての短い説明書』と題したそれは、これまでごくごく簡単に聞く人が諳じられるよう紋切り型で記していたことを、口頭で話す時と同じ平易な言葉で綴ったものである。
 イエス・キリストについてまったく知らない現地の人々に対してだけではなく、ポルトガル人にも改めてきちんと知らせる必要がある。そのような思いを強くしていたからだ。

 特に信仰から離れがちになっているポルトガル人にこそ理解してもらう必要があった。

 セサルはマレー語の使徒信条や、ポルトガル語の『説明書』の筆耕を見て感心していた。マレー語のものは解することができないので、脇にポルトガル語を添えている。

「ああ、立派なものだ。これならば教皇に見せても文句を言われないだろう」とセサルが白いあごひげを撫でながら言う。
「本当は、聖書を訳すことができればなおいいのですが……」と私はつぶやく。セサルは目を丸くする。

「それはまた、素晴らしく大きな山だ! 私たちは自国語で聖書を訳すのではないから、スイスの高峰より大きな山に違いない」とセサルはニコリと笑う。ルターやカルヴァンを揶揄している。ついつい私も苦笑する。

 アントニオ、前にも言ったかと思う。ずいぶん長い間、聖書はラテン語で読み書きをするもので、他の言語に訳されることがなかったのだ。それをヴィッテンベルグのマルティン・ルターがドイツ語に訳して大量に印刷した。プロテスタントの考えが急速に広がったのは、ドイツ語で印刷された聖書のおかげだと言っても過言ではないだろう。

 その事実ひとつを挙げれば十分だと思うが、この東方宣教においても、聖書を現地の言葉に訳すことが喫緊(きっきん)の課題になっていると私は感じていた。

 旅を進めれば進めるほど、これまで手探りでやってきたことの不十分さを感じる。使徒信条や祈りの言葉もきっかけとしては大切なのだが、その土地の人々がよく理解し、長く信仰を保つにはやはり聖書が必要だ。

 聖書を訳すには、言語と神学に通じた人が両方必要だ。数人で手分けして作業するにしてもそれなりの時間はかかるだろう。丸ごと訳すには数ヵ月、いや数年かかるかもしれない。
 翻訳が完成したとしよう。それを印刷するのはさらに重要なことだ。もっとありていに言えば印刷機がどうしても必要だ。いくら必死に書き写しても、10部、100部作るのにどれほど時間がかかることか。私たちはそれと同時に宣教活動に出ていかなければならない。今まで通ってきた土地のすべてに備えるとしたら、いったいどれほどの人が必要になるのだろう。

 考えることがたくさんあった。すべてこの旅で積み重ねてきた課題だ。それが大波のように私の頭に押し寄せていた。

 そのようなことをずっと考えていたので、テルナテ島でたまに地面が揺れることもさほど気にならなかった。秋口になったら、モロタイ島に向かう船が出ることも忘れかけたほどだった。

 セサルはそんな私をよくこうなだめていた。

「1日にできること、1カ月でできること、1年でできること、10年でできること。それらは切り分けて考えた方がいい。10年かかることをなすためには、現在に立ち戻れ。1日に何をするべきか。どれぐらいの人間が必要か。どのような援助が必要か。どこから何を調達するか。雑多な問題も日々ならば克服できる。そう考えれば焦ることもなくなる。主は常に見守っていて下さるのだ」

 それはその通りだった。
 私は何もかも背負い過ぎていたのだろうか。

 そんなある晩、私は自分の逸る心を静めようと、ただじっと祈っていた。私たちの誓願の日、8月15日がまたやってこようとしていた。セサルはイエズス会員ではないので、今年は私一人で誓願を更新するのだろう。

 ろうそくは貴重品だったのであまり使わないようにしていたのだが、この時はただ祈るために火を灯していた。イニゴがマンレサの洞窟で一人黙想したように。沈黙のうちに祈り続け、ふとろうそくの火を見た。

 ゆらゆらと揺れるろうそくの火。
 私はその光景をどこかで見たような気がした。
 あれはいつのことだっただろう。
 ふと、ろうそくの火の向こうに私は、ひどく懐かしい顔を見た。そして、私の耳に懐かしい声が響いてきた。

〈きみはどんな激しい感情も、自分を前に進めるための原動力に変えられるだけの聡明さを持っているんだよ。それは僕がいちばんよく知っている〉
 ピエール、
 ピエール・ファーブル。懐かしい過去からの声。

「ピエール!」

 ろうそくは変わらずに、ゆらゆらと揺れている。あまりにもはっきりと耳の奥に響いた声を探して、私はきょろきょろと辺りを見回した。そこにはテルナテ島の静かな夜だけがあった。私は荷物の中から、マラッカで受け取った同志たちの手紙を取り出した。そして、ピエール・ファーブルの手紙をゆっくりと見返した。

〈……ぼくは今少し体調がすぐれない。ローマに行くまでには治さなければいけない。

 きみとまた会いたい。次に会えるのは真珠の門の向こう側かもしれないね。僕たちが主の平和の道具として、長く働けますように。

 きみのことをいつでも思っているよ……〉

 私は思った。
 ピエールは、「体調がすぐれない」などと人にこぼすような人間ではない。人に心配させるようなことは決して言うことがなかった。それをあえて書いたのは……私に伝えようとしたのか……。

 それは、1546年8月1日のことだった。
 私はそのとき、何が起こったのか分かっていなかった。分かっていなかったのだが、おぼろげに気づいたのだ。

 親友が今生の別れを告げに来たことを。

 そのことはかなり後にシモン・ロドリゲスからの手紙で知った。ピエール・ファーブルはトリエント公会議に参加することもあり、いったんローマに呼び戻された(ローマとトリエントは離れている)。しかし、彼は体調が悪化しておりローマまで着いたところで倒れてしまった。
 おそらく、体調がひどく悪化していて気力だけでローマにたどり着いたのだろう。
 そのまま体調が回復することなく、イニゴに看取られて息を引き取った。

 それが1546年8月1日のことだった。
 享年40歳の早すぎる死だった。

 私はおぼろげに感じてはいたものの、確かな情報ではなかったのでピエールのことは気にしないように務めていた。次にイエズス会からの手紙が来たときにはきっと杞憂で済むだろうとも思っていたのだ。
 ただ、ピエールの声は私への励ましのようにも思えた。私はマタイ伝の一節を繰り返していた。



 イエスはこの群集を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

「心の貧しい人々は、幸いである、
   天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
   その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
   その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである。
   その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
   その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
   その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
   その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである。
   天の国はその人たちのものである……」

(マタイによる福音より)



「昨晩はずいぶん遅くまで祈っていたのだな」と翌朝起き出した私にセサルが告げた。
「ええ」と私が答えると、セサルはうなずいて、散歩に出ないかと私を誘った。
「静かで美しい入り江がある。きっとおまえはまだ見ていないだろう」

 セサルについてしばらく歩くと、崖と崖の間にそれほど広くはない入り江が広がっていた。岩場で足元はおぼつかなかったが、海はきれいなエメラルド色をしていた。水際に寄って覗きこむと、意外に深くまで落ち込んでいるようだ。なぜそれが分かるのかというと、岩の層が幾重にも重なる底が見えるほど水が済んでいたからだ。
 エメラルド色の水は朝日に照らされて本物の宝石のように輝いている。私はほうとため息をついて、しばらく波の音を聞いていた。セサルもそんな私の様子を見ているだけで言葉を発しない。
 この場ではそれが不要であることをお互いに承知しているのだ。

 少し経つと、崖の向こう側から人の声が聞こえてきた。向こう側なのでその姿は見えないが、どうやら漁師たちが船を出すところらしい。彼らは揃って歌を口ずさんでいた。
 さらに耳を済ますと、彼らが歌っていたのは、使徒信条であり、主の祈りであり、アヴェ・マリアであり……すべてこの1カ月ほどの間に私が教えた言葉だった。現地の人が皆洗礼を受けたわけではない。それでも、信徒も未信徒も、同じ言葉を歌にして口ずさんでいる。
 私はしばらく、ただじっとその歌を聞いていた。

「美しいと思わないか」とセサルがつぶやく。

 エメラルドの入り江と漁師たちの聖歌。確かに私がこれまで聞いたことのないような、美しい響きだった。

「おまえは私たちに足りないもののことで頭がいっぱいになっていたようだったが、このような満たされた祝福もある。これがまず、おまえのなすべきことであるとは思えないだろうか」

 私はテルナテの入り江から島々の浮かぶ海を見つめてうなずいていた。

 9月に、私たちはテルナテからモロタイ島に向かう船に乗る。それまでのわずかな時間を、一時も無駄にしないようにしよう。そう心を新たにしたのだ。
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