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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
人事を尽くして船出を待つ 1549年 ゴア(インド)
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、コスメ・デ・トーレス、ファン・フェルナンデス、アンジロウ(弥次郎)、セサル・アスピルクエタ、ルイス・フロイス、アントニオ・ゴメス、ガスパル・バルゼオ〉
1549年のはじめの3カ月はあっという間に過ぎていった。ゴアで私が決めるべきことがあったからだ。
前年から考えてはいたが、リスボンから渡航してきた司祭や修道士、神学生の行き先を決めることが最優先の事柄である。派遣先の候補地はインドだけではなくいくつもあった。まずはソコトラ島(現在イエメン)、ホルムズ海峡の島々などポルトガル艦隊の寄港地だ。インドではゴアを拠点にしてコーチン、バセイン、ディウ、サントメ、コモリン岬など。さらに東に向かいマラッカ、モルッカ諸島。さらにミンダナオやシャム(タイ)、明国(中国)の沿岸にあるマカオにも宣教師を派遣することになるだろう。ただ、一気に全てに派遣するほどの人間はいない。高齢で動きが取れない人もいるのだ。
それを一人で考えているときに、私はしばしば最年少の渡航者の訪問を受けた。確か年齢は16歳だったかと思う。ポルトガル王に仕える書記官だったので貴族の子弟なのだろう。インド行きを自分で希望して、イエズス会に入会したのだ。
王宮での文官の立場をあっさり捨てて東方宣教に出るため神学生となったのである。
「ザビエル司祭、私はあなたがサントメから発した書簡を王宮で拝見して、もういても立ってもいられなくなってしまいました。それですぐ国王陛下(ジョアン3世)に申し出たのです」
どうやら、私が彼の心を決めた人物らしい。嬉しい反面、多少戸惑いもした。聖職者としての修養を積んでからでもよかったのではないかと思ったのだ。背が高く、風貌だけを見れば大人なのだが、本当に彼はまだ若かったのだから。
とはいえ、彼が思いきった決断をしたのは、若いからというだけではないだろう。気兼ねなく私に会いに来ることからも分かるように、好奇心が旺盛で何事にも物怖じしないのだ。それは年齢ではなく性格だろう。彼のような性質を持つ人は、今後の宣教活動に必要だと感じていた。なので、思いきって彼をディウに派遣することにしていた。
「ザビエル司祭、僕は司祭になれたらあなたを追いかけて日本に行きます」
彼はそう言って旅立っていった。
ゴアの聖パウロ学院にいた、ミセル・パウロ司祭ーー覚えているか、私とともにリスボンを出航した人だーー彼も少年のことを褒めていた。彼は好奇心が旺盛なだけではなく、ものを書くことがたいへん得意だった。王宮で書記官を務めるのに有用な才能だっただろうが、宣教活動にもさぞかし役立つことだろうと思ったよ。
彼が早く神学と修練を修めてくれたらと願わずにいられなかった。
その少年の名は、ルイス・フロイスという。
窓を開けると海からの風が流れ込んで気持ちがいい。ゴアの聖堂の一室ではセサルがタミル語に訳した使徒信条を指でなぞりながら読んでいる。
「よく訳せているのではないか。まだ私もタミル語はあまり得意ではないが」
「ええ、これなら使えると思います」と私は微笑む。
セサルははたと手を止めて、私をじっと見て言う。
「きのう、ミセル・パウロと話したが、アントニオ・ゴメス院長はまたインド人の学生を追い出したようだ……」
「そうですか……困りましたね……」と私は顔をしかめる。
1548年に王の任命を受けて新たに聖パウロ学院長としてアントニオ・ゴメス司祭が着任していた。たいへんな弁舌家で、ポルトガルでは彼の説教を聞いた人が皆感じ入って聞いていたそうだ。その点は素晴らしいのだが、彼は明らかにポルトガル人とその他の国の人を異なるものだと決めてかかっていた。また、祈りの方法をはじめとする典礼やしきたりをどこまでも西洋のやり方で厳密に堅持しようとするのだ。そのため、これまで学んできたポルトガル人以外の人を閉め出すこともしばしばだった。
ミセル・パウロは彼の姿勢についていけないと私によくこぼしていた。私もそのことについて憂慮していた。なぜなら、人に対して区別をつけることは本来の道から外れることになるからだ。それは支配者の発想であって、宣教師が持つべき考えではない。それに、いくらラテン語やポルトガル語で立て板に水のごとく説教しても、聞く人が何を言っているのか分からなければゾウの鳴き声と変わらないだろう。もちろん、聖職者になることを希望するならば、インド人でもマレー人でもラテン語を習得してもらわなければならないだろう。それはヨーロッパの人間も同じだし、ヨーロッパ人も基礎から覚えるのだ。異国の人に基礎も何もなく、はじめからそれを強いるのは無理というものだ。
「ゴメス院長は聖母マリアを感じることがあるのだろうか」と風通しのよい部屋の窓辺にもたれて立つセサルはつぶやく。
この人は、従者という立場をきっちりと保っていた。真っ白になった長い髪を後ろで束ねて、その年齢からは信じられないほど背筋をまっすぐにして、常に私の斜め後ろにいる。この人の年齢は、このときいくつだったか……ああ、そうだ、もう73歳になっていたのだ。
私は常に現実主義のセサルから、聖母マリアの名がいきなり出てきたことに少し驚いたが、ふさわしい表現だと思ったよ。
「そうですね、寛容と慈悲に国境はない……ゴメス院長にはそれを思い出してもらうべきでしょう。しかし、セサル、あなたから真っ先に聖母マリアの名が出るとは少し驚きました」と私は言う。
「そうか? 口に出さないから信じていないということではない。深く信じているからあえてペラペラと喋ることもない。それはその人の生き方におのずから表れる。そういうものではないか。だいたい、言葉巧みに話す人間を私は信用していない。ずっと昔からそうだ」
いつものセサルの調子だったが、確かにうなずける。セサルはゴアに滞在している間、時間のあるときはミゼリコルディア(信徒の互助会)で奉仕活動をしていた。それも本人から聞いたのではなく、人づてに知ったのだ。かつて剣を手にイタリア半島を駆け回った人がそのようなことをするのかと驚いたのだが、彼の言葉を聞けばそれも自然なことに思えた。
セサルはその後、ぽつりぽつりと昔の話をしてくれた。スペインに囚われの身となって、決死の脱出に成功しケガをした身体でナヴァーラに向かったときのことを。そして、サンタンデールから乗った漁師の舟で熱にうなされながら見た光景を。(※1)
「あなたは、すべてを失い、命までも失おうとしていたときに、その姿を見たのですね」と私はセサルに告げた。
「そうだ、そして、それが私の転機にもなったのだと今は思っている。聖母マリアはすべてを包み込み、抱きしめるような存在だ。特に弱い人、困った人を守る存在だと私は信じている。自分もそうだったからだ。そこに、人を隔てて分裂させるようなものはない」
「それは……私たちが人々に教えることです。セサル。それをゴメス院長に教えなければならないのですか」と私は悲しい顔になる。
「相手に学ぶ気があればの話だがな」とセサルは窓の外に目をやる。
ゴメス院長とは何度か話をして、これまで聖パウロ学院がどのような趣旨で運営されてきたのかも話してきた。どの国の学生でも受け入れること、分け隔てをしないことについて特に繰り返した。しかし、やはりセサルの言うように、彼には学ぶ気がないようだった。
うら若いルイス・フロイスの柔軟さと硬直したゴメス院長、この期間に対極を見たわけだ。とはいえ、ゴメス院長の方はそのままにしておくとさらなる分裂を招きかねなかった。私は宣教については、インドに派遣された人々の行き先を決める権限があったが、学院の人事にまでは及んでいなかった。そこで、ポルトガル王やローマのイニゴ(イグナティウス・ロヨラ、イエズス会総長)、ポルトガルにいるシモン・ロドリゲス宛てに私が日本に赴くことと合わせて、ゴメス院長がこの地における聖職者養成の教育を担うことについての懸念を穏便な表現で綴った。ゴメス院長がポルトガルで活動をするのであれば問題はないと思うのだが、学院で指導する役には向いていないということだ。
ゴアでは最後に、学院に留まるミセル・パウロ司祭と、ホルムズ海峡地域での宣教を担うガスパル・バルゼオ司祭に手紙を書いた。
ミセル・パウロ司祭がゴメス院長と衝突しないかたいへん心配だったので、よく従うようにと諭す内容を書き起こした。もちろん、ゴアにいる間にそのことは本人と十分話している。ただ、手紙に書いておくことでミセル・パウロの心の安寧に役立つのではないかと思ったのだ。
また、私も赴いたことがないホルムズに派遣されることになったバルゼオ司祭には、これまで私が学んできたことをすべて譲り渡す気持ちで、長い長い手紙を書いた。彼はゴメス院長と同じ時期にインドに来たのだが、修道院や学院で奉仕している様子を見たら、周りの人のことをよく見て動いていたし、穏やかな性格の人だった。よほど学院長に向いていると私は思っていた。しかし残念なことに彼はフランドル人だった。ポルトガル人のゴメスの方が買われるのは仕方のないことだった。言葉の問題もあるし、単純に好き嫌いもあっただろう。私個人として、とても残念なことだとしか言えない。
なのでなおさら、バルゼオ司祭が新たな困難に立ち向かうのに、少しでも役に立ちたかったのだ。
そこまでが、日本渡航を前にして、私ができる精一杯のことだった。
私にとって、大きな出発はいつも私の生まれ月にあたるようだ。1549年4月15日、私たちが日本へ出発する日がやってきた。
ともに旅をするのはコスメ・デ・トーレス司祭、ファン・フェルナンデス修道士(スペイン人)、パウロ・アンジロウ(弥次郎)、アンジロウと同じ日本人でマラッカから追ってきたジョアン、アントニオの2人、明国(中国)人のマヌエル、マラバル人のアマドルだ。言葉もバラバラだが、皆がお互いの言葉を少しでも理解しようと、ゴアでも学びあい、教えあっていた。すでにアンジロウは日本語のアルファベット(かな)を紙に書き出して皆に回していた。
セサルはそれを見て、「また、難解な言語があるものだな」と苦笑していた。
ゴアの港にはさほど大型ではない、バンダ船が停泊している。この船でコーチンに向かい、そこからマラッカへ、そして日本に向かうのだ。
「い、ろ、は、に、ほ、へ、と、ち、り、ぬ、る、を……」
なかなか愉快な声がゴアの港に響き渡っていた。
※1 このエピソードについては第1章『自由』の節をご覧ください。
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