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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
大友義鎮にかかった魔法 1551年 豊後府内(大分)
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、コスメ・デ・トーレス、ジョアン、アマドル、ドゥアルテ・ダ・ガマ、大友義鎮(よししげ、宗麟)〉
海にほど近い豊後国府内には大友氏の居館があった。堅固な城郭を作っていないのは大内氏館と共通だったが、こちらは大内館ほどには絢爛豪華ではなかった。それは主にこの地の事情によるらしい。ひとたび戦乱が起これば、少し離れた高崎山にある山城にまるごと移転するのだという。平地の城にいるのは、平和な時に限られるということだ。なので贅を凝らした造りにする必要がない。聞けば、そのような事情で山と平地にいくつかの拠点を持つ領主は珍しくないということだ。
「この国を描くなら、青と緑の絵の具ばかりなくなるでしょうね。インドやマラッカより淡い色合いになるのでしょうが」と潮風に吹かれながらガマはつぶやく。
私はうなずいていた。しかし、この国の色彩は淡いけれどやや複雑に折り重なっているようにも感じていた。それはミヤコ(京都)で策彦周良(さくげんしゅうりょう)の話を聞いたからなもしれない。彼の庭(天龍寺)の色は青でも緑でもなかった。冬だったからだが、もっと遠い彼方の、色のない色があるように感じられたのだ。
あとは戦で荒らされた町並みの、黒ずんだ色彩だろうか。
ほどなく府内に着くと、門兵がガマの姿を認めて、礼をして扉を開く。初回の訪問ですんなり門を開かれたことがなかったので、私だけでなく、ベルナルドやジョアンも驚いていた。
いったい、ガマはどんな魔法を使ったのだろう。
私たちはすぐに大友義鎮公の面前に通された。
まだ少年の面影を残している、穏和な顔つきの領主だった。まだ22歳だと言う。平戸(長崎)の松浦隆信公も同じ年頃かと思うが、雰囲気は違っていた。大友公は私たちにざっくばらんな調子で話をする。会ったばかりなのに、すでに私たちに心を開いてくれているように思えた。
「よう来られた、南蛮僧んご一行ら。すでにがま殿から話は聞いちょっで、楽にされたらよか。貴殿らの神でうすのこともじゃ。まぁ、他国の領主は貿易の利を得んとし、貴殿らをその道具と見ちょるかもしれんが、わしゃいささか違う」
私は目を丸くした。見てはいなかったが背後にいるベルナルドやジョアンも驚いていただろう。大友公は続けて言う。
「わしゃ、きりしたん話ばもっと聞きたかっちゃ」
ああ、ガマはいったいどのような魔法を使ったのだろうか。私はそれが知りたかった。一国の領主がこんなに熱心にキリスト教の話を聞きたいと言うのに出くわしたことがなかったのだ。本当だろうかと目を丸くしたままの私たちに、大友公はさらに驚くような話をした。
まず、城下での宣教を自由に行っていいということ。続けて、私たちの住む邸宅を用意すること。そこを集会場所に使ってもよいこと。また、キリスト教の教えについて、領主の大友公や家臣に定期的に話してほしいことーーなどである。私たちがいつもこちらから依頼している内容を相手から提案されたのである。
そうだな、まるでポルトガルの王宮で、ジョアン3世に迎え入れられたときのような感覚を覚えたのだ。
なぜこれほど歓待されるのか、その秘密を教えてほしいとガマに聞いたら、こともなげに、「ザビエル司祭の長い長い旅の話を、私の航海の経験も少々加えながら、冒険譚のようにしてお話ししたのですよ」という。
キリストの教えを伝えるために、1年以上にわたる航海を経て天竺(インド)にたどり着いた東方宣教の勇敢なる担い手は、武器を手にすることなく火のように暑い国を移動しながら神の愛を説く。やがてポルトガル人もほとんど足を踏み入れたことのない日本に入り、その中心までたどり着いた。ザビエル司祭は徳が高くポルトガル国王からも全面的な支援を約束されている。そして、一方的に教えを押し付けるのではなく、ヒンドゥー教や仏教の僧侶とも対話をしてきているーーなどと話したそうだ。
「そのような話をすると、興味を持ってもらえるのですね」と私はうなずきながら聞いていた。
「司祭には少し不本意に思えるかもしれませんが、この国の人は世界がどれほど大きいものか知りません。これまでせいぜい、インドまでしか足を伸ばしていない。その先にあるオスマン・トルコなどイスラム教徒の国々、ぐるりと回るのに何ヵ月もかかるアフリカ、そしてイベリア半島、地中海、神聖ローマ帝国、北方の国々……逆に進めば新大陸。そのような世界の広さを地図で説明すると、若い人はまず興味を示します。代を重ねて世界の姿を描きとろうとする、壮大な夢に共感してくれるのです。その根底には私たちの神がある。そのような趣旨で話をしました」とガマは言う。
私はガマの異人らしい派手な服装はもとより、その生気にあふれた様子を感嘆しながら眺めていた。
このことは私にひとつの示唆を与えてくれた。
ああ、とても単純なことなのだよ。
私たちはいろいろな立場の人と力を合わせて進んでいかなければならないということだ。
日本での宣教活動が失敗だとは思っていない。ミヤコ(京都)で天皇に拝謁するという目的、坂東の大学(足利学校)で討論をするという希望は叶えられなかったが、平戸と山口では宣教の許可が下りた。ここ豊後ではそれ以上の厚遇が望めるようだ。そこを起点に時間をかけて宣教に取り組み、ミヤコの情勢が落ち着いたら再び上洛したらよいのではないだろうか。その間にポルトガル船も定期的に来航するようになるだろう。商人たちと一層良好で密接な関係を保ちながら、活動するよう、トーレス司祭やフェルナンデスにも念を押さなければならない。
日本での活動の先鞭(せんべん)を付けることはできたのだ。
彼らには何より、豊後での宣教に大きな光が当てられたことをできる限り早く伝える必要があった。
そんな矢先、山口にいるトーレス司祭から急便の手紙が届いたのだ。これはアマドルが船で持参したものだ。私たちはアマドルに思わず会えて喜んだのだが、彼はブルブルと震えるようにして手紙を差し出した。
山口で反乱(大寧寺の乱)が起こったという知らせだった。
手紙を読みながら、そのすさまじさに皆青ざめていたよ。手紙を届けてくれたアマドルはトーレス司祭たちとはぐれて、何事か訳も分からないうちに内藤興盛(ないとうおきもり)殿の家人に連れられて、その邸宅に保護されたという。
アマドルは邸宅に入るところで、大内館に突入していく数千の武士の群れを目の当たりにした。皆甲冑を身につけ、長鑓を手にして一様に鬼気迫る形相をしていた。
それは彼にとってたいへん恐ろしい経験だった。
しばらくして、トーレス司祭とフェルナンデスも内藤邸に保護されて再会することができたのだが、それまでの数日間、生きた心地がしなかったという。兵は城下の至るところにいて、外出することはできない。さらに、言葉がまだ拙いアマドルは情勢がよく分からず、保護してくれた内藤殿の気が変わって殺されてしまうのではないかと疑心暗鬼になってしまったようだ。
彼は私たちに自身の体験を話したあとで、すがるような目をして私に懇願した。
「フランシスコ司祭、たいへん申し上げにくいのですが、私をインドに帰してもらいたいのです」
私はアマドルの切ない目を見て、本当に申し訳ないと感じた。ここまで文句を言わず、私たちとともに来てくれたインド人のアマドル。日本の冬が身体に堪えたと私はずっと言ってきたが、インドに生まれ育ったアマドルの方がもっと辛かったに違いないのだ。その上にこの反乱である。そのような恐怖に私が遭うならまだよかった。ベルナルドも同じように感じていたようで、「ああ、わしがついておったら……まっこて申し訳ござらん」と嘆きを隠さなかった。
「アマドル、分かりました。ベルナルドはもうじきゴア、そしてローマに向かいますが、それと一緒に帰りなさい。後のことはゴアの聖パウロ学院の方によくお願いするようにします」
「ありがとうございます、司祭」とアマドルは心底ホッとした顔を見せた。
翌日、私は再び大友公に呼ばれて、使徒信条について話をすることにしていた。少し元気になったアマドル、そしてベルナルドとともに再び府内を訪れた。大友公にはまずアマドルが山口から手紙を持参し豊後に到着したこと、陶隆房(すえたかふさ)の反乱で聖職者と同行者が危機一髪の危険にさらされたことなどを告げた。
大友公はさすがに近隣国の領主だけあって、周防国に何が起こったのかよく知っていた。それだけではない。反乱の首謀者である陶隆房からもじきじきに依頼の手紙が届いたというのだ。
それは大友義鎮公の弟君である晴英公を周防・長門の国主として立てたいという依頼だった。昔から連綿と続いてきた守護職の大内家を滅ぼした陶隆房がみずから国主に立つわけにはいかないからだ。そのようなことをすれば他国、もっと具体的に言えば安芸の毛利氏がすぐさま攻め込んでくるだろう。それを避けるために、同じ守護という立場にある大友氏から大内氏に養子を出してもらって、ことなきを得たいという狙いだった。
大友公は私たちをねぎらいながら言う。
「やけん、周防のことは逐一耳に入っちょる。貴殿の弟子らも災難やった。すぐ豊後に呼んだらよか」
「ありがとうございます」と私たちは頭を下げる。すると、大友公は笑いながら続ける。
「周防に弟を出すのもすぐに承知した。毛利を牽制しようちゅうことやろうが、陶もまだまだ甘い。周防も長門ももう大友のものになったも同然ちゃ」
彼のように、力を増大することが見込まれる者に付いた方が宣教活動にも有益なのかもしれないと私はふっと思った。しかし、この国の戦乱が完全に終息することはあるのだろうか。岩のように頑丈な為政者が現れることはあるのだろうか。
また、ガマに情勢をいろいろ聞いておかなければならない。私はそんなことを思いながら大友公の話を聞いていた。
今後のこともよく考えなければならなかった。
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