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第10章 ふたりのルイスと魔王1
清洲同盟 1561~2 岡崎、清洲
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〈織田信長、松平元康、水野信元〉
永禄四年(一五六一)の織田信長は、前年の桶狭間合戦の後始末と西美濃侵攻に明け暮れている。
尾張の方は平定が叶いそうだった。
今川義元を倒した信長の勢いに怖じ気づいた尾張の守護・斯波義銀(しばよしかね)、三河の守護・吉良義昭らが挙兵しようと試みたが、信長に察知されて不発に終わる。結果、両守護は信長の命で国外に追放された。これで今川に付いていた者らが信長方に来さえすれば、完全に平定が成ったということになる。しかし、一朝一夕できれいさっぱりと収まるものではない。それに加えて美濃とは敵対の気配が濃厚になっており、隣国の三河をどう扱うかというのも流動的だった。
一方の三河は混乱していた。強大な力を持つ今川に付いていた国衆は軸を失ったようになってしまう。その上、守護の吉良氏まで追放されてしまった。平定が必要なのは尾張よりこちらだったかもしれない。
そのような永禄四年の三河岡崎城でひたすら人と相談している男がいた。
数えで20歳になる松平元康である。この男はつい先頃まで今川義元のもとで人質として過ごしていたが、桶狭間の後に三河岡崎城に入った。ここがもともと元康の実家だったからだ。そのまま駿河に戻って今川の跡を継いだ氏真の下に付くというのが順当な道筋だと思われたが、そうはしなかった。表向きは信長の攻勢に対して三河の守りを固めるという名目だったが、実のところ元康は独立する意思を持っていたのだ。人質の身分でも長く育ててもらった恩義はある。しかし、いつかは戻る前提の話である。いつ戻るかというのは問題になるだろうが、それは今だと元康は考えていた。当然、氏真は異なる考えである。長く世話をしてやったのに今川の一大事に離反するなど言語道断の行いにしか思えないだろう。
元康の真意がどうあったにしても、実家の岡崎城に戻るのもなかなか困難な仕事だった。人質に出されてかれこれ十六年にもなる。城主だった父はとうに亡くなっていた。城代はじめ家臣団の中には残っている者もいたが、去った者もいた。
城を出たとき三歳だった幼児は立派な大人になって帰ってきた。もちろん幼児には近習が何人も付いていったし、その間まったく岡崎と没交渉だったわけではなかった。それでも残った家臣らがいきなり旧知のごとく接することはできなかった。しかし、そうも言っていられない。本来の主が帰ってきたのである。しかも後ろ楯だった今川義元が討たれ風雲急を告げている。新しい軸を得て岡崎城をどう切り盛りしていくのか、お互いが腹を割って、信用して真剣に詰めていかなければならなかった。幸いなことに、信長の例に見られるような獅子身中の虫はほぼいないので、元康の帰還それ自体に異を唱える者はいなかった。家臣からか、元康からの提案かは定かではないが、正式な城主であることを京の朝廷に認めてもらう算段も進められた。守護の吉良氏が追放されたこともあっただろう。守護不在ならばそれにとって代わる勢力が現れる。あるいは他国ーー具体的には駿河・遠江か尾張が考えられるーーに乗っ取られるかである。出戻り城主が三河に磐石な基盤を築くには朝廷の認可を受けるのが最優先と考えたのである。
この辺りは有力な守護のもとでその政事を学んだ元康もよく承知していた。
さて、
家臣と元康の間でなかなか結論の出ない大きな問題があった。これからどこに付くかということである。これまで今川に従属していたのだから、これからもそうするものだと考えるのは自然である。義元亡き跡は氏真が継いで、今川家が滅びたわけではないのだから。それと人質からお役御免となって離反するのでは義理を欠くことになり、禍根を残すだろう。家臣にはそう考える者が多かった。
しかし、元康はそれに異を唱えた。
今川に付くという決定は慎重にすべきだと。
「わしは桶狭間の折り、大高城から今川勢の進攻と織田勢の攻撃の様子を見とったんだがや。まあ遠巻きだもんで子細は分からぬが、どう見ても織田の作戦勝ち、あやつらは敵の大将首を取ることだけに狙いを定めとった。砦のひとつ二つ落とされることも承知の上だで……恐ろしく、また天晴れなもんだで。織田は強い。早晩三河にも攻め入ってくるやもしれぬ」
元康の言葉にしばらく一同は黙り混む。
「なれば若は、いや、お屋形さまはいかがされるおつもりか」
松平旧臣の家老の言葉で一同は一気に緊張する。
今川から元康に付いてきた近習の酒井忠次と内藤正成はハラハラしながら成り行きを見ていた。彼は元康とともに大高城に詰めていたので、織田勢の戦法を見ていた。主がそう主張するのはひどく理解できた。それにしても、いきなりそれを一同に納得しろというのは無理がないだろうかと思っていたのである。
「今川とは離れる。織田と同盟を結ぼうかと思っとる。それが岡崎を、三河を守るのに最も正しい道と思うで。ただ、早々に離縁状を突きつけるわけではないで、様子を見つつ、武田や北条の動きも見つつということだがや。まずは朝廷の許しを受けることが肝要」
元康は落ち着いた声でそう告げた。
一方、織田信長の清洲城には三河小河(おがわ)城主、水野信元が訪ねていた。早くから信長と同盟を組んでいた土豪で村木砦の戦いではともに戦った盟友である。さきの桶狭間でも、地元にあたるため水野衆が多く参戦していた。
今回、水野信元が信長を訪ねてきたのは岡崎城主の件についてである。
「そうか、今川に出されていた松平のせがれが岡崎に戻ったか」と信長が応じる。
水野信元はうなずき、松平のせがれが自分の甥でもあることを説明する。
信元の妹、於大が松平広忠に嫁いでもうけたのがそのせがれで、今川の人質に出されてずっと過ごしてきたことなどである。
「なれば、せがれは今川に引き続き付くのではないかや」と話を聞いた信長は継いで言う。
「それが、織田と同盟を組みたいと申しておる。甥は大高城で織田勢の戦いぶりを見ていたようだで、どちらが秀でておるかじかに知ったのであろうよ。貴殿にしてみれば、今川の臣下にあった者を信用できないと思うだろう。ただ、甥はやっと自由になりようやく本来の立場に戻れたのだ。その分まだ覚束ないこともあるが、同盟の意思については嘘偽りはない。その点はわしが保証するで」と信元は真剣な面持ちで語る。
信長は、真剣に語る水野信元を見てどこか懐かしさを覚える。堂々とした体躯で熱く語る姿は何かを思い出させる。それは何だろうとしばらく思案していた。そしてその正体が分かって、不意に微笑んだ。急に信長が微笑んだので、信元は目を丸くする。
「いや、済まぬ。貴殿を見とったら、叔父のことを思い出したんでや」
信長の叔父とは織田信光のことである。信元は村木砦の戦いで陣を同じく戦ったこともあり、彼のことはよく知っていた。信長の言葉に合点がいったようだった。
「ああ、あの方はまことに貴殿の心強い味方だったで……この城を貴殿に譲って逝ってしまわれた。まこと惜しいことだったで」
信長は静かにうなずいている。
「そう、わしはそのように味方を次々と亡くして来たのでや。平手(政秀)も、叔父も、義父(斎藤道三)も……」
信元もうなずいてただ彼のつぶやきを聞いている。信長はふっと笑って感傷的な気分を吹き飛ばした。
「ああ、貴殿がさように保証するというのであればええ。岡崎城主と同盟を結ぶことにしよまい。貴殿が甥を援助してやろうという心情も合わせて買うてやるで」
信長の言葉に信元が苦笑する。
「いや、わしのは罪滅ぼしもある。妹にしろ甥にしろ、わしが貴殿と同盟を組んだもんで、今川の勘気を買うのを恐れた松平から出された。それが不憫でな、今さらだが何かしてやりたいと思うた次第」
信長も苦笑して、「それはわしも罪滅ぼしをせんといかんで」と応じた。
永禄四年のうちにそれは成らなかったが、翌年には水野信元の仲介で、織田信長と松平元康の間に同盟が結ばれた。俗に「清洲同盟」と呼ばれる。信長は美濃との間で緊張が続いており、元康は駿河・遠江から離れつつ三河の平定に動く日々が始まることになる。ただ、同盟を結んだことでひとつの大きな基盤ができたのだ。
それは二者にとってたいへん心強いものだった。
永禄四年(一五六一)の織田信長は、前年の桶狭間合戦の後始末と西美濃侵攻に明け暮れている。
尾張の方は平定が叶いそうだった。
今川義元を倒した信長の勢いに怖じ気づいた尾張の守護・斯波義銀(しばよしかね)、三河の守護・吉良義昭らが挙兵しようと試みたが、信長に察知されて不発に終わる。結果、両守護は信長の命で国外に追放された。これで今川に付いていた者らが信長方に来さえすれば、完全に平定が成ったということになる。しかし、一朝一夕できれいさっぱりと収まるものではない。それに加えて美濃とは敵対の気配が濃厚になっており、隣国の三河をどう扱うかというのも流動的だった。
一方の三河は混乱していた。強大な力を持つ今川に付いていた国衆は軸を失ったようになってしまう。その上、守護の吉良氏まで追放されてしまった。平定が必要なのは尾張よりこちらだったかもしれない。
そのような永禄四年の三河岡崎城でひたすら人と相談している男がいた。
数えで20歳になる松平元康である。この男はつい先頃まで今川義元のもとで人質として過ごしていたが、桶狭間の後に三河岡崎城に入った。ここがもともと元康の実家だったからだ。そのまま駿河に戻って今川の跡を継いだ氏真の下に付くというのが順当な道筋だと思われたが、そうはしなかった。表向きは信長の攻勢に対して三河の守りを固めるという名目だったが、実のところ元康は独立する意思を持っていたのだ。人質の身分でも長く育ててもらった恩義はある。しかし、いつかは戻る前提の話である。いつ戻るかというのは問題になるだろうが、それは今だと元康は考えていた。当然、氏真は異なる考えである。長く世話をしてやったのに今川の一大事に離反するなど言語道断の行いにしか思えないだろう。
元康の真意がどうあったにしても、実家の岡崎城に戻るのもなかなか困難な仕事だった。人質に出されてかれこれ十六年にもなる。城主だった父はとうに亡くなっていた。城代はじめ家臣団の中には残っている者もいたが、去った者もいた。
城を出たとき三歳だった幼児は立派な大人になって帰ってきた。もちろん幼児には近習が何人も付いていったし、その間まったく岡崎と没交渉だったわけではなかった。それでも残った家臣らがいきなり旧知のごとく接することはできなかった。しかし、そうも言っていられない。本来の主が帰ってきたのである。しかも後ろ楯だった今川義元が討たれ風雲急を告げている。新しい軸を得て岡崎城をどう切り盛りしていくのか、お互いが腹を割って、信用して真剣に詰めていかなければならなかった。幸いなことに、信長の例に見られるような獅子身中の虫はほぼいないので、元康の帰還それ自体に異を唱える者はいなかった。家臣からか、元康からの提案かは定かではないが、正式な城主であることを京の朝廷に認めてもらう算段も進められた。守護の吉良氏が追放されたこともあっただろう。守護不在ならばそれにとって代わる勢力が現れる。あるいは他国ーー具体的には駿河・遠江か尾張が考えられるーーに乗っ取られるかである。出戻り城主が三河に磐石な基盤を築くには朝廷の認可を受けるのが最優先と考えたのである。
この辺りは有力な守護のもとでその政事を学んだ元康もよく承知していた。
さて、
家臣と元康の間でなかなか結論の出ない大きな問題があった。これからどこに付くかということである。これまで今川に従属していたのだから、これからもそうするものだと考えるのは自然である。義元亡き跡は氏真が継いで、今川家が滅びたわけではないのだから。それと人質からお役御免となって離反するのでは義理を欠くことになり、禍根を残すだろう。家臣にはそう考える者が多かった。
しかし、元康はそれに異を唱えた。
今川に付くという決定は慎重にすべきだと。
「わしは桶狭間の折り、大高城から今川勢の進攻と織田勢の攻撃の様子を見とったんだがや。まあ遠巻きだもんで子細は分からぬが、どう見ても織田の作戦勝ち、あやつらは敵の大将首を取ることだけに狙いを定めとった。砦のひとつ二つ落とされることも承知の上だで……恐ろしく、また天晴れなもんだで。織田は強い。早晩三河にも攻め入ってくるやもしれぬ」
元康の言葉にしばらく一同は黙り混む。
「なれば若は、いや、お屋形さまはいかがされるおつもりか」
松平旧臣の家老の言葉で一同は一気に緊張する。
今川から元康に付いてきた近習の酒井忠次と内藤正成はハラハラしながら成り行きを見ていた。彼は元康とともに大高城に詰めていたので、織田勢の戦法を見ていた。主がそう主張するのはひどく理解できた。それにしても、いきなりそれを一同に納得しろというのは無理がないだろうかと思っていたのである。
「今川とは離れる。織田と同盟を結ぼうかと思っとる。それが岡崎を、三河を守るのに最も正しい道と思うで。ただ、早々に離縁状を突きつけるわけではないで、様子を見つつ、武田や北条の動きも見つつということだがや。まずは朝廷の許しを受けることが肝要」
元康は落ち着いた声でそう告げた。
一方、織田信長の清洲城には三河小河(おがわ)城主、水野信元が訪ねていた。早くから信長と同盟を組んでいた土豪で村木砦の戦いではともに戦った盟友である。さきの桶狭間でも、地元にあたるため水野衆が多く参戦していた。
今回、水野信元が信長を訪ねてきたのは岡崎城主の件についてである。
「そうか、今川に出されていた松平のせがれが岡崎に戻ったか」と信長が応じる。
水野信元はうなずき、松平のせがれが自分の甥でもあることを説明する。
信元の妹、於大が松平広忠に嫁いでもうけたのがそのせがれで、今川の人質に出されてずっと過ごしてきたことなどである。
「なれば、せがれは今川に引き続き付くのではないかや」と話を聞いた信長は継いで言う。
「それが、織田と同盟を組みたいと申しておる。甥は大高城で織田勢の戦いぶりを見ていたようだで、どちらが秀でておるかじかに知ったのであろうよ。貴殿にしてみれば、今川の臣下にあった者を信用できないと思うだろう。ただ、甥はやっと自由になりようやく本来の立場に戻れたのだ。その分まだ覚束ないこともあるが、同盟の意思については嘘偽りはない。その点はわしが保証するで」と信元は真剣な面持ちで語る。
信長は、真剣に語る水野信元を見てどこか懐かしさを覚える。堂々とした体躯で熱く語る姿は何かを思い出させる。それは何だろうとしばらく思案していた。そしてその正体が分かって、不意に微笑んだ。急に信長が微笑んだので、信元は目を丸くする。
「いや、済まぬ。貴殿を見とったら、叔父のことを思い出したんでや」
信長の叔父とは織田信光のことである。信元は村木砦の戦いで陣を同じく戦ったこともあり、彼のことはよく知っていた。信長の言葉に合点がいったようだった。
「ああ、あの方はまことに貴殿の心強い味方だったで……この城を貴殿に譲って逝ってしまわれた。まこと惜しいことだったで」
信長は静かにうなずいている。
「そう、わしはそのように味方を次々と亡くして来たのでや。平手(政秀)も、叔父も、義父(斎藤道三)も……」
信元もうなずいてただ彼のつぶやきを聞いている。信長はふっと笑って感傷的な気分を吹き飛ばした。
「ああ、貴殿がさように保証するというのであればええ。岡崎城主と同盟を結ぶことにしよまい。貴殿が甥を援助してやろうという心情も合わせて買うてやるで」
信長の言葉に信元が苦笑する。
「いや、わしのは罪滅ぼしもある。妹にしろ甥にしろ、わしが貴殿と同盟を組んだもんで、今川の勘気を買うのを恐れた松平から出された。それが不憫でな、今さらだが何かしてやりたいと思うた次第」
信長も苦笑して、「それはわしも罪滅ぼしをせんといかんで」と応じた。
永禄四年のうちにそれは成らなかったが、翌年には水野信元の仲介で、織田信長と松平元康の間に同盟が結ばれた。俗に「清洲同盟」と呼ばれる。信長は美濃との間で緊張が続いており、元康は駿河・遠江から離れつつ三河の平定に動く日々が始まることになる。ただ、同盟を結んだことでひとつの大きな基盤ができたのだ。
それは二者にとってたいへん心強いものだった。
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