16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

寝かせた方が酒は美味い 1564年 小牧

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〈織田信長、太田又助(のちの牛一)、雪沙〉

 小牧山城は対岸の美濃との戦いに向けて、細作(さいさく)らによる偵察や武器の備えを着々と重ねつつじっと機を待っているが、永禄7年(1564)のこの時はまだ表だった動きは見られない。何度か攻め入ったのが痛み分けの結果となっていたので、無鉄砲な出陣はできず、慎重に構えるしかなかったのだ。

 一方、いよいよ旅立ちが近くなった雪沙に誰を付かせようかと思案していた信長は母衣衆(ほろしゅう)の配下の一人を呼んだ。
「お屋形さま、こたびはいかなるご用向きで。戦がらみならわしがじかに呼ばれるようなことはありませんでしょうし……」
 信長は小牧城の一室で、天井をふっと見上げてから言う。
「おう、捲土重来、きたる美濃攻めの際には誰よりも活躍してもらうつもりでや。ただ、その前におぬしともう一人に頼みたいことがある」
「は、いかような」
「わしが世話をしとる老僧の伴をして、堺まで行ってほしい」

 その老僧の話は彼も耳にしたことがあった。

 ふらりと尾張にやって来て、いつからか小牧に庵を結ぶようになった。もともとは政秀寺の住持の伝手を頼ってきたようだが、今よりも若い信長に気に入られ世話を受けるようになった。だからといって目立つことはまったくなく、ごくごく静かに暮らしている。辺りの村人も放っておくわけでもなく、かといってしつこく関わるようなこともしていない。「特別な客人」と受け止めているのだ。ただ、その素性を知っているのは信長だけらしい。なので時たまその話題が家中で出たとしても、情報がないので語られることは多くなかった。
 おとぎ話の仙人。それが彼らにとってもっとも近い雪沙の像だった。

 配下の男はその像を頭の中で描いている。

「はい、喜んで。しかし、もっと頑丈な者は他にもおりますが、さほど若くもないですし」
 信長はクスリと笑っている。
「おぬしは弓の上手だぎゃ、あとは鑓に長けた者を付ける。ただ、おぬしに頼むのはひとつ、別のわけがある」
 それを聞いて、配下の男はキョトンとした顔をする。
「弓以外に何かでぇじな御客人をお守りする才はないかとわきまえておりますが……」
 配下の男、太田又助は自分に白羽の矢が立ったことが不思議で仕方ないらしい。信長はその様子を面白く感じているようだ。
「ああ、おぬしはよく己を知っとるで。わしが頼みたいのは……雪沙との旅を書き起こしてほしいんだわ。おぬしほどものを書くのに長けたもんは小牧にはおらんでよう」

 初めて又助は合点がいったようだ。
 彼は出来事を書き付けるのが得意だった。戦のさなかに悠長に筆を走らせることはできないが、よく記憶して後で書き起こしていた。戦のことばかりではない。清須城下、小牧でもお屋形信長の呼びかけで踊りがあるとその様子を淡々と綴り、あるときは信長のバサラな風体を細部に至るまで精緻に記している。

「さようでございましたか!それならばお任せくださいませ。あの御客人にはそれがしいたく興味を持っております。いろいろ四方山お話が伺えるのならば、ぜひお願いしてでも伴に付かせていただきたく」
 信長は苦笑いをしている。
「まあ、あまり雪沙の子細には踏み込まぬ方がよかろう。わしも事細かに尋ねたことはないで、当の本人がペラペラと話すならよいが……まずない。主に道中の様子を記してほしい」
「さようですか」と又助は少しがっかりした様子だ。
「無論、『道中』というのは雪沙のことだけではない。他国の様子、特に大和から畿内の情勢などはよう報せてくれまい。何しろ、そちらまで細作は遣れないでいかん。この小休止の時は、今一度策を見いだす好機でもある」
 こくり、こくりとうなずく又助である。
 そしてはたと思ったことを聞いている。
「なぜお屋形さまは、雪沙さまのことをそれほどでえじにされるのでしょうや。あの御客人はお屋形様にとって、いかなるお人なのでしょうや」
 又助の問いに、しばらく信長は思案している。
 又助はじっと答えを待っている。
 
「雪沙はわしの師匠……いや、もう一人のわしではないかと思っている」
「もう一人のお屋形様、でしょうや」と又助は身を乗り出す。
「いや、そのまま織田上総介ではないが」と信長は苦笑する。

 信長と雪沙の関わりについては、雪沙ともう少し話をしてから理解した方がいいーーと思う又助だった。少し寝かせてから味わった方が酒は格段に美味くなる。
 そのような性質の事柄なのだ。
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