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第11章 ふたりのルイスと魔王2
ルイスを待ちながら 1563年 横瀬浦
しおりを挟む〈ルイス・デ・アルメイダ、コスメ・デ・トーレス司祭、ルイス・フロイス、大村純忠〉
九州を端から端まで周り続けて、土地の人々と話し領主を訪ねる。そのような暮らしをずっと続けている。豊前から薩摩まで、すべての道筋を踏破してしまうのではないかと思うほどだ。
そのうち季節は春に、夏に、実りの秋に移り変わっていく。
夏はあまり得意ではない。気力や体力が強い日差しにどんどん奪われ、汗になってぽたぽたと落ちていく。足下を見れば虫に刺されていることに気がつく。虻や蜂でなければひどいことにはならないと分かっている。それより厄介なのは蛭だ。いきなり食いつかれないよう、水辺を歩くときは常に周辺を慎重に確かめている。
それでも夏には癒しがある。涼しい木陰を見つけて休むときに目にする緑の鮮やかなこと。私は坂の多い港町に生まれ育ったので、緑の山々をこの国に来るまでほとんど見たことがなかった。乾いたイベリア半島で生まれ育った私には、それが何よりの慰めである。
そう、もっとも苦手なのは冬であると私は告白しなければならない。
冷たい冷たい風が私のすべてを奪っていくようだ。夏ならばまだ太陽を避ければ何とかやり過ごせる場合もある。夜には心地よい風が昼の火照りを冷ましてくれもする。ただ、冬には逃げ場がない。太陽はずいぶん遠くにあるし、曇り、雨、雪となったらお手上げだ。身体は芯から冷えてゆき、人里の、焚かれた火の温もりを渇望しながら重く固まった脚を進めるしかない。
寒くなると、みぞおちから周辺がやたらと痛む。
私は医者なので、それがどのようなことか概ね察しがつく。おそらく、肝臓か腎臓に何か問題があるのだ。昨日今日に始まったことではないので慌てることもないが、楽でないことは確かだ。食欲もひどく落ちて、痛みのあまり眠れない夜もある。豊後で漢方医が残してくれた処方をまだ書き留めてあるが、これだけあちこち回っていると薬を作っている間はない。墨書きの切れ端を見ると、書いてくれた漢方医もすでに亡くなったことを思い、どうにも複雑な気分になる。いつまでこの身体が持つのだろうかと思う。
そのようなもっとも苦しい時、ただひたすら人に会うという自分の使命を思うのである。
それが使命であり、私の希望だ。
人が人を呼び、たいていの里で私を歓待してくれる。焚かれた火に当たり、温かい食事を提供されイエス・キリストの話をする。そのとき、不思議なのだが私は生気に満ち、心から満たされていると感じる。痛みもどこかに吹き飛んでいるようだ。すでに何度も訪れた地もあり、話を熱心に聞いてくれる人も増えた。
領主でもそのような人がいる。
おかげで、私たちの新たな活動拠点がようやく築けるのだ。
おととしになるが、肥前の領主がコスメ・デ・トーレス司祭の導きで洗礼を受けられた。かねてより、厚意を持って私たちを迎えてくれた大村純忠殿だ。そして、ポルトガル船が入港できる津を整えてくださった。横瀬浦(現在は長崎県西海市)という。
私、ルイス・デ・アルメイダは今年(1565年)、40歳になる。
もうじき、故郷ポルトガルにいた時間よりそれ以降の時間の方が長くなる。感無量としかいいようがない。
フランシスコ・ザビエル師に初めてお会いしたときはいくつの頃だったか、それは1551年のインドだと亡き師はおっしゃるかもしれないが、そうではないことを私はこっそりと打ち明けたい。ザビエル師にも改めて言うことはなかったので、永遠の秘密といったところだ。
それは今から24年ほど前、1541年のリスボンだった。
イエズス会を創設した最も初期の宣教師たちが、国王のジョアン3世の求めに応じてはるばるイベリア半島の西端までやってきた。アルファマに住む少年だった私は、偶然私はあの方々と接する機会があった。ザビエル司祭に会って、最後に話したのはロドリゲス司祭という人だっただろうか。二人ともパリのモンマルトルで誓願をした創立メンバーなのだ。
「国王の招きを受けるほどの人に会った」というのは些か大げさかもしれないが、それなりのいきさつはあった。
私はヴェネツィアから母親を探しにやって来たニコラス・コレーリャという青年に出会い、嫁ぎ先のセヴェリーノ家に連れていったのだが、一家は異端審問所に連れられた後だった。そしてニコラスはそこに掛け合いに行った。それに私は付いていったのだ。その間、ニコラスを私の家に招いて泊めてもいたのだ。彼はスペイン語とイタリア語は堪能だったが、ポルトガル語はまったく話せなかった。
何と懐かしい!
絵描きのニコラス、黒髪に鳶色の目の美しい青年、無事に母と再会してにこやかに去っていった姿を鮮やかに覚えている。そして、解放されたセヴェリーノ一家もじきにアントワープに移っていった。
ロムレアの花が咲き誇っていたあの春のことは、一生忘れないだろう。
彼は今どうしているだろうか。
あれから、私にも並々ならぬ紆余曲折があった。ニコラスや彼の母親が直面したできごとを私も経験することになった。その結果、免許は得たものの、リスボンで開業医になるという途は閉ざされ、海に出るよりほかなくなったのだ。
思い出話が過ぎたようだ。
懐古的な気分になったのはきっと、彼に再会したからかもしれない。
ルイス・フロイス、古くからの知り合いだ。リスボンからゴアへ向かう船で初めて出会った。彼はそのときまだ16歳だった。宮殿に出仕していた少年は、ザビエル師がジョアン3世に宛てた書簡を見て感激し、はじめからイエズス会の宣教師になるために船に乗ったのだ。いくつもの躓きを経て船に乗った私とは大違いだった。私は船中やゴアで医師の経験を積んだ後、貿易商を経て、そこからやっと宣教師になると決めた。
本当に、紆余曲折もいいところだ。
それもあって、長い航海をともに過ごしたフロイス少年のまっすぐな瞳は私にはたいへん眩しく、ややもすれば引け目を感じることもあった。だが、私は自分のいきさつを簡単に話したとき、彼は心からの同情を私に告げ、以降も医師としての私を信頼し続けてくれた。ごく若い年齢で世界に出ていこうという志を持つだけあって、彼の態度は柔軟で平明だった。
同じ船で違う道を目指していた私たちふたりのルイスが、同じ道に集うことになるのは不思議な巡り合わせとしかいいようがない。
そして、今は必然なのではなかったかとさえ思える。
ルイス・フロイスは新たに開かれた横瀬浦の津に、宣教師としてやってきた。1563年(永禄6年)のことだ。
私は彼との再会を心待ちにして、海を眺めていた。
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