16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第1章 星の巡礼から遠ざかって チェーザレ・ボルジア

紺碧に消えたもの チェーザレの来た道10 1503~04年 ローマ、ナポリ

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<チェーザレ・ボルジア、ローヴェレ枢機卿、マキアヴェッリ、ミケロット、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバ>

「われわれの政府の意図は、皆も知っているようにロマーニャを得ることである。そのためにはこの機会に、神の敵でもあり、われわれの敵でもあるヴァレンティーノ公爵をたたきつぶさねばならない」
(引用「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生)
 これはヴェネツィアの元老院会議での元首(ドージェ)の発言である。もうヴェネツィアはヴァレンティーノ公爵、チェーザレ・ボルジアへの敵意を隠そうともしない。

 ヴァレンティーノ公爵とはヴァレンシア(スペイン)出身のヴァランス(フランス)公爵のことである。これは今日にも通じるチェーザレの通称であるが、そこにイタリアが絡んでいない痛々しさを感じる。

 チェーザレはまだ残っているスペイン人枢機卿団を使って、亡くなったピオ3世の次の教皇を、自身の意を生かしてくれる人間にできないかと考えていた。

 そんな病み上がりの彼に近づいた枢機卿がいた。
 ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿である。彼は自身への票をまとめてくれれば、教皇選出のあかつきにはチェーザレに教会軍総司令官の地位、教会の旗手、ロマーニャ公国を保証すると約束したのである。チェーザレはそれに応じた。ローヴェレ枢機卿は穏和な態度でチェーザレに接したし、純粋な政治的取引としてならこの人間に賭けてみようかと思ったからである。スペイン人枢機卿12人全員がローヴェレ枢機卿に投票するという確約がここでなされた。他にもいくつかの条件を交わしたがそれはあまり重要なことではない。

 皆さんはローヴェレ枢機卿を覚えておられるだろうか。

 1494年、反ボルジアの先鋒を切ってフランスに頼ったが、その後亡命を余儀なくされた枢機卿である(「チェーザレの来た道2」を参照)。彼はシャルル8世の頃から長らく、ローマの地に足を踏み入れることができなかったのだ。チェーザレがそのことを知らなかったはずはない。どれほど愛想よく、誠実そうに近づいてきたとしても。

 その人間がボルジアの後押しをするだろうか?
 マキアヴェッリがチェーザレの脇にいれば、そう言ったに違いない。

 11月1日、ローヴェレ枢機卿はコンクラーベで新教皇に選出された。
 ユリウス2世の誕生である。

 マキアヴェッリは、もちろんこのときチェーザレの脇にはいなかったが、「かつての公爵とは千年の隔たりを感じる」と述懐している。忸怩(じくじ)たる思いを抱いていたようだ。
 チェーザレがかつての輝きを失っていく中、フィレンツェの傭兵隊長として彼を雇ったらどうか、というかつての契約話を再度自国政府に提案もした。結局、それが実現することはなかったが、弱体化したフィレンツェにはチェーザレのような「力」を持つ人間が必要だし、チェーザレも再起のきっかけをつかめるかもしれないと思ったのだ。マキアヴェッリはそんなにお人よしではない、単なる政治的判断である、とするのが通常の見解ではあるが、彼が後年に書いた文章を挙げてみたい。

――かくも長い歳月の後に、イタリアが、その救世主に巡り合わんとするとき。私には言い表せない。どれほどの愛で、この方が迎え入れられることになるかを。この氾濫する外敵に、苦しめられてきた、あのありとあらゆる地域において。どれほどの復讐の渇きを癒さんと、どれほどの固い信念で、深い憐れみで、熱い涙で。どこの城門が、この方のために閉ざされようか? どこの民衆が、この方への服従を拒むであろうか? どのような羨望が、この方を阻むだろうか? イタリア人ならば誰が、この方への恭順を拒むであろうか? この野蛮な外敵の支配下で、誰もがその悪臭に耐えている。したがって、あなた方のご尊家には、正義の大事業を引き受けるときの、あの勇気と、あの希望とを抱いて、この大任を引き受けていただきたい。ご尊家の旗印の下に、この祖国は気高く輝き、ご尊家の庇護の下に、かのペトラルカの言が現実のものとなりますように。そこには告げられていた。

 力量は暴虐に抗して
 武器を執るだろう、そして戦いは短いだろう。
 太古の武勇はいまだ
 イタリア人古来の心に滅びざるがゆえに。――

(引用 「君主論」マキアヴェッリ著、河島英昭訳 岩波文庫)

 これはフィレンツェのロレンツォ・デ・メディチに捧げられた書物の、熱に溢れた終章のことばである。しかし、筆者にはチェーザレを追慕する、いや恋文のようなものに見えてしまう。彼がイタリアと語るとき、そこにはチェーザレがいる。「この方」と言われた理想の君主は果敢に、迅速に、使える限りの力量を使ってイタリアを統一しようとした一人の男がモデルなのである。それは後世の多くの人が認めることである。

 そして、そのような力量を持った者がその後現れなかったために、イタリアはその後数百年間、統一されることはなかった。私たちがその兆しを認めうるのは「現代」の入口まで来た19世紀のことである。

 少しわき道にそれた。話を戻そう。

 ローヴェレ枢機卿転じて、教皇になったユリウス2世もチェーザレの軍事的な才覚まで否定していたわけでなかった。現実に、ヴェネツィアはイタリア半島中部に侵攻を進めていたし、それが教皇庁をも脅かすことは明白だったからである。そこで、枢機卿は積年の恨みをこらえつつも、チェーザレを軍事の面で生かしてやろうと思っていた。チェーザレもその提案に喜んで乗った。

 1503年11月、ようやく馬に乗れるまでに回復したチェーザレは教皇の許可を得て、再度ロマーニャ地方の統一をはかるべく出陣した。少なくなった自軍は自腹で補強した。忠実なドン・ミケロットとタッデオ・デッラ・ヴォルペを指揮官としロマーニャ地方に派遣した。
 チェーザレ自身はまだ長い行軍をするだけの体力がなかったため、オスティアから船で向かうこととしていた。

 11月19日、チェーザレはオスティアに向けてローマを発った。

 しかし、その直後ヴェネツィアから教皇ユリウス2世に対して猛烈な抗議がなされた。おそらく教皇庁はヴェネツィアを全面的に敵に回してもよいのか、くらいのことは言っただろう。

 ユリウス2世はここであっけなく方向を180度変えてしまう。
 そして、教会領はチェーザレのものではない、教皇はチェーザレに脅されて通行証を発行したのだという教書を発した。

 チェーザレの後を追ったソデリーニ枢機卿がこの教書を持って、オスティアで追いつく。そして、「教皇にロマーニャの城塞を教皇に譲渡する」という誓書を出せと迫った。急な態度の変化に眉をひそめて教会総司令官は拒絶する。次の瞬間、船の出港は停止させられ、11月26日、チェーザレは逮捕された。

 ここから彼はローマに引き戻され、ボルジアのアパートメントに軟禁状態となる。一方、ロマーニャに陸路向かっていたミケロットらの軍勢も、11月30日、ジャンパオロ・バリオーニが指揮するフィレンツェ軍と衝突し、敗北する。そしてドン・ミケロットとタッデオ・デッラ・ヴォルペはともにフィレンツェ軍の捕虜として捕えられてしまう。

 この知らせはチェーザレを打ちのめした。

 さらにウルビーノ公グイドバルドが次の教会軍総司令官に任命されるとの報を聞き、チェーザレはいても立ってもいられず、グイドバルドに教皇への取りなしを頼みに行った。

「ロマーニャの全ての城塞を明け渡せ」とグイドバルドは冷たく言い放った。

 かつて散々煮え湯を飲まされてきた恨みを晴らすかのような、グイドバルドの一言であった。
 チェーザレは力なく、了承するしかなかった。

 それでも、ロマーニャの城代たちはチェーザレが君主だと訴え、教皇の使者を追い返した。痛々しいほどの忠実さだったが教皇はそれで激怒した。後でいかようにもできるように、ミケロットとヴォルペをフィレンツェから引き取り、ひそかにカスタル・サンタンジェロの地下牢に放り込んだ。彼らにチェーザレの悪事を白状させて、チェーザレを叩き潰す材料にしようとしたのだ。
 しかし、2人はどんな拷問を与えられてもチェーザレのことを一言も語ろうとはしなかった。
 ミケロットはこの地下牢で2年の時を過ごすこととなる。数々の殺人の罪で裁判にかけられて。

 チェーザレは彼らがすぐ側にいることさえ知らされず、ただ考え込む日々を送っていた。

 12月14日、ソレントの枢機卿、フランチェスコ・レモリーネスがチェーザレの元を訪れたときも、チェーザレは生気がなく、従者とチェスをした後はただ目を閉じて腰掛けているだけだった。
 自身の意思で自由に動くことができない苦痛、すべてが自身から飛び去ってゆくような喪失感、チェーザレの心はそのような感情に支配されていたのかもしれない。

 1504年になっても、チェーザレを取り巻く情勢は大きく変わらなかった。
 ロマーニャ地方をすべて教皇に譲り渡すか、終身刑でカスタル・サンタンジェロの地下牢に入るか。それが命題だった。譲り渡せば、チェーザレの身は自由になると。結局、チェーザレが依願するようにそれぞれの城代に手紙を書き、抵抗を続けるフォルリを除くすべての城塞は教皇の手中に渡ったのである。

 4月19日、チェーザレはようやく自由の身になった。

 そして彼はナポリに向かうこととなった。
 ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバが身元引受人のような立場になった。彼は前年のチェリニョーラの戦い以降勝ち戦を続け、ナポリからフランスを撤退させることに成功していた。このときにはナポリ総督となっている。

 「グラン・カピターノ」である。

 彼はチェーザレに共感を持っていた。
 イタリア中部を2年ほどで手中にした目覚しい進軍ぶり、カプアを壊滅させたときの徹底ぶり、交渉によって戦わずして勝利を得る冷静さ、傭兵でなく徴兵制を取って軍隊を整備する先見性の高さ、どれもゴンサロが目指している方向と同じであったからである。ただ、長くチェーザレはフランスの旗の下にいたため、まともに交流する機会を持てなかった。フェルナンド王からの許可も出ている(出ていなければ引き取れない)。王はチェーザレを、何らかの政治的駆け引きに使えると見て、あるいは駆け引きに使った結果、預かることを許したのである。

 すべてを奪われても、チェーザレ・ボルジアはチェーザレ・ボルジアである。どこの公爵がイタリア諸国やフランス王、教皇庁と堂々と渡り合えるだろうか。その時点で彼は規格外の人なのである。そしてスペイン人である。

 グラン・カピターノが一番共感していたのは、そこだったのかもしれない。

 以前から顔は知っていたこの二人は、すぐに意気投合した。

 ナポリは春だった。
 紺碧の海がきらきらと輝き、太陽は人生を謳歌する若者のようだった。それがいくぶんチェーザレの心を明るくしたようだ。心を開いて自身の今後の計画について語りさえした。スペインと協力して、もう一度イタリア中部攻略に取り掛かりたいと。ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバもその計画を聞き、自身も協力したいと言った。
 何の邪魔も入らなければ、それは十分現実になりえたことであった。

 5月25日、チェーザレ・ボルジアはナポリのカステル・ヌォーヴォ城の塔に幽閉された。スペイン王フェルナンド、教皇ユリウス2世、ヴェネツィアの合意の上で命じられたことだった。チェーザレを無きものにしたいヴェネツィア、あっさり殺すこともできない教皇、そして教皇に恩を売りたいスペインの利害が一致したのである。

 再起をかけた計画が水の泡に帰した。
 チェーザレはもう何も話さなかった。

 グラン・カピターノは心底チェーザレを哀れに思っている。
 しかし、王や教皇が命じていることに一軍人が盾突けるはずもない。戦争になれば、何も躊躇することのないグラン・カピターノがこのことには胸を痛めた。だから何度も、英雄になりかかっていた若者に会いに行った。しかし、もう彼は心を閉ざしてしまった。

 塔の小窓からは紺碧の海にヴェスビオ山を望むことができる。それにも彼はうつろな目を向けるだけである。彼に最後通牒を突きつける役割を自身に割り当てた全能の神に、グラン・カピターノはたびたび呪いの言葉を吐いた。

 チェーザレをスペインに送還するように、という命令がスペイン王フェルナンドから発せられた。ガンディア公ホアン、すなわちチェーザレの実の弟を殺害したかどで裁判にかけるため、というのがその理由である。そもそもホアンが殺されたのはローマで管轄は教皇庁になるのだが、そこは超法規的措置というものなのだろう。そのような言葉は当時なかったと思うが。




 ナポリは夏を迎えた。
 紺碧(azure)のティレニア海はヴィーナスの誕生を待ちわびるかのように、ゆらゆらとさざ波を寄せていた。
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