16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第1章 星の巡礼から遠ざかって チェーザレ・ボルジア

自由への逃走 1506年 イベリア半島を北へ

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<チェーザレ・ボルジア、ペナヴェンテ伯、ミゲル、マルティン、カスティーリャ女王ファナ、フェルナンド王>
 

 広大な半島特有の乾いた風に山からの吹き降ろしが加わってきた。
 風はひゅうぅという音を立てて笛のように鳴いている。
 秋ももう暮れである。冬がもうそこまでやってきていた。
 チェーザレのもとには今日もハヤブサがやって来て、その腕に止まる。

「もうすぐお前とも会えなくなるな」

 ハヤブサとの変わらない信頼関係はミケロットとのそれを思い出させた。

 せめて、ミケロットに何か伝える手段があったらよいのだが。チェーザレはミケロットのことをたびたび考えた。ローマで病気に罹って死にかけたとき、自身にうつることなどものともせずチェーザレを守り続けた。その大きな手がチェーザレの脳裏にくっきりと浮かんでいた。

「あの手に、私はずっと守られていたのだ」
 チェーザレはぽつりとつぶやいた。

 チェーザレに援助を申し出た者から馬や人の仕度が整ったという知らせが入った。それを持ってくる司祭は相変わらず、「主の思し召しですな。もうすぐ自由を得られますぞ」とひそひそとつぶやく。チェーザレは何も言わずにうなずいた。

 城を出ることだけは堂々とするわけにはいかなかった。小さな窓から脱出するしかない。
 その日取りも決めて、あとは実行を待つだけになった。

 チェーザレを援助すると申し出た人物はベナヴェンテ伯という。文字通り、カスティーリャのベナヴェンテという地の領主である。メディナ・デル・カンポからは道続きの地である。この人物はカスティーリャ女王の夫、フィリペと近い人物であった。そして、彼がチェーザレを逃がそうとしたことには理由があったのである。

 その頃、チェーザレが何も知らされないうちに運命の歯車はまたぐるりと回っていたのだ。

 カスティーリャ女王の摂政で実質的な僭主(せんしゅ)だったフィリペが亡くなったのである。

 1506年9月25日のことだった。水に当たったことが原因だと言われるが、毒殺とも言われている。アラゴンのフェルナンド王がナポリに遠征に出ている最中のことである。不在の間に邪魔者を亡き者にする――そう考えるのが自然かもしれないし、不幸な事故だったのかもしれない。

 夫のなきがらを見た妻のファナは本当に正気を失ってしまう。フィリペなしでは生きていけないほど、彼に惚れ込んでいたのだ。

 1505年に描かれたふたりの絵がある。フィリペは善良で優しい青年の表情をしている。どこかお坊ちゃん育ちの雰囲気も感じられる。一方のファナは思慮深くうつむいているが、見方によっては謎めいた妖艶な女性の姿である。その複雑な姿にも、報われることがないまま断ち切られた深い愛が表れているように見える。



 夫の死後、ファナは夫の埋葬を許さず、その遺体を棺に納めたまま家臣に運ばせて、カスティーリャの地をただただ歩いて移動し続けたという。

 ファナの父フェルナンドは摂政としてカスティーリャの統治に関わることを宣言する。ナポリにいるフェルナンドはその準備をしていたようにも見受けられる。

 フィリペ没後に女王ファナの摂政となったアラゴン王フェルナンドはこの時何を考えていただろうか。王はカスティーリャとアラゴンの共同統治体制を以前の状態に戻す作業に着手していた。
 その中でフェルナンド王は亡きフィリペとは少し違う発想でチェーザレを使うことを考え始めていた。しかしファナとフィリペ夫妻の住むメディナ・デル・カンポにチェーザレが移されたため手が出せなかったのだ。

 フェルナンド王が考えを変えたのには一つの大きな理由があった。

 ナポリ総督をつとめているゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバがその理由である。
 フェルナンドはもともと、コルドーバに信頼を置いていなかった。
 コルドーバはカスティーリャの騎士でイザベラ女王の家臣だった。スペインとして出兵するにあたってはフェルナンドに忠実に従ったものの、あまり折り合いはよくなかった。ナポリの総督になってからも、その帳簿を事細かに調査させ国の予算を使いすぎる、私的な流用をしているのではないかなどと疑念の目を向け続けた。一度疑念が生じると、全てを疑うようになるものである。

 フェルナンド王は、「グラン・カピターノ」が力を持ちすぎていると感じたのだ。自身にとっても脅威になるほどに。

 このときナポリの遠征に自ら出て行ったのも、グラン・カピターノに引導を渡すためだったと考えられる。

 フェルナンドはコルドーバを更迭すると決めていた。
 ただ、スペインきっての猛将である。不透明な経理を行ったというだけで更迭するのでは周りの理解が得られにくい。その代わりにチェーザレ・ボルジアを登用することを考え始めたのだ。ボルジア(ボルハ)家はアラゴンのフェルナンド王の臣下にある。その出の者を当面は傭兵部隊の隊長として、働きによってはアラゴン方面隊の司令官に任命してもよい。

 陽光さんさんと輝くナポリで、イタリアを手中にする夢を語り合ったふたりが天秤にかけられたのである。

 イザベラ女王の死、フィリペの専横とその死、フェルナンドが実質的にカスティーリャ=アラゴンを手にしたこと、どれもモタ城の高塔に閉じ込められているチェーザレ・ボルジアには知らされていない。フィリペの息がかかった田舎司祭がそんなことを言うはずはない。

 チェーザレの捕囚は放っておいてもゆるやかに解消されるはずだった。
 あと少し待っていれば、チェーザレはスペイン国王直属の軍人として晴れ晴れしく外に出ることができたのだ。
 
 それが目の前に迫っていた。
 チェーザレが知っていたら!
 知っていたら!


 ベナヴェンテ伯がチェーザレに逃亡を薦めたのは、フィリペ亡き後、チェーザレをフェルナンド王から離そうと思ったからである。司祭を潜り込ませていたのはフェリペの指示によるものだったが、実質的にはベナヴェンテ伯が間にいた。そしてフェリペの急逝を機に彼は動き出す。預かりになっていたルクレツィアの手紙を届けたのも彼である。それはチェーザレの復権を後押しするためでは決してなかった。

 チェーザレ・ボルジアをスペイン国外に追い出す。
 その途中で死んでもまったくさしつかえない。

 スペインが彼にはじめて示した好意は、このような思惑に基づくものだった。


 1506年10月25日の夜半すぎ。チェーザレのいる城塔から窓を見下ろすと、たいまつがちらちらと揺れているのが見える。それがあまり動いていないところを見ると、城兵はあまり外に出ていないようだった。

 風が吹いている。

 ベナヴェンテ伯の差し向けた馬はチェーザレが窓から下りてくるのを待ち構えていると聞いた。窓から司祭が手渡した綱を従者がするすると下ろす。しかし眼下が暗く、どの辺りまで下りているのか分からない。
「長さは大丈夫でしょうか」
 従者が心配そうにチェーザレに問う。
「多少足りなくとも、これしか綱はないのだ。やるしかあるまい」
「わかりました。それでは私が先に下りましょう」

 モタ城のすぐ外には濠が巡らされている。濠に誤って落ちたらこの季節のこと、寒さで身動きが取れず溺れてしまう可能性もある。それだけは気をつけなければならなかった。

「それでは」と従者が綱に捕まってゆっくりと下りていく。チェーザレが綱の張り具合や結び目を確認する。そのときだった。
「うわあああっ」という叫び声が聞こえ、それから何かが水に落ちる音が聞こえた。
 夜のしじまにその声は響き渡った。城代補佐タッピアの息子がその声に気が付いた。
「外で叫び声がした。皆急ぎ見回れっ」

 万事休すだった。チェーザレは綱が城塔の高さに比べてはるかに短いことに気が付いた。
 しかし、もう後戻りはできない。綱を掴むと一気に下りて行く。城の入口はすでにざわざわと人の声がする。なるべく離れたところに下りなければ。
 綱が終わるところは、地上より7~8メートル足りなかった。チェーザレはそれを確認すると城塔の壁を何度も蹴って勢いをつけた。

 そして跳んだ。

 チェーザレは濠の外まで跳ぶことができた。しかし、身体を強く打ち、あまりの激痛に動くことすらできなかった。城兵はすでに城の入口に出てきている。すでに濠の向こうに逃げる、いや落ちた人間に気づいた者もいた。

 動けないチェーザレを寄ってきた二人の男が抱えて、持ち上げるように馬に乗せた。
 黒いマントは夜の闇に上手く溶け込んでいるが、それも城兵のたいまつに照らされるまでのことである。彼らの動きは素早かった。そして、動けないチェーザレに手綱を握らせて両側に二頭の馬を寄せ、人が介添えするように支える。ほんの一瞬ことだった。兵がこちらに来る頃には4頭の馬は立ち去っていた。

 しかし、追っ手はすぐにやってくるだろう。逃亡者一行はひたすら進んだ。

 チェーザレにはこの時の意識がほとんどない。左側から落ちたため、左半身がほとんど利かない。腕も折れているようだった。
 夜風は身を切るほど冷たく、薄着のチェーザレは震え続けていた。

 4レグワ(20km)の距離を走り続けた一行はようやくベナヴェンテ伯の領地内に辿り着いた。
 時間にしたら1時間ほどだったが、この移動でチェーザレはほとんど気を失っている。手綱だけはしっかり握りしめていた。すぐさま応急手当を受けて、チェーザレは温かい寝台に横たえられた。気を失った状態で。

 スペインで彼が自由になった、これが初めての夜だった。
 意識もなく、たとえ戻っても激痛に襲われて。


 彼はすぐに動ける状態ではなかった。
 ベナヴェンテ伯が手引きをしたことは老司祭しか知らなかったし、主のお導きか袖の下をふくらませていたので、とりあえず口外する心配はなかった。そして、落ちた従者はもう話せなかった。とはいえ、チェーザレの逃亡を知ったフェルナンド王がそのまま見過ごすはずもない。すぐさま近郊の地に探索がかかる。のんびりと休養するわけにもいかなかった。この逃亡劇の黒幕であるベナヴェンテ伯も、ことがすべて明るみに出れば一巻の終わりである。数日の休養を経て、チェーザレは出立することになった。





 メディナ・デル・カンポからパンプローナに到るにはバリャドリッド-ブルゴス-ビトリア-パンプローナの街道を進むのが至便である。ブルゴスから先はカンタブリア山脈に入り、ピレネー山脈を望んで進むことになるが道は整備されている。

 しかしチェーザレたちはその至便な道を行くわけにはいかなかった。追っ手はその道を来ることが確実だからである。イベリア半島の地理をチェーザレが知るはずもないと考えるのは当然だろう。それを避けるために、チェーザレはバリャドリッドから真北に出てカンタブリア山脈を抜け、ビスケー湾に出た上で船に乗ってナヴァーラの領国内に入るという迂回路を取らざるを得なかった。

 イベリア半島は気温が高いと思われる方もいるかもしれないが、カンタブリア山脈には雪が積もるし、ビスケー湾の向こうはイギリスである。イギリスやアイルランドを暑い国だと思う方はいないだろう。

 もう11月に入っている。

 ベナヴェンテ伯はチェーザレに2人の案内人件従者と3頭の頑丈な馬を付けた他、金もたっぷりと託した。
 従者の名前はマルティンとミグエルと言う。
 3人は暖かな上着を身に付け、小麦粉を売る商人の出で立ちで出発することになった。ベナヴェンテ伯は2人の案内人に、「チェーザレを早くスペインから脱出させてやるように。追っ手が来たらお前たちの命も保証はない、もちろん私もだ」と告げて送り出した。
 その言葉に嘘はなかった。一刻も早くチェーザレをスペインから追い出したいということに関しては特にそうである。

 小麦商人のなりをした3人は馬で出立した。
 マルティンとミグエルはチェーザレを公爵と呼ぶわけにはいかないので、アントーニと呼ぶことにした。スペインやポルトガルではありふれた名前だから、ということだが、チェーザレには大いに違和感があった。

 冬のカンタブリア越えが厳しい旅であることは承知していたし、身体の左側はずっと痛いままである。寒さのせいか怪我のせいか、ひどい頭痛も新たにやってきていた。体調はよくならないままだった。

 それに、彼はこれまでの数年間、囚われてほとんど動けずにいたのだ。馬にもおずおずと乗る始末である。かつてのチェーザレ・ボルジアを知っている人間が見たら驚くことだろう。そのような勘はすぐに戻ったが。

 運のいいことに、ベナヴェンテ伯のところでひげをあらかた剃り落とし、髪も整えたチェーザレはモタ城にいる頃とは別人になっている。商人が汚らしくては商売にならない。痩せこけた頬と鋭い目だけはどうしようもなかった。

 人目の多いバリャドリッドまでは最大限に警戒しなければならなかったが、チェーザレは自由の身で初めて見る街道をただただ新鮮に眺めた。メディナ・デル・カンポもバリャドリッドも古くからカスティーリャの中心地である。もちろんローマよりははるかにこじんまりとしているのだが、それでもチェーザレは明るい気持ちになっていた。

 一同はバリャドリッドに入った。
「アントーニ、ここは通りすぎるだけです。危険ですので」
 確かにそこらかしこの建物に衛兵がいる。貴族の館らしい瀟洒な建物もいくつかある。アントーニ、と呼ばれた男はうなずく。
「そうだな、早く抜けた方がいい。ただここはいい街だな。ボローニャのようだ」
「そうですね。古いことは確かです」とミグエルが答える。
 街を足早に通り過ぎる一行だったが、チェーザレは大きな教会の前で立ち止まった。

 見事な石造りの教会で正面から見ると両側に高い塔が聳えている。彼はつい先日脱出してきたモタ城を思い出した。あれほど高いものではなかったが、チェーザレは少し胸が圧迫される感覚を覚えた。
 それを見てマルティンが言う。
「アントーニ、あれはサン・パブロ教会です。見事な彫刻でしょう」
「ああ、そうだな」
 チェーザレは背を向けて道を進んで行った。恐怖というものが自分の中に生じていることを悔しく感じていたのである。

 1506年の冬である。朝夕の空気はもう切るように冷たい。

 奇しくも、クリストバル・コロンがバリャドリードで亡くなったのはこの頃だった。チェーザレは知っていただろうか。ジェノヴァの毛織物職人の息子がここにいたことを。

 ついでにひとつだけ付記しておこう。

 これより数十年のち、この街に縁を持つ作家が世に出る。彼は騎士と従者の小説を書いて世にたいへんな好評を持って迎えられる。その騎士と従者はイタリアでのチェーザレとミケロットのように、ともに旅をすることになる。

 作家の名前はセルバンテス、その小説の名前は「ドン・キホーテ」である。
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