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ぷくぷくよ、靴下を高々と掲げよ〈3〉
しおりを挟む5月も後半になった。
木曜日の朝、かえるは学校へ行く道すがら、これからの展開について頭の中でシミュレーションを繰り返していた。
1年は今有利な立場にある。1年の総意で進めることについては、各クラスの学活で満場一致決定している。教師も直接関わらないものの、校則追記の提案について反対することはない。あとは、生徒会役員選挙と生徒総会に向けて……。
道行くかえるを見て、パン屋のおばちゃんが声をかけた。
「あらあ、うちの子と聞いたわよぉ、ラジオ。私たちの頃はあんな決まりなかったのにねえ。そもそも、靴下履いてない子もいたぐらいで……とにかく、応援するわ」
おばちゃんはそう言って、かえるにクリームパンを一個袋に入れて持たせた。かえるが遠慮すると、おばちゃんはかえるをジッと見つめて言った。
「私、町内会の集まりで話したのよ。酒屋さんも八百屋さんも、そりゃあ一肌脱がねえとって。今度町内会の広報誌に載るかも」
かえるはびっくりしてピンと背を伸ばし、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!」
これはみんなに知らせないと。
かえるはクリームパンの袋を握りしめて走った。
◼
しかし、すでに集まっていた靴下会議の面々は鉛のように重い空気に包まれていた。
「どうしたの?」とかえる。
「ああ、ちょっと難問だ……」と天パ。
「2年生がね……生徒会役員の全部に候補を立てるらしい。しかも、現在の役員は出ない」とゲタ。
「簡単に言えば、生徒会を2年、もっと言えば校則追記反対派で独占して1年を締めだそうってこと。校則追記も後で臨時生徒総会を開いてひっくり返すことが可能だ」とメカ。
「分かりやすい説明、ありがとう」とかえる。
その反撃方法はかえるも想定していた。
ただ、生徒会長・副会長・書記(2名)・会計(2名)・庶務の役職に、規律・文化・体育・保健・放送・広報・図書の各委員長を加えて14人。それだけの人数を反対する人間で占めることは難しいと考えていた。
通例、重い役は2年、補佐的な役割は1年が担うーーなど不文律となっているが、決まりはない。委員長については1~2名の1年生が入ることが多い。3年は任期途中で卒業なので、出ない。
「ほら、俺たちをヘコませられないから、奴(やっこ)さんらも必死になるわけよ。もうこうなると、意地ってレベル。生徒会がみんな長ランとか。背中に夜露死苦(よろしく)とか刺繍入れちゃって」と眉なし。
一同絶句……。
「……でさぁ、候補が1人だとほぼそれで決まっちゃうんだよね」とアタッカ。
「信任・不信任っていうのはない。ポストが空いちゃうから」とゲタ。
「じゃあ、ボクたちも候補を出せばいいんだ」とアイドル。
「それが難問なんだって。ゲタみたいにハナっから出るつもりのある子がどれぐらいいる?」とおきく。
ワイのワイのと話は続く。議長(役)の天パはまとめにかかる。
「立候補希望者は学活で手を上げる。その様子を見て、このメンツからも出すようにするしかない。ゲタは学級委員長と兼務でも何かに出るだろう。メカとおきくにそれは厳しい。だとすると、最悪、残り6人が何かに出ることを考えないと」
「俺、応援演説とかで……」と眉なし。
「あんたの応援は私がやるよ、盛り下がること言わない!」とおきく。
「ふわ~い」
「でもね、ほら」とかえるがクリームパンをみんなに見せる。そして、ちぎってみんなに渡そうとするが、クリームパンを9つに分けるのは至難の技だ。すぐ諦めて自分の口に放り込む。
「パン屋のおばちゃんが、応援してるよってくれたんだ。町内会の何かにも載せるって。味方は増えてるんだよ」とかえるが訴える。
「そうだな、私たちがハンパな落とし前をつけちゃいけない」と天パ。
「そうだな。ここからが俺たちの正念場だ」とメカ。
眉なしは珍しく、チャチャを入れずに黙っていた。
◼
その日の5時間目、眉なしは体調不良で保健室に行くと言って、校庭の片隅に行き、草むらに寝転んだ。どこで休んでも同じだろう、というのが彼の解釈だ。
ここは誰からも見えない。死角だ……と思ったら、突然空からソフトボールが降ってきた。
「あっぶねー!」と飛び起きると、ボールを手に取って、それが来たほうを見た。
「ごめんなさい。大丈夫ですか、どこに当たりました? 早く保健室に」と心配そうに女子が駆け寄ってきた。
眉なしは思わずまじまじと彼女をみた。
ふわふわとやわらかそうな、ほっぺた、二の腕、ふくらはぎ……以下自粛。体操着を来ていると、まるでマシュマロの化身のような。
ぼおっとしている眉なしに、遠くから叫ぶ天パの声が聞こえた。
「ぷくぷく~! 大丈夫か~?」
ヤバい! 3組かよ!
これが、ぷくぷくかあ。いや、失礼だ。マシュマロのほうがいい、絶対。
瞬時に複数の思考を処理して、眉なしは匍匐前進(ほふくぜんしん)の構えを取った。彼女に、「どこも当たってない。早く行きな」とささやくように言う。
彼女は眉なしの、ツチノコのような奇妙な姿に、「うふふ」と笑った。
ズギューンッ!!! とキューピッドの矢が眉なしのハートを直撃した。
後は多くを語る必要がない。2組の眉なしが3組に入り浸るようになった、という事実を述べるだけで十分だろう。
そして、眉なしは程なく知ることになる。
ぷくぷくの視線のベクトルがどこを向いているかを。
◼
さて、生徒会役員選挙に立候補する1年は、想定した通り定数を埋めるにはいたらなかった。当初、書記に立候補するつもりだったゲタは生徒会長にくら替えして、あとは書記と庶務と会計、図書委員長、文化委員長、放送委員長の7つに立候補者を得ることができた。
例年でも、立候補する1年は「ドン・キホーテ」、すなわち無謀だと言われるのに、この数が出たことは誇るべきだろう。ドンキではない。
担任のさりげない好意で立候補希望者の確定は少しだけ延ばしてもらった。しかし、それ以上の助力は求められない。
あくまでも、闘いを挑んだ1年はフェアでなければいけない。
給食を速攻かきこんだ「靴下会議」の面々は北階段の踊場で残りの数を埋める算段に入った。書記と会計についてはひとりずつ立つのでそれで済ませる。残りは副会長と、規律・体育・保健・放送の各委員長だ。
委員長はパタパタと決まった。
・規律 かえる
・体育 アタッカ
・保健 めだま
・放送 アイドル
適材適所といえなくもない。問題は副会長だった。天パか眉なしのどちらかが引き受けるのが順当なのだが、それは彼らにとって大変困難な仕事だった。なぜなら、そのためにストレートパーマをかけたり、髪の毛を(黒く)染めたり、リーゼントをやめたり、スカート丈を詰めたりしなければいけないからだ。
ここまで説明していなかったが、天パや眉なしのスタイルが学校に認められていたわけではない。教師から度々の叱責、親ともども呼び出し、注意書、反省文……etcなど数々の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきているのだ。しかも入学式からまだ2ヶ月も経っていないのに。
そこまでして保ってきた矜持(きょうじ、プライドと同じような意味)をここで崩すことはどうしてもできないーー。
メカとめだまがため息をつく。
「じゃあ、もう一回だけクラスで呼びかけてみようか」とめだま。
「まぁ、他はいるから、場合によっては副会長は出さずに、ゲタに全力かけるってことで」とメカ。
ツッパリの矜持をみんなが尊重した形で話は決まった。
◼
さて、次の学活。1年3組を見てみよう。ここでは、学級委員のメカがもう一度クラスメートに呼び掛けをしている。
「立候補したい人がいなかったら、それでいいとも思うんだけど……副会長だしね。重たく感じるかもしれない。でも、もし迷ってる人がいたら、一歩踏み出してください。ボクらが全力でバックアップします」
しーん……と静まり返る教室。
脇で座って様子を見ているタケノコが、立ち上がろうとしたその瞬間……。
「はい」と小さな声が聞こえた、
クラスの全員が声のした方を見る。
ぷくぷくだ!
ぷくぷくが……。
ぷくぷくが手を上げている。
「いいのか? ぷくぷく? 無理しなくっていいんだよ」と天パが立ち上がる。
「うん、おまえのせいじゃないって言っただろ。責任を感じてるんじゃないのか」とメカ。
ぷくぷくはプルプル震えながら、しばらく何と言ったらいいか思い浮かばないようでパクパクしていたが、ようやく声を出した。
「ううん、私、違う学区からこの中学校に来て、友達もいなくて、すごく不安だった。ソックスのことで困っていたとき、天パが励ましてくれて、すごく嬉しかった。それからみんなでソックスを上げようって……だから……副会長なんて絶対通らないと思うけど、私にできることをしたい」
タケノコが立ち上がって言う。
「うん、本人の意思があるなら、やってみたらいいんじゃないか。ただ、立候補するみんなに言っておくけど、勝とうと思うな。負けないようにすればいい。あと、生徒会にしても委員会にしても、大変な仕事だからな。でもやりがいはあるぞ。うん……ダメでもまた挑戦できる。何てったってまだ1年なんだから」
ちょっとだけ熱血エールだった。
他のクラスから副会長に立候補する生徒はいなかった。
「でもさぁ、みんなぷくぷくに無理強いしたんじゃねーの? 空気ってやつ? 俺が出ればよかった。っちっくしょぉう!」と眉なしが不満げに言う。
「そんなことするかよ! あたしだってぷくぷくを矢面に立たせたくないんだよっ!」と天パが苛立って吐き捨てる。
マジで怖いんですけど……と一同は思う。
「うん、ぷくぷくには演説の練習がいるから、私とメカで付き合うよ」とめだま。
眉なしはなおさら不満げだ。
ぷくぷくの視線がメカにだけ注がれているのを知っているから……。
ここにもちょっとだけ嵐の気配が漂っていた。
◼
ゲタが帰宅すると、今日は塾が休みの彼の兄が待ち構えたようにやってきた。手にふたつ紙切れを持っている。
ひとつは町内会の広報紙、もうひとつは「月刊中学生新聞」だった。これは某大手紙が月刊で発行しているタブロイド4面の新聞で、支局ごとに選ばれた中学生記者によって作られている。ゲタの兄は今年度記者に選ばれている。将来ジャーナリストになりたいというのが口癖なので、有言実行といったところか。
ゲタはそれを見て仰天した。
町内会の広報、これはパン屋のおばちゃんが言っていたので、それほど意外ではない。
《三日月中の女子の靴下について》と題された記事はゲタから見て無難な内容だった。
ーー1年の女子だけ靴下を折る風習があるとのことですが、いま生徒がそれを変えようとしています。町内の皆さんも靴下を上げている1年生の女子を見たら励ましてあげてくださいーー
大人だ。検閲があったのか、上級生だの生徒会だの学校などの文言はいっさいない。やはり、町内の各家庭に気を使うのだろう。それでも、出してくれただけで凄いことだ。
しかし、「月刊中学生新聞」の方を見てゲタは天を仰いだ。
「まずいよ、これ」
そこには、今回の靴下事件の一連の動きが記されていた。それはまだいい。呼び出し云々など微妙な部分は書いていない……しかし……。
[僕たちは3年生として、1年生のこの勇敢な行動をバックアップしたい]
それは書きすぎじゃないですか。
事情を知る人間が読んだら、2年が一方的に悪いようにしか受け取れない。でも、2年だって1年の時にはこの慣習に耐えてきたのであって、もっと言えば3年のすべてが賛同してるかなんて分からないのに……ゲタの頭のなかはぐりんぐりんの螺髪(らほつ、お釈迦様の髪の毛)のようにねじれてきた。
「大丈夫だよ。傍目には対学校だと思われるから」
ゲタは兄の楽観的な観測にめまいを覚えた。本当に生徒会長なんだろうか、この人。対学校だと思われたら、それはまたさらに厄介なのに。いや、3年が1年に付くという言い方がまずい。
「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)ってことわざ、知ってる?」とゲタがため息をつく。
「ああ、危機となればにネズミもネコに噛みつくってことだろう」と兄がさわやかに答える。
ゲタはまた、頭を抱えた。
どうなるんだろう、6月……。
(第4話に続く……それでお開きの予定です)
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