NINE inch stories

尾方佐羽

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運命の人

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 高見沢慶子は朝の4時に夢を見た。

 あまりに不思議な夢だったので、がばっと起きてしばらくは動悸が止まらないほどだった。再び眠る気にはならなかったので、起き出して資源ごみの始末に取りかかる。ビールのアルミ缶をすすぎ、ペットボトルのラベルをはがしキャップを分けて、そちらもすすいで水を切る。

「いやだ、ゆうべビール3缶も飲んだのね。洗う身にもなってよ」

 慶子のため息まじりのつぶやきを聞く者はいない。高校生と中学生の息子、もちろん夫も6時までは起きない。45歳主婦の平均的な朝の光景だろう。

 しかし今日は少し勝手が違う。日課をこなす合間にも、さっきの夢の生ぬるい感じが、慶子の全身を包み込んでいるようだった。

 不思議な夢だった。
 慶子は宙に浮いていた。
 場所は斎場らしい。慶子の義母を送るときに来た斎場によく似ている。片側全面大きなガラス張りで、自然光が遠慮なしに注がれるのだ。
 喪服を来た人々の群れが下方に見える。慶子はだいたい4mぐらい上にいる。その群れの最前列にいるのは、慶子の息子二人だった。

 あれ、ケンジにコウタじゃないの。

 慶子は上方から目をこらした。なぜかそれ以上近づけないのだ。斜め上方から判断する限り、ケンジもコウタも中年になっている。50歳ぐらいならあんな感じだろうか。そして、いくら目を凝らしても夫の姿は見えない。そのかわり、息子たちと同じ位置に立っている男が目に入った。

「ああ、親族以外は断ってください。外もできるだけ人を寄せないように」

 そう言う男は60代だろうか。短く刈った頭は白くなっているが、長身でスリムな身体をしており、腰も曲がっていない。眼鏡の奥の目がとても細いことだけ、印象に残る。

 誰だろう、あれ。
 それより、私はどこにいるの?

 私は、ここ……いいえ、もしかして。

 慶子はハッと気がつく。

 これは、私の葬儀なの?
 ち、ちょっと待って。
 私って、死んじゃったの?
 えっと、でも今じゃないわね。
 ケンジもコウタも50を超えているなら、私は80歳ぐらいかしら。
 それなら、まぁ、死んでも仕方ないわね。

 慶子は妙に納得して、宙に浮いていた。それから風景がぼやっとして、目が覚めたのだ。


 それにしても、あの人は誰だったんだろう。自分の葬式の夢を見た気味悪さより、最前列にいた長身の老人のことが気になった。

「この夢を小説に書いてみようかな」

 慶子は専業主婦のかたわら、趣味で小説を書いている。きょうびはスマートフォンさえあれば、いつでも誰でも小説を書いて投稿し広く公開することができるのだ。しかし、慶子の書くものはよく言えば個性的、悪く言えば通俗牲がないので、あまりPV(閲覧数)は増えなかった。
 息子たちにも見せたことがあったが、酷評された。

「ママさぁ、何か古臭いっていうか、難しいっていうか。今はさぁ、異世界にゲームだよ。バトルとかあって、チート設定でステータス上げていく冒険ファンタジーにしなよ。それか、女子のハマるTLとかBL、乙女ゲーな世界っていうかさあ」

 ゲーム? ステータス? ゲームなんてテトリスぐらいしかやったことないわよ。TLってなに? とってもレディ? BL? ぶっちゃけレディの略? 乙女芸? どんな芸なの?
 あぁ、幼い息子たちに「トム・ソーヤの冒険」とか「十五少年漂流記」を買ってあげたのは全く無駄だった。冒険ってそういうことじゃないのかしら。それを今の世界でどうリアルに生かしていくかが大事なのよ。あぁ、育て方を間違えた。

 慶子は落胆した。
 そして、ネットへの投稿と並行して文芸雑誌の新人賞に応募するようになった。そして、2次選考を初めて通過して喜んでいたら、その文芸雑誌から「ちょっとお話を」と呼び出しを受けたのである。

 その出版社は東京の中心部からほんの少しだけ離れたところにある。受付で担当者を呼び出してもらう。有名な出版社だが、慶子は出版社に来たことがないので、雰囲気に少しずつ押されて小さくなって待っていた。

「あ、わざわざお越しいただいて。楠木圭一郎と申します。ここじゃ何なんで、コーヒーでもいかがですか」

 慶子は名刺を受け取りながら、相手の顔を見た。背が高くてスリム、眼鏡の奥の目はとっても細い。自分よりかなり年下のようだ。

「さて、高見沢さん。あなたの応募した作品は3次まで行きました。でも、最終で外れました。平たく言えば、世間受けしないということで」

 楠木が立て板に水のごとく話すのを、慶子はぼおっとして聞いていた。自分でも最終まで行くとは思っていなかったからである。

「まぁ、編集サイドでは評価が高かったと解釈してください。高見沢さん、あと、書いているものはありますか?」
「いくつかは……」と慶子は言う。
「それを全部、見せてもらえませんか。データならメールでいいし、紙ならコピーして送ってください」
「はい……」と慶子はうなずく。

 それだけ言うと、楠木は伝票を握りしめて席を立つ。そして、
「高見沢さんはゆっくりされていって下さい」とだけ言い残して、さっさと喫茶店を出ていった。残された慶子は、狐につままれたような顔をしていたが、ふう、と息をひとつついて、コーヒーに口をつけた。

「あ、おいしい」

 慶子は家に帰るとすぐ、スマートフォンからパソコンに取り込んだ小説のデータを作品ごとにファイルにして、楠木のアドレスあてに送った。応募したものも含めて、公開していないものもあるからだ。

 夕食のあと、慶子は今日あった出来事を夫に語ってみた。夫の反応は妻の想像と寸分違わぬものだった。

「あんまり浮かれてると、ガッカリするだけだぞ。しょせん主婦が片手間にやってる趣味なんだからさ」

 ああ、創造性のかけらもない……。

「そうね、でもとりあえず見せてほしいって言われたから送ったわ」

 食卓に座る夫の前に、ビールと辛子蓮根を置いて慶子は淡々と報告する。夫は缶ビールをプシュっと開けつつ、チクリと言う。

「まぁ、金のかからない趣味だからいいけど、家のことはおろそかにしないでくれよ。稼いでるのは俺なんだから」

 昔ならカチンと来ていたセリフだが、もう慣れた。これが夫のプライドなのだ。

 確かに私の書いたものが出版されるって保証はないしね。でもケンジとコウタの受験が続くから、小説を少しでも家計の足しにできないかしら。それがダメなら、出版社でパートの口がないか、楠木さんに聞いてみようか。

 1週間後、慶子はまた出版社に呼び出された。そして再び現れた楠木が今度は喫茶店ではなく、だだ広い会議室に案内した。

 慶子はソワソワして、椅子に腰かける。楠木が何やら怖い顔をしていたからだ。そして腰かけるなり、今度は立て板に激流のごとく話を始めた。慶子の書いたものを全部一気に読んだこと、応募作は受験で挫折したバイト青年が億万長者になるまでを描いた経済小説だったが、それよりずっとメールの原稿のほうが面白かったこと、編集局長にも見せたことを説明した。
 その上で一緒に出版をめざす意思が慶子にあるかどうか、楠木は尋ねる。最後はたたみかけるような調子になっていた。

「それよりも、あの……楠木さんの勢い、ちょっと怖いです」と慶子は小さな声で言った。楠木はハッとして、コホンと咳をした。

「とにかく、コンスタントに書き続けることができるのか、それが僕たちが最も気にしている点です。最低でも1カ月に20万字、それをずっと続けられますか」
 静かな口調で改めて楠木は聞いた。

「えーと、やってみないと……」と慶子は戸惑いつつ答える。

「じゃ、やってみましょう」と楠木は笑う。笑うと目がなくなるほど細い。慶子はどこかで見た顔だなぁと思うが、どこで会った人か思い出せない。楠木は戸惑いぎみの慶子を気にする風でもなく、また熱量を上げて話を再開する。

「僕は、木星の話が出色だと思いますね。木星の衛星の特徴を生かして人類の移住計画が進む近未来。国連常任理事国がそれぞれの思惑を持ってそれぞれ無人探査を進めている。衛星エウロパの未踏エリアに初めて足を踏み入れた高性能AIロボットが見つけたのは、古びた手巻きの腕時計だった。人間がすでにこの地に降りたっていたのか。そんな謎かけと、地球全域が災害に見舞われて水没していく様子が非常にリアルに描かれていました。そして、木星に神が棲むという昔ながらの伝承も……あ、それはフィクション、いやみんなフィクションなんだけど、とにかくリアルなんですよね。どうやってこんな話を思い付くんですか」

 慶子は自分が書いた話のあらすじを、楠木がすらすらと語るのを聞いて、少し嬉しくなった。

「……地震があって怖かったから、その間に必死で考えていました。それに、探査機なら2年で木星まで行けるし、20年先ぐらいなら1年半ぐらいに短縮してるかも、大航海時代と変わらないなって……人間はそういうときどうするのかなって」と慶子は言う。

「とにかく、高見沢さんはスケールとリアル感が他とは全く違うんですよ。応募作だって発想が斬新だった。だから面食らうんだろうな」と楠木は述懐する。

「あれは……わらしべ長者がプロジェクトXみたいだったらって思って……」と慶子が申し訳なさそうに言う。

 楠木はそれを聞いて大笑いする。そして慶子に握手を求めた。



 それから20年の月日が経った。

 無人探査機は慶子の言うとおり、1年半で木星にたどり着けるようになっていた。有人探査については火星までしか行けていない。この分野は巨額の費用がかかるので、開発の速度はゆるやかになるようである。

 一方、東京からストックホルムに空路で行く所要時間は3時間ほど短くなっていた。戦闘機ならばもっと早いのだが、それは50年前もそうだった。

 慶子はアーランダ空港の外に一歩出てみた。そして身震いをする。12月のストックホルムはやはり寒い。後ろから、ケンジとコウタもスーツケースを転がしながらついてくる。

「母さん、あっちでタクシーに乗るからって楠木さんが」とケンジが言う。
「僕たちまでストックホルムに連れてきてもらえるなんて、夢みたいだな」とコウタがつぶやく。
「父さんも一緒に連れてきたかったな」とケンジが慶子に言う。彼らの父親は10年前に故人となっていた。
「そうね、でも位牌は持ってきたわ」と65歳の慶子が微笑む。

 慶子、ケンジ、コウタ、そして楠木はその晩、ストックホルムのレストランで食事をした。ミートボール、ボイルした真っ赤なザリガニ、グリルしたニシン、玉ねぎのグラタンなどがずらりと並ぶ。

 食事をしながら、慶子は息子たちに話をする。

「母さんね、楠木さんと結婚したいと思ってるんだけど」

 50歳になった楠木がケンジとコウタに頭を下げる。息子たちはにこやかに応じる。

「もう父さんが逝って10年経った。いいと思うよ」とケンジが母親のグラスにワインを注ぐ。
「僕たちだってもう家庭があるしね、拗ねる歳じゃないよ」とコウタもうなずく。

「それにさ、楠木さんは母さんの売り出しに精魂傾けて、結局婚期を逃してしまったじゃないか。責任取らないとね、母さん。でも、楠木さんはまだまだ若いお嫁さんがもらえるのに、いいんですか」とケンジが尋ねる。

「結局、私は慶子さん以外の作家、そして女性に心を奪われなかった、それだけのことですよ」

 慶子は堂々と語る楠木を見て、出版社の会議室で熱弁を振るう30歳の姿を思い出した。ああ、この人は初めからそうだった。私が思いを込めて頑張っていたことを、丸ごと認めてくれた。それはそれは厳しい時もあったけど、この人はずっと変わらずにいてくれた。


 慶子は結局、夢の話を誰にもしなかった。夢に出てきた男性が楠木であることは、最近の老けかたから容易に分かるようになっていた。
 そして、はっきり分かってから、もう夢の話は永遠に心にしまっておこうと決めた。


「楠木さん、ケンジの言うとおりよ。あなたの幸せは他にもあったはずなのに……」

「私は幸せですよ。さぁ、本番まで風邪を引かないようにしなくては」と楠木は笑った。
 全員が微笑む。

 ノーベル賞の授賞式は12月10日だ。

fin
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