勝安房守の或る一日

尾方佐羽

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刺客が現れる

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 昨日と同じ、広尾祥雲寺の前にたどり着いた。
 ここは古くは興雲院といったが、福岡藩主の黒田忠之が開基した臨済宗の寺院である。ちなみに家康の治世で活躍した黒田長政は忠之の父だが、墓所は福岡とここにある。また幕府の奥医師を勤めた曲直瀬玄朔も眠る。
 祥雲寺前の前の水車橋を渡って広尾の町を抜けると、勝は一段も二段も警戒心を強くする。昨日狙われた地点に近づいているからだ。
 大山道と二又に別れる道を左に進み下ると目黒不動尊に向かう坂に行き当たる。行人坂という。坂は傾斜がきついので勝は馬がつんのめってしまわないように慎重に進む。目黒不動尊のある山も見える。朝の道には今日も人の姿が絶えない。春の麗らかな陽気が人を誘い出すのかもしれないが、勝はいくらかホッとして馬を進める。
 江戸の日常の暮らしがある。それが彼を安堵させるのだ。



 目黒不動尊(瀧泉寺)は昔から浅草寺や雑司ヶ谷の鬼子母神と並んで江戸の三拝所といわれ、大層人気がある。門をくぐると湧き水がいくつも出ていて、勝はいったん馬を休ませてやることにする。もうだいたい道も半ばだろう。ここから一層用心が必要なのだから、ちょっとは馬もおれも休まなけりゃ。
 辿ってきた参道には店がずらりと並んでいる。餅花、粟餅、飴などに参詣客が集まっている。たくさん並べられている名物が餅花だ。これは色つきの小振りな団子を小枝にあしらったもので一番人気らしい。一方、飴の桐屋というのが大店でまだ早い時間ながらたいへんな繁盛ぶりだ。子どもとその親、女性が列をなしている。飴を横目に通り過ぎる子どもが、「母ちゃん、あれがほしいよう」とびぃびぃ駄々をこねて泣いているのがいかにも微笑ましい。
 勝も餅花に大層そそられたが、餅など優雅に食していたら今日の役目を忘れてしまうと思い、諦めた。馬に水をやりながら勝は山の眩しい緑を仰ぎ、滝の不動明王に手を合わせる。
「どうか、江戸を恙無く終わらせてください」
 江戸が終わると、
 人々の暮らし向きも変わってしまうだろうが、
 今よりよくなるように。
 決して悪くなることのないように。
 不動尊を出て右手に伸びる門前道は馬で進むにはやや狭い。しかし見通しのよい道だ。道の右手には田圃が見える。代かきの真っ最中だ。数日すれば田植えになるのだろう。他にも畑があちらこちらに見える。この道を進むと小杉道に出るが、それを突っ切っていけば池上道になる。ただし昨日は帰路池上道を戻っていたところ、中延村辺りの林から銃で狙撃されたのだ。往路復路の違いはあるが、池上道をそのまま選ぶのはためらわれた。
 嫌な予感がする。
 そのような考えがふとよぎった次の瞬間、小杉道の辻を足早に去っていく男の姿が勝の目に映った。何気ない風を装っているがいかにも怪しい。刺客か、と勝は身構える。斥候で仲間を呼びに走ったに違いないと直感が訴えている。だとすれば池上道を行くことはできない。躊躇する間はない。彼は馬の横腹を軽く蹴って、道を右手に折れ池上道と分岐になっている小杉道を勢いよく駆け出した。
 小杉道は丸子の渡しで多摩川を越え、川崎の小杉に向かう。相模の平塚が終点で東海道の脇往還にあたる。位置的には北の大山道と南の東海道の間に挟まれているが、渡しはあっても品川や川崎のように宿場はない。主に商いの荷役、生活の用で使われている道だ。


(中原街道 高札場の跡)

 懸念した通り池上道に刺客が潜んでいた。
 勝は馬を走らせながらくるくると考える。意外ではない。二日続けて本門寺に向かうのを少なくとも総督府の先鋒軍は知っている。無論そこにいるのは薩摩の人間だけではない。幕府との合意した中身に不満を持っている人間はいくらでもいる。そう考える間も馬は走り続ける。
「奴さんどもが追ってくるのは間違いねえ」
 流れる景色の中に庚申堂や高札場が映る。中延村の中心になったらしい。往来の人はそこそこいるのだが皆馬を避けて引っ込んでいく。勝は遠慮なく馬を走らせた。立会川を越えてさらに走る。
 しばらくすると急な下り坂になった。先ほどの行人坂ではないが無理に走らせれば馬はつんのめって人も投げ出される。勝は手綱を引いて馬をいったん制した。速度を緩めると同時に、辺りの景色がくっきりと立ち現れる。目の前には大きな池と、それを取り囲む緑の森と竹林が広がっている。目が覚めるほどの見事な景色である。


(洗足池)
 しかし勝はため息をつく。
「洗足池まで来ちまった。これ以上進んだら流石に戻れねえほどの遠回りだ。いっそしばらく隠れておこうか」
 ふと左を見ると、池の向かいに茶屋が何軒か並んでいる。
 あの様子だと追手は馬に乗り換えて来るだろう。今日びは誰が馬に乗っていたって不思議ではない。見張りがいるなら一人じゃねえな。おれの行き先も知っているだろう。結局連日池上道で待ち伏せされるなら、いったい何のために大回りの道筋を採ったのか、皆目判らねえ。
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