勝安房守の或る一日

尾方佐羽

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つがいの鶴

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「ああ、助かった」
「窮屈で埃っぽかったでしょう。店で一服召し上がっていってください。衝立を立てますから、よそに見られることはございません」
「そうさせてもらおうか」
 勝が頷いて顔を上げた瞬間、ふっと池のほとりの葦原に羽ばたく白い翼が目に映った。
「あっ」という声に振り向いた娘が振り向いて、目を丸くする。
「久しぶり……鶴がここまで飛んで来るなんて」
「あれは、……コウノトリではないのか」と勝はまじまじと眺める。
「お役人様、頭の天辺が赤いでしょう。首に黒が太く一筋。あれはコウノトリではございませんよ。白鷺は全身真っ白ですし、あれは間違いなく鶴です。広重の錦絵にもバサバサと飛んでおりますでしょ」
 勝は娘が一気に畳みかけるので、勢いに圧されて鶴が飛び立ってしまわないかと不安になる。そうっと見てみると、いささかも動じていない。人馴れしているようだ。
「肝が座ったやつだ」と感心していると、もう一羽鶴が飛んできた。そして、もといた一羽の側に降りたって、なにやら鳴き交わしている。
 今度は澄ました声で娘はいう。
「あちら、巽の方角になりますか。一里半ほど先に将軍様のお鷹場がございます。そこから飛んで来たのでしょう。私の子どもの時分は冬から春先にこちらでも時折見かけましたけれど、最近はとんとご無沙汰でした」
「上様のお成りもなくなったからな。鳥見役も頓着しなくなったんだろうさ。しかし、こんな土壇場で鶴を見るたあ、絶景かな絶景かな」
「五右衛門ですか、お役人さま」と娘が笑う。
 心境だけをいうのなら、石川五右衛門と大して変わらないかもしれないと勝は思う。
 鶴は葦原で向かい合って翼を広げ、か細い脚で地面を軽やかに踏みつけている。喜んで小躍りしているように見える。そして首を交差させるようにして啼きかわす。
 突然、勝は季節外れの鶴がいる理由にハタと思い当たる。
 あのツガイは飼われていたのだ。
 おそらく上様に献上するために。
 だが、もうその機は永遠にやって来ない。
 鳥見役はそう判断したのだ。
 そして、大切に守ってきたお鷹場が総督府に踏み荒らされるならば、鳥は皆逃がしてしまおうと考えたのだろう。ここだけではない、江戸に数あるお鷹場でも同じようにしているのかもしれない。
 江戸幕府が終わるというのはそのようなことでもあるのだ。
 茶屋に戻ると主人がまたがらがらと戸を閉めた。今日は開店しないらしい。温かい茶と団子が出されて勝は人心地ついたように団子をむしゃむしゃと噛んだ。
「お役人さま、ここから街道を進むと先ほどの輩とまた鉢合わせしないとも限りません。どちらまで行かれますか」
「池上の、本門寺だよ」
「さようですか……」と店主は思案してから、
「お役人さま、半里ほど徒歩立ちは?」と尋ねる。
「抜け道かえ、全然構わねえよ」と勝は頷いた。

 勝は一服しつつ、あるじに半纏と頭巾を借りて羽織は脱いだ。袴ばかりは如何ともし難い。娘は羽織を丁寧に畳んで風呂敷に纏める。馬は引き続き八幡宮に預かってもらう。
 そして二人は改めて本門寺に向かって出発した。
 娘は二人を見送ったついでに、先ほどの葦原の方へ歩いた。鶴が気になったからだ。すると不意にバサという音が聞こえた。そちらを向くと、二羽の鶴が飛び立つのが見えた。その姿は池に大きく映っていたのだが、次第に空の彼方へどんどん小さくなって消えていく。
「ああ、去っちゃった」とつぶやいて、娘は父と公儀が向かった洗足流れを振り返る。急に込み上げてくる何かがあって、ふっと唄を口ずさむ。

 やりはさびても 名はさびぬ
 昔ながらの おとしざし
 ササ ヨイヨイヨイヨイ
 ヨイヤサァ

 店のあるじと勝が進むのは洗足流れと言われる小川の縁だ。この川は洗足池の水と近隣の湧水が源となっている。流れは始めちょろちょろとしているが、湧水が方々から滲み出てすぐに川と呼べる流れになる。道はたいへん狭い。馬ならばひょいとよろけて、流れに脚を突っ込んでしまうだろう。
「しかしなあ、このどん詰まりの日に緑濃い小川を散策たあ、何とも優雅かつ皮肉じゃあないかえ」
 勝はせっせと歩く茶屋の主人に先導されながら、ただただせせらぎに沿って進んでいく。人が時々行き過ぎるが、お互い譲り合わないと通れない。それはたいてい郷の農民である。川縁の土手では年かさの子どもが赤子を背負って歌う姿もあった。

 さぎをからすと 言うたがむりか
 あおいのはなが あかふさふさ
 いちわのとりを にわとりと
 ゆきという字を すみで書く
 そおれそおれ  そうじやかえ

 水面に目をやれば、小さくきらきらと光る魚の背がいくつも見える。それを狙っているのか、長い嘴のシギが岸辺を徘徊している。
 実に長閑な光景である。
 川縁の細い道は蛇行したところで途切れる。するとあるじは迷うことなく最短の迂回路に進む。そのうちにもうひとつの川が奥から流れてきて合流する。勝は側の橋をじっと見て『道々橋』という文字を見つける。
「合流してきたのは呑川と申しまして、私どもの暮らしには欠かせない水路でございます。その橋辺りから馬が通れるほどの道幅になります」
 合流した川はかさと速さを増して、海へと急いでいるように見える。下り勾配がきつくなったのだろう。
「半里といっていたが、そろそろか」
「はい。すぐそこです」
 川はゆるやかに曲がり、目の前には山が見えてくる。池上本門寺、総督府東海道先鋒軍が本陣を設けている寺である。勝はその山の麓で立ち止まって、羽織を取り出しぱんぱんと勢いよく叩いた。その音にびっくりして、木に留まっていた鳥が羽ばたく。飛び去る真っ黒な烏を勝は見上げる。
「おう、おまえさんぐれえこの羽織が黒ければ、何もいうことはないんだがねえ。いやいや親父さん、ここまでありがとうよ」
「いえいえ、お安い御用でございます」とあるじは微笑み半纏と頭巾と風呂敷を受けとる。
 勝は衿を引いて今いちど居ずまいを正すと、本門寺の門をくぐっていった。
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