かれの、きもちは……

志賀輝希

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かれの、きもちは……

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 「大丈夫だ、君を必ず助ける。こんな非人道的な研究所から、絶対に救い出してやるからなっ!」

 蒼く美しい、そして手の平よりも小さい特徴的なペンダントを胸から下げた彼の声が、白い色彩で彩られた無機質な廊下に響いた。女の子座りでぺたんとお尻を床に着けたわたしは、恐る恐る、ゆっくりと、立ちながらわたしを見る彼を、心の中から沸き上がる不思議な感情に押されて見上げていく。

 「ほんとうに……?」

 使い慣れていないのどは、か弱くかすれたように、しかしきちんと聞こえるぐらいには声を出してくれた。

 「ああ、約束だ」

 そう言って、彼は優しい表情で何故か右手小指だけを立てて、わたしの方に向けてくる。

 「……?」

 わたしが首を傾げるのを見て、彼は今まで以上に憤り、どこかを睨みつけ、怨嗟の感情を混ぜて呟いた。

 「ふざけるなよ、×××××っ! こんな子を、常識も教えずに閉じ込めて、実験材料にするなんてっ!」
 「どういうこと?」

 不思議そうに訊くわたしに、彼はその形相を収めて優しく教えてくれた。

 「これはね……そうだね、約束を守るっていう誓いだよ。小指を絡めて、二人で歌を歌って誓う、儀式みたいなものかな」
 「ちかい……」

 彼の手を真似しておずおずと立てたわたしの小指に、彼の温かい小指が力強く絡んでわたしと彼の中間へと引っ張った。

 「あ……」

 その温かみがわたしの中を不思議に駆け回る中、彼はわたしに向かって宣言した。

 「約束する。いや、誓う。君を必ずここから出してみせる。何があろうと、どんな事が起ころうと、君を僕の住んでいる、君の住むべき世界に送り届ける」
 「うん……」

 曖昧に頷いたわたしは、彼と一緒に彼に教わりながら誓いの歌を唄う。


 「「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった」」


 わたしと彼の小指が、離れる。

 彼との繋がりが断たれるのが怖くて、名残惜しくて、離れた後もわたしの小指は宙を彷徨ってしまう。それを見た彼は、苦笑しながら手を差し伸べる。

 舞踏会でエスコートするように。わたしの手を引くように。

 「さあ、行こう」

 彼の言葉に、わたしはおずおずと手を伸ばして、彼の手の平にわたしの指先を触れさせた。

 「     」

 そして、彼が何かを言いかけた、その、本当にその瞬間。


 パンパンパンッッッ!!


 と、渇いた音が、耳をつんざくような音が響いた。

 わたしは咄嗟に目をつぶってしまって、さらに彼の声はその音に阻まれて聞こえなかった。

 「なんていったの……?」

 目を開けながらわたしがそう訊いた直後、彼がわたしの方へ倒れてきた。

 「きゃっ」

 重い。
 わたしは叫びながら思った。

 同じくらいの年の彼の体重を受け止めることが出来ずに、わたしも仰向けに倒れてしまう。
 男の子の体に触れてしまって、少し気恥ずかしくなるけれど、そんな気持ちはすぐにどこかへ行ってしまった。

 熱い液体に、どこかが濡れる感覚がするから。

 「どう、したの……?」

 彼の顔を見ようと首を動かしたわたしの視界に、その光景は飛び込んでくる。

 「え……?」

 彼の頭が無かった・・・・・・

 どくどくと流れつづける血に、わたしの頬までもが温かい紅に染まって行ってしまう

 バタバタバタ、と誰かが走ってくる音が遠くで聞こえる。

 「ねえ……?」

 わたしは彼の肩を揺らす。

 それでも彼が起きることはない。ただ、流れつづける液体が多くなって、わたしの服をも温かく、そして紅に染めて行くだけだ。

 もう、彼はぴくりとも動かない。動くことはない。

 「起きてよ……ねえ……? お願いだから……」

 わたしの声に、彼はもう応えない。ここにある体は、既に命が失われている。

 温かいのも、全て残滓に過ぎないのだ。
 そこで武装した研究所の職員が来て……。







 「……」

 そうして、わたしは目を覚ました。

 ここは、研究所の中で与えられたわたしの私室だ。といっても個人的な持ち物がある訳じゃない。ベッドと、トイレに繋がる扉、配布される着替がベッドの宮に置いてあるだけの殺風景な部屋だ。

 わたしはベットから立ち上がる。

 のどかからからに渇いている。どうしようもない喪失感と悲しみが、わたしの体を包んでいた。

 彼が救出を誓って、そして死んでから一ヶ月が経った。

 あの後のことはあまり覚えていない。
 おそらく、普通に職員に見つかり普通にこの部屋に戻され、そして警備が強化されて監視されているのだろう。

 そんな事する必要は無いとわたしは思う。

 彼がいない今、つまりは希望がなくなった今、わたしは研究所に反抗する気持ちもつもりも無いのに。

 ただ、静かに彼を想っていたい。
 今のわたしが望むのは、それだけだった。




 ◆  ◆




 今日も実験が終わった。

 わたしは実験室から大部屋へと戻される。

 大部屋、とわたしが呼んでいるのは、簡単に言えば待機室だ。
 わたしたちは朝起きて、各々の部屋でご飯を食べると、この部屋へと集められる。

 大部屋は、地面が転んでも怪我しにくい、でも歩く分には問題ない固さの地面で、アスレチック遊具がいくつか置いてある。最初は暇潰しを親切にも置いてあるんだな、と思っていた。でも、『ある程度運動をしないと、健康状態に影響が出るからだ』って彼は言っていた。

 わたしたちは、一同に会する事があっても、誰も脱走の話をしない。

 みんなで力を合わせて反旗を翻すチャンスだけれど、だれもそれをしない。

 わたしは、片足首にはまっている金属の円環に目を落とす。

 これは遠距離から電気を流せるようになっていて、もしも職員の意に反する行動を行えば、即座に足が痺れて使い物にならなくなってしまう。

 反乱を起こしても、足が痺れている間に袋叩きになって終わってしまうだろう。

 どうしようもならない。

 だから、みんな無気力に従っている。

 わたしは、定位置になっている、大部屋の端のベンチに腰を下ろした。

 大部屋の中には、アスレチックで遊ぶものなどほとんどいない。誰もが、思い思いの場所に座り込んで、溜息を吐きそうな雰囲気で俯いている。

 たとえ、大部屋の目的が適度な運動を取らせることによって健康を維持するものだったとしても、それは機能していない。
 むしろ、死んで研究所の邪魔をすることこそ本望だ、といって自殺を試みた人も知っている。

 わたしは物心ついた頃からここにいた。

 どういう経緯かは知らない。外から連れて来られた人の話を聞く限り、外の世界が良いものだということが分かる。彼がいた世界に行ってみたいという気持ちもある。

 でも、それ以上に。

 長くいるからこそ、ここを脱走することの壁の高さを知ってしまっている。

 「はあ……」

 わたしは溜息をついた。
 今日も、誰とも喋らなかった。




 ◆  ◆




 次の日。

 今日の実験が終わった。

 わたしは浮かない足取りで、大部屋へと向かう。

 死んだような顔をした人々の間を通り抜けて、いつものベンチへと腰をかける。

 今日も、大部屋の中には沈黙が満ちている。どうしようもないという諦念と、絶望だけが全ての空間を支配していた。

 今日も、誰も声を上げない。

 ぴくりとも動かず、ただただ俯いている。

 そんな日常の部屋に、それをぶち壊す要因が割り込んでくる。
 ジジッ、と、部屋に備え付けられたスピーカーの電源が入るノイズが聞こえた。

 それだけなら特筆することはない。だれかが実験体として呼ばれる、その前兆だ。絶望を冗長することはあっても、それを晴らすことはない。

 今日の放送も、きちんとその原則は踏襲していた。でも、意味合いが違った。

 ノイズにも何も反応を示さなかった皆が、その放送の内容にそっと上を向く。

 『今から扉を開ける。動くな。動いた者は電流を流す』

 スピーカーから流れてきたのは、そんなアナウンスだった。
 何らかの手段で大部屋の中を確認しているのか、少し経ってからわたしたちがいつもくぐっている、実験室に繋がる扉ではなく、おそらく外へと繋がっているであろう扉が、開く。

 そこから入ってきたのは、よく見る衣装に見を包み、銃を持って警戒する男達と、数人の子供達だった。

 既に、わたしたち全員と同じくすんだ白の服に着替えさせられた、せいぜい10歳前後だと思われる子供の足首には、既に金属環が嵌められている。

 その子供達を見て、ほとんどの人がまた俯く。

 理解したのだ。

 これは、絶望の継続を示すのだと。

 実験に人を追加できる、つまり外では、この研究所がある程度の権力に守られ、黙認されている事を意味している。

 解放される兆しはなく、むしろ地獄の業火に薪を焼べられるような状況で、ここまで諦めてしまった人々に、希望を抱ける心性はない。

 不安そうに口をつぐんで男達に付き従う子供は、大部屋の中央にあるアスレチックの前で解放される。

 油断なく銃を構える男達は、外へと繋がるであろう扉へと後ろ歩きで向かっていく。

 子供達の一人が、その男に着いて行こうと後ろを向き、歩きだそうとした所で。

 呆気なく。

 あまりにも呆気なく、引き金は引かれた。

 パァンッッッ!! 、と。

 その音に、大部屋の中にいる全ての人間の視線が男へと集まった。だが、男は表情さえも変えずにただ淡々と足を進める。

 撃たれた子供が、簡単に崩れ落ちる、その様子を見ながら。

 他の子供も、撃たれるかもしれないという恐怖で動けない中、扉へと到達した男達はなにか扉の向こう側を操作し、そして扉が閉められた。

 男達の姿が、消える。

 完全に見えなくなってから、子供の押し殺すようなすすり泣きが聞こえてきた。

 「痛いよぉ……うぅ……」
 それを聞いて、彼の声が再生される。

 『奴らが『中』で使っているのは、弱装弾のゴム弾だ。通常の暴徒鎮圧用ゴム弾は当たると骨折くらいはするんだが、治療費をかけたくないのかさらに威力を弱めてる。一瞬の痛みは凄いだろうが、せいぜい痣、内出血程度の怪我だ。だから、恐れないで走れっ!』

 わたしは立ち上がって、その子の元へと歩いてく。

 何故そんな事をしようと思ったのかは、わたしにも分からない。

 分からないけれど、なんとなくそうしよう、と思えた。

 「……だいじょうぶ?」

 わたしがそう声をかけた時、その男の子はお腹を抱えて倒れていた。

 「うぅ……」

 もう呻くことしか出来ない男の子に、心配そうに、でもすべき事がわからなくて立ち尽くすことしかできない他の子の前でもう一度話し掛ける。

 「だいじょうぶ?」

 お腹を中心にして丸まるような風に横たわる男の子は、とても苦しそうだった。

 でも、彼の言葉通りなら、痣や内出血が起こる程度。直後は物凄く痛いが、でも少し経てば日常生活を送るのには問題ない程度のはずだ。

 「わたしに……見せて? めくるよ?」

 男の子がコクン、と頷いてから、ゆっくりとくすんだ白の服をめくって、患部を見る。

 「……っ!」

 そこには、すでに紫色になりかけている痣があった。

 痣は、直径10センチくらいの大きさで、あんなに小さな口径から発射されたものがこんな痣を作るとは、信じられなかった。

 でも、わたしが驚いたのはそこじゃない・・・・・・

 男の子の胸に、くすんだ白い服の中に隠されるようにあったもの。


 彼が提げていた・・・・・・・ものと同じ・・・・・蒼く美しい・・・・・手の平よりも小さい・・・・・・・・・特徴的なペンダントが・・・・・・・・・・そこにあったのだ・・・・・・・・


 「!」

 男の子の方も、見せてしまったことに気付いたのか、慌ててくすんだ白い服を下ろそうとする。

 それを見て、わたしもやっと気を落ち着けた。

 「だいじょうぶ、もうあざになってるから……。ほかっておけばなおる」

 そう、まずは男の子に告げてから。
 「だいじょうぶ、ペンダントはだれにもいわない。それよりも……おにいさんは、いる……?」

 男の子の耳元に口を寄せ、小声でそう訊いた。

 男の子はビクリ、と体を震わせると、安心したように頷いて、わたしに答えを告げる。

 「ありがと、姉ちゃん。兄ちゃんは……いるよ、一ヶ月前から行方不明だけど」

 その言葉に。

 わたしの中で、繋がった。

 きっと、この子は彼の弟なのだろう。この研究所の面子は、ここへと侵入した彼を殺すだけでは飽き足らず、報復としてその弟までさらって実験台にしようと誘拐してきたのだろう。

 わたしへの答えに。

 男の子は、兄を思い出したのだろうか、家族との日々を夢想してしまったのだろうか、その瞳に涙を浮かべながら、この研究所で最も遠い言葉を、ここにいる人々に最も望まれている言葉を……ポツリと、悲しそうに、本当に心から、漏らす。

 「帰りたいよ……」

 その言葉は。

 その男の子の発した本当に短いその呟きは、わたしの心にすっと、透き通るように入ってきた。

 まるで。

 今まで研究所で育ってきたから、外から連れて来られた人より希薄なまでに存在しなかった目的に、ちょうど埋め込まれるように。

 当たり前だと思っていた環境を、木端微塵にする……そんな勇気を、彼が、そしてその言葉が与えてくれた。

 必ず……必ず。

 この子だけでも、研究所から逃がしてあげようと、わたしは決意した。

 「わかった」
 「……?」

 静かな涙をその瞳に浮かべる男の子は、きょとん、とした顔でわたしを見上げていた。




 ◆  ◆




 まず、とわたしは考える。

 脱走に必要なのは、研究所職員に見つからないように外まで行く脱出ルートの算出と、脱出した後に警察へと行く手段、そして金属環の無効化になる。

 わたしは、彼の声を思い出す。

 『大丈夫だ、研究所の敷地さえ出れば、あとは全てお膳立てしてある。研究所の裏口から出て20メートル先の角、その物影のマンホールは強化プラスチック製のものにすり替えられている。そこに潜り込む時間さえ稼げれば、中からロック出来るようになっているし、目印どうりに進めば警察署の中に出るようになっている。そこまで行けば、もう安心だ』

 つまり、研究所の外に行くまでを考えれば、あとはもう何も考えなくて良い。

 彼の遺した遺産を使えば、なんとかなる。

 逆に、考えなければならないのは研究所の中の話。

 まず、完璧にまで対策を施さなければならないのは、やはり金属環だろう。

 どれだけ綿密にコースを定めたとしても、感電で痺れて動けなくなったら意味はない。

 でも。

 わたしに、気がついたら研究所にいたわたしは電気を防ぐ術など知らない。知っている訳がない。そもそも、研究所の職員は、真っ先にその知識の入手を阻むだろう。

 だから。

 わたしは、彼の言葉を思い出す。

 『電気なんて、簡単に操れる。電気は、電位の高い方から低い方へと流れる。または、誘電体を用いれば、行ってほしくない方向への通行止めも出来るんだ。原理の把握と材料さえあれば、アースを繋げて被覆をすることぐらい、誰だってできる』

 アースと被覆。

 わたしには、どちらの言葉も意味が分からないけれど、見よう見まねの工作ならできる。

 必要なのは、針金とゴム。

 金属環対策は、彼の真似をすればなんとかなる。

 最後。

 自分の部屋から外まで行くための算段を考えないといけない。

 それにはまず、二つに分ける必要がある。

 大部屋の外へと繋がる扉、その中と外でと。

 彼の言った通り、扉の中ではゴム弾の弱装弾が使われているが、扉の外では彼を殺したように、通常の殺傷能力がきちんとある弾が使われている。

 当然、ある意味でいえば中で脱走が発覚するのは良いが、外で脱走するのはまずい。見つかったら最期、もう一度挑戦することも出来ず殺されてしまうかもしれないから。

 だから。

 確実に見つからないコースを構築しなければならない。

 わたしは思い出す。

 彼の言葉……ではない。

 今まで過ごしてきた、記憶を。

 そもそも、彼がわたしと出会えたのは、この中で、おそらく最も研究所で過ごした時間が長いであろうわたしに、脱出の手掛かりとなる情報を求めに来たから。

 つまり。

 全ては、わたしの頭の中にある。

 どれだけ機械で計算した最適の警備網を敷いていても、どれだけ強固な防衛線を組んでいても、それは人一人ずつの特性までは織り込んでいない。

 個人の癖、性格、そういったものと計画の差が、少しずつ穴を作っていって、細いけれど確かに存在する線を構築できるはず。

 最期。

 扉の外に出てから、マンホールまでの経路。
 これは、もう問題ない。

 彼と一緒に外へ出た時に確認している。研究所の敷地外に出るために、彼と一緒に走った道は、一直線の道だった。その先には、外の光がさしてるからであろう明るい扉があった。そこから先は、もう走るだけだ。どれだけ銃を持っていたとしても、人目がある外では使えないだろう。

 そこまで考えて、わたしはゆっくりと目を開けた。
 今日も、実験が始まる。




 ◆  ◆




 「本当に……? これで良いの、姉ちゃん?」
 「うん。でも、ぜったいにさわらないでね。しびれちゃうから」

 数日後。

 大部屋で、わたしと男の子は話していた。

 「ほかのひとにはないしょだよ? みんなをつれていけるよゆうはないから……」
 「わかったよ、姉ちゃん。でも、本当に逃げれるの……?」
 「まかせて」

 わたしはそう言って、男の子へのレクチャーを続ける。

 「このたんしを、きんぞくかんとあしのあいだにはさむの」

 わたしがそう言って手渡したのは、ゴム製の部品。心音をモニタリングするときに胸にはっつけられる、吸着性を持った部品だ。

 これを、金属環と足の間、三箇所に挟んで動かないようにする。

 これで、もし電気が流れてもわたしの足には伝わらない。

 さらに。

 わたしは彼の行動を思い出しながら、針金を取り出した。
 「あとは、このはりがねを、ふつうにたったときにじめんにあたるようにとりつけて?」

 針金。

 立った時に地面に当たるように、折り方と角度を調整して金属環の隙間へと差し込む。

 こうすることで、電気が体ではなく地面へと流れやすくなるらしい。

 「にげるときは、ぜったいにしゃべらないでね。あと、ぜったいにわたしのしじにしたがって? そうしないと、きびしいから」
 「うん」

 コクリ、と頷いた男の子を見て、わたしは時間が経つのを待つ。




 そうして、大部屋に集合する時間が終わり、全員が各々の個室へと帰される。


 「入れ」

 一人一人ずつ、研究所の銃を持った職員が護送しながら部屋に送られる。

 渋い声の男に促されて、部屋の中に入ったわたしは、そっと耳を澄ます。

 カチャリ、という音とともに閉まったドアの後に、重々しいロック音は……響かない。

 よし、とわたしは拳を握る。

 ドアの窪みにはめ込んだ、余分にとってきたゴム部品はきちんと機能したみたいだ。

 「いーち、にーい」

 わたしは、ゆっくりと百数える。

 通常、わたしたちを部屋に送った職員たちは、小走りで大部屋へと戻り、扉の外へと出て行く。

 そんなに居心地が悪いのか、会議があるのかは知らないが、ともかくすぐさま出て行ってしまうのだ。

 長い時でも、100数える前には外へと出て行ってしまう。

 「きゅーじゅうきゅう、ひゃーく」

 数え終わった私は、ガチャリ、とノブを捻る。

 邪魔する感触は……存在しない。

 素早く扉を開け放ったわたしは、男の子の部屋へと走る。

 場所は、あそこだ。男の子が話した場所と、小さい子用に調度品が小さくなっている場所とが一致している。

 わたしは、しっている。

 扉のロックはパスワード管理だけれど、設定者が面倒臭がりで、各扉のパスワードは、部屋番号と同じになっているということを。

 男の子から効いた部屋番を捜し当てて、ノブの横にある入力装置へとすぐさま入力する。

 「いち……よん……なな……さん」

 ガチャリ、と。

 静かにロックを外した扉を開けると、そこには予定通り男の子がいた。きちんと、指示通りに金属環対策も終わっている。

 「いくよ」

 頷いた男の子と一緒に向かうのは……大部屋だ。

 大部屋は、大部屋の中からロックをかけられない。篭られると面倒だからかは分からないけれど、そうなっている。

 そして、職員全員が扉の外にいる状況で、鍵をかけられるはずがない。

 大部屋へと繋がる扉のノブを捻ると、案の定何の抵抗もなく扉が開く。

 「よし」

 電気がついていなくて、薄暗い大部屋に入ってから扉を閉めると、中は真っ暗闇に包まれた。

 ぎゅっ、と、男の子がわたしの服を掴んでくる。やはり暗闇は怖いのだろう。

 少しの間、闇の中を見続けて、夜目に慣らしてから移動を始める。

 外へと繋がる扉へ……ではない。

 大部屋の中に設置された、運動用アスレチックの陰へ、だ。

 それもそうだろう。

 わたしは、この扉を開けるための方法を知らない。

 知っていたら、もうとっくに脱走したい人に教えていただろう。

 この扉こそが、研究所職員にとって最期の扉。

 ここを守りきらなければ、貴重な実験体を殺さなければなくなる最期の砦。

 だから、教えられるはずもないし、知れるはずもない、この扉の開け方は。

 でも。

 わたしは知っている。

 今日は、一ヶ月に一度の在庫点検日だと。

 そこで不自然に減っている部品があれば、実験体のだれかが持ち帰っていないか監査することになる、と。

 幸いな事に、わたしの部屋も、男の子の部屋も、比較的大部屋から遠い場所にある。

 しらみ潰しに探されても、部屋に部屋にいない事に気づかれるのは少し先になるはずだ。

 もうそろそろかな、と思ったわたしは、男の子の口をふさぐ。

 「……?」

 不思議そうに首を傾げる男の子を暗闇越しに見た、その瞬間。

 大部屋の電気が、ついた。

 と同時に、足の金属環に電気が流れる。

 「……っ!」

 急に違和感を覚え、足に向かって手を伸ばしたくなる気持ちを必死に抑える。

 違和感程度で済んでいるということは、彼の言った通りの電気対策は出来ているのだろうか。

 そして、部屋にいるはずの実験体達の移動能力を奪った職員たちは、外へと繋がる扉を開け放って走っていく。

 「!」

 驚きと恐怖で体をすくませる男の子と一緒に体を小さく丸めつつ、外へと繋がる扉から見えないはずの陰で息を殺す。

 バタバタバタっ!

 と、30秒ほど続いて大部屋を通過していく職員達。

 足音が無くなるが早いが否か、わたしは男の子を立ち上がらせる。

 「はしるよっ!」

 開けっ放しの扉を出て、左へまっすぐ。

 明るい光の注す扉へは、あと大部屋五つほどの長さか。

 わたしは、目標が見えてなんとなく安心感を覚えていた。

 職員は、実験体の部屋の捜索か、実験室での捜索にかかりきりだろう。いま、瞬間だけは、職員の思惑の外にいるはずだ。

 あと、大部屋四つ。

 そして、一瞬の安心感を得たあとは、焦燥が先に立った。

 長い。

 たった、大部屋四つ分の長さがとてつもなく遠い。

 早くしないと、息が切れてしまう。職員に、追いつかれてしまう。

 あと、三つ。

 その時、もう一度片足に違和感が走った。

 感電。

 走っているから、電気を上手く逃がせなかったのか、少しの痛みをも伴う痺れが不快感とともに足を駆け登る。

 でも、まだ走れる。

 男の子も、走り続けている。

 あと、二つ。

 そこで。

 そこで、絶望的な声が聞こえた。

 「あそこだっ! いたぞ、撃てっ!!」

 見つかった。

 あと、大部屋二つ分なのに。全力で走れば、10秒かからないのに。

 見つかってしまった。

 「はしってっ! おしえたとおりに、にげてねっ!?」
 「えっ! 姉ちゃんは?」

 男の子がそう聞き返してくるが、はしりながら喋るのは、わたしには一回しかできそうにない。

 逃がそう。この子だけでも。

 そう思ったのは何故だろう。

 どうして、わたしは180度後ろを向いて、職員をまっすぐ見つめているだろう。

 どうして、わたしは両手を広げて、その体に男の子を隠そうとしているのだろう。

 どうして、わたしは職員を引き付けるように動いているのだろう。

 そう、考えて。

 私は、納得した。

 (ああ、これがあのときのかれのきもちなんだろうな……?)

 どうしても、守りたいものがある。
 どうしても、届けたい人がいる。

 彼にとってのわたしで。
 わたしにとっての彼で。

 だから、彼も自らを危険に曝すことに躊躇がなかったのかもしれない。

 前から、沢山の銃声が響いてくる中、わたしの耳には、後ろから響く小さな音が、何故か綺麗に聞こえた。

 ガチャン、という音が。
 私はそれを聞いて。



 目を、瞑った。
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