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2章 アポカリプスサウンド
40話【真瀬敬命という子供/真瀬母視点】
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敬命と別のエレベーターに乗せられて、行き着いた先は会議室だった。
刑事ドラマに出てくる、捜査本部のような室内に案内され、順番に席に着く。
周囲の人たちもとても不安そうで、泣いている人もいる。
多分、誰かの母親なんだろう。宥める夫が側についていたり、子供と一緒の人たちもいる。
私の隣の有坂さんのご家族も不安げにぽつぽつと会話をしているが、長男と次男はわくわくした表情を隠さず会話をしていて時折たしなめられてふてくされた顔をする。
ああいいなあ、と思う。
こんなときに、あの人がいてくれたら。そう思う。
敬命の父親であり、私の夫の、零次さん。ゼロの次と書いて『はじめ』と読む、少し変わった名前をした人。
彼は、不思議な人だった。
穏やかで、どこか老成したような雰囲気を持っていた。
愛していたし、愛されていた。
そう確信できるくらいに、彼と過ごしたのは幸せな日々だった。
結婚して、2人で立ち上げた事業が失敗しても、それでも。
苦労するのも失敗するのも楽しかったと思えるほどに。
だけど、その時間は長いようで短かった。
私は敬命にひとつ、嘘をついている。
あの人の写真は確かに消えてしまったけれど、敬命に説明した理由で消えたのではない。
あの人は、敬命が2歳の時、事故死した。
事故の知らせを受け、私は病院に行き警察にも行った。
トラックにはねられて、即死だと。遺体もあった。
だけど、翌日になると、それは全て、なかったことになった。
それどころか、あの人のことを、私の夫のことを誰も、知らなかった。
今でも思い出すとぞっとする。
撮った写真も彼の実家も、何もかもなくなっていた。
デジタルデータが消えるように、痕跡を何も残さず、消えてしまった。
大学時代の友人も、警察も病院の人も、誰も彼を知らないと言う。そんな事故はなかったと。
いつの間にか私はシングルマザーとしてあらゆる手続きがされた状態にいた。
助成金や、保育について。
私はシングルマザーとして最初からそうしていたように。
頭がおかしくなりそうだった。
私が1人なら、きっと、頭がどうかしてしまっていただろう。
だけど私には敬命がいた。
彼が残した、たったひとつの証明、命。私達のかわいい子供。
私は、覚えている。証拠がなくとも、記憶が残っている。写真も映像もなくても、覚えている。
あの人の優しい穏やかな声も、微笑む顔も、仕草も。
触れた指の感触も。初めて会った日も。告白をした時の、はにかむような顔も。
何もかも、全部、全部覚えている。
敬命が大きくなるにつれて、容姿は私に似てきた。
人格が芽生えて、ゆっくりとどこか表情が彼にも似てきた。
敬命は小さい頃から、癇癪もなく、我がままも言わない子だった。
手がかかったと思ったことは一度もなく、それが少し寂しいと思うくらいに。
誰かが困っていれば、手を差し伸べる子だった。
私は敬命のどこか子供離れした行動や言葉を聞くたびに、彼を思い出し、彼の話をした。
保育園時代にほんの少し嘘や誤魔化すことはあったけれど、それは自分の利益のためではなく、誰かのための嘘だった。
そんなやり方はよくないのよと、嘘や誤魔化しを叱ると、それから敬命はそれらを一度もしなくなった。
異様だった。子供とは、いや、子供だけでなく人間は、そんな合理の生き物ではない。
感情で不条理を言い、不機嫌になり、怒り、泣く。それを段々とコントロールしていくようになるが、それにも限界がある。
この子は、もしかしたら菩薩や観音の生まれ変わりなのではないか、そんなことを何度も思った。
少し大きくなると、洗濯ものを畳み片付け、掃除や片付けをはじめ、家庭科の授業を受ける頃にはキッチンに立ち始めた。
私は敬命にそれをしなさいと命じたことは一度もない。勉強も、宿題も。何かをしなさい、手伝って欲しい、と言った覚えはない。
家事は敬命が私に教えを請い、全て自発的に行っていた。
小学校高学年になった頃には、家の家事を僕がやると言ってからは、本当に今までずっと敬命はそれを続けている。
「やりたいことが出来たら、やめてもいいからね。やりたいことをやりなさいね」
折に触れてそう声をかけた。敬命は「うん、わかった」と応えるが、結局今までずっとそれは続き、高校に入るとアルバイトを始めてその給料の半分を私に渡すようになった。
「おこずかい、半分ずつね」
親が日がな働き、趣味はなく、親自身が自分のためのお金を使っていないことを子供が見抜く、なんてことは普通では考えられないことだ。
子供は母親に甘え、何でもしてくれて許してくれる生き物だと思うのが子供の普通の思考だ。それが叶わないと、どうしてだと怒り出すのが普通だ。
私も子供の頃、親をひとりの人間として認識は出来なかった。親になって初めて気付く。親がしてくれていた全てのことに。
普通ならうちのような貧乏暮らしを嫌がり、クラスの子に比べて自分はなんて不幸なんだろうと考えてもおかしくない。
親は親という存在でしかない。親にも子供時代や青春時代があり、人生を積み重ねてきたこと。生きるにはお金が必要で、そのために仕事をすること。
子供のうちにそれは、普通は理解も実感も出来ないことだ。
母の日や記念日、何かしらの折にようやく周囲にあわせてそういうものなんだとうっすらと理解をして「おかあさんいつもありがとう」となるのが子供なのだ。
そうは言っても、結局自分のことに懸命になって母親への感謝など忘れてしまう。
やってもらってあたりまえと思い、苦労をかける。
私がそれを母に「反省した、ごめん」と伝えられたのは敬命が生まれてからだ。
母は笑って「子供なんてそれでいいのよ。それはそれで愛しい思い出よ」と言った。
けれど、敬命はそうではない。
「お母さんが家にいないのは、お仕事をしてるからで、一緒にいないのは寂しいけどね、ぼくは寂しい分、お母さんを大事にしたいの」
聞けば、小学生の息子が、こんなことを言う。
彼の、零次さんに似た言い回しで、思わず泣きそうになった。
会えなくて寂しいと思う分だけ、君を大事にすることを考えるよ。
零次さんとまだ付き合っていたころの、デート最後のいつもの言葉。
結婚してからも1人で外出するときは時折そう言った、言葉。
敬命から受け取ったバイト代の半分は毎回お礼を言って、私はそのお金をそのまま敬命のための貯金口座に入れている。何かあった時のための貯金を。敬命がやりたいことを見つかった時のための貯金。将来、必要になった時のための貯金。
私自身の給料から毎月貯め続けているそれに足して、貯金を続けている。
私には、出来すぎた息子だと、何度思ったことだろう。
私は彼の母親として恥ずかしくない人間でいたいとすら思う。
私の言葉で、行動で、敬命を歪めないように。
その敬命が、今日はごはんを作れない、仕事を休んで一緒に来て欲しいといった。
息子の語った内容は、余りに常識から外れていた。
ひどく驚いた。
けれど、私は信じた。
敬命が無意味な嘘を付くと思えなかった。
だけど、無意味な嘘で、ただの我がままでもよかった。
それでも何ひとつ、かまわなかった。
久々に一緒に作ったおにぎり。ふたりで立つには狭いキッチンはいつも綺麗に整えられていて、今日もそうだった。
ありえないのだろうけど、もしこれが、敬命のわがままだとしたらこのままピクニックにでも行きたいとすら思う程に平和な時間。
だけど、
敬命の言葉に嘘はなく、会議室で語られる話は――まるで敬命と見たアニメのお話のようだった。
刑事ドラマに出てくる、捜査本部のような室内に案内され、順番に席に着く。
周囲の人たちもとても不安そうで、泣いている人もいる。
多分、誰かの母親なんだろう。宥める夫が側についていたり、子供と一緒の人たちもいる。
私の隣の有坂さんのご家族も不安げにぽつぽつと会話をしているが、長男と次男はわくわくした表情を隠さず会話をしていて時折たしなめられてふてくされた顔をする。
ああいいなあ、と思う。
こんなときに、あの人がいてくれたら。そう思う。
敬命の父親であり、私の夫の、零次さん。ゼロの次と書いて『はじめ』と読む、少し変わった名前をした人。
彼は、不思議な人だった。
穏やかで、どこか老成したような雰囲気を持っていた。
愛していたし、愛されていた。
そう確信できるくらいに、彼と過ごしたのは幸せな日々だった。
結婚して、2人で立ち上げた事業が失敗しても、それでも。
苦労するのも失敗するのも楽しかったと思えるほどに。
だけど、その時間は長いようで短かった。
私は敬命にひとつ、嘘をついている。
あの人の写真は確かに消えてしまったけれど、敬命に説明した理由で消えたのではない。
あの人は、敬命が2歳の時、事故死した。
事故の知らせを受け、私は病院に行き警察にも行った。
トラックにはねられて、即死だと。遺体もあった。
だけど、翌日になると、それは全て、なかったことになった。
それどころか、あの人のことを、私の夫のことを誰も、知らなかった。
今でも思い出すとぞっとする。
撮った写真も彼の実家も、何もかもなくなっていた。
デジタルデータが消えるように、痕跡を何も残さず、消えてしまった。
大学時代の友人も、警察も病院の人も、誰も彼を知らないと言う。そんな事故はなかったと。
いつの間にか私はシングルマザーとしてあらゆる手続きがされた状態にいた。
助成金や、保育について。
私はシングルマザーとして最初からそうしていたように。
頭がおかしくなりそうだった。
私が1人なら、きっと、頭がどうかしてしまっていただろう。
だけど私には敬命がいた。
彼が残した、たったひとつの証明、命。私達のかわいい子供。
私は、覚えている。証拠がなくとも、記憶が残っている。写真も映像もなくても、覚えている。
あの人の優しい穏やかな声も、微笑む顔も、仕草も。
触れた指の感触も。初めて会った日も。告白をした時の、はにかむような顔も。
何もかも、全部、全部覚えている。
敬命が大きくなるにつれて、容姿は私に似てきた。
人格が芽生えて、ゆっくりとどこか表情が彼にも似てきた。
敬命は小さい頃から、癇癪もなく、我がままも言わない子だった。
手がかかったと思ったことは一度もなく、それが少し寂しいと思うくらいに。
誰かが困っていれば、手を差し伸べる子だった。
私は敬命のどこか子供離れした行動や言葉を聞くたびに、彼を思い出し、彼の話をした。
保育園時代にほんの少し嘘や誤魔化すことはあったけれど、それは自分の利益のためではなく、誰かのための嘘だった。
そんなやり方はよくないのよと、嘘や誤魔化しを叱ると、それから敬命はそれらを一度もしなくなった。
異様だった。子供とは、いや、子供だけでなく人間は、そんな合理の生き物ではない。
感情で不条理を言い、不機嫌になり、怒り、泣く。それを段々とコントロールしていくようになるが、それにも限界がある。
この子は、もしかしたら菩薩や観音の生まれ変わりなのではないか、そんなことを何度も思った。
少し大きくなると、洗濯ものを畳み片付け、掃除や片付けをはじめ、家庭科の授業を受ける頃にはキッチンに立ち始めた。
私は敬命にそれをしなさいと命じたことは一度もない。勉強も、宿題も。何かをしなさい、手伝って欲しい、と言った覚えはない。
家事は敬命が私に教えを請い、全て自発的に行っていた。
小学校高学年になった頃には、家の家事を僕がやると言ってからは、本当に今までずっと敬命はそれを続けている。
「やりたいことが出来たら、やめてもいいからね。やりたいことをやりなさいね」
折に触れてそう声をかけた。敬命は「うん、わかった」と応えるが、結局今までずっとそれは続き、高校に入るとアルバイトを始めてその給料の半分を私に渡すようになった。
「おこずかい、半分ずつね」
親が日がな働き、趣味はなく、親自身が自分のためのお金を使っていないことを子供が見抜く、なんてことは普通では考えられないことだ。
子供は母親に甘え、何でもしてくれて許してくれる生き物だと思うのが子供の普通の思考だ。それが叶わないと、どうしてだと怒り出すのが普通だ。
私も子供の頃、親をひとりの人間として認識は出来なかった。親になって初めて気付く。親がしてくれていた全てのことに。
普通ならうちのような貧乏暮らしを嫌がり、クラスの子に比べて自分はなんて不幸なんだろうと考えてもおかしくない。
親は親という存在でしかない。親にも子供時代や青春時代があり、人生を積み重ねてきたこと。生きるにはお金が必要で、そのために仕事をすること。
子供のうちにそれは、普通は理解も実感も出来ないことだ。
母の日や記念日、何かしらの折にようやく周囲にあわせてそういうものなんだとうっすらと理解をして「おかあさんいつもありがとう」となるのが子供なのだ。
そうは言っても、結局自分のことに懸命になって母親への感謝など忘れてしまう。
やってもらってあたりまえと思い、苦労をかける。
私がそれを母に「反省した、ごめん」と伝えられたのは敬命が生まれてからだ。
母は笑って「子供なんてそれでいいのよ。それはそれで愛しい思い出よ」と言った。
けれど、敬命はそうではない。
「お母さんが家にいないのは、お仕事をしてるからで、一緒にいないのは寂しいけどね、ぼくは寂しい分、お母さんを大事にしたいの」
聞けば、小学生の息子が、こんなことを言う。
彼の、零次さんに似た言い回しで、思わず泣きそうになった。
会えなくて寂しいと思う分だけ、君を大事にすることを考えるよ。
零次さんとまだ付き合っていたころの、デート最後のいつもの言葉。
結婚してからも1人で外出するときは時折そう言った、言葉。
敬命から受け取ったバイト代の半分は毎回お礼を言って、私はそのお金をそのまま敬命のための貯金口座に入れている。何かあった時のための貯金を。敬命がやりたいことを見つかった時のための貯金。将来、必要になった時のための貯金。
私自身の給料から毎月貯め続けているそれに足して、貯金を続けている。
私には、出来すぎた息子だと、何度思ったことだろう。
私は彼の母親として恥ずかしくない人間でいたいとすら思う。
私の言葉で、行動で、敬命を歪めないように。
その敬命が、今日はごはんを作れない、仕事を休んで一緒に来て欲しいといった。
息子の語った内容は、余りに常識から外れていた。
ひどく驚いた。
けれど、私は信じた。
敬命が無意味な嘘を付くと思えなかった。
だけど、無意味な嘘で、ただの我がままでもよかった。
それでも何ひとつ、かまわなかった。
久々に一緒に作ったおにぎり。ふたりで立つには狭いキッチンはいつも綺麗に整えられていて、今日もそうだった。
ありえないのだろうけど、もしこれが、敬命のわがままだとしたらこのままピクニックにでも行きたいとすら思う程に平和な時間。
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