11 / 41
第11話 弥市とおりん1
しおりを挟む
翌日、お藤は穴の空いた鍋を持って、桜の散り始めた柏原の町中をうろついた。
団子屋には鍋が二つあるが、片方穴が空いていると団子屋の商売に差し障りがある。かと言って買うまでもない、直せばいくらでも使えるのだ。あとは如何にして鋳掛屋を見つけるかといったところだ。
町中に住んでいれば鍋が二つあれば鋳掛屋が近くを通るまでもう一つの鍋を使って凌げばいいが、こうして峠の方から穴の空いた鍋を持ってわざわざ降りて来ているのだから、何が何でも見つけて直してもらわねばならない。
だが、今日はずいぶんとツイているらしい。椎ノ木川の川沿いの木陰で休んでいる牛蒡のような若い男が箱ふいごをそばに置いているのが見えたのだ。
「ちょいと兄さん、それふいごかい?」
お藤が声をかけると、若者はお藤が手にしている鍋に目を留め、白い歯を見せてニカッと笑った。
「お? そりゃ穴の空いた鍋かい?」
「頼めるかい?」
「当たりき車力の車引き、合点承知の助よ」
若者は手早く鋳掛の準備を始めた。
「姉さん、見かけない顔だね」
「まあね。柏原の外れの方に住んでるからね」
「道理で。これだけの美人なら一度見たら忘れねえ」
「口が上手いね。あたしはお藤。あんたは?」
「おいらはなんでも屋の三郎太ってんだ。今日はたまたま鋳掛屋。運が良かった」
三郎太はあっという間に火をつけてふいごを押し始める。実に手際が良い。
「なんでも屋って、鋳掛の他に何やってるんだい?」
「その日によりけりだけど、棒手振りが多いかねぇ。蜆とか豆腐とか金魚とか。あとは言伝を頼まれたり荷物運びを手伝ったり、身動きの取れない人の代わりに買い物に行ったりするかねぇ」
――この男は使える。
お藤も三郎太のすぐそばにしゃがみこんで、その作業を見守った。
「一日中柏原をそうやってウロウロしてるんなら、髪結いもびっくりなほどの情報通なんだろうねぇ」
「通ってほどじゃねえけど、それなりに入って来るよ」
お藤はそれとなく探りを入れてみることにした。
「例えば……そうだねぇ、この間ひと騒動あった天神屋さんとか」
「ああ、あそこは話題に事欠かねぇ」
どうやらあれ以前にもいろいろ問題のあるお店だったようだ。
「こないだおかしなのがやって来て店で暴れて、番頭さんが馘になったそうじゃないか。何も馘にしなくたって良さそうなもんなのにねぇ」
「ありゃあ、ご主人が番頭さんをずっと馘にしたがってたところに、運よく面倒ごとが舞い込んだんだよ。それで番頭さんのせいにして追い出しちまったって寸法よ。おいらなんかは、ご主人がわざと仕組んだんじゃねえかと思ったくらいだ」
――三郎太と言ったか、この男はなんでも屋にしておくには惜しい切れ者だ……。
「あの若旦那は番頭さん無しにはお店のことなんかなんにもできねえって話だけどな」
昨日帰ってから聞いた栄吉の話と一致する。あれは彦左衛門の思い込みでも栄吉の考えでもなく、周知の事実だったらしい。
「でも自分のお店だろ? なんにもできないってことはないんじゃないのかい?」
三郎太は大汗をかきつつ、手は休めない。
「先代の大旦那様は仕事熱心だったんだけどさ、おぼっちゃま育ちの若旦那は、なーんにもお店のことを勉強しなかったらしいぜ。店の者が動いてさえいれば、ちゃんとお店は回ると思ってたんだろうな」
「なんにもできないなら、とっとと隠居して子供に後を継がせりゃいいのにねぇ」
「そりゃあ無理ってもんだ。あの夫婦には子供がいねえ」
なんだって? 後継ぎがいない?
「そりゃどういうことだい?」
三郎太は鋳鉄片を溶かしながら、軽く辺りを見渡した。
「大きな声じゃ言えねえが、お内儀が子供の産めない体らしい」
「えっ?」
「それでちょっと肩身が狭いのか、ご主人の柏華楼通いも目を瞑ってたんだけどよ、女中に手を出したんでさすがに見て見ぬ振りもできなくて、お内儀さんがその女中を手代とくっつけたって話だ。驚き桃の木山椒の木だろ」
「そりゃびっくりだね」
大袈裟に驚いてみせるが、弥市のことだなと心の中では納得する。
「それどころか、その女中が既に身籠ってるって言うじゃねえか。ありゃあ胎ん中の子の父親は天神屋のご主人だろうな」
「なんだって!」
そうか、それがあったのか。不貞の子を身籠っているなら追い出すよりは手元に置いて監視した方が良いと考えるかもしれないし、逆にその赤子が男の子なら主人の胤なのだから天神屋の跡取りとすることもできる。もしそこまで考えているのなら、とんでもない大悪党だ。
「ああ、いやいや、それはおいらの勝手な想像だから真に受けんなよ? でもさ、もしそれが本当なら、番頭さんに気づかれる前に追い出しちまうだろ?」
確かにただでさえ口うるさい目の上のたんこぶだ。奉公人に手を出して身籠ったなんてことになったら彦左衛門が黙っているわけがない。恐らく三郎太の推理は当たっている。
「はい、出来上がり。ばっちり塞がったぜ」
「ああ、ありがとさん、助かったよ」
「さっきの話はおいらの想像だから人に言わないどくれよ? 姉さんにしか言ってないんだ」
「もちろんさ。また頼むよ」
「毎度!」
お藤は代金を少し余分に払っておいた。
団子屋には鍋が二つあるが、片方穴が空いていると団子屋の商売に差し障りがある。かと言って買うまでもない、直せばいくらでも使えるのだ。あとは如何にして鋳掛屋を見つけるかといったところだ。
町中に住んでいれば鍋が二つあれば鋳掛屋が近くを通るまでもう一つの鍋を使って凌げばいいが、こうして峠の方から穴の空いた鍋を持ってわざわざ降りて来ているのだから、何が何でも見つけて直してもらわねばならない。
だが、今日はずいぶんとツイているらしい。椎ノ木川の川沿いの木陰で休んでいる牛蒡のような若い男が箱ふいごをそばに置いているのが見えたのだ。
「ちょいと兄さん、それふいごかい?」
お藤が声をかけると、若者はお藤が手にしている鍋に目を留め、白い歯を見せてニカッと笑った。
「お? そりゃ穴の空いた鍋かい?」
「頼めるかい?」
「当たりき車力の車引き、合点承知の助よ」
若者は手早く鋳掛の準備を始めた。
「姉さん、見かけない顔だね」
「まあね。柏原の外れの方に住んでるからね」
「道理で。これだけの美人なら一度見たら忘れねえ」
「口が上手いね。あたしはお藤。あんたは?」
「おいらはなんでも屋の三郎太ってんだ。今日はたまたま鋳掛屋。運が良かった」
三郎太はあっという間に火をつけてふいごを押し始める。実に手際が良い。
「なんでも屋って、鋳掛の他に何やってるんだい?」
「その日によりけりだけど、棒手振りが多いかねぇ。蜆とか豆腐とか金魚とか。あとは言伝を頼まれたり荷物運びを手伝ったり、身動きの取れない人の代わりに買い物に行ったりするかねぇ」
――この男は使える。
お藤も三郎太のすぐそばにしゃがみこんで、その作業を見守った。
「一日中柏原をそうやってウロウロしてるんなら、髪結いもびっくりなほどの情報通なんだろうねぇ」
「通ってほどじゃねえけど、それなりに入って来るよ」
お藤はそれとなく探りを入れてみることにした。
「例えば……そうだねぇ、この間ひと騒動あった天神屋さんとか」
「ああ、あそこは話題に事欠かねぇ」
どうやらあれ以前にもいろいろ問題のあるお店だったようだ。
「こないだおかしなのがやって来て店で暴れて、番頭さんが馘になったそうじゃないか。何も馘にしなくたって良さそうなもんなのにねぇ」
「ありゃあ、ご主人が番頭さんをずっと馘にしたがってたところに、運よく面倒ごとが舞い込んだんだよ。それで番頭さんのせいにして追い出しちまったって寸法よ。おいらなんかは、ご主人がわざと仕組んだんじゃねえかと思ったくらいだ」
――三郎太と言ったか、この男はなんでも屋にしておくには惜しい切れ者だ……。
「あの若旦那は番頭さん無しにはお店のことなんかなんにもできねえって話だけどな」
昨日帰ってから聞いた栄吉の話と一致する。あれは彦左衛門の思い込みでも栄吉の考えでもなく、周知の事実だったらしい。
「でも自分のお店だろ? なんにもできないってことはないんじゃないのかい?」
三郎太は大汗をかきつつ、手は休めない。
「先代の大旦那様は仕事熱心だったんだけどさ、おぼっちゃま育ちの若旦那は、なーんにもお店のことを勉強しなかったらしいぜ。店の者が動いてさえいれば、ちゃんとお店は回ると思ってたんだろうな」
「なんにもできないなら、とっとと隠居して子供に後を継がせりゃいいのにねぇ」
「そりゃあ無理ってもんだ。あの夫婦には子供がいねえ」
なんだって? 後継ぎがいない?
「そりゃどういうことだい?」
三郎太は鋳鉄片を溶かしながら、軽く辺りを見渡した。
「大きな声じゃ言えねえが、お内儀が子供の産めない体らしい」
「えっ?」
「それでちょっと肩身が狭いのか、ご主人の柏華楼通いも目を瞑ってたんだけどよ、女中に手を出したんでさすがに見て見ぬ振りもできなくて、お内儀さんがその女中を手代とくっつけたって話だ。驚き桃の木山椒の木だろ」
「そりゃびっくりだね」
大袈裟に驚いてみせるが、弥市のことだなと心の中では納得する。
「それどころか、その女中が既に身籠ってるって言うじゃねえか。ありゃあ胎ん中の子の父親は天神屋のご主人だろうな」
「なんだって!」
そうか、それがあったのか。不貞の子を身籠っているなら追い出すよりは手元に置いて監視した方が良いと考えるかもしれないし、逆にその赤子が男の子なら主人の胤なのだから天神屋の跡取りとすることもできる。もしそこまで考えているのなら、とんでもない大悪党だ。
「ああ、いやいや、それはおいらの勝手な想像だから真に受けんなよ? でもさ、もしそれが本当なら、番頭さんに気づかれる前に追い出しちまうだろ?」
確かにただでさえ口うるさい目の上のたんこぶだ。奉公人に手を出して身籠ったなんてことになったら彦左衛門が黙っているわけがない。恐らく三郎太の推理は当たっている。
「はい、出来上がり。ばっちり塞がったぜ」
「ああ、ありがとさん、助かったよ」
「さっきの話はおいらの想像だから人に言わないどくれよ? 姉さんにしか言ってないんだ」
「もちろんさ。また頼むよ」
「毎度!」
お藤は代金を少し余分に払っておいた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ワスレ草、花一輪
こいちろう
歴史・時代
娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる