柿ノ木川話譚3・栄吉の巻

如月芳美

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第28話 鬼灯長屋の取り上げ婆4

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 彦左衛門の家は町中から少し外れた椎ノ木川沿いの長屋だ。四十年も勤め上げた大番頭なのにかなりつましい生活をしているという。
 椎木川沿いに並ぶ桜はもうとっくに花も終わり葉っぱが青々と茂っている。もうすぐ夏だ。彦左衛門は仕事を見つけたのだろうか。あの歳で仕事を見つけるのは大変だろう。
 栄吉と言い自分と言い、焼きが回ったのだろうか。標的となった相手に情けをかけるようになるなんて。もしかするとこれが本来の殺し屋の姿なのかもしれない。標的や依頼人の事情も知らずに機械的に殺しをやるなら、それはカラクリ人形と同じだ。
 だが、なぜか栄吉がこれで足を洗うような気がした。
 いままで『総受けの栄吉』と呼ばれてきたが、今回彦左衛門が標的になったことで洗い直すことにした。そして依頼人に問題がある場合の自分の行動基準に疑問を持ったのだ。
 栄吉はいい先輩だ。いつも漬け物石みたいな顔をして、ぶっきらぼうであまり細かいことは教えてくれない。だが、自分で先頭に立ってやることで、やり方を見せてくれた。お藤はそれを見て技術を盗んだ。
 彼は殺し屋を続けるには優しすぎるのかもしれない。案外本当に弐斗壱蕎麦に暖簾分けして貰って蕎麦屋でもやっている方が似合っているような気もする。
 同時に栄吉にはお天道様が似合わない。彼がこんなに精力的に動いてるのだって珍しいのだ。総受けだったからこそ、こんなに嗅ぎまわったりする必要もなかったというべきか。
 そうだ、お天道様が似合わないなら、夜鳴き蕎麦なんてどうだろう。もしも栄吉が足を洗うと言い出したら、夜鳴き蕎麦を勧めてみようか。
 とりとめもなく考えているうちに彦左衛門の長屋に着いた。栄吉はまだいるだろうか。
「彦左衛門さんいるかい?」
 建付けの悪い引き戸がガタガタいいながら開いた。中から出て来たのは栄吉だった。
「決まったか?」
 お藤は小さく頷いた。
「迎えに来たのさ。彦左衛門さんには話してあるかい」
 栄吉は頷くと一旦中に入ってから彦左衛門を連れて出て来た。
「お藤さんですね。栄吉さんからお話は伺っております。この度は弥市とおりんのために一肌脱いでいただいたとのことで、誠にありがとう存じます」
「堅っ苦しい挨拶は無しさ。今、三郎太さんが大八車を借りに行ってる。弥市さんは荷物をまとめてるはずさ。これから行けば十分間に合うよ」
 三人は連れだって鬼灯長屋へと向かった。
 戻りもお藤は先に立って歩き、彼女の後ろを栄吉と彦左衛門が並んでついて行った。
 栄吉は彦左衛門の今後の生活のことを心配していた。いくら有能な番頭でも、新しい仕事を始めるとなるとまるっきりの新人である。彼のことだから要領よく覚えていくのだろうが。
「実は私も家移りしようかと考えていまして」
「どこへ」
「木槿山辺りに」
「やめとけ」
「ですがこのまま柏原に住み続けるのもしんどいですから。天神屋の若旦那様やお内儀様にどこで会うとも知れませんし」
「天神屋に会うことはもうないだろうよ」
 そうだね、あたしが葬るから――二人の話を聞きながら、お藤は物騒な事を考える。だが、彼女の中ではそれは既に決定事項だ。
「それになぁ、彦左衛門さん。あんた家移りしてからどうする気だい? 木槿山じゃ仕事は探せないだろう?」
「そこなんです」
「いや、だからさ。柏原の人達はみんなあんたが天神屋に嵌められたことは知ってる。それに天神屋で大番頭をずっとやって来たことも知ってる。その手腕を買いたいという人がこの柏原には居るはずだ。だがよ、木槿山なんて行っちまったら、誰もお前さんのことなんざ知らねえ。そうなったらただの素人の年寄りだ、仕事なんか見つかりゃしねえ」
 栄吉がえらく饒舌だ。こんな栄吉をお藤は見たことがない。漬け物石が喋ったらこんな感じなのだろうと、お藤はまるで明後日のことを考えた。
「ん? お藤」
 いきなり背後から呼ばれたお藤は、思考を読まれたのかと焦った。が、そうではなかった。
「おめえ、見慣れねえ簪してるな」
「ああ、これかい」
 彦左衛門が「おや、これは」と目を見張る。
「琥珀じゃありませんか。しかも羊歯しだ入りとはまた珍しい。これは結構値が張ったのでは?」
 お藤は簪に手をやると照れ臭そうに笑った。
「これね、弥市さんちのお隣のお芳さんっていうお婆ちゃんからいただいたのさ。おりんちゃんの赤ちゃんを取り上げてくれる産婆さんなんだって」
「こんな上等なものを。気前のいい方ですね」
「なんでもお芳さんが若い頃に佐倉さまのお屋敷で女中をやってて、大旦那様からいただいたものらしいんだ」
 ちょうど鬼灯長屋に着いたその時、栄吉が口を開いた。
「それ、おめえに似合うな」
「本当にお似合いでございますよ」
 お藤はなんでもない顔をしていたが、心の中では天と地がひっくり返るほど驚いていた。もはや彦左衛門の言葉すら聞いていなかった。
 ――あの漬け物石がこんな気の利いたことを言うなんて!
 そのとき、弥市とおりんの家から悲鳴が上がり、当のお芳が飛び出してきた。
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