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第29話 おりんの出産1
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「中に! 中に!」
お芳が叫びながら弥市の家からまろび出るのを見て、すぐに栄吉が中に踏み込んだ。
「彦左衛門さん、お芳さんを家の中へ!」
お藤は彦左衛門に指図し、お芳の持っていた心張り棒をひったくって栄吉に続いた。
家の中は血の海だった。その中に、弥市とおりんがいた。おりんは部屋の奥でお腹を庇うように、弥市は栄吉に取り押さえられた賊の脚にしがみつくように、それぞれ倒れていた。
栄吉は賊の喉元に匕首を突き付け、動きを封じていた。
「おめえを雇ったのは天神屋だな」
賊は口元を一文字に結び、目を逸らしている。これは絶対に吐かないだろう。
お藤は血まみれの弥市を助け起こした。
「おりんは……おりんのそばへ」
「わかった」
弥市に肩を貸し、おりんのそばへ連れて行くと、おりんが「おまえさん」と弥市に手を伸ばした。その手もぬるぬるとした温かい血で染まっていた。
弥市は引き戸を開けたところで胸を一突きにされたのだろう。おりんの方は腹を守ったのか、背中を刺されている。
「お藤さん……生まれそうです、お芳さんを呼んでください」
「あんた、この状態で産む気かい?」
「産みます!」
あまりにも強い意思表示だった。
賊は間もなく死ぬ。栄吉に殺されなくとも、自ら命を絶つだろう。お藤はお芳の部屋に飛び込んだ。
「彦左衛門さん、勝五郎親分を呼んで来とくれ。弥市さんとおりんちゃんが刺された」
「なんですって!」
「話は後だ。賊は栄吉さんが取り押さえてる。急いで!」
「わ、わかりました」
彦左衛門は腰を抜かしそうになりながら長屋を飛び出して行った。
「お芳さん、怪我はないかい?」
「あたしは大丈夫だよ」
「よし、じゃあお産の準備だ」
「え?」
お芳は転げ落ちるんじゃないかと心配になるくらい目ん玉を大きく見開いた。
「誰の」
「おりんちゃんに決まってるじゃないか」
「だっておりんちゃん、刺されたってあんた今……」
「もう生まれそうなんだ。怪我の手当てなんかしてる暇はないんだよ」
「わかった、任せときな」
賊と鉢合わせてさっきまで足腰震えてガクガクしていた老人が、お産と聞いて急にしゃんと背筋を伸ばした。
「あんたは二人のそばにいてやって。すぐに行くから」
そう言うとお芳はすぐ隣の家の引き戸をドンドンと叩いた。
「お芳だよ、いるかい、おりんちゃんがお産なんだ!」
中から小太りのおかみさんが出て来た。
「おりんちゃんだね。あたしが長屋じゅうにお湯を頼むから、お芳さんはお産の方行っとくれ」
「頼んだよ」
お芳は弥市の家に駆けこみ、おかみさんは長屋の家を片っ端から回って湯を沸かせと頼んでいる。だが、お芳以外の誰もがおりんが傷を負ったまま出産するとは知らされていない。緊張と共にお祝いの雰囲気が漂っているのが何とも皮肉だ。
お芳は襷をかけ直すと、栄吉に向かって怒鳴った。
「あんたその賊連れて外に出な! これからお産なんだ」
栄吉が賊を引きずって外に出る。その腹には栄吉のものではない匕首が刺さっている。おそらく栄吉に迫られて自害したのだろう。勝五郎には栄吉が上手く話してくれるに違いない。
お芳は今度はお藤に向き直った。
「いいかい、この子はあたしとあんたで取り上げるよ。お産の手伝いは初めてかい?」
「ええ」
「じゃ、ちょうどいい経験だ。弥市、まだ頑張れるかい」
弥市は胸からどくどくと血を流しながら「はい」と答える。もういつ死んでもおかしくない。
「ここは産屋じゃないから力綱もない。おりんちゃんがいきむときにつかまるものが無いんだ。あんたの手を貸しておやり」
弥市はおりんの手をしっかりと握った。おりんも力強く握り返してきた。
本当ならおりんの頭の方に回って背後から両手を出してやれればおりんも背中の傷を畳に擦らなくてもいいのかもしれないが、もう弥市には手を握るくらいの力しか残っていない。
「妊婦の亭主が立ち会う出産なんて、これまで何十人と取り上げて来て初めてだよ。さ、おりんちゃん、頑張りな!」
前代未聞の血の海と化した部屋の中でのお産が始まった。
お芳が叫びながら弥市の家からまろび出るのを見て、すぐに栄吉が中に踏み込んだ。
「彦左衛門さん、お芳さんを家の中へ!」
お藤は彦左衛門に指図し、お芳の持っていた心張り棒をひったくって栄吉に続いた。
家の中は血の海だった。その中に、弥市とおりんがいた。おりんは部屋の奥でお腹を庇うように、弥市は栄吉に取り押さえられた賊の脚にしがみつくように、それぞれ倒れていた。
栄吉は賊の喉元に匕首を突き付け、動きを封じていた。
「おめえを雇ったのは天神屋だな」
賊は口元を一文字に結び、目を逸らしている。これは絶対に吐かないだろう。
お藤は血まみれの弥市を助け起こした。
「おりんは……おりんのそばへ」
「わかった」
弥市に肩を貸し、おりんのそばへ連れて行くと、おりんが「おまえさん」と弥市に手を伸ばした。その手もぬるぬるとした温かい血で染まっていた。
弥市は引き戸を開けたところで胸を一突きにされたのだろう。おりんの方は腹を守ったのか、背中を刺されている。
「お藤さん……生まれそうです、お芳さんを呼んでください」
「あんた、この状態で産む気かい?」
「産みます!」
あまりにも強い意思表示だった。
賊は間もなく死ぬ。栄吉に殺されなくとも、自ら命を絶つだろう。お藤はお芳の部屋に飛び込んだ。
「彦左衛門さん、勝五郎親分を呼んで来とくれ。弥市さんとおりんちゃんが刺された」
「なんですって!」
「話は後だ。賊は栄吉さんが取り押さえてる。急いで!」
「わ、わかりました」
彦左衛門は腰を抜かしそうになりながら長屋を飛び出して行った。
「お芳さん、怪我はないかい?」
「あたしは大丈夫だよ」
「よし、じゃあお産の準備だ」
「え?」
お芳は転げ落ちるんじゃないかと心配になるくらい目ん玉を大きく見開いた。
「誰の」
「おりんちゃんに決まってるじゃないか」
「だっておりんちゃん、刺されたってあんた今……」
「もう生まれそうなんだ。怪我の手当てなんかしてる暇はないんだよ」
「わかった、任せときな」
賊と鉢合わせてさっきまで足腰震えてガクガクしていた老人が、お産と聞いて急にしゃんと背筋を伸ばした。
「あんたは二人のそばにいてやって。すぐに行くから」
そう言うとお芳はすぐ隣の家の引き戸をドンドンと叩いた。
「お芳だよ、いるかい、おりんちゃんがお産なんだ!」
中から小太りのおかみさんが出て来た。
「おりんちゃんだね。あたしが長屋じゅうにお湯を頼むから、お芳さんはお産の方行っとくれ」
「頼んだよ」
お芳は弥市の家に駆けこみ、おかみさんは長屋の家を片っ端から回って湯を沸かせと頼んでいる。だが、お芳以外の誰もがおりんが傷を負ったまま出産するとは知らされていない。緊張と共にお祝いの雰囲気が漂っているのが何とも皮肉だ。
お芳は襷をかけ直すと、栄吉に向かって怒鳴った。
「あんたその賊連れて外に出な! これからお産なんだ」
栄吉が賊を引きずって外に出る。その腹には栄吉のものではない匕首が刺さっている。おそらく栄吉に迫られて自害したのだろう。勝五郎には栄吉が上手く話してくれるに違いない。
お芳は今度はお藤に向き直った。
「いいかい、この子はあたしとあんたで取り上げるよ。お産の手伝いは初めてかい?」
「ええ」
「じゃ、ちょうどいい経験だ。弥市、まだ頑張れるかい」
弥市は胸からどくどくと血を流しながら「はい」と答える。もういつ死んでもおかしくない。
「ここは産屋じゃないから力綱もない。おりんちゃんがいきむときにつかまるものが無いんだ。あんたの手を貸しておやり」
弥市はおりんの手をしっかりと握った。おりんも力強く握り返してきた。
本当ならおりんの頭の方に回って背後から両手を出してやれればおりんも背中の傷を畳に擦らなくてもいいのかもしれないが、もう弥市には手を握るくらいの力しか残っていない。
「妊婦の亭主が立ち会う出産なんて、これまで何十人と取り上げて来て初めてだよ。さ、おりんちゃん、頑張りな!」
前代未聞の血の海と化した部屋の中でのお産が始まった。
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