39 / 41
第39話 結1
しおりを挟む
翌日、お藤はさっそく鬼灯長屋のお芳を訪ねた。お芳は「あれ、もう来たのかい、さすがおっ母さんだねぇ」と笑った。
今日のお芳はあちこちに接ぎの当たった深川鼠の小紋を着て、木の一本簪を刺していた。彼女には琥珀もいいが、こっちの飾り気のない一本簪の方が粋に見えた。
赤子は大人しく寝ていた。聞けば、ついさっき二軒隣のおかみさんが乳をやったばかりだという。この長屋のおかみさん連中が自分の知り合いなどに話をして、近くを通ったら乳を分けて欲しいと頼んで回っているそうだ。柏原の人達は天神屋の弥市とおりんと彦左衛門に対する仕打ちをみんな知っているので協力的だった。ただ、これが一年ばかり続けばいいのだが。
「あんたたち昨日いい仕事したらしいね」
「え?」
「天神屋の若旦那とお内儀さんが、今朝遺体で見つかったってさ。お内儀さんは刃物で、若旦那は盆の窪を一突きって聞いたよ。早速それが役に立ったのかい?」
「ええ、まあ」
お見通しのようである。
「お芳さん、もしかして元殺し屋?」
「まさか。大名主の佐倉様にお仕えして四十年。他の仕事は佐倉様んとこの女中を辞めてからの取り上げ婆だけさ。ただ、勝五郎親分が柏原に来るまでは、佐倉様お一人で柏原中の揉め事を捌いていらしたからね。あそこで働いてりゃ殺し屋がどこにいるかくらいわかるさ」
何から何までバレている。お藤はもう笑うしかない。
「大丈夫、佐倉様のところで伊達に何十年も女中やってたわけじゃない。外に漏らしていいことといけない事の区別くらいつくさ。安心おし」
お藤は少し安堵した。彦左衛門すら知らないのだ。自分たちが殺し屋だということを知っているのは、仲介人の伝次とこのお芳だけということになる。
「それで天神屋はどうなったんです?」
「天神屋が弥市とおりんに差し向けたのが松毬だっただろ。だからそっちの線だろうって勝五郎親分が言ってたよ。もしかしたらわかっててそう言ってるのかもしれないけどね。ただね、今回のことは町中の人が知ってるし、勝五郎親分も動きにくいだろうから、佐倉様に相談に行くと思うよ」
話しながらお芳は麦湯を出してくれた。麦湯を受け取って、何とは無しに赤子の寝顔を眺めた。
「可愛いねぇ。赤ちゃんってこんなに手が小っちゃいんだね」
「あんたも子供の頃はこうだったんだよ。あんたいくつだい」
「二十一」
お藤が答えるとお芳が驚いたように口元を押さえた。
「おやそうだったのかい。あたしゃまたてっきり二十七、八かと」
「お芳さんは還暦くらい?」
「いやだよ、あたしゃ死ぬまで十四歳のつもりさ。随分と薹が立ってるけどね」
二人でひとしきり笑った後、急にお芳が少し真面目な顔になった。
「あんた、この子に名前つけておやりよ」
「昨夜栄吉さんと考えたんだ」
「栄吉さんって、あの漬け物石かい?」
「そう」
二人でまた笑った。赤子が起きないように必死でこらえたが、おかしいものはおかしい。
「それで?」
「栄吉さんが『お芳』はどうだって言うんだ」
「こんな婆と一緒なんて。生まれたばかりなのに縁起でもない」
「あたしたちは縁起がいいと思ったんだよ。でもお芳が二人じゃ紛らわしい。それで考えたんだけど、しのぶってのはどうだろうね」
「いいじゃないか。あんたが育てるならこの子もあんたと同じ稼業になるんだろ? しのぶ……ピッタリじゃないか」
お藤はホッとしたように麦湯を一口、口に含んだ。
「実はさ、お芳さんに反対されたら別の名前にしようと思ってたんだ。でもこれで決まり。この子はしのぶ。天神屋の分も、弥市さんとおりんちゃんの分もあたしが可愛がって育てるよ」
ちょうどそのとき赤子が目を覚まして泣き始めた。
「どれ、おっ母さんが抱っこしてあげようかね」
お藤は目尻を下げてしのぶを抱いた。
今日のお芳はあちこちに接ぎの当たった深川鼠の小紋を着て、木の一本簪を刺していた。彼女には琥珀もいいが、こっちの飾り気のない一本簪の方が粋に見えた。
赤子は大人しく寝ていた。聞けば、ついさっき二軒隣のおかみさんが乳をやったばかりだという。この長屋のおかみさん連中が自分の知り合いなどに話をして、近くを通ったら乳を分けて欲しいと頼んで回っているそうだ。柏原の人達は天神屋の弥市とおりんと彦左衛門に対する仕打ちをみんな知っているので協力的だった。ただ、これが一年ばかり続けばいいのだが。
「あんたたち昨日いい仕事したらしいね」
「え?」
「天神屋の若旦那とお内儀さんが、今朝遺体で見つかったってさ。お内儀さんは刃物で、若旦那は盆の窪を一突きって聞いたよ。早速それが役に立ったのかい?」
「ええ、まあ」
お見通しのようである。
「お芳さん、もしかして元殺し屋?」
「まさか。大名主の佐倉様にお仕えして四十年。他の仕事は佐倉様んとこの女中を辞めてからの取り上げ婆だけさ。ただ、勝五郎親分が柏原に来るまでは、佐倉様お一人で柏原中の揉め事を捌いていらしたからね。あそこで働いてりゃ殺し屋がどこにいるかくらいわかるさ」
何から何までバレている。お藤はもう笑うしかない。
「大丈夫、佐倉様のところで伊達に何十年も女中やってたわけじゃない。外に漏らしていいことといけない事の区別くらいつくさ。安心おし」
お藤は少し安堵した。彦左衛門すら知らないのだ。自分たちが殺し屋だということを知っているのは、仲介人の伝次とこのお芳だけということになる。
「それで天神屋はどうなったんです?」
「天神屋が弥市とおりんに差し向けたのが松毬だっただろ。だからそっちの線だろうって勝五郎親分が言ってたよ。もしかしたらわかっててそう言ってるのかもしれないけどね。ただね、今回のことは町中の人が知ってるし、勝五郎親分も動きにくいだろうから、佐倉様に相談に行くと思うよ」
話しながらお芳は麦湯を出してくれた。麦湯を受け取って、何とは無しに赤子の寝顔を眺めた。
「可愛いねぇ。赤ちゃんってこんなに手が小っちゃいんだね」
「あんたも子供の頃はこうだったんだよ。あんたいくつだい」
「二十一」
お藤が答えるとお芳が驚いたように口元を押さえた。
「おやそうだったのかい。あたしゃまたてっきり二十七、八かと」
「お芳さんは還暦くらい?」
「いやだよ、あたしゃ死ぬまで十四歳のつもりさ。随分と薹が立ってるけどね」
二人でひとしきり笑った後、急にお芳が少し真面目な顔になった。
「あんた、この子に名前つけておやりよ」
「昨夜栄吉さんと考えたんだ」
「栄吉さんって、あの漬け物石かい?」
「そう」
二人でまた笑った。赤子が起きないように必死でこらえたが、おかしいものはおかしい。
「それで?」
「栄吉さんが『お芳』はどうだって言うんだ」
「こんな婆と一緒なんて。生まれたばかりなのに縁起でもない」
「あたしたちは縁起がいいと思ったんだよ。でもお芳が二人じゃ紛らわしい。それで考えたんだけど、しのぶってのはどうだろうね」
「いいじゃないか。あんたが育てるならこの子もあんたと同じ稼業になるんだろ? しのぶ……ピッタリじゃないか」
お藤はホッとしたように麦湯を一口、口に含んだ。
「実はさ、お芳さんに反対されたら別の名前にしようと思ってたんだ。でもこれで決まり。この子はしのぶ。天神屋の分も、弥市さんとおりんちゃんの分もあたしが可愛がって育てるよ」
ちょうどそのとき赤子が目を覚まして泣き始めた。
「どれ、おっ母さんが抱っこしてあげようかね」
お藤は目尻を下げてしのぶを抱いた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ワスレ草、花一輪
こいちろう
歴史・時代
娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる