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第一章 序
第5話 序5
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「どうされました、勝孝殿」
家老は苛立ちを隠すように隙のない視線を勝孝に送った。だが相手は余裕の混じる厭味な笑顔を見せた。
「どうもこうも。何か特別な用向きが無ければ柳澤の主の御機嫌伺いに参ることは罷りならぬということもございますまい。それに昨夜、こちらに賊が入ったという噂を小耳にはさんだものでしてな。姫の元気なお姿を見ない事には心配で」
自分で刺客を寄越しておきながら盗人猛々しい、と言いたいのを家老はぐっと堪える。
「申し訳ござらん、姫は気分が優れぬようでな。今日はずっと床に就いておられる」
「これはこれは。昨夜の騒ぎでお疲れか」
勝孝のわざとらしい心配顔には、さすがの家老も開いた口が塞がらない。
「それではせめて廊下からでもお見舞いの言葉をかけさせていただきとうござりますな」
どう考えても姫が無事に戻っているかを確認に来ている。さて、どうしたものか。
実際のところ昨夜橘と共に外へ出たのは小夜であり、姫は城から一歩も出ていない。それを知っているのは家老とお初の方、喜助とその姉の小夜だけである。もちろん四人だけの秘密にはしているが。
勝孝にはこのまま行方不明の姫を必死に探していると思わせておいた方がいいだろうか。勝孝のことだ、姫を死んだものとして勝宜に柳澤を継がせるために動き出すに違いない。勝宜を擁立し、勝孝が裏から息子の手綱を引く。その為なら何でもする男だ。
姫亡き後、邪魔になるのは桔梗丸だけである。やっと五つになったばかりの子供だ。せめて弟が十二になるまではと言って萩姫自ら柳澤の主に名乗りを上げたのだ、その姫がいなくなったとあらば、そこに従兄弟の勝宜を据えるのは当然の流れだと勝孝なら言い出すだろう。
そして桔梗丸が大きくなる前に抹殺しようと動くのは目に見えている。
だが、勝孝はどうやって姫が死んだということにするだろうか。
同じ年頃の娘を殺して姫の身代わりにするかも知れない。勝孝はそういうことを平気でする男だ。自分の計算通りに事を運ぶためなら何だってするだろう。
かと言って姫の無事を伝えれば、間違いなくもう一度姫の命を狙いに来る。ここは『陰で姫を探しつつも表では姫がいるように見せかけている必死な家老』を演じておいた方が得策か。
その間に橘が戻って来れば、勝孝とてそうやすやすとは動けまい。
亡き殿は草木や小さな命に惜しみない愛情を注ぎ、貧困層の民へと思いを巡らせることのできる人だったと言うに、弟の方は野心ばかりで血も涙もない。
このような男に好き勝手にさせてなるものか。こんな時に橘がいればうまく捌いたであろうに、と家老は歯噛みした。
「今、姫はお休みになっておられる」
「ちらとでもご無事な姫を拝見できれば良いのだが」
あまりのしつこさに家老は苛立ちを隠すのを放棄した。
「臥せておいでの姫をわざわざ起こしてまで挨拶するのが、勝孝殿の礼儀と申されるか」
二人の視線が火花を散らす。老いたとは言え、勝孝が赤子の頃より柳澤に仕え、一切を取り仕切ってきた男である、家老は大柄な勝孝相手に一歩も引く気配を見せない。
しばらく睨み合った末、勝孝がフッと表情を緩めた。
「爺、そんな怖い顔をするでない」
不意に出た昔の呼び名に、家老の方に入った力が抜けた。
「まあ良い。姫にはいつでもお会いできますからな」
家老がホッと胸をなでおろしていると、去り際に勝孝が振り返りもせずに言った。
「帯刀殿、橘殿によろしくお伝え下され」
家老がモヤモヤを抱えたまま戻ると、お初の方と萩姫が首を長くして待っていた。
「して、勝孝殿はなんと?」
「追い返し申したが、姫の安否を探りに来たのは明白。ただ一つ気になることが」
首をひねりながらも勝孝の去り際の言葉を伝えると、お初の方の顔に翳りが差した。
「まるで橘の居所を知っているような口ぶりですね」
「若しくは……あまり考えたくはないが」
姫が無意識に両手で口元を押さえる。
「まさか、橘が」
「萩、心配は無用です。橘に限って死ぬようなことはありません」
まるで自分に言い聞かせるように、お初の方は言葉を重ねた。
「あの橘です。心配は無用です」
家老は苛立ちを隠すように隙のない視線を勝孝に送った。だが相手は余裕の混じる厭味な笑顔を見せた。
「どうもこうも。何か特別な用向きが無ければ柳澤の主の御機嫌伺いに参ることは罷りならぬということもございますまい。それに昨夜、こちらに賊が入ったという噂を小耳にはさんだものでしてな。姫の元気なお姿を見ない事には心配で」
自分で刺客を寄越しておきながら盗人猛々しい、と言いたいのを家老はぐっと堪える。
「申し訳ござらん、姫は気分が優れぬようでな。今日はずっと床に就いておられる」
「これはこれは。昨夜の騒ぎでお疲れか」
勝孝のわざとらしい心配顔には、さすがの家老も開いた口が塞がらない。
「それではせめて廊下からでもお見舞いの言葉をかけさせていただきとうござりますな」
どう考えても姫が無事に戻っているかを確認に来ている。さて、どうしたものか。
実際のところ昨夜橘と共に外へ出たのは小夜であり、姫は城から一歩も出ていない。それを知っているのは家老とお初の方、喜助とその姉の小夜だけである。もちろん四人だけの秘密にはしているが。
勝孝にはこのまま行方不明の姫を必死に探していると思わせておいた方がいいだろうか。勝孝のことだ、姫を死んだものとして勝宜に柳澤を継がせるために動き出すに違いない。勝宜を擁立し、勝孝が裏から息子の手綱を引く。その為なら何でもする男だ。
姫亡き後、邪魔になるのは桔梗丸だけである。やっと五つになったばかりの子供だ。せめて弟が十二になるまではと言って萩姫自ら柳澤の主に名乗りを上げたのだ、その姫がいなくなったとあらば、そこに従兄弟の勝宜を据えるのは当然の流れだと勝孝なら言い出すだろう。
そして桔梗丸が大きくなる前に抹殺しようと動くのは目に見えている。
だが、勝孝はどうやって姫が死んだということにするだろうか。
同じ年頃の娘を殺して姫の身代わりにするかも知れない。勝孝はそういうことを平気でする男だ。自分の計算通りに事を運ぶためなら何だってするだろう。
かと言って姫の無事を伝えれば、間違いなくもう一度姫の命を狙いに来る。ここは『陰で姫を探しつつも表では姫がいるように見せかけている必死な家老』を演じておいた方が得策か。
その間に橘が戻って来れば、勝孝とてそうやすやすとは動けまい。
亡き殿は草木や小さな命に惜しみない愛情を注ぎ、貧困層の民へと思いを巡らせることのできる人だったと言うに、弟の方は野心ばかりで血も涙もない。
このような男に好き勝手にさせてなるものか。こんな時に橘がいればうまく捌いたであろうに、と家老は歯噛みした。
「今、姫はお休みになっておられる」
「ちらとでもご無事な姫を拝見できれば良いのだが」
あまりのしつこさに家老は苛立ちを隠すのを放棄した。
「臥せておいでの姫をわざわざ起こしてまで挨拶するのが、勝孝殿の礼儀と申されるか」
二人の視線が火花を散らす。老いたとは言え、勝孝が赤子の頃より柳澤に仕え、一切を取り仕切ってきた男である、家老は大柄な勝孝相手に一歩も引く気配を見せない。
しばらく睨み合った末、勝孝がフッと表情を緩めた。
「爺、そんな怖い顔をするでない」
不意に出た昔の呼び名に、家老の方に入った力が抜けた。
「まあ良い。姫にはいつでもお会いできますからな」
家老がホッと胸をなでおろしていると、去り際に勝孝が振り返りもせずに言った。
「帯刀殿、橘殿によろしくお伝え下され」
家老がモヤモヤを抱えたまま戻ると、お初の方と萩姫が首を長くして待っていた。
「して、勝孝殿はなんと?」
「追い返し申したが、姫の安否を探りに来たのは明白。ただ一つ気になることが」
首をひねりながらも勝孝の去り際の言葉を伝えると、お初の方の顔に翳りが差した。
「まるで橘の居所を知っているような口ぶりですね」
「若しくは……あまり考えたくはないが」
姫が無意識に両手で口元を押さえる。
「まさか、橘が」
「萩、心配は無用です。橘に限って死ぬようなことはありません」
まるで自分に言い聞かせるように、お初の方は言葉を重ねた。
「あの橘です。心配は無用です」
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