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第二章 木槿山の章
第17話 町4
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翌日もお八重はやって来た。月守の着物を拵えさせて欲しいと言う。月守は断ったが、お八重の話では昨日のお八重の草履を直してくれたのと、『月守草履』の効果で一気にお店が潤ったことへのお礼らしい。
『月守草履』を独占販売したいという魂胆も垣間見えるが、月守にしてみれば市場を開拓する手間も省けるのだからそのまま松原屋に全部売って貰っても全くかまわない。
月守の着物は脇腹を繕った藍天鵞絨の一着しかない。あとは狐杜のお父つぁんが着ていたものを洗い替えに利用していたが、なにしろ長身ゆえに着物の丈が全く合わない。ちょうどもう一着欲しいと思ていたところへのお八重の申し出は、彼にとっては願ったり叶ったりだったのだ。
お八重はお店で反物を選んで欲しいと月守に迫ったが、当の月守が町へ出たがらない。色は藤煤竹で布地はお八重に任せると言ったきり、自分はふらっと出かけてしまった。
「月守さまっていつもあんな感じなの?」
「そうなの、割と無口でいつも何か難しいこと考えてるみたい」
「おいくつくらいなのかしら」
「二十四、五ってところだと思うけど」
「聞いてないの?」
「聞いたんだけどわかんないって」
「え? わからないですって?」
今日のお八重は食い付きが凄い。幼馴染から昨日出会った青年について聞かれているような感じではあるが、実のところ狐杜もお八重とは昨日出会ったばかりだ。
「それにしても藤煤竹だなんて、随分地味なお色がお好みなのね、月守さま」
「どんな色?」
「赤みがかった暗い灰紫。かなり地味よ」
狐杜はなんとなく納得した。髪を結わえる紐を選ぶときも、彼の好きそうな雰囲気でわざわざ一段地味なものを選んだのは記憶に新しい。
「そういえば、以前柳澤さまのところから注文が入ったんだけれど、同じ色で悩んでいた方がいらしたわ」
「どういう意味?」
お八重は白群に紅白の椿を散らした着物の袖を口元に持って行き、内緒話をするように声を潜めた。
「柳澤さまのところの萩姫さまと桔梗丸さまの教育係をされている方のお召し物を承ったの。お仕立ては専門の方がなさったのだけど、反物のお誂えは松原屋でお引き受けしてわたしが布地を選んだの。そのときのご注文が『藍天鵞絨か藤煤竹で』というものだったのよ」
「藍天鵞絨?」
狐杜にはわからない難しい言葉が出て来た。
「今、月守さまがお召しになっているお着物の色が藍天鵞絨」
「あー、なるほど」
「それでね、わたしそのときは藍天鵞絨を準備したの。いずれ藤煤竹もお買い上げいただけるかもって思って、どちらにも合うように帯は利休鼠をお勧めしたら、それもお買い上げいただいたの。と言っても一年前よ。私が十五になったから、初めてお店の者として柳澤さまの注文を捌いて見せろってお父つぁんに言われたの。だからよく覚えているわ」
大店のお嬢さんにもなると十五でお店の仕事をすることもあるのかと、狐杜は驚いた。実際のところは看板娘として宣伝の役割を担っているに過ぎないのだろうが、貧乏人には貧乏人の、お金持ちにはお金持ちの苦労というものがあるらしいことは理解できた。
「凄い偶然だと思わない? 柳澤さまからの御注文と月守さまのお好みがぴったり一致しているのよ。帯も利休鼠だし。月守さまはご趣味がいいわ」
それにしても地味だ。若いし、せっかくの美男子なのに。まるで世間から隠れて生きているような……。
「っていうか! 月守さまと狐杜はどういう関係なの?」
「えっと、最近家族になったっていうか」
一瞬ポカンとしたお八重がぎょっとしたように身を乗り出す。
「何それ、どういうこと?」
狐杜はどこまで話していいものか迷ったが、何か彼の手掛かりがつかめるかもしれないことを考えると、お八重には話しておいた方がいいような気がした。
「あのね、すぐそこの河原で倒れていた月守さまを、あたしが拾ったの。何か事故があったみたいで怪我してたから。とりあえず手当だけのつもりだったんだけど、月守さまは記憶の一部が無くなっていて、どこから来たのか覚えていないらしいの。それでなんとなくそのまま家族になったって感じ」
「じゃあ、もしかしたら本当に柳澤さまのところのお方かもしれないわよ?」
「でも月守さまは柳澤さまを知らないと言ってたの」
う~ん、とお八重が首を傾げる。
「それに柳澤さまのお城にいたのなら、それなりの生活をしていたはずでしょう? なのに、芋と稗のお粥を『特別な日の御馳走』だって言ったんだよ、どう考えてもお城にいた人の言葉じゃないでしょ?」
「確かにおかしい」
お八重が眉根を寄せて腕を組んだ。こんな姿を松原屋さんの大旦那様が見たら途轍もない雷が落ちるだろう。とても大店のお嬢さんとは思えない仕草が如何にもお八重らしい。許嫁の漣太郎はこれをどう見るだろうかと、狐杜は少々興味が湧いた。
「でも漣太郎さまとの準備があるんでしょ? 月守さまのことを探る暇もないわよね?」
「そうなのよ」
お八重はめんどくさそうに肩を竦めた。
「明日、漣太郎さまとお顔合わせですって。ああもうめんどくさい。あっ、いけない、明日の準備をしなければならなかったわ。藤煤竹の反物は今日中に準備しておくから、狐杜明日取りに来てくれる? 番頭さんには話をつけておくから」
そう言ってお八重は大急ぎで町へと戻って行った。
『月守草履』を独占販売したいという魂胆も垣間見えるが、月守にしてみれば市場を開拓する手間も省けるのだからそのまま松原屋に全部売って貰っても全くかまわない。
月守の着物は脇腹を繕った藍天鵞絨の一着しかない。あとは狐杜のお父つぁんが着ていたものを洗い替えに利用していたが、なにしろ長身ゆえに着物の丈が全く合わない。ちょうどもう一着欲しいと思ていたところへのお八重の申し出は、彼にとっては願ったり叶ったりだったのだ。
お八重はお店で反物を選んで欲しいと月守に迫ったが、当の月守が町へ出たがらない。色は藤煤竹で布地はお八重に任せると言ったきり、自分はふらっと出かけてしまった。
「月守さまっていつもあんな感じなの?」
「そうなの、割と無口でいつも何か難しいこと考えてるみたい」
「おいくつくらいなのかしら」
「二十四、五ってところだと思うけど」
「聞いてないの?」
「聞いたんだけどわかんないって」
「え? わからないですって?」
今日のお八重は食い付きが凄い。幼馴染から昨日出会った青年について聞かれているような感じではあるが、実のところ狐杜もお八重とは昨日出会ったばかりだ。
「それにしても藤煤竹だなんて、随分地味なお色がお好みなのね、月守さま」
「どんな色?」
「赤みがかった暗い灰紫。かなり地味よ」
狐杜はなんとなく納得した。髪を結わえる紐を選ぶときも、彼の好きそうな雰囲気でわざわざ一段地味なものを選んだのは記憶に新しい。
「そういえば、以前柳澤さまのところから注文が入ったんだけれど、同じ色で悩んでいた方がいらしたわ」
「どういう意味?」
お八重は白群に紅白の椿を散らした着物の袖を口元に持って行き、内緒話をするように声を潜めた。
「柳澤さまのところの萩姫さまと桔梗丸さまの教育係をされている方のお召し物を承ったの。お仕立ては専門の方がなさったのだけど、反物のお誂えは松原屋でお引き受けしてわたしが布地を選んだの。そのときのご注文が『藍天鵞絨か藤煤竹で』というものだったのよ」
「藍天鵞絨?」
狐杜にはわからない難しい言葉が出て来た。
「今、月守さまがお召しになっているお着物の色が藍天鵞絨」
「あー、なるほど」
「それでね、わたしそのときは藍天鵞絨を準備したの。いずれ藤煤竹もお買い上げいただけるかもって思って、どちらにも合うように帯は利休鼠をお勧めしたら、それもお買い上げいただいたの。と言っても一年前よ。私が十五になったから、初めてお店の者として柳澤さまの注文を捌いて見せろってお父つぁんに言われたの。だからよく覚えているわ」
大店のお嬢さんにもなると十五でお店の仕事をすることもあるのかと、狐杜は驚いた。実際のところは看板娘として宣伝の役割を担っているに過ぎないのだろうが、貧乏人には貧乏人の、お金持ちにはお金持ちの苦労というものがあるらしいことは理解できた。
「凄い偶然だと思わない? 柳澤さまからの御注文と月守さまのお好みがぴったり一致しているのよ。帯も利休鼠だし。月守さまはご趣味がいいわ」
それにしても地味だ。若いし、せっかくの美男子なのに。まるで世間から隠れて生きているような……。
「っていうか! 月守さまと狐杜はどういう関係なの?」
「えっと、最近家族になったっていうか」
一瞬ポカンとしたお八重がぎょっとしたように身を乗り出す。
「何それ、どういうこと?」
狐杜はどこまで話していいものか迷ったが、何か彼の手掛かりがつかめるかもしれないことを考えると、お八重には話しておいた方がいいような気がした。
「あのね、すぐそこの河原で倒れていた月守さまを、あたしが拾ったの。何か事故があったみたいで怪我してたから。とりあえず手当だけのつもりだったんだけど、月守さまは記憶の一部が無くなっていて、どこから来たのか覚えていないらしいの。それでなんとなくそのまま家族になったって感じ」
「じゃあ、もしかしたら本当に柳澤さまのところのお方かもしれないわよ?」
「でも月守さまは柳澤さまを知らないと言ってたの」
う~ん、とお八重が首を傾げる。
「それに柳澤さまのお城にいたのなら、それなりの生活をしていたはずでしょう? なのに、芋と稗のお粥を『特別な日の御馳走』だって言ったんだよ、どう考えてもお城にいた人の言葉じゃないでしょ?」
「確かにおかしい」
お八重が眉根を寄せて腕を組んだ。こんな姿を松原屋さんの大旦那様が見たら途轍もない雷が落ちるだろう。とても大店のお嬢さんとは思えない仕草が如何にもお八重らしい。許嫁の漣太郎はこれをどう見るだろうかと、狐杜は少々興味が湧いた。
「でも漣太郎さまとの準備があるんでしょ? 月守さまのことを探る暇もないわよね?」
「そうなのよ」
お八重はめんどくさそうに肩を竦めた。
「明日、漣太郎さまとお顔合わせですって。ああもうめんどくさい。あっ、いけない、明日の準備をしなければならなかったわ。藤煤竹の反物は今日中に準備しておくから、狐杜明日取りに来てくれる? 番頭さんには話をつけておくから」
そう言ってお八重は大急ぎで町へと戻って行った。
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