18 / 64
第二章 木槿山の章
第18話 接触1
しおりを挟む
勝孝と思われる襲撃からふた月、山の麓にある柳澤の城も蝉時雨に包まれる季節になっていた。さすがにこれだけ待っても音沙汰がないとなると、橘の安否は絶望視された。それでもこの間、喜助は毎日町へ下っては診療所などに橘が立ち寄っていないか聞いて回った。
いくらなんでもふた月だ。いい加減けじめをつけないと勝孝から余計な詮索をされることになる。家老は止む無く橘が亡くなったということにした。
当然、喜助と姫は反発した。橘が死ぬわけなどない、きっとどこかで戻ってくるために一計を案じている、そう言ってきかなかった。だが、小夜に「勝孝さまを欺くのです」と言われてしぶしぶ従った。
勝孝は放っておいても十日と置かずに探りに来る。その時に話せばいいだろうと言っていた矢先に、まるで噂を聞き付けたかのように本人がやって来た。
「帯刀殿、橘殿が亡くなられたと聞いたが、まことか?」
家老は「こういう時ばかり大喜びで飛んで来るわい」と心の中で文句を言いつつ、表ではわざとらしいほど沈痛な面持ちで頷いて見せた。
「数日前に葬儀を行った。家臣の葬儀ゆえ、簡単なものじゃったが」
早く話を切り上げたい家老は話しながら廊下を進み、奥書院の方まで行くが、なかなかどうして勝孝は当然といったふうにそこまでついて来る。
さすがに部屋に入れると長居されそうで、やむなく奥書院の廊下で立ち話となった。
「姫の御様子は如何じゃ? 橘殿にはなついておられたゆえ、さぞお心落としのことであろうの」
こうして探って来るところを見ると、まだ家老が行方不明の姫を探していると思い込んでいるらしい。馬鹿め、最初からずっと城におるわ――などとはおくびにも出さず、「それはもう」などと沈んで見せる。
「そろそろ姫に会わせてはいただけぬか? もうふた月もお顔を拝見しておらぬ」
――黙っておればいけしゃあしゃあと。とっとと姫が死んだと公表させて家督を相続するつもりであろう、そうは行くかというのだ。
「橘を失って起き上がる気力もなく床に臥せったままじゃ。おいたわしや」
「ふた月もの間床に臥せておると申されるか」
その時、庭の方から喜助の声がした。
「御家老様ぁ! 大変だ、姫様が町に!」
「なんじゃと?」
「なんか変装しちゃって農家の子みたいな恰好で松原屋さんの前に――」
と、ここまで来て、廊下の勝孝にようやく気付いたようだ。
「ええと、その、姫様が農家の子に変装して、お忍びで町に出たら気付かれるかなって話してて」
どう考えても苦しすぎる言い訳である。
「そうじゃな、お忍びで出かけられるくらいお元気になられれば良いのじゃが」
家老の助け舟もほとんどその役目を果たしていないと言っていい。
勝孝は厭味なほどに深刻な顔をして、その話を正面から受けた。
「これはこれは。少しは冗談も言えるほどにご回復されたようで何よりですな。早々に御目通りが叶いますことを心よりお待ち申し上げておりますと、姫にお伝え下され」
口の端をわずかに上げながら、それを扇子で隠すようにして勝孝は背を向けた。
いくらなんでもふた月だ。いい加減けじめをつけないと勝孝から余計な詮索をされることになる。家老は止む無く橘が亡くなったということにした。
当然、喜助と姫は反発した。橘が死ぬわけなどない、きっとどこかで戻ってくるために一計を案じている、そう言ってきかなかった。だが、小夜に「勝孝さまを欺くのです」と言われてしぶしぶ従った。
勝孝は放っておいても十日と置かずに探りに来る。その時に話せばいいだろうと言っていた矢先に、まるで噂を聞き付けたかのように本人がやって来た。
「帯刀殿、橘殿が亡くなられたと聞いたが、まことか?」
家老は「こういう時ばかり大喜びで飛んで来るわい」と心の中で文句を言いつつ、表ではわざとらしいほど沈痛な面持ちで頷いて見せた。
「数日前に葬儀を行った。家臣の葬儀ゆえ、簡単なものじゃったが」
早く話を切り上げたい家老は話しながら廊下を進み、奥書院の方まで行くが、なかなかどうして勝孝は当然といったふうにそこまでついて来る。
さすがに部屋に入れると長居されそうで、やむなく奥書院の廊下で立ち話となった。
「姫の御様子は如何じゃ? 橘殿にはなついておられたゆえ、さぞお心落としのことであろうの」
こうして探って来るところを見ると、まだ家老が行方不明の姫を探していると思い込んでいるらしい。馬鹿め、最初からずっと城におるわ――などとはおくびにも出さず、「それはもう」などと沈んで見せる。
「そろそろ姫に会わせてはいただけぬか? もうふた月もお顔を拝見しておらぬ」
――黙っておればいけしゃあしゃあと。とっとと姫が死んだと公表させて家督を相続するつもりであろう、そうは行くかというのだ。
「橘を失って起き上がる気力もなく床に臥せったままじゃ。おいたわしや」
「ふた月もの間床に臥せておると申されるか」
その時、庭の方から喜助の声がした。
「御家老様ぁ! 大変だ、姫様が町に!」
「なんじゃと?」
「なんか変装しちゃって農家の子みたいな恰好で松原屋さんの前に――」
と、ここまで来て、廊下の勝孝にようやく気付いたようだ。
「ええと、その、姫様が農家の子に変装して、お忍びで町に出たら気付かれるかなって話してて」
どう考えても苦しすぎる言い訳である。
「そうじゃな、お忍びで出かけられるくらいお元気になられれば良いのじゃが」
家老の助け舟もほとんどその役目を果たしていないと言っていい。
勝孝は厭味なほどに深刻な顔をして、その話を正面から受けた。
「これはこれは。少しは冗談も言えるほどにご回復されたようで何よりですな。早々に御目通りが叶いますことを心よりお待ち申し上げておりますと、姫にお伝え下され」
口の端をわずかに上げながら、それを扇子で隠すようにして勝孝は背を向けた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる