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第二章 木槿山の章
第20話 接触3
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「帯刀め、姫は傷心の余り床に伏しているなどと言いおって。やはり行方不明になっていたのではないか」
勝孝はいつものように扇子を親指で閉じたり開いたりと弄んでいたが、不意にパチンと揃えた。
「十郎太、姫がどこをねぐらにしているのか探って参れ。帯刀よりも先に見つけ出し、ここへ連れて参るのだ」
「心得ました」
十郎太は脇に置いた刀を掴むと、静かに立ち上がった。
半刻の後、十郎太は町一番の大店、松原屋の前にいた。
チラリと中を覗いたが、番頭の姿が見えない。手代が接客していて手が離せなかったのか、丁稚の少年が「何かお探しでしょうか」と声をかけて来た。
「今日ここに十二歳くらいの娘が来なかったか」
「ああ、狐杜さんですね。いらっしゃいましたよ。用意していた反物を一本お持ち帰りいただきました」
「反物?」
「はい、上等な絹のものを」
なるほど、姫はどこかに隠れてはいるものの、着の身着のままだったために新しい着物を仕立てたいということか。
それでも上質な絹のものを求めてしまったのが運の尽きだ。いくら農民の恰好をしていても、そういうところから足がつく。しっかりしているようでも所詮子供、橘が付いておればこのような詰めの甘さとは無縁であっただろうに。
しかし、なぜ姫は城に戻らぬ?
「その狐杜とやらの住まいはどこだ」
「さぁ。お稲荷様の近くとは聞いておりますが、詳しいことは存じ上げません」
稲荷と言えばこの辺りでは川沿いに一つあるだけだ。ここから一里もない。
「助かった。恩に着る」
十郎太は「これで団子でも食え」と少年に小銭を握らせて、松原屋を後にした。
すぐに見つかると思っていた稲荷探しは思いの外難航した。なにしろこのような田舎には、普段は全くと言っていいほど用がない。過去に一度訪れたことがあるという慢心も手伝っていた。
困っているところに、五つくらいの女の子を連れた若い男が通りかかった。
「道を尋ねたいのだが」
男は視線を子供から十郎太へと移動した。
人を疑うことを知らない眼だ、と十郎太は感じた。大の大人が子供と同じ目をしている。田舎者はみんなこうだ。
勝孝でも幼い頃はこんな目をしていたはずだった。そして自分も。
「へえ、なんでしょう」
「この近くに稲荷があったと記憶しているのだが、見当たらずに困っておってな」
「コンコン様はあっちだよ!」
足元から声がした。子供が得意気に明後日の方を指差している。
「杜の奥に隠れるように建ってるんで、見落とされちまうんですよ。訳ありな人が訪れる稲荷なもんで。あっしが案内しましょう」
男はさっさと子供を背負うとスタスタと歩き出した。大吉と名乗ったその男は、どうやら話し好きのようだ。聞いてもいないのに子供は五つになったばかりだと言った。名前はお種というらしい。
彼の話に興味があるわけでももなく、十郎太は右から左へと聞き流して適当に相槌を打ちながら辺りの様子を窺った。
「あすこのお稲荷さんは『親子結びのお狐様』って呼ばれてるんですよ。子供を育てられない親がそこに赤ちゃんを置いてくるんです。でもって、子供が授からない夫婦がおいて行かれる赤ちゃんを待つ。そうやって縁を結ばれた親子が何組もいるんです」
親子結びのお狐様とはなんという皮肉だろうか。十郎太は稲荷には親子を引き裂く思い出しかない。だが、そんな感傷もとうの昔に捨てた。
「ほら、あそこに見えるちょっとモコモコと木の生えているところ。あの中にお稲荷さんがあるんです」
確かにちょっとした杜が見える。ここまで来れば逆にこの親子は邪魔だ。
「ここまでで良い。手間をかけたな」
十郎太がそう伝えると、大吉は「お気をつけて」と笑顔で来た道を戻って行った。
お気をつけて、か。何に気を付けるというのか。自分はこれから齢十二の娘を一人かどわかしに行くのだ。嫌な仕事だが、殺せと言われるよりはマシだ。
さて、稲荷まで来たは良いが、稲荷に住んでいるわけではない。稲荷の近くと言っていたはずだ。
とは言っても、稲荷の周りは草ぼうぼうの荒れ地である。家の影すら見当たらない。
先程の大吉親子と出会った辺りならまだ農家もいくつか点在していたが、こう河原に近付いてしまうと、大雨が降った後などは危険すぎてこの近くになど住めないだろう。
そう思った時だった。少年少女の声が聞こえてきたのだ。
十郎太は急いで叢に身を隠した。荒れ地の草は丈がある。彼の体は葦と完全に同化した。
「忍者にでもなるつもりなのかしらねぇ。本当は黒橡が良かったらしいの。でもそれじゃお武家様の奥方の喪服の色だからってお八重さんに言われて、しぶしぶ藤ナントカって色にしたんだって」
「喪服の色が普段着かよ。あいつ地味過ぎるぜ」
「ねー?」
十郎太は草の影から二人をこっそり盗み見た。
年の頃は十二、三。小僧の顔は見えるが、娘の方はよく見えない。身を乗り出そうとした拍子に足元の小枝がパキッと音を立てて折れた。
勝孝はいつものように扇子を親指で閉じたり開いたりと弄んでいたが、不意にパチンと揃えた。
「十郎太、姫がどこをねぐらにしているのか探って参れ。帯刀よりも先に見つけ出し、ここへ連れて参るのだ」
「心得ました」
十郎太は脇に置いた刀を掴むと、静かに立ち上がった。
半刻の後、十郎太は町一番の大店、松原屋の前にいた。
チラリと中を覗いたが、番頭の姿が見えない。手代が接客していて手が離せなかったのか、丁稚の少年が「何かお探しでしょうか」と声をかけて来た。
「今日ここに十二歳くらいの娘が来なかったか」
「ああ、狐杜さんですね。いらっしゃいましたよ。用意していた反物を一本お持ち帰りいただきました」
「反物?」
「はい、上等な絹のものを」
なるほど、姫はどこかに隠れてはいるものの、着の身着のままだったために新しい着物を仕立てたいということか。
それでも上質な絹のものを求めてしまったのが運の尽きだ。いくら農民の恰好をしていても、そういうところから足がつく。しっかりしているようでも所詮子供、橘が付いておればこのような詰めの甘さとは無縁であっただろうに。
しかし、なぜ姫は城に戻らぬ?
「その狐杜とやらの住まいはどこだ」
「さぁ。お稲荷様の近くとは聞いておりますが、詳しいことは存じ上げません」
稲荷と言えばこの辺りでは川沿いに一つあるだけだ。ここから一里もない。
「助かった。恩に着る」
十郎太は「これで団子でも食え」と少年に小銭を握らせて、松原屋を後にした。
すぐに見つかると思っていた稲荷探しは思いの外難航した。なにしろこのような田舎には、普段は全くと言っていいほど用がない。過去に一度訪れたことがあるという慢心も手伝っていた。
困っているところに、五つくらいの女の子を連れた若い男が通りかかった。
「道を尋ねたいのだが」
男は視線を子供から十郎太へと移動した。
人を疑うことを知らない眼だ、と十郎太は感じた。大の大人が子供と同じ目をしている。田舎者はみんなこうだ。
勝孝でも幼い頃はこんな目をしていたはずだった。そして自分も。
「へえ、なんでしょう」
「この近くに稲荷があったと記憶しているのだが、見当たらずに困っておってな」
「コンコン様はあっちだよ!」
足元から声がした。子供が得意気に明後日の方を指差している。
「杜の奥に隠れるように建ってるんで、見落とされちまうんですよ。訳ありな人が訪れる稲荷なもんで。あっしが案内しましょう」
男はさっさと子供を背負うとスタスタと歩き出した。大吉と名乗ったその男は、どうやら話し好きのようだ。聞いてもいないのに子供は五つになったばかりだと言った。名前はお種というらしい。
彼の話に興味があるわけでももなく、十郎太は右から左へと聞き流して適当に相槌を打ちながら辺りの様子を窺った。
「あすこのお稲荷さんは『親子結びのお狐様』って呼ばれてるんですよ。子供を育てられない親がそこに赤ちゃんを置いてくるんです。でもって、子供が授からない夫婦がおいて行かれる赤ちゃんを待つ。そうやって縁を結ばれた親子が何組もいるんです」
親子結びのお狐様とはなんという皮肉だろうか。十郎太は稲荷には親子を引き裂く思い出しかない。だが、そんな感傷もとうの昔に捨てた。
「ほら、あそこに見えるちょっとモコモコと木の生えているところ。あの中にお稲荷さんがあるんです」
確かにちょっとした杜が見える。ここまで来れば逆にこの親子は邪魔だ。
「ここまでで良い。手間をかけたな」
十郎太がそう伝えると、大吉は「お気をつけて」と笑顔で来た道を戻って行った。
お気をつけて、か。何に気を付けるというのか。自分はこれから齢十二の娘を一人かどわかしに行くのだ。嫌な仕事だが、殺せと言われるよりはマシだ。
さて、稲荷まで来たは良いが、稲荷に住んでいるわけではない。稲荷の近くと言っていたはずだ。
とは言っても、稲荷の周りは草ぼうぼうの荒れ地である。家の影すら見当たらない。
先程の大吉親子と出会った辺りならまだ農家もいくつか点在していたが、こう河原に近付いてしまうと、大雨が降った後などは危険すぎてこの近くになど住めないだろう。
そう思った時だった。少年少女の声が聞こえてきたのだ。
十郎太は急いで叢に身を隠した。荒れ地の草は丈がある。彼の体は葦と完全に同化した。
「忍者にでもなるつもりなのかしらねぇ。本当は黒橡が良かったらしいの。でもそれじゃお武家様の奥方の喪服の色だからってお八重さんに言われて、しぶしぶ藤ナントカって色にしたんだって」
「喪服の色が普段着かよ。あいつ地味過ぎるぜ」
「ねー?」
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