柿ノ木川話譚5・お恵の巻

如月芳美

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第四章 琴次を呼べ

第十三話

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 枝鳴長屋へと戻って来た三郎太は、まっすぐに悠の部屋の引き戸をどんどんと叩いた。
「おい、悠さんいねえかい!」
 スルリと隣の栄吉の家の引き戸が開いて、当の悠が顔を出した。
「おや三郎太の兄さんじゃないか。お今お茶を飲んでたんだ、兄さんも一緒にどうです」
「もちろんもらうけどよ、おめえ、髪結いの琴次にはどこに行けば会えるか知ってるか?」
「ここ」
 悠の影から琴次が顔を出した。
「なんでおめえがここにいるんだよ!」
 琴次はしなを作って悠に寄り添った。悠はまるで相手にしていないが。
「んもう。悠さんがそこにいるからに決まってるじゃないのさ」
「小指を嚙みながら言うのやめろよ、気色悪い。そもそもおめえ男だろうが」
「なにさ、兄さん悋気なのかい」
「んなわけねえだろ。禿げるようなこと言うのやめてくれ」
「あたしの心はいつだって乙女なのさ」
「そんな筋肉質の乙女がいるもんかい」
 琴次は髪結いだが、悠が琴次の仕事が気に入って今では専属にしている。ここで勘違いしてはいけないのが、『悠は琴次の仕事が気に入っている』のであり、『琴次は悠を気に入っている』ことだ。
 悠が水を張った盥を持ち上げられないのに引き換え、琴次はと言うと米俵でもなんでも肩に担ぎ上げられる。かと言ってゴリゴリの筋肉質というわけでもなく、その細面からはちょっと想像つかないほど『脱いだら凄い』のである。
 普段は脱いだりしないのでちょっと筋肉質の姐さん(?)という感じだが、湯屋に行くと大抵の男がその分厚い胸板と太い二の腕から目が離せない。
 家主の栄吉が落ち着かない様子で手招きした。
「まあ座れ。おめえが琴次に用事なんてなぁ、珍しいじゃねえか」
「榎屋さんのおかみさんがもうあと数日も持たねえ」
「なんでえ、藪から棒に」
「藪から棒でも棚から牡丹餅でもなんでもいいから聞いてくれ、大きな声で話せる内容じゃないから小さい声で話す。他言無用だぜ」
 一斉に男たちの輪が小さくなった。
「冬くらいから榎屋のお玉ちゃんから相談は受けてたんだけどよ、おかみさんが血の道症で調子が悪かったらしいんだよ」
「そういえば、その頃から榎屋さんの店先におかみさんが出てませんでしたねえ」
 悠が淹れたばかりの茶を三郎太の前に置く。この男は話し方も色っぽいが、湯飲みを置く仕草もどことなく色気がある。
「腫物がたくさんできていてもう固くなって大きくなってあちこちにできてたらしいんだ」
「それは『いわ(癌)』ですね。そうなっちまったら手遅れだねぇ」
「そうなんだよ、暗黒斎先生にもはっきりと手遅れだって言われたらしくてよ」
「あのヤブはそう言うとこ容赦ねえからな」
 栄吉が煙管に刻みを詰めながら頷いた。
「ところがどっこい、医者は一人じゃなかったって寸法よ」
「兄さん、それ七篠先生じゃないのかい?」
「なんで悠さんが知ってんだよ」
「兄さんはあたしをなんだと思ってんだい」
「絵師じゃねえのか?」
「いやまあそうなんだけどねえ」
 悠は絵師をしながら名主の佐倉様と岡っ引きの勝五郎に協力する『風(間者)』をやっているが、三郎太はそれを知らない。
「その七篠先生ってのはなんなんでぇ?」
 脱線してばかりの三郎太を無視して、栄吉は悠に尋ねた。
「簡単に言うと、苦しまずに死にたい人のために暗黒斎先生が紹介する医者ですよ」
「安楽死屋か」
「お玉ちゃんの話によると、たくさんの麻酔薬を使うから、その日は調子がいいそうなんだけど、麻酔が切れてくるともう壮絶な痛みが来るらしくてさ。それで今日もばったり会ったんだけど、明日七篠先生のところへ行ってもう戻らないって言ってるらしいんだ。身辺整理も全部済ませて」
「明日逝くつもりって事かい?」
「そういうことだろ。明日逝きそびれても榎屋には戻らない。つまり明日になるか明後日になるか、逝ける日に逝くんだろうよ」
「もう全身岩だらけなんだろうねぇ。辛いねぇ」
「悠さんだって耳に岩ぶら下げてんじゃねえか」
「黒御影って呼んでくれないかい?」
「で、あたしはいつ出てくるのよぉ?」
 忘れたころに、ずっと黙っていた琴次がボソリと言った。
「これからだよ。ここまでは前座。今日の主役はおめえだ」
「いいからとっとと話せ。てめえの話は脱線が多すぎだ」
「いやあ、それが。おかみさん身辺整理も終わって清々しい顔をしているのに一つだけ心残りがあるってんだ」
「なんでえそりゃ」
「お玉ちゃんの花嫁姿を見てねえってんだ」
「そりゃあしょうがねえだろうが」
「でも、嘘でもいいから一日だけ祝言挙げさせてやって、おかみさんの心残りをなくさせてやりてえじゃねえか」
「おめえが相手か?」
「歳が釣り合わねえだろ。悠さんじゃ花婿の方が目立っちまう。栄吉さんじゃ論外。そうなった時に年頃も近くて人あたりも良くて話もうめえ、となったら琴次しか思いつかなくてよ」
「ちょいと、あたしには悠さんがいるんだよ。他の人と祝言挙げるわけないじゃないのさ」
「だから小指噛みながら言うのやめろ、気持ち悪い。だいたい嘘の祝言だって言ってんだろが。恰好だけだよ恰好だけ」
「その間に悠さんが誰かに浮気したりしない?」
「あたしはそもそも琴次に気はありませんよ」
 悠、小綺麗な顔でなかなかきついことをサラリと言う。
「よよよよよ……酷い。あたしの悋気の虫が収まらないねぇ、相手はどこの誰なんだい」
「いや、悠さんは十歳未満の娘さんが趣味だから、琴次はもう薹が立ちすぎてんだよ」
 それ以前に男なので論外である。
「それでどうするんです? 三郎太の兄さんには何か考えがあるんでしょう?」
「ああ、あのおかみさんは明日にでも死ぬ気だ。ほっといたって一週間以内には仏さんになるだろうが。それで一日待って貰うんだ。明日は朝から七篠先生のところでしっかり麻酔を利かせて貰って、その間にこっちでは祝言の準備をする。なあにそんなに大仰なもんじゃなくたっていい、どっかから花嫁衣裳を借りて来て、お玉と琴次にその恰好をさせる。榎屋さんにはお玉ちゃんが話しているはずだから、明日は榎屋さんをお休みにして祝言だ。そこで琴次が立派に花婿の芝居をすれば、おかみさんは安心して成仏できるってもんだ」
「でも七篠先生のところにはいつもお玉ちゃんが連れてってるんだろ? 榎屋さんたちは準備で忙しいだろうし、おめえには場を仕切ってもらわねえと誰も動けねえ」
「だから悠さんに行ってもらうんだよ」
「あたしはかまわないけど、仲人はどうするのさ」
「栄吉さんがいいだろう。榎屋さんのことも琴次のことも知ってる。 貫禄もあるしな」
「他の準備は?」
「琴次さえやってくれるなら、あとはおいらの方で今から榎屋さんへ行って支度の手はずを整えるさ」
「二人の衣装はあたしが蜜柑太夫に頼んでみるさ。彼女に言えば確実に用意されるからね」
「栄吉さんの衣装も頼むぜ」
「あいよ」
 悠はふらりと部屋を出て行った。柏茶屋へ向かったのだろう。彼の仕事はいつも早い。
「あたしゃどうしたらいいのよぉ」
「琴次はおいらと一緒に来い。これから榎屋だ。お玉ちゃんには児玉屋の次男坊、修次とかいう許嫁がいたんだ。それがこの騒動でパーよ。それで実はもともと思い合っていた琴次という男がいたってことにして花嫁姿を見せてやることにしたんだ。だからおめえはお玉ちゃんと仲良くなっておかねえとな」
「んもう、しょうがないわね」
 琴次は小指を立ながら最後のお茶を飲み干すと、三郎太について立ち上がった。
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