I my me mine

如月芳美

文字の大きさ
46 / 55

第46話 あだじがえる

しおりを挟む
 二日経った。入院というのは暇なのだと心底思えた。仕事もなく娯楽もなく、時間だけはいくらでもある。この二日間だけで『ヨメたぬき』の改稿が終わってしまった。昼くらいからアイさんが来てくれると言っていたので、その時にこのゲラの送付を頼めば『ヨメたぬき』はまた一旦休みに入る。この間に『I my me mine』を進められそうだ。

 なんて思っていると、アイさんがやってきた。今日も可愛い。なんだ俺、何をニヤニヤしてるんだ。ああ、もう俺って単純!

「八雲君、調子どう?」
「だいぶ良くなりました。今夜からゆるーいお粥が食べられるそうです」
「良かったね。やっぱりご飯は口からだよね」
「手袋?」

 思わず口を突いて出た。アイさんが手袋をしていたのだ。そうか、そうだよな。もう十一月だ。あと一カ月半ほどで『ヨメたぬき』が書店に並ぶ。

「今日は外寒かったよ~」
「あの、寒かったのに申し訳ないんですけど、『ヨメたぬき』の改稿終わったんです。編集部に出さなきゃいけないんで、お願いしてもいいですか?」
「うん、いいよ。良かったね、終わって。病院だと他にやること無いからはかどったんでしょ」

 アイさんがコートを畳みながら嬉しそうに言う。

「一階ロビーに宅配便受付窓口があったから、今行って来るよ」

 そんなものがあったのか。それなら自分で行けたじゃないか。だが折角アイさんが行ってくれるというのだから、こんな恰好をしている俺が行くよりアイさんに行って貰った方がいいよな、どう考えても。

「今日はずっと八雲君と一緒にいられると思って、嬉しくてまた下書き持って来たの。この前の初雪の下書きもまだ見て貰ってないし」

 はっ! そうだった。入院の前日に「初雪の話、書いたから読んでね」って言われてたんじゃないか。すっかり忘れてた。

「じゃあ、アイさんがゲラを出しに行ってくれてる間に読んでおきますよ」

 アイさんはすぐに原稿を持って出て行き、五分ほどで戻ってきた。しかしその五分間は俺にとって『悶絶の五分間』だった。

「ただいま~!」

 にこにこしながら俺のすぐ横に椅子を持って来るアイさんにダメ出ししなければならないかと思うと、正直気が重い。ちゃんと受け止めるとは言ってくれたものの、俺がダメ出しをするとまた「じゃ、やめる」「これ、無しにする」と言い出しそうだ。

「あの、初雪の話、読みました」
「どうだった?」

 そんなワクワクした顔で見られると言いにくいな。

「単刀直入に訊きますけど、自信のない事は調べてから書いてますか?」
「にゃ? 何か変だった?」

 俺はファイルを開いてアイさんに見せる。

「ここ。『空から落ちて来たみぞれは、少しずつ水分を失って、雪に変わっていく』どう考えても変です。霙も雪も雨も全部『水分の塊』です。水分を失うことはできません」

 俺は極力怖くないように淡々と話すが、アイさんは上目遣いにもじもじしながら小声で反論を始める。

「えっと、わかってるんだけど……ちょっと言われるような気はしたんだけど」
「ちょっとじゃないですよ。プロセスからして正反対です。巻雲ができるくらいの高さではマイナス五十度、そこに流れ込んで来る水分が黄砂や火山灰などの氷核にくっつくことで雪ができます、それが空中で融けることなく地面に到達したものだけが雪として存在できるのであって、途中で気温に負けて融解したものが雨、中途半端に融解が進んだ状態で到達したものが霙です」

 説明の途中からあからさまに不機嫌な表情になっていくのがわかる。

「だからわかってるってば、ちゃんと調べたんだから」

 アイさんがこれ見よがしに大きな溜息をつく。だが、それを聞いて溜息を洩らしたいのは俺の方だ。

「調べたうえで? わかってて書いたんですか? ツッコまれるのを承知で?」
「そうだよ。だってあたしがそう思ったんだもん。舞はおバカさんだから、そういう発想をする子なの。あ~、水分が少なくなって雪に変わってきたよ~、ベチャベチャかサラサラだよ~、っていうくらいの発想なんだから。でもやめとく。八雲君みたいな人が読んだら、結局ただのバカだと思われちゃう」

 思い切り下唇を突き出して『むくれてますアピール』だ。でもここは譲れない。

「それが書きたかったのなら『雪に変わっていく』と断言しないで『雪に変わっていくのかな』とか疑問形にすれば問題ないです。断言してしまうとそれを読んだ何も知らない読者が信じてしまうかもしれないじゃないですか。イメージならイメージだと判る書き方をしていないと、読者に不親切どころか読者を騙すことになります。後になってから『これはイメージです、信じないでください』と説明して回る方が大変になりま――」
「はいわかりましたっ。じゃあやっぱり『I my me mine』はやめましょう。あたしが変な事を書くことで八雲君に迷惑をかけるわけにはいかないからっ」

 はぁ、やれやれ。結局こうなるか。

「この程度の事で簡単に『やめましょう』と言えるような話だったんですか、我々の『I my me mine』は。そんなに簡単に開き直る程度の話ですか。私は『これは無理だ』と思ったらすぐに代替案を考えます。次に向かって進むのみです。『やーめた』って簡単に言える人間ではありません。そんなこと言ってたら何一つ完成なんか見られない。きちんと形にして世に出す。着地点は書籍化だけじゃないですよ、サイトできちんと完結を迎える、これだって着地点です。アイさんにとって代替案も出さずに『じゃあやめる』なんて簡単に言える程度の話でしたか?」

 膝の上に固く握ったアイさんの手が震えている。

「って言うかね、ここまで信頼できない相手と一緒にやる必要ある? どこまであたしを傷つければ気が済むの? いちいち言い方がきついよ!」

 また『言い方』? なんだよ『言い方』って。そんなものじゃなくて、言ってる内容の方が大事だろ? なんで中身をちゃんと受け取ろうとしない?

「アイさん。自分だけが傷ついてるつもりなんですね。私がこれだけの言葉をアイさんに投げつけることに、全く抵抗がないと思ってるんですか? 自分が発した言葉は百パーセント自分に返って来るんですよ。それでもあなたは『ちゃんとついて行く』『全部受け止める』って言った筈です。だから私は心を鬼にでも悪魔にでもして言ってるんです。言いたくて言ってるんじゃない。それが『言い方がキツイ』だって? 笑わせんな。言い方の問題じゃない、ちゃんと中身を聞いてください。どれだけアイさんの事を心底思って言ってると思ってるんですか」
「八雲君、もうあたしのことなんかどうでもいいと思ってるんだもん。めんどくさいヤツだって」

 アイさんの膝の上にボロボロと涙が落ちて行く。でも俺は見て見ぬふりを決め込む。

「どうでもいいヤツになんかここまで言いません。勝手にみんなに『凄いねー』って社交辞令言われてその気になっとけですよ。そして陰で笑われて勝手に潰れろですよ。どうでも良くない人だからここまで言うんです。……でも、私の言葉がアイさんを傷つけるためだけに発せられているのだとしか思えないなら、一緒にやっていく意味はないですね。寧ろアイさんにとって害しかないです」

 自分で言ってて、だんだん情けなくなってきて、もう後半は彼女の顔なんか見ていられなかった。ああ、こうやってまた彼女と別れることになるんだ。

「ちゃんと受け止めるって……嘘をつくつもりなんか無かったんだよ。ひっく。ちゃんと書くつもりだったし、ひっく、八雲君のダメ出しだって聞くつもりだったんだよ、ひっく、だげどあだじはダメ出じさでるど、ごわいんだぼんぅぅぅうあああ~ん」

 あーあ、泣きだしちゃった。はなかめ。

「いいですよ。この前『ちゃんと書きたい』と言ってくれてからの数日間は本当に幸せでした。だから無駄だとは思ってません。私は一人でも続けます」
「あだじがえる」

 多分「あたし帰る」と言ったんだろう。コートとあのネイビーのカバンを持って、洟をすすりながら出て行った。俺は何も声をかけられずにその後姿を見送った。
 ただでさえ小さいアイさんが、ますます小さく見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
【全16話+後日談5話:日月水金20:00更新】 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...